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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



17
 その騒乱のはじまりを、テラはカストレーデ離宮の中で知った。
 仮にも一国の宰相の妻なのだから当然といえば当然だが、テラには一介の踊り子にはない、身についた作法と教養がある。自身と共通の話題を楽しめる踊り子を、サイファ公国王妃は思いの他気に入ったようだった。夕餉の席でも彼女を放さず、あげく、離宮内に部屋を用意して一夜の宿を提供してくれるという。
 そしてそれは、テラにとって好都合でもあった。ルーカスが裏で糸を引いているのかもしれない、サイファ国王ミリウム2世暗殺を、テラは止めるつもりでいる。一つは、未だに真意の読めないルーカスの行動を探るため。そしてもう一つは――
 ――できることなら、死んで欲しくない。
 もしもルーカスかミリウム2世かを選べと言われれば、迷うことなく前者を選ぶ。けれどできることならば、会ったことのない異国の王にも命を落として欲しくない。それは多分、テラが女であるが為の感傷なのだろう。当の本人より先に、彼を想う人に出会ってしまったが故の。
 テラがルーカスを想うように、彼女もまた、ミリウム2世を想っているはずだ。テラがルーカスを失った時に味合うであろう悲嘆を、気のよい異国の王妃に味わって欲しくない。
 それを甘いと、人は笑うだろうか。少なくとも、ルーカスは笑いはしないだろう。きっと、他の誰よりよくわかってくれるのではないか。
 そんなことを考えていた所為で、行く手を遮る人の影に気がつくのが遅れた。建物と建物を分ける垣根によりかかって、何をするでもなく空を見ている。どこかで炎が爆ぜる音はするが、少なくとも、今テラがある地点まで火の手は届いていない。今、燃えているのは北門だろうか。離宮の北側の空がうっすらと赤みを帯び、そこから濃灰色の煙が巨大な帯となって天上へ駆け昇っている。
「……やっぱり。必ずここに来ると、思っていたわ」
 鋭い双眸。鏡のようにそこにある色を映し出す銀の髪と、二の腕に刻まれた龍の紋様。
「――カイザック」



 ――すまない……な。
 かつて一度だけ、<戦乙女>と呼ばれた女にそう言われて、謝罪されたことがある。彼女がクラネットと共に戦に赴く直前、里を出る間際のことだった。
 戦にでかける父親と女の背を、恐らく、睨みつけるような目で見ていたのではあるまいか。見送りに出てきた人々の中に頭領の息子を見つけ、彼女は寂しげに微笑んだ。蒼穹と同じ色をした眼差しが、自分に注がれる時だけは、いつも苦しげに歪んでいたことを、カイザックは確かに知っている。
「……やっぱり。必ずここに来ると、思っていたわ」
 今、向かい合った碧の双眸は、何の感情も映し出してはいなかった。二年ぶりに王宮で再会した時の驚きも、その後に見せた怯えも、王宮を連れ去る直前にあった怒りも、今は綺麗に拭い去られている。
 ――あの男は、どんな色の目をしていただろう。
 <黒宰相>と呼ばれる男と打ち合った時のことを、思い出す。大して使える技量ではなかった。そう侮(あなど)っていたから、防戦一方の打ち合いの狭間で、あの男が何を考えていたか、気がつくのに遅れた。地の利を利用して敵を欺く。そんな簡単で見え透いた手に、やすやすと引っかかった。
「そんなにあたしと、母さんが憎い?」
 防戦一方に見せかけて、地の利のある場所まで敵を導くなど、実に小賢しいまねをする男だ。だが、カイザックに触れられるくらいなら死を選ぶと言いきるこの女は、あの男の口付けならば甘んじて受け入れ、あの男の愛撫に肌を震わせ、あの男の為になら喜んで身体を開くのだろう。
 何故、それをこれほどおもしろくないと感じるのか。その訳を、いつもカイザックは深く己に問いたださないことにしている。
「それとも戦乱が望み?グリジアの宰相が滞在中に揉め事を起こして、その咎をグリジアに押し付けるつもり?」
「サイファ王を暗殺して、シリウス2世にサイファ王位継承者を名乗らせる。考えたのは<黒宰相>だ」
「何を言って……」
 グリジアとサイファは幾代にも渡って婚姻を繰り返しており、事実その血統を理由にサイファ王がグリジア王位を要求してきたこともある。しかしそれは国力に差があるが故のことだ。サイファの側に、グリジアなど容易に呑み込むことのできるだけの武力と財があるからこその。
「そんな馬鹿なこと」
 それを承知で、外交や同盟を駆使して国を守ろうとしてきたルーカスが、そんな当たり前のことに気がつかないわけもない。それに大体――
「仮にミリウム2世が死んだところで、シリウス3世が王位継承者になることなんてありえないわ。サイファ国内にも王家の血を引く者はいるんだし」
 ――お腹に子がいるの。亡くなったあの子の、弟か、妹が。
 そこではじめて、背筋を冷たいものが滴り落ちた。血縁関係があるだけの隣国の王より、今現在、王妃が宿している命の方がはるかに王位に近い。
「まさか王妃様の命まで……」
 サイファ王暗殺の計画自体もルーカスらしくはないが、そもそもはじめに、他国の王位に野心を燃やしてきたのはあちらだ。売られた喧嘩を買っただけという見方もできる。一旦そうすると決めた時の<黒宰相>がどれほど冷徹に相手を追い詰めて行くかは、テラも充分に承知している。
 だが、その為に罪もない王妃とその胎の子の命まで奪うということになれば。
 そんなことになれば、テラは恐らく、ルーカスを許せない。――そして何より、彼自身がきっと。





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