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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



14
「……最近よく、あの女(ひと)のことを思い出すようになった」
 ルーカスがぽつりぽつりと、真情を漏らしてくれるようになったのは、同じ寝台で眠ることが当たり前になって、どのくらい経った頃だったろう。
 あの夜もそうだった。夢中になって抱き合った、その後。眠りに落ちる前の一時、ぽつり、と耳元に囁かれた科白に、テラは埋めていた男の胸から顔を上げた。
「あの人……?」
「俺の母親」
 ルーカスの母は王宮に勤めていた女奴隷で、その美貌がシリウス2世の目に止まり、寵愛を受けて王子を生んだ。その後は精神に変調をきたし、テラが彼に嫁ぐ以前に亡くなっている。
「もっとも、未だにわからないけどな。あの人が俺や……親父のことをどう思っていたのか」
 愛された記憶はないと、彼は言う。しかし彼女の運命を狂わせた当の本人であるシリウス2世に対し、ルーカスの母の想いはまた別であったらしい。
「あれで親父を好いてでもいたのかな。親父が死んだ……ことになった後、親父の名を呼んで俺の寝台にもぐりこんできたことがある」
 聞いていたテラもぎょっとしたが、当時まだ少年だったルーカスもさぞかし驚愕したことだろう。何も言えなくなってしまったテラの髪を撫でて、ルーカスは薄く笑った。
「俺はあの頃、まだ意味がわからなかったから。ただ、無性に腹が立って――」
 ――俺はあんたの夫じゃない。見ろ、あんたの人生を狂わせた男はここにいる。
 死んだことにされていた父王と母親を引き合わせたのか。少年の怒りと哀しみが後に巻き起こした波紋は、テラも承知している。しかしこれはあまりにも――、救いがない。
「そんな顔をするな」
「……」
「今は感謝してもいいと思ってる」
「ルーカス」
「親父の方は、感謝したくともする材料を探す方が難しいけどな。少なくとも、あの女(ひと)は、一人で生きられる年になるまで一緒にいてくれた」
 違う、今のあなたは一人じゃない。伝えたくとも、言葉では伝わらない気がして。しがみつくように肩に抱きついたテラの髪を、彼はいつまでも撫で続けてくれた。



 最後の鈴が鳴った時、周囲は十重にも二重にも囲まれていた。舞い始めた時には数人しかいなかった観客が、気づけば数十倍に膨れ上がっている。額に浮かんだ汗を拭って、垂幕の後方へ下がったテラを、水差しを持ったリディスが出迎えた。踊り子の衣装でなく、普通の街娘の格好をしている。
「お疲れ様、テラ」
「――ありがとう」
 今では旧知の仲となった、旅芸人の一座である。
 私をカストレーデに連れて行って欲しい。その代わり、自分が舞って得た金銭はすべて一座に還元する。過去に王宮舞姫を勤めたこともある座長の老女は、テラのこの突拍子もない申し出を快諾した。
 ルーカスが何を考えているのか。問いただしたところで答えてくれない以上、黙って待っているのは性に合わない。自分自身のことに気を取られて看過してしまったが、そもそも今回の粛清の内容は、あまりにも<黒宰相>らしくない。あの手紙の内容だってそうだ。今のグリジアで、ミリウム2世の命を奪ったところで、何になるという。
「ねえ、ルーカスは、テラが一座にいること知ってるんでしょう?」
「ええ。知ってるわ」
 自分でも前回、彼の妻としてかなり身勝手な行動をした自覚はある。だから今回は、言伝を頼んでおいた。ルーカスが宰相官邸に帰ってさえくれば、彼女がどこで、何をしているかはわかる。
「テラ、元気になったね」
 燃え盛る篝火の外側を、無数の羽虫が舞っていた。見上げる空は満天の星、遠くの茂みで夏虫の泣く声がする。今年は春の終わりが早かった。もう完全に、季節は夏だ。
 良く冷えた清水を口に含んで、積み上げてあった薪の束に腰を下ろす。追って隣に腰を下ろしたリディスの台詞に、テラは飲みかけの水を勢いよく吹き出してしまった。
「――ルーカスって優しい?それとも激しい?」
 気管に入ってしまった液体を押し出そうと、盛大にむせ返る。リディスはテラより三つ年下なので、十八か。嫁いでもおかしくない年頃ではあるが、童顔で愛らしい顔の少女に、いきなりこうこられるなど、一体、誰に想像できよう。
「い、い、いきなり、何の話をして」
 衣装に染み込んだ水滴を拭うことさえ忘れてしまったテラとは違い、リディスの横顔は至極真面目だ。
「リディスじゃ色気がない。これじゃあ男客はつかないって。最近じゃ、お客さんにも言われるのよ。悔しいじゃない、十八にもなって。だからこないだ――」
 客の男と宿に行こうとして、座長の老女に頬を張られたという。
「寝てみたい男じゃなくて、寝たい男が出来るまで、男について行くなって。そんな了見でいるなら、舞台に上げないって」
 なるほどそれが、座長がテラの申し出を快諾した理由か。しかしその内容を聞いて、安心する。生活苦や様々な理由で、身を売らざるえない女性を蔑む気はないけれど、せずに済むのなら、その方がいいに決まっている。
「……そうね。あたしもその方がいいと思う」
「テラは?テラの時はどうだったの?」
「え、あ、あたしは……」
 あの雪嵐の一夜。一時(いっとき)の慰めで終わってもよかった。ぼろぼろに傷ついて、だけど傷ついていることにさえ気がつけずにいる人を、腕の中に抱きしめたかった。
 だからその翌朝の求婚も、彼の隣で花嫁衣裳を着たことも、テラにとっては僥倖だった。忘れたことはない。忘れたことはないけれど、いつしか共にあることが当たり前になり過ぎて、あの時の気持ちをほんの少し、忘れかけていたのかもしれない。
「あたしは、彼が好きだったから。今も、これからもずっと好きでいたいから」
 終わらせようと、彼は言った。一度は一つになった道を勝手に別(わか)って、まだ一人の道を歩もうとしている。けれど、そんなことは許してやるものか。ルーカスが終わらせようとしている、その先にはじまる何かを、テラは掴みたいのかもしれなかった。





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