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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



18
「北門の火は消し止められたらしいな。――さすがにサイファの兵士は優秀だ」
 開けは放たれた窓の彼方から、風の音に混じって喧騒が聞こえてくる。空がほのかに赤みを帯びているのは、思いの他火勢が激しかった所為だろう。それでも鍛え抜かれた大国の兵士は優秀だ。火を放ってわずか数刻で、さしたる延焼も見せずにすべての火災を鎮火したらしい。
 窓辺に立って、外の景色を眺めていた男がそう言って、水の入った器を口に運んだ。さすがに一度かかった手に二度かかる気はないらしい。この宮に滞在を許されて以来、この若者はカリナの手を経たものは、決して口に運ぼうとしなかった。
「どうも、うちの兵士達はのんびりしているらしいな。二年前の火災の時、これくらい動いてくれていれば、あれほど被害を出さずに済んだものを」
 閣下、と。黒く影のような声が壁の後ろでそう呼ばわった。<黒宰相>が使っている間諜の一種だ。これほど近しく付き合うようになってはじめて、自国の宰相がその掌中に、その手の間諜を多く飼っていることを知った。
「――西門に首級が。血塗れで相貌の区別はつきませんが、一部の兵に動揺が見られます」
 戦闘者のギルドを使って外から兵士を誘導し、内側から王の宮(ぐう)に忍び込んで首を取る。それが彼女の――否、彼らの計画だった。
「よし、ここまでは予定通りだな。……問題は次か」
 ――悠々(ゆうゆう)と乗ってきた。
 それが彼女のこの男――ルーカス・グラディスに対する偽らざる印象だった。正直、ここまで呆気なくこちらの策略に乗ってくるとは思わなかったのだ。何しろ<黒宰相>だ。忠義でも色仕掛けでも、そう簡単に落ちはしまい。
 それがあっさりこちらの手の内に転がりこんできた時から、計略が少しずつ逸れているっているような気がして、ほんの少し、不安だった。今もそうだ。これが女の弱さなのか。この宮に着いて間もなく、宰相の間諜からサイファ王妃の懐妊を知らされた時、カリナは一瞬、怯んだ。迷うことなく王妃をも消すことを選んだのは、この男の方だ。
「王妃の宮には、王以外の男は入れないらしいな。……戦闘者のギルドを使うか?」
「――わたくしが、参ります」
 するりと衣擦れの音がして、身につけていた衣装が床に散らばった。近衛騎士を拝命した時に縫わせた軍服を身につけ、愛用の剣を佩く。一糸纏わぬ艶姿を目にしても、宰相である男は眉の毛一つ動かさない。
「……後始末は、してやるよ」
 それがお前の望むものかどうかは知らないが。あるかなきかの呟きは、月も星もない闇夜の彼方に消えた。



 テラが離宮にある王妃の宮(ぐう)にたどり着いた時、そこはちょっとした騒ぎとなっていた。
 ここ数年、内乱やら騒乱やらと縁が切れなかったグリジアとは違い、表向きは平和を謳歌してきた大国の、それも王宮仕えの人間達だ。王妃付きの数多の侍女達が廊下や居室をおたおたと動き回り、荷をまとめて逃げ出そうとしている者もいる。
「ねえ、王妃様はまだ御部屋にいらっしゃるの?」
 どこかで見たことのある侍女の一人に、声をかけてみる。返答はない。返ってきたのは誰のものともつかぬ、疑問詞と感嘆詞の嵐だけだ。
「西門に首級が上げられたというのは、本当なのですか?!」
「まさか、陛下はもう……?」
「賊はもうすぐこの宮にまでやってくるとか!」
「――ちょっとみんな、落ち着いて……」
 王妃に気に入られて離宮に引きとめられた踊り子風情が声をかけたところで、一度恐慌に陥った女達の動揺が収まるはずもない。仕方がない。いったん押し黙り、テラは大きく息を吸い込んだ。
「――黙って!」
 自慢ではないが、舞いながら歌も歌う踊り子の肺活量は半端ではないのだ。大音量の制止に、十代半ばから二十代前半の女達が皆、驚き顔でテラを見た。
「あなた達が動揺してどうするの?!皆、王家の侍女なのでしょう?!今は王妃様をお守りするのが最優先のはずでしょう!」
 それでもまだ、かすかにざわめいていた人の声が、しん、と静まりかえる。自ら物事を考えたり行動を起こしたりすることに慣れていないだけで、皆、根は善良なのだろう。これなら何とかなる。顔には出さず内心だけで、テラは胸を撫で下ろした。
「武器を使える人はいる?その人達は皆、王妃様のお側に。王妃様をお守りして、この宮を出るのよ。あとの人達は、麺棒でも鋏(はさみ)でも何でもいいわ。何か身を守れるようなものを持って一緒に来て」
 一番近くにいた侍女の手にあった薄布を取って、広げてみる。細かな透かし編みの入った、白く透き通るような絹織物。グリジアでは、王妃ですら身につけられないような最高級品だ。――ちょうどいい。背格好はまず問題ないし、これなら顔形を隠すのに都合がいい。
「あ、あの……何をなさるおつもりなのです」
 それを頭から被ったテラに向い、訝しげな声が落ちる。被った布地の端をきつく握り締め、自分と同じ年頃の侍女に向かい、精々不敵に見えるよう、笑いかけて見せた。
「――あたしが、王妃様の身代わりになる」






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