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暁の彼方〜番外編 暁闇〜




 結局、半月あまりも寝たり起きたりの生活を続けて、体調はようやく、回復の兆しを見せた。軽い貧血のような状態はまだ続いているが、馬には乗れなくとも馬車に揺られる分には問題ないだろう。利用する為に連れ出しながら、役立つどころか、足手まといにしかならなかった女の回復をここまで待ったカイザックの忍耐力を、ここは誉めるべきなのかもしれない。
「――テラ?もしかして、テラじゃないの?!」
 その日、久しぶりに宿の部屋を抜け出し、風に当たる為に、王都の町外れの小道を歩いていたテラは、懐かしい再会を果たした。かつて、傷を負って行き倒れていたテラを――ルーカスを救ってくれた、旅芸人の一座だった。



「――ねえ、みんな。テラよ。テラを連れてきたわ」
 踊り子の少女――リディスに腕を掴まれて、連れてこられた郊外の広場には、見知った顔ぶれが集まっていた。蛇使いのダワと、軽業師のオウカ、そして過去に王宮舞姫をつとめたことがあるという、座長の老女だ。
「……もしかしてお忍び?宰相閣下の奥方ともあろう人が」
 オウカがすぐにテラに近づいてきたのとは対照的に、ダワはむしろ彼女達から距離を置いた。テラがこの一座に匿われていたころ、彼らは恋仲だった。仲睦まじい二人の姿に微笑んだり、胸が痛くなったりしたものだった。――が。
「今ね。オウカとダワ、喧嘩中なのよ」
 茶目っ気と呼ぶには少々下世話なリディスの台詞をさらりと流して、オウカはテラに向き直った。心なしか、口調に案ずる気配が混ざる。
「どうしたの?何かあったの、テラ……?」



 暮れなずむ夕暮れ空の下で、焔が爆ぜた。野営の天幕を獣や夜盗から守る為、旅芸人の一座は真夏でも焔を絶やさない。今はその上で、ブリキの薬缶が湯気を吹いていた。体調の優れないテラに、温かい茶を振舞ってくれるという。
「――そう、カイザック、あなたのところにも行ったの」
「え、なら、オウカさんのところにも?」
 テラは彼が死んだものと思い込んでいたが、オウカはその後もそれなりにはギルドとのつながりを保っていたらしい。生き残ったギルドの人間の何人かが、商売を始めたり職人に弟子入りしたりして、堅気な生活を送っていると聞いて、テラの心は少なからずなごんだ。
「もともと皆、他に生きる術がなかっただけで、普通の生活ができるならそうしたかったのよ。……カイザックもそれで焦ったのでしょうね。なりふり構わず資金を得ようと<天国の花>を売ったりして、あやうく捕まるところだったらしいけど」
 それでは、ルーカスが失敗した例の内偵には、戦闘者のギルドが係わっていたのか。今になってようやく得心する。もっともそれがわかったところで、今のテラには、それを彼に知らせる術すらないのだが。
「仲間を取り戻そうとあちこちに押しかけて、悶着を起こしたりもしてるらしいわ。わたしのところにも何度来たことやら。最初は皆にも黙っていたものだから、それで、ダワと大喧嘩。あの男は誰だ!って。今はもう誤解は解けたんだけど、まだ少し気まずいのよね」
「え、オウカさん、皆にギルドのこと話したんですか?」
 テラは純粋に驚いたのだが、オウカにはテラのそんな反応の方が意外であったらしい。澄んだ目を素朴に見開いた。
「ダワにだけよ。だって、余計な誤解されたくないもの。テラは黒……いえ、ルーカスに本当のことを言わなかったの?」
 ――そう、そういう手段だってあったのだ。
 死んだと思っていたギルドの若頭目が生きていた。私を――<戦乙女>が我が物にならぬのなら、周囲の人間を傷つけるという。お願い、手を貸して。
 どうしてあの時、テラは素直に、ルーカスにそう打ち明けなかったのだろう。
「……心配をかけたくなかった?」
 静かな声音に、黙って首を振る。
「それで、戦闘者のギルドが黙って国を出て行くなら、彼があなたを手放すと思った?」
 それも少し違う。両手で我が身を守るように抱いて、テラは中空を見た。
「そうじゃない。そうじゃなくて……、打ち明けてもきっと、あの人は行くな、とは言わないから」
 いつかのように、きっと言う。お前が行きたいなら、行けばいいと。俺は止めない、と。それが優しさだと、今もまだ、頑なに信じ込んだままでいる。
 大切にされていないとは言わない。それどころか、真綿ででも包むかのように、当のテラが呆れて笑い出したくなるくらい、大切に大切に扱ってくれる。最近では時折、抱えている問題を打ち明けてくれるようにもなった。
 けれど、と思う。もしまたいつか、命を賭さなければならないような何かが起こったならば。ルーカスはきっと、テラには何も告げず、何も知らせず、彼が選んだ道を行ってしまうだろう。それが自分自身を投げ捨てることであっても、必死で後ろを追いかけている彼女になど、目も向けてはくれないだろう。
 あれほど子供が欲しいと願ったのも、そうなった時、彼の血を分けた子がこの腕の中にいたならば、振り返ってくれるかもしれないと、虚しい夢想を抱いた所為なのかもしれない。
「馬鹿ね」
 ほっそりと優美な腕が伸びてきて、テラの頭部に絡んで引き寄せた。姉のような存在の女性の懐で、テラは、失ってしまった母の面影を思った。
「そんなに寂しかったのなら、素直にルーカスにそう言いなさいな。あの人、女心に疎いし、妙なところで頑固だし、おまけに考え方が捻くれてるから、言わなきゃ絶対わからないわよ」
 自分の夫を悪く言われて、本当なら腹を立てるべきところなのかもしれない。だがテラは笑ってしまった。この女(ひと)の目にもあの人はそう映っているのかと思うと、何だか奇妙なほど可笑しい。
「オウカさん、あたし……」
「今もルーカスのことが、好き?」
 ――そう、それが多分、何よりの問題なのだ。
 一体どこの世界の女が、好きでもない男の為に涙を流したりする。心を砕いたりする。これほど心の奥底まで踏み込んでおいて、いざという時には手を放そうなどと、思い上がりもはなはだしい。春の花も夏の星明りも、息さえ凍るような冬の朝だって、今はもう、二人で味合わわなければ何の意味も持たないというのに。
 そんな簡単なことでさえ、どうしてわかってくれないのだろう。男という生き物は。
 こくん、と。小さく頷いたテラに迎い、オウカは晴れやかに笑って見せた。
「だったら、早く彼のところに戻りなさい。わたしも――」
 そう言って彼女が見やった先、黒く染まった木立の脇で、黒髪の男がどこか気まずそうに明後日の方角を向いていた。心配になって様子を見に来たはいいが、出るに出られなくなってしまっていたらしい。
「彼とちゃんと、仲直りするわ」
 道化役を買って出てくれた若者を二人で見やって、本当に久しぶりに、テラは声を上げて、笑った。



 ――グリジア王国王都とその周囲とを隔てる街門が閉ざされたのは、その夜のことだった。
 東西交易の要衝であるグリジア王国の街は、通常、真冬のごく一時期を除いては、内外の人々に広く解放されている。特に王都の門が閉ざされたのは、今から八年前、時の皇太孫シリウス軍に国王シリウス2世が討ち取られて以来のことだ。翌朝には国王に叛意あるとされた王侯貴族10数名の処刑が公表される。
 グリジア王国歴シリウス3世初夏。
 後に<血の10日間>と呼ばれることになる、大粛清のはじまりだった。





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