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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



15
 サイファ公国西南部にあるカストレーデ離宮に、客人が訪れたのはサイファ公国歴ミリウム2世三年――グリジア王国歴シリウス3世八年の初夏のことだった。
 客人の名は、ルーカス・グラディス。サイファ公国東隣に位置するグリジア王国の宰相である。過去に様々な軋轢はあるものの、王家が血縁関係にある両国間において、王族や宰相の訪問は過去に例のない話ではない。先頃亡くなった王太子と王弟に哀悼の意を表し、隣国の宰相は離宮の東端にある客殿へと通された。



「――まさかこんな形で、真正面から入るとは思ってもみませんでしたわ」
「こそこそ裏口から入ろうとするから、目立って捕らえられるんだ。堂々と訪いを入れて表門から入れば、大抵の人間は扉を開ける」
 客人として通された離宮の一室に荷物を投げ入れて、ルーカスは深く息を吐き出した。
 室内は、壁から天井に至るまで細かな装飾が施され、寝台と言っても通りそうなほど豪華な長椅子、壁にかけられた絵画から置きものの壷にいたるまで、グリジアでは王宮でさえお目にかかれないような高価な品が、所せましと並べられている。つい、貧乏国の宰相の頭で考えてしまう。――この備品をすべて売り払ったなら、どれくらいの値がつくものだろう。
「……閣下?」
 与えられた客殿の奥まったところにある寝室を見て、無意識のうちに視線を逸らす。隣国から来た客人が女連れであったなら、彼でもきっとそう解釈する。花や絵画で飾られた寝室は一部屋、無論、寝台も一つしかない。
「カリナ。お前に一つ、聞いてみたいと思っていたんだが」
「何をでございますか?」
 ルーカスは王ではなく宰相であり、ましてや今は王族の籍すら離れている。隣国への訪問と言っても非公式なもので、護衛の数も最小限、侍女や世話役に至っては、連れてきてさえいない。
「――父親の名誉を回復したいとは思わないのか」
 カリナ・エディウスの父親、先のエディウス爵は先王の忠臣であり、シリウス3世が祖父王を討ち取って即位したおり、逆臣の汚名を着て処刑されている。だが彼を逆臣と呼ぶのであれば、先代を殺害してから王位についた現在の王こそ、一番の反逆者であろう。
「……あんな男」
 花弁の唇が吐き出した言の葉には、これまでにはない感情がこめられていた。ひとひらの言葉にこめられた感情の重みに、ルーカスは目を見開いた。
「あんな男?部官の語り草となるような忠義者の将軍だぞ」
「わたくしにとってはあんな男です。……わたくしと、わたくしの母にとっては」
 その辺りが、稀代の忠臣の娘を隣国の王殺害などという大それた計画に踏み込ませた要因なのか。もっとも、仮にミリウム2世暗殺が可能だとして、ルーカスにはシリウス3世にサイファ王位継承者を名乗らせる気は毛頭なかった。そんなことをすれば、グリジアとサイファの全面戦争になる。ただ、この国が適度にもめていてくれるのは、都合がよい。こちらに影響を及ぼさない程度でもめているか、あるいは二度とグリジアに干渉しないという、確証がえられれば。
 ――まあ、いい。
 こと親子の関係に関しては、ルーカスも他人に意見できるほど良好な関係を築いてきたわけではない。
「閣下?どうなされました?」
「寝室は譲るよ。俺は長椅子で寝る」
 先ほど投げ入れた荷物を手に取って、踵を返す。先ほど見たあの豪華な長椅子ならば、横になっても足先がはみ出すことはないだろう。――そこで安らかに眠れるかどうかは、別問題としても。



 王家の離宮に招かれたのは、一座がカストレーデに到着して3日目の午(ひる)のことだった。
 そのつもりで連日派手に舞台をはっていたのだが、思っていたより反応が早かった。王子を亡くして気落ちしている王妃を慰める為、離宮で演奏して欲しいという。
 さすがは西の大国だけあって、離宮の規模はグリジアの王宮とほぼ同程度、冬の厳しいグリジアとは違い、壁や窓を開け放っている分、開放的で広く感じられる。先ほど見た庭木の種類は、グリジアでは見たことのないものだった。たった今、枝から飛び立ったのは何という名の鳥だろう。
「――そう、皆、グリジアからいらしたの」
 離宮へ招かれた旅芸人の一座を待っていたのは、サイファ公国王妃直々(じきじき)の歓待だった。よほど飾り気のない性格なのか、それとも一座の演奏がそれほど気に入ったのか。招かれた居室には人数分の卓が用意され、昼餉の仕度がされてある。
「奇遇ね、今、離宮にグリジアの宰相がいらしているのよ」
 脇息にもたれかかってゆるりと微笑んだのは二十半ばくらいの、綺麗に澄んだ眼差しをした女性だった。青というより紫に近い、カストレーデの空と同じ色の瞳をしている。今は王子を亡くした心労から床につくことが多くなったというが、恐らく、乗馬のたしなみくらいはあるのではないか。すらりと伸びた健康的な四肢だ。
「グリジアには一度行ってみたいと思っているのよ。宰相様の奥方は素敵な方らしいし。女性がご一緒と聞いて、お話ができるかと楽しみにしてたのだけど、違う方だったのでがっかりしていたの」
 まさかその当の宰相夫人が、目の前にいるとは思ってもいるまい。染料で染め替えた髪の先を握り締め、テラは密かに唇を噛みしめる。
 ……あの女(ひと)と、何があったの。
 それはここ最近、彼女の心奥から消えたことのない問いかけだった。風聞は風聞として耳にしていたが、事実として突きつけられるのとでは、重みが違う。
 テラがカストレーデにたどり着くのと時を同じくして、ルーカスもまた、カストレーデの離宮に客人として招かれていた。彼が何を考えているのか、テラは未だに、その思考が読めていない。
「どうぞ、遠慮せずに召し上がって。どれもこの土地で取れたものばかりなのよ」
 冷えた果物は喉に心地よかったが、次に米を蒸して作られた料理が運ばれてきた時、テラは思わず口許を覆った。皿からあがる湯気は甘い香を漂わせていたが、その匂いが鼻について胸が悪い。
「テラ?」
「ごめんなさい、何だか、匂いがちょっと」
 テラの傍らにいたオウカが眉を寄せる。
「貴女、もしかして」
 その先が続けられることはなかった。彼らをもてなしている側の女主人もまた、テラと同じように顔を歪め、袖口で口を覆っていたからだ。
「王妃様?!」
 手水桶を持った侍女達が駆け込んでくる。苦しげに顔を歪めた王妃は、しかしすぐにその面(おもて)を上げた。澄んだ眼差しに、柔らかな光が宿っている。
「心配しないで。病ではないのよ。あなた達を呼んだのも、それでなの。こういう時って、綺麗なものをたくさん見た方がいいと言うでしょう?」
 自身の下腹に手を這わせながら、大国の王妃はふわりと微笑む。
「――お腹に子がいるの。亡くなったあの子の、弟か妹が」





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