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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



13
 逃げるように宰相官邸に戻ってきた時、邸の門は開かれていた。一瞬、何事か起きたのかと身構えたが、そういえば、今日、エリザは王都にある娘の家に泊まりに行っていた。明日の朝には娘婿の馬車で戻ってきて、娘婿の畑で取れた葉野菜をふるまってくれるという。
 テリーゼにはルーカスが宰相の職権で呼び戻した夫がついていたし、エリザは決して一人で出歩かないように言い含めてある。この二年間で、それなりに親しくなった使用人や行儀見習いの少女との付き合いも、すべて断った。だから今、よほどのことがない限り、戦闘者のギルドであっても手は出せないはずだ。どうして、もっと早くにそうしなかったのだろう、と今なら思う。もっともすべての采配を振るったのは、テラではなくルーカスなのではあるが。
 ――悪いが、2人とも出て行ってくれ。
 たった一言で執務室を追い出されたテラを、初老の医師はどこか哀れむような顔で見た。それもそうだろう。夫が倒れて駆けつけた妻の目の前で、当の夫が妻ではなく別の女の手を取ったのだから。
「……」
 誰もいないのをよいことに門柱によりかかって、そのままずるずるとその場に座り込む。一時、崩れていた体調は大分回復したが、それでもまだ、本調子までは戻っていない。
「ルーカス……」
 ――顔色が、悪かった。
 一見痩せぎすではあるが、自他共に認める強靭な身体の持ち主で、彼は多少の不調なら働きながら自力で治す。大体、意地と矜持(きょうじ)なら売れるほど持っている男が、人前で醜態をさらしたのだとしたら、それはよほどのことだ。
 何があっても離れない。そう誓っておきながら、彼が大変であった時に、傍にいられなかった。だから多少機嫌を損ねられても、怒られても、いっそ愛想を尽かされても仕方ないとは思う。彼にとってテラがもう必要ないと言うのなら――それでルーカスが幸せであるのなら、もう一度、黙って消えたっていい。けれどテラの目に、今のルーカスの様子はとても辛そうに見える。なのに、距離が遠い。それこそ、出会った頃よりずっと。
「――無様(ぶざま)だな」
 俯いて膝に顔を埋めたテラの背に、無骨な声が落ちる。それはテラがこの官邸に戻ってきて以来、一日たりとて欠けたことのなかったやりとりだった。
「カイザック、あんた、何しに……」
「見ての通り、俺は宰相官邸の庭師だ。まだ、クビになった覚えはないからな」
 脚立を広げて枝きりバサミを持って、今日の分の仕事に取り掛かっている。いっそもう、本当に庭師に鞍替えしたらと言いたくなるほど、その作業は俊敏で淀みがない。
「そういえば、あの男、こないだ、あの女騎士の家に泊まったらしいな」
 ぱつり……と音がして、濃緑の葉を宿した枝が足元に落ちる。その音も、気の早い蝉の鳴き声も、どこかで誰かがあげた歓声も、何もかもから、耳を塞いでしまいかった。

 

 こつり、と窓辺で何かが鳴ったのは、官邸の陽当たり良い一室に針箱を持ち込んで、繕いものをはじめた時だった。
 人が聞くと意外な特技だと笑うが、テラはこういった細々(こまごま)とした家事仕事が好きだ。戦いに明け暮れるばかりで、家事能力皆無の母親に育てられたから、なおさらのこと。ルーカスはあれで簡単な繕いものくらいはできるが、そんな暇はないし、エリザは手に傷を負っている。たまっていた布地に無心に針を動かしていると、ささくれだった心が静まりかえるかのようだった。
 とかく本心と違うことを言いたがるのは、もはやルーカスの習い性のようなもので、だからテラはいつも、彼の言葉は額面通りに受け取らないことにしている。突き放す言葉と、テラがここにいられるよう動いてくれた行動を秤にかけたなら、彼の場合は後者が真実だ。大体、夫婦なのはこちらだ。他の女など、正々堂々、追い払ってやったってよかった。
 糸きりバサミで糸を切った瞬間、再び、窓の外で何かが鳴った。見ると窓の外の枝先で、見慣れた大鷲がくるる…と喉を鳴らしている。
「オウカさん……?」
 窓を開けて招き入れた大鷲の足には、一通の書状が結び付けられていた。差出人は、今は旅芸人の一座にいる、戦闘者のギルドの女戦士であるオウカだ。内容は、かつてのギルド仲間の間で流れている不穏な噂を、記したものだった。
 ――戦闘者のギルドの生き残りが、カストレーデに集められている。
 カストレーデはグリジアから見て東南方、サイファ公国でいう西南部にある都市の名だった。風光明媚で知られる観光地で、毎年、夏の時期にはサイファ王が避暑の為にその地の離宮に訪れる。かの国はグリジアより夏が長い所為もあるが、それでもこの国では考えられないような贅沢だと、以前、ルーカスと語りあった記憶がある。
「……だけど、何だって、そんなところに戦闘者のギルドが?」
 眉をひそめて書状をたぐったテラの目が、一点に引きつけられた。カストレーデに集まりつつある戦闘者のギルドの残党。間もなくその地を訪れるサイファ王。その目的は。
 ――サイファ王暗殺。
 あくまで噂であると断った上で、裏での糸を引いているのは、<黒宰相>であると、オウカはテラに告げていたのだった。





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