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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



21
 テラがグリジア王国に帰りついた時、季節はまだ、夏の盛りだった。
 眩い太陽が石畳に照り返し、そこからゆらゆらと薄緑の陽炎がたつ。グリジアの技術の結晶であり、街の至るところに備えられている噴水には、わずかな涼を求めて人々が集まり、裸の幼児が柄杓(ひしゃく)で水をかけあって遊んでいる。
 今年は随分と夏の訪れが早かったけれど、山国の短い夏が終わる気配はまだない。随分と時間がたって、色々なことが変わってしまったような気がするのだけれど、実際にはあれからまだ、さほど月日がたったわけではないのだ。
「お帰りなさいませ、テラ様」
「……ただいま帰りました」
 出迎えてくれたエリザに荷を預け、官邸の庭に下り立ったテラを、待ち受けていた人影があった。濃緑が生い茂る庭先で、今日はいつもの庭師の装束ではなく、通常の――旅装束に近い、ギルドの通常着を着ている。
「カイザック……無事だったのね」
 カストレーデ離宮での戦闘において、また、多くの戦闘者のギルドの人間の命が失われた。彼がしたこと――テリーゼの赤子を殺したことは憎んでも憎みきれないが、今は心の底からもう、誰にも死んで欲しくないと思う。
「――俺達は、グリジアを去る」
 彼がその言葉を告げる為に来たのだということは、薄々勘付いていたことだった。
「……そうね。その方がいいと思うわ」
 今はもう、グリジア王国に戦闘者のギルドが生き残る道はない。カイザックも――そしてテラも思い知らされた。ミリウム2世もルーカスも、最早、戦闘者のギルドなど歯牙にもかけていない。かつて皇太子孫シリウスの軍に手を貸し、その即位に多大なる貢献をした組織は、権力者の駆け引きの狭間で、容易に使い捨てられる存在に成り下がってしまった――。
 先の頭領であったクラネットより、息子であるカイザックはまだ冷静さを持っている。一つの組織の長として行き着く先は、もはや一つしかあるまい。
「行き先は決めない。この国に残りたい人間は置いて行く。行き場のない人間だけで行けるところまで――地の果てまで言って見るのも、悪くはないだろう」
 淡々と言葉を紡ぐカイザックの険しい眼差しを見る。普段は鋭い眼光ばかりが目立ってあまり知られていないが、この男の目は鮮やかな碧――テラと同じ瞳の色をしている。
「――テラ、お前も俺達と来ないか」
 意外な言葉ではなかった。強制ではない。脅迫でも強要でもない。ただ、真摯に諭すような響きがある。
「<黒宰相>がどういう人間かは、お前も理解したはずだ。……もう解放されてもいい頃だ」
 すべてのしがらみから、解放されて。何ものにも捕らわれず。自由に、大地の果てまででも。
 それは、心揺さぶられる想像だった。一瞬、テラの意識は想像を越え、見たこともない大草原や大海原の上を羽ばたいていた。――そんな風に生きられたなら、どれほど素晴らしいだろう。
 ……でも。
 ――この女が俺を殺せば、この女を解放するか?
 あの時、ルーカスはテラを何から解放してくれようとしていたのだろう。
 はじめからそのつもりだった。テラも戦闘者のギルドもあの哀れな女性も欺いて、ただ、利用するつもりしかなかった。
 そんな自分自身を、ルーカスはきっと許してはいない。許して欲しいと望んでもいない。どれほど追いかけても、同じ場所に立つことは永久に出来ない。
 ――お前はもう、俺から解放されて自由になっていい。
 しかし本当に、何者にも捕らわれずに生きられる人間などいるのだろうか。人は――いや、草原を駆る獣も、大空を飛翔する鳥だって、皆、何かに捕らわれながら生きている。家族であったり、国であったり、名誉であったり――自分自身の心であったり。
 例え今、この地を離れたところで、真に解放されることなどできやしまい。明け暮れに一つの同じ方角を見つめ、風に乗ってもたらされるかの国の――宰相の風聞に心かき乱されて、いたたまれなくなる。きっとそうなる。
 時がたって、想いが薄れるまで耐えられる自信はなかった。同じ場所に立つことはできないと思い知ってもなお、テラの心は追い求めてしまう。あの猛吹雪の日、森の中で膝を抱えて眠っていた少年の姿を。
「あたしは、行けない」
 テラの拒絶は、想像の範疇であったのだろう。しばし無言で互いを見やって、そこに何か今までとは違うものを見た。テラが変わったのかカイザックが変わったのか、それとも以前からそこにあったのに、様々な感情に覆われて見えなくなっていたものなのか。
 テラの父親はクラネットなのではないか。
 それは長い間戦闘者のギルドの人間達にとって、<公然の秘密>の扱いだった。テラが生まれる前から亡くなるまでずっと、カウラはいかなる時も頭領と行動を共にしていた。その疑いが起こるのは当然だし、その可能性が最も高いと、誰もが思う。
 もっとも子供ができた時、誰が父親かと考える必要のないテラとは違い、母の場合は本当にわからなかった可能性もある。だが――
 ――お前の目は、お父さんと同じ色だ。
 カウラはテラをクラネットの子だと信じたかった。ならばテラの父はクラネットだ。他の誰が認めなくとも、少なくとも、彼女の内では。
「あたしはここに残る。だけど、忘れないわ。カイザック、あんたがどこに行っても、絶対に」
 風が吹いた。この季節には珍しい、刺すように鋭い風だ。細かな砂や石礫が渦を巻いて空へ舞い上がる。思わず、目を瞑っていたらしい。気がついた時には、そこにいたはずの男の姿は消え去っていた。色も気配も、彼がそこにいたという証は微塵もない。
 きっとこんな別れ方が一番ふさわしかったのだろう。――もしかしたら姉であったかもしれない女と、弟かもしれない男の永久(とわ)の別れには。





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