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暁の彼方〜番外編 暁闇〜




 <天国の花>と呼ばれる、植物がある。
 グリジア地方の山岳部では普通に群生する植物で、その花弁を乾燥させた粉末は、一度人体に入ると、人の感覚を麻痺させ、痛苦を忘れさせる効能を持っている。故に、グリジア王国では古くから、許可を受けた一部の医師や薬師だけがこの花を取り扱う権利を持っていた。
 ――手術の際の麻酔として、また死期の迫った病人の苦痛を取り除く為にも用いられるこの<天国の花>は、健全な人間の魂を破滅させ、同時に、人に巨万の富をもたらす魔性の花でもあったから。
 


 宰相の執務室にその一報が届けられた時、ルーカスは思わず立ち上がって、窓の外に広がる春の景色に目をやった。報告の内容は、内密に進めていた<天国の花>密売に対する内偵が、失敗したことを告げるものだった。人選から直接指揮をとり、三ヵ月近い準備期間を費やして組織を探る予定が、大詰めも大詰め、取引の直前で内偵者の身分が知れてしまったらしい。やくざな商売人を装って取引の場に赴いた近衛隊の騎士達を引きずりまわし、かの組織は姿を隠してしまった。
「情報が漏れていたのかもしれませんね」
 クラウス・テーゼの言葉に、ルーカスは思わず眉を寄せた。通商の盛んなグリジアでここ数年の間に、<天国の花>の大規模な密輸・密売が行われていることを、ルーカスはかなり早くから認識していた。人を破滅させるこの魔の花は、同時に、巨万の富をももたらす。この内偵はその撲滅にむけた作戦の一環で、この後、さらに組織に深く食い込ませ、内情を明らかにした上で、捕縛の手を差し向ける予定だった。
「どこから漏れるというんだ。騎士達には丸三ヶ月、仮の身分と立場で暮らさせたんだぞ。奴らが身元を調べたとしたって、軟派で浅はかな男達が、違法な取引に手を染めようとしたとしか見えなかったはずだ」
 内偵役の騎士達の命まで奪われなかったのは幸いだが、これで内情をあばく機会が、しばらく失われたことは間違いない。国が目をつけていることが知れた以上、彼らもしばらく取引は自粛するに違いない。
「――宰相閣下」
 執務室の扉から姿を現したのは、今年の春、近衛騎士隊副隊長を拝命したカリナ・エディウスだった。エディウス家はクレスタ家につぐ部門の名門、その息女である彼女は若干二十二歳の若さにして、近衛騎士の地位にまで上り詰めた精鋭中の精鋭である。剣の腕は並み居る男の騎士をなぎ倒すほどで、同時に彼女が<黒宰相>に直にあげた上申書の内容が、ルーカスの目に止まった為だ。
「――近衛騎士隊人事書をお届けに参りました」
「ああ、ご苦労」
 書類を提出して去って行く、女性騎士の後ろ姿を、クラウスが険しい視線でみる。美女として名高い<戦乙女>とは少々性質が違うが、彼女も、かなりの美形であることには違いない。しかし見る者が見たならば、その瞳が油断ならざる光を帯びていることに、気がつくに違いない。
「あの娘ですか。兵力の増強について上申を上げてきたというのは」
「さすが、あのエディウス爵の娘だな。なかなか見所がある。――もっとも、俺には賛成できない点も多々あるが」
 先のエディウス爵は、先々代の近衛騎士隊副隊長で、先王シリウス2世の忠臣だった。その忠義の程は、彼の器量を認めた皇太孫シリウスが近衛騎士隊長の地位を約束したにも係わらず、皇太孫軍に従わなかった程で、動乱終結後は、シリウス3世の命によって命を絶たれた。
 王に死を賜るなら、それもまた武人の名誉であると言い捨てて潔く刑場に散った姿は、今も武官の間では伝説のように語り注がれている。
 その娘であり、父の死後近衛騎士に取り上げられた彼女の主張は、これからの軍事における火器の重要性を告げるものであり――属に<火薬>と呼ばれる特殊な薬剤は、数十年前に月英で開発され、ここ数年で武器としてめまぐるしい進歩を遂げた――その中には軍備を強化することによって、グリジアの王位に対する野心を捨て切れていない隣国、サイファ公国に対する先制攻撃――いわゆる専守防衛という、これまでのこの国では語られることのなかった、過激な思想も含まれていた。
「確かに興味深い話ではあった。月英の王は、本気で火器の導入を考えているらしいから、こちらも考えないわけにはいかないだろう。だが、サイファに、あえてこちらから兵を差し向ける必要は、俺は感じない。少しくらい予算を裂くのは構わないが、その金があるのなら、別にむけるさ。むこうも最近、王太子が死んだりして、しばらくはこちらに手を伸ばす余裕もないだろうしな」
 ミリウム2世の対外強攻策が、サイファ国内においては凶と出たらしい。サイファ公国内部ではここ数年、内乱が続発し、王太子と、ミリウム2世と母を同じくする公子がここ数ヶ月の間に、相次いで死亡するという事態まで発生した。表向きは流行り病による病死だが、恐らくは毒殺であったろうというのが、ルーカスがサイファ国内に潜ませた間諜から得た情報である。実際、サイファの王都やその周辺の街は現在、その噂でもちきりらしい。
 常に気を使ってならなかった隣国の様子に、しばらく気を使う必要がない。だからこそ、この一大内偵計画であったのだが。
「しかし密売については、こちらから動くことが難しくなりましたな」
「――まあ、気長にやるさ」 
 窓に映った自分の姿にむかい、ルーカスは口の端を持ち上げて見せた。



 隠居した先の庭師に代わって、その弟子の庭師が、拝顔を申し出ている。報告を受け、テラはその日の午後を、宰相官邸で過ごしていた。政務に追われて寝る暇もないルーカスほどではないとはいえ、彼女もまた、育児の為にしばらく表舞台に出ることのできないテリーゼに代わって、孤児院や学校をまわるという政務がある。予定を延期したのは、先の庭師であった老人がエリザ同様、穏やかで柔らかな性格で、王城の生活になれないテラを色々と手助けしてくれた為だ。
 接見用に容易された部屋で、若者は首を垂れひれ伏していた。かなり大柄の、筋骨逞しい体格だ。庭木の枝の一本や二本くらい、鋏がなくともへし折りそうに見える。
「お初にお目にかかります。本日より、お庭の世話をさせていただきます」」
「ブラウンさんには、色々とお世話になりました。一度遊びにきていただきたいと、伝えて下さい」
 宰相閣下の正妻。人にひれ伏されて挨拶れる立場になって二年が過ぎても、未だにその地位に慣れることができない。若者は髪をかきあげながら、テラを見た。その瞬間、テラは悲鳴を押し殺すため、両手を唇に押し当てなければならなかった。
「あなたは……」
「久しぶりだな、テラ」
 ほとんど白と変らぬ銀髪。猛禽類を思わせる鋭い視線。
 先の頭領の遺児であり、母亡き後の年月を同じ屋根の下で育った若者は、<戦乙女>とその血を分けた娘を、何よりも憎んだ。
「……カイザック、あなた、生きていたの」
 それはテラが捨て去ったはずの、過去の幻影だった。






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