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暁の彼方〜番外編 暁闇〜




 つい先刻まで明るかったはずの空が、気づけば闇色に染まりはじめている。建物が多い西側の空にはまだ、茜色の夕焼けが残っていたが、王家の森の上空は、完全に夜の闇だ。
 内偵に失敗して王宮に戻ってきた騎士達と今後の予定を話し合うため、今宵は王城に泊まりこみになる予定だった。着替えだけを取りに自邸に戻ってきたルーカスが最初に目にしたのは、屋根の高さまであろうかという梯子の中ほどで、枝きりバサミをつかっている若い男の姿だ。そういえば、前に帰った時、先の庭師が老齢を理由に暇を取り、かわりに弟子にあたる新しい庭師が来るとか、言ってはいなかったか。恐らく、彼がその新しい庭師なのだろう。
「見事なものだな」
 肩まで袖をまくった腕の筋肉はたくましく、ルーカスよりよほど鍛え上げた身体をしている。その身体で見上げる程の高さを動きまわって、軽業師顔負けの職人技見せている。顔の辺りに落ちてきた枝先をルーカスは右腕を軽く伸ばして受け止めた。振り返った男が一飛びで、地面の高さまで着地してくる。
「これはこれは。失礼いたしました。貴方様は?」
「――俺はこの邸の住人だ」
 その瞬間、男の眼光が鋭く光を帯びた。その光はルーカスに、過去に係わりあったことのある、一人の男の姿を思い起こさせた。一度は手を組み、その後袂を分かった、戦闘者のギルドの頭領。<戦乙女>の男であり、テラの保護者でもあった男は名もなき屍として、今、王家の森の片隅で永久(とわ)の眠りについている。
「……黒宰相、あんたが」
 <黒宰相>の通り名はどちらかといえば蔑称だが、この際それはあまり気にしないことにする。この先も頼む、と一言だけ告げて、正面の門をくぐろりぬけようとしたルーカスの耳に届いたのは、真冬の凍てつく湖面よりなお冷たい、氷の刃のような声音だった。
「――返していただきますよ。俺達……いや、俺の<戦乙女>を」
 思わず振り返った視線の先では、ただ漆黒の風が渦を巻いていた。


 ――東へ向う。
 二年ぶりに目の前に現れた、かの男はそう言った。
 最早壊滅に等しい戦闘者のギルドを立て直す為、この国を捨てる。
 捨て去るなら勝手に捨てればいい。誰も止めはしない。そう言い捨てたテラに向ってカイザックが放った言葉によって、彼女の1年半に及ぶ平穏な生活を終わりをつげた。
 戦闘者のギルドには<戦乙女>が必要だ。俺はお前をこのまま、<黒宰相>にくれてやりはしない――。


「じゃあ、結局駄目だったの?内偵」
 邸に戻ってきたルーカスの着替えを用意しながら、テラは目を丸くした。<天国の花>密売に対する内偵計画については、彼女も詳細を承知している。この国の裏の顔については、ルーカスよりもテラの方が数倍詳しい。それにここ一年程は、ルーカスは自分が抱えている問題について、可能な限り、彼女に明かすようにしていた。今回の内偵については、裏世界に詳しい彼女の意見も存分に取り込んだ上での計画だったのだ。
「一度地下にもぐったところで、きっとまた動きだすに違いないわ。一度成功すれば、とんでもない利益だもの」
「――ああ、だろうな」
 実のところ、遊興目的でかの薬に手を伸ばすのは、暇をもてあました貴族や王族達なのだ。多額の金を用いて薬を買って、精神を食まれて自壊してゆく。そんな実例は、ルーカスも何例か目にしている。
 今回の内偵はルーカスにとって、宰相就任以来の悲願でもあった。性質のよくない武器や薬も何もかも、ほとんどすべての品は、グリジアを経由して西へ東へ流れる。よい意味でも悪い意味でも近隣諸国との係わりが重大なこれからの時世において、グリジアが他国から見た<天国の花>の温床になることだけは、何としても避けたいのだ。
「天国の花って、ギルドの里では普通に取れるし、使い方によっては催淫効果があって、結構あたしたちも重宝したのよね」
「――さいいん?」
 ものすごく怪訝な声色になったのは、咄嗟には<催淫>の言葉が思い浮かばなかった所為だ。
 どこか気まずげな顔色と、目があった瞬間にただちに逸らされた視線に、ルーカスはその言葉の意味を正確に理解した。催淫とは、要するに媚薬のことか。王宮舞姫に選ばれるほどの踊り子――実態は戦闘者のギルドの女戦士にとっては、人心をたぶらかす魔性の花も武器の一つであったに違いない。
「言っとくけど、効果の程は知らないわよ。……あたしは」
「ああ、知ってるよ」
 ――俺の戦乙女。
 ――返してもらう。
 あの男は誰だ。あの言葉の真の意味は。喉奥にひっかかって取れない言葉を意識して飲み下す。踊り子であり、戦闘者のギルドの女戦士でもあった娘が、過去に様々な男達と浅からぬ係わりがあったであろうことは、想像するに容易い。もっともはじめて抱いた時、彼女はまだ生娘だった。例え以前に何があろうとも、そこに至るまでのどこか――それがどの程度までかは知れないが、であったことだけは違いがないのだが。
 抱き寄せて髪の中に顔を埋めると、テラは安心したように吐息を漏らした。こんな時、ろくに家に帰る暇もない、宰相という立場がつくづく厭わしくなる。
 ――このままこうして夜を明かせば、今感じている苛立ちや不快感など、瞬く間に霧散すると、知ってしまった、今となっては。
「……ルーカス、あの」
「どうした?」
「ううん。なんでもない。行ってらっしゃい。――お仕事がんばってね」
 この時、彼女の碧の瞳がどこか苦しげに翳っていたことに気がつかなかったことを――その細い肩を掴んで、その言葉の先を無理やりにでも問いたださなかったことを、後に、ルーカスは痛いほど後悔することとなる。





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