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暁の彼方〜番外編 暁闇〜




 執務室の窓際に立って、ルーカスは舞い上がる水の飛沫を見ていた。数年前、大臣まで務めた男の死骸が浮いていた噴水だ。あの時、男の身体から流れ落ちた血で赤く染まっていた石の池は、今は並々と水を湛え、蒼穹を映し出している。
「――お呼びでしょうか」
 控えめに何度か扉が叩かれた後、近衛騎士隊副隊長カリナ・エディウスが姿を現した。随分と分厚い、書面の束を抱えている。
「ああ、こないだ頼んだ例の件、そろそろ結果が出ている頃だと思ってな」
 その為に、近衛騎士隊長エドガーも、クラウスでさえも遠ざけてある。ほんの少し辺りを窺うような顔をした後で、美貌の騎士は手にした書類を机上に置いた。中身は王宮の武庫に収められているはずの、鎧や剣――武器の類の目録である。
「……その件についてですが」
「やはり、消えていたか。王宮から武器が」
 <天国の花>密売についての内偵はものの見事に失敗したが、間諜からの報告は今もまだ生きている。最近になって、王都の市場から武具の類(たぐい)がもの凄い勢いで消えているという情報を、<黒宰相>は確実に掴んでいた。意図的な買占めが行われているのは明らかで、ルーカスは彼女に、武庫にある武器の数の点検を命じていたのだ。
「売りさばかれている武器の中に、王家の紋が入ったものがあるという噂があったんだ。よもや、とは思ったんだがな」
 王宮の武庫に立ち入ることのできる人間は、そう多くない。かなり上位の地位にある兵士か騎士か――金に目がくらんだか、それとも他の目的があるかは知れないが、ルーカスのごく身近にいる誰かが、武器を横流ししているに違いない。
「宰相閣下。そのことについてなのですが」
「――どうした?」
「少し、気になることがあります。個人の意見ではありますが……今宵、官邸にお伺いしてもよろしゅうございましょうか」
 ……そう来たか。胸の内で呟いて、淡い色の金髪を首の辺りで束ねただけの化粧気のない顔を見る。軍服姿でさえ、すれ違う男が振り返る程の美貌だ。紅をさしただけで、見違えるほど艶やかになることだろう。
「いや、わざわざ官邸に来る必要はない。――俺が行く」



 男が圧倒的多数を占める近衛騎士隊において、女性騎士だけは、自邸からの通い勤務が許されている。女性用の新たな宿舎を建設する程騎士の数がなく、それだけの予算もない為だ。
 王宮の一画にあるエディウス家の邸は、宰相官邸とほとんど変わらぬだけの広さを持っていた。
 もっとも、庭木の枝は趣味よく手入れされているし、すべての窓にきっちり布がかけられている。使わない部屋は物置にして、窓は板で打ち付けているルーカスの邸とは随分な違いだ。
 十年近く前、皇太孫シリウスの側近として、何度かこの邸に足を運んだことがあった。当時のエディウス爵――エディウス将軍と呼ばれていた男を皇太孫軍に引き入れる為、説得に赴いたのだ。
 エディウス爵自身も、シリウス2世の治世が長くは続かないことは悟っていただろう。だが彼はルーカスの説得にも、皇太孫シリウス自身の説得にも耳を貸さなかった。あくまでも王の近衛騎士として、愚王と運命を共にする道を選んだ。
「――お待ち申し上げておりました。宰相閣下」
 その稀に見る忠臣の娘は、美しく装った姿で、ルーカスを迎え入れた。
 実際には髪を解き、薄く化粧をしていつもの軍服を脱いだだけなのだが、もともとの作りがよいと、それだけで夜会にでも出ているかのような趣(おもむき)がある。
 こんなところを他人に見られたなら、また妙な噂が飛び交うことになる。顔には出さず内心で、ルーカスは嘲笑(わら)った。
「お酒は召し上がらないとお聞きしたので、茶の用意をしておきました。よろしいでしょうか」
 招き入れられた邸は既に人払いが済んでおり、卓上には茶の用意がしてあった。夜はまだ少し冷える所為だろう。暖炉に火が入れてある。
「ああ、いただこう」
 差し出された液体は、薄紅色をしていていた。香でも焚き染めているかのような芳香だ。
「先刻の件についてなのですが」
「――単刀直入に聞く」
「は?」
「お前の、いや、お前達の目的はなんだ?」
 かつり、と音をたてて、女の手から茶器が離れた。遠くで西の血が混ざったのか、彼女の瞳はルーカスの瞳と同じ、夜の闇の色をしている。
「……疑いを持った相手はまず身近に近づける方だとうかがっていましたが。やはり、わたくしに武庫の調査を命じたのはその為でしたか」
「こないだの内偵、情報を流したのはお前だろう。<天国の花>を売りさばいた金で武器を買占め、蜂起でもするつもりか。だが、王宮の武器にまで手を伸ばしたのは余計だったな」
「――わたくしは、陛下に忠誠を誓っております。それは閣下が一番よくご存知では?」
 王家の近衛騎士はその任命前、幾重にも身許を調査される。家柄や思想、信念にいたるまで、王家に反さないか調べられるのだ。
「シリウスに忠誠を誓うなら、何故だ?何が目的で武器を集めた」
「――サイファ公国の王位を」
 それがあまりにも想像外の返答であったので、さしものルーカスも咄嗟には二の句が継げなかった。
「ミリウム2世がこの国の王位継承を主張するのは、母御がグリジアの王女であるから……ならば我らの陛下にもサイファ公国の王位継承権がある。違いますか?」
 亡くなった先の皇太子妃――シリウス2世の生母は、サイファから嫁いできた公女だ。確かに理屈は通る。――が。
「――国力が違う」
「あの国が腐り始めているのは、閣下もご存知でしょう。閣下のお言葉を借りるのなら……時代は変わっているのですわ」
 ――本気……なのか。
 これはまた、えらいものが出てきたものだと、ルーカスは思った。王国やシリウス2世に対する叛意は予想していたが、こんなものは想像の範疇外だ。
「俺には到底、現実味のある話には思えんがな」
「先頃亡くなった、サイファの王太子と王弟を、手にかけたのがわたくしの一味の者だとしても?」
 いつの間に回りこんだのか、背後から冷えた細い指先が首筋に触れた。咄嗟に剣の柄に手を伸ばしかけて、ルーカスは総毛だった。
 ――身体の自由がきかない。
 無理をすれば動かない程ではないが、指先が千里彼方にでもあるかのように感覚が覚束ない。脳髄から身体の芯を、駆け抜けるような痺れがあった。
「よかった。なかなか効いてこないから、量を間違えたかと思ったわ」
「……さっきの茶か」
「毒ではないので、ご安心を。ただほんの少し、気持ちよくなっていただくだけで」
 身動きの取れない男の眼前で、女騎士は羽織っていた布地を脱ぎ捨てた。肩と胸元をむき出しにした、薄布一枚の姿となる。
「よくお考え下さい。わたくしと貴方様は同じく陛下に忠誠を誓う同士。よいお付き合いができると思いません?」
 吐息が混ざらんがばかりの距離に、女の顔が寄せられる。間近の黒い瞳は、男なら抗いきれないような、蠱惑的な光で満ちている。
「わたくしに協力していただけますね?」
「……おもしろいな」
 ――先ほどの茶の香を、今度は鼻先で嗅いだ気がした。
 おもむろに伸ばされた自分の手が、白い肩を掴んで倒して行く情景を、ルーカスはどこか他人事のように眺めていた。





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