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暁の彼方〜番外編 暁闇〜




 ――これはまた、随分と殺したものだ。
 執務室に届けられた報告書の束を見て、ルーカスは素直にそう感嘆した。それは王都の街門が閉ざされて一夜で、処刑された王侯貴族達の名簿だった。横領に収賄、武器の不法所持など罪状は様々だが、要約すればすべては国家と国王に対する反逆の罪へと集約される。これまで散々、人の血で手を染めてきた男の嘘偽りない感想がそれなのだ。他の人間の目から見たならば、それは凄まじいばかりの虐殺の記録であったに違いない。
「宰相閣下」
 書類を届けにきたクラウス・テーゼが、複雑なものを含んだ目でルーカスを見る。彼はこの国において、司法を掌る立場にある。彼らの罪状に誤りがなく、手続きに不備さえなければ、クラウスの名において、罪人に死を命じなければならない。それも職務とわかっていても、たまったものではなかったことだろう。
「そんな顔をするな。何も罪科ない人間を罰しているわけではないんだ……それにしてもあの女、思っていたより優秀だったな」
 他国の王位などという大それたものに手を伸ばして、その隙に足下を掬われては元も子もない。あの春の一夜の後、好きなようにやってみろ、とだけ言ってルーカスが手を引いた、その後の行動がこの有様だった。ルーカスの目にカリナ・エディウスの所業は、まるで反逆者を見つけ出すことを楽しんでいるかのように見えた。私の父親は忠義の為に命を落とした。なのに何故お前達は生きているかと、神とも運命とも知れぬ巨大な何かにむけ、問いかけているかのようにも見える。
「なかなか腹黒い人間が揃っていたからな。この先はお前も少しは風通しがよくなるだろう、クラウス」
「ですが」
 そもそもルーカスはこれまで、王に二心ある貴族達が事を起こすまでは、敢えて処断しない方針を貫いてきた。武器を溜め込んで蜂起する計画でもあればともかく、密かに国庫の金をかすめとって私腹を肥やす程度では処罰しない。むしろそれを材料にして、逆に味方に引き入れるようなこともよくやった。
 今目の前にいるクラウスもまた、かつてルーカスに挑みかかってきた人間の一人だ。自分がその立場にあったからこそ、今になってのルーカスの変心が納得できないのだろう。
「閣下、どちらへ?」
 立ち上がったルーカスの背に、部下である年上の男の声が落ちる。窓枠の向こうに見える空は、見事なほど澄み渡った蒼穹だ。昨日の夜に一雨降った所為だろう。庭木の葉も中庭の芝生もしっとりと濡れ、太陽の光を浴びて光り輝いて見える。
「少し、寝てくる」
「……」
「まだしばらく、俺にはすることがないからな」



 中に入って戸を閉めた瞬間、粗末な小屋全体がひしゃげたように揺れた。天井が崩れて落ちてくるのではないか、と本気で心配になったが、四方に張り巡らされた支柱にもまだもう少しは働く気力があるらしい。激しい屋鳴りがしばらく続いた後、小屋の中に静寂が落ちる。
 背中を壁に預けた途端、激しい眩暈に襲われてルーカスは唇を噛んだ。かすかな血の味を覚えた口の中は、唾液すら出ないほど乾燥している。
 正直、自分自身が今現在、かなり危うい淵に立っていることは自覚していた。食べられないし、寝られない。こんなことをこれ以上続けていれば、待っているのは豊作で値崩れが心配される国において宰相が衰弱死という、笑い話にもならない事態だけだろう。
 無理やり引き剥がすようにして瞼を落とすと、視界のかわりに、聴覚と嗅覚が鋭敏になる。感じるのは潮騒にも似た木の葉のざわめきと、埃と黴の匂い――そしてそこに微かに混ざる、どこか甘やかな花の香だ。
 ――国じゃなくて、民でも……たくさんの誰かが望むことじゃなくて。あなただけの欲しいものは、何もないの……?!
「畜生……」
 エリザの目には彼が何の手も打っていないように見えたらしいが、実のところ、ルーカスはルーカスなりにテラの行方を探ってはいた。あの夜、密かに王宮から抜け出た赤髪の娘がいること。王都の門から、目立つ髪の色をした若い娘が旅立ってはいないこと。例え宰相であってもそれ以上は、大の大人が自分の意思で動いている以上、探すことも見つけることもできはしない。
 ――どうして、俺に何も言わずに消えた。
 かなり遅きに失した感はあるが、あの男が戦闘者のギルドであることも、男が彼女を手に入れる為に何をしたかも承知している。もちろん、庭師を装ったあの男との仲が、巷で噂されているようなものではないことは、はなから承知の上だ。自分と出会うまで、彼女に深い仲の相手がいなかったことは知っているし、その後で何かあったならさすがにわかる。大体、他の男と数日後に逃げる予定の女が、子供が欲しいなどと口にするものか。
 ……それともこれが、復讐なのか。
 復讐の為だけに、お前は好きでもない男に惹かれたように振舞って、求められれば肌まで許したのか。
 性質(たち)の悪い悪夢のような想像を振り払って、ルーカスは片方だけ立てたままの膝に額を埋めた。今はもう、惜しむものなど何もないが、今はまだ、倒れてしまうわけにはいかなかった。



 微かな悲鳴を聞いた、と思ったのは、眠りに落ちる寸前、意識を完全に手放しかけた頃のことだった。
 王都の民においては還らずの森、王宮の人間にとっては禁忌の森であるこの場所で、どこかの馬鹿がわめいている――、と思ったら、その声は他でもない、自分自身の口から漏れていた。意識より先に眠りについていた精神が、声になって溢れて出てしまっていたらしい。
 ルーカスが目を開いた時、まだ陽は高いところにあった。
 それでも少しは眠ったのだろうが、身体の先端に泥でも詰まっているのかと思うほど、重たい。全身に冷や汗とも脂汗ともつかぬ、非常によくない種類の汗をかいていた。経験でわかる。――こうなってしまうと、もう眠れない。
「……また、やっちまったな」
 これでは、わざわざ疲労を溜め込みにきたようなものだ。苦笑と共に立ち上がって、ルーカスはふと、眉をひそめた。
 先ほど聞いた、と思った人の声。あれは夢魔にうなされた自分自身の声でもあったのだろうが、同時に――
 ――誰か、いる。
 小屋から飛び出したルーカスの横を、銀色に光る何かがすり抜けた。木立の幹に突き刺さったそれは、かつて目にしたことのある、<銀の礫>と呼ばれる特殊な武具だ。
 状況の把握はまるで出来ていなかったが、身体は無意識に習い覚えた行動をとった。剣をぬいて身構えたその刹那、目の前に光るものが散る。
「……お前は」
 透き通るような銀髪。猛禽を思わせる目。
 人を近づけぬこの禁忌の森に、一体どこから現れたのか。先の戦闘者のギルドの頭領の嫡子であり、現在のギルドの頭領、――そして、ルーカスからテラを連れ去った男は、白刃を振り上げ、その鋭い瞳に燃えるような光を宿していた。
「あの女をどこへやった。――黒宰相」




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