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暁の彼方〜番外編 暁闇〜



11
「――この女が俺を殺せば、この女を解放するか」
「……面白いな」
 掴まれていた腕の力が緩んだ。本来ならすぐにでもルーカスの許に駆けて行きたいのに、足の力が萎えてしまったかのようで、一歩も動くことができない。
 ――何を、言っているの……。
 必死で視線を投げかけているのに、ルーカスは決して、テラと目を合わせてくれなかった。視線を逸らした横顔が、まるで知らないものに見える。憎んで憎んで、だけど焦がれ続けた男でも、この二年近くを共に過ごしてきた夫でもない、まるで知らない他人の顔に。
「面白い余興だ。いいだろう。ここでこの女がお前を殺すなら、今後一切、戦闘者のギルドは<戦乙女>から手を引く」
 この男達は、一体何の話をしているのだ?テラはものではない。解放されたいなら自分の足で逃げ出すし、誰かを殺したいのなら、自分の意思で刃を振り上げる。
 開いたままの掌に、ひやりと冷えたものを押し付けられた。それは先ほどテラが放って、そのまま木の幹に突き刺さっていた、短剣だった。
「お前も戦闘者のギルドだ。相手に抵抗する気がないなら、その短剣でも充分に殺せる」
「嫌、そんなこと……」
「――テラ」
 そこではじめて、ルーカスは真っ直ぐにテラを見た。眼差しは相変わらず冷め切ってはいたが、その声はどこまでも低く、甘い。
 はじめて出会った時から耳について離れなかった、何度も何度も名を呼び合って、時に耳元で睦言を囁いた――彼がテラを抱く時の声。
「もう充分だ」
「……ルーカス、何を言って」
「もういい。すべて終わらせよう。――テラ」
 ……終わらせる?
 些細な意見の食い違いなら何度もあった。今にして思えば申し訳ないが、環境の激変に心と身体がついて行かずに、八つ当たりに近い当たり方をしたこともある。
 だけどそれは、二人の間で、非常に壊れやすい、大切な何かを投げ合うようないさかいだった。感情がすれ違うたびに、テラは何かが終わる音を聞いたが、同時に、そこから何かがはじまって行く気配を感じていた。
 ――ここで彼を手にかけて、こんな終わり方から、何がはじまると言う。ただ延々、終わり続けるだけではないか。それもこの先の長い人生を、たった一人で。
 テラが一歩前に足を踏み出した分、ルーカスは一歩だけ後退した。一歩、また一歩。二人の間の距離は一向に縮まらない。
「それくらいだったら……」
 声が震えた。
「それくらいだったら、一緒に死ぬ!」
 ルーカスが最後の一歩を下がった瞬間、もつれ合うようにして、二人の身体は宙に舞った。



 身体中が痛い。落ちた時に打っただけでなく、落下の最中に枝や葉で切ったのだろう。肌の表面にひりひりと擦れるような痛みがある。
「……まったく、無茶をするにも、程があるぞ」
「あなたにだけは、言われたくないわよ」
「まさかお前まで、一緒に落ちてくるとは思わなかったんだ」
 王家の森から王都の外れへと繋がる、茂みが生い茂った崖の中程で、テラとルーカスは身を寄せ合っていた。斜面の途中が抉れたようになっていて、土塊から木の根やら草の蔓やらが張り出している。
 先ほど刀を投げ捨てた時に、おぼろげながらその存在を把握してはいた。しかしルーカスの行動が勝算あってのことだと気がついたのは、かなり直前になってからのことだ。テラが意図に気づかずに刃を振り上げていたなら、彼はどうするつもりだったのだろう。
「ここが何処で、俺が誰だと思っている。お前なら気がつくだろう、必ず」
 そう、剣の腕前も技量も係わりない。この森において、彼に敵う者などいるはずもないのだ。それでも心の奥底で、微かな疑いが首をもたげる。この男のことだ。もし彼女が真意に到達できなかったなら、その時はそれでもよいと思っていたのではないか。
「おい、あまり身を乗り出すな。上から見える」
 腕を掴んで引き寄せようとした、その手が中空で止まった。先ほどまで掴まれていた二の腕に、男の指の痕がくっきりと残ってしまっている。何も後ろめたいことなどないのに、咄嗟に衣服の破れを握り締めてしまう。
「あの人……カイザックは、あたしと母さんを恨んでいるから」
「……違うだろ」
「え?」
「いや、何でもない」
 軽く首を振って、ルーカスはその場に腰を落とした。彼も肩と脇腹に刃傷を負っていて、無傷ではない。
「悪かったな」
「……え?」
「もっと早くに、気がついてやれなくて。エリザが襲われたのも、テリーゼの子供の件も……お前の所為じゃない」
 静かな声音に深い労りを感じて、テラは泣き出したくなった。それだけで自らの罪が拭えたとは思わないけれど、たった一言で、救われたように感じてしまう。
「あたしも、あなたに何も相談しなかった。……ごめんなさい」
 もともと、あってないに等しい距離が近くなる。だが、唇と唇が触れ合う寸前、弾かれたようにルーカスは身を引いた。
「向こうに抜け道がある。迂回して王宮に戻ろう。それでしばらくは誤魔化せるはずだ」
 ――ルーカス……?
 言っていることは至極真っ当で、行動にも言動にも過ちはない。しかし、ささやかな、疑問と呼ぶには些細な違和感だけが、胸底に残った。



「愛する夫を手にかけるくらいなら、一緒に死ぬ。噂は聞いていたけど、可愛らしい方ね」
 女の言葉に、銀髪の男は黙って視線を逸らした。案内も請わずに王家の森に足を踏み入れるのは、戦場に慣れた男であっても生命に係わる。あれくらいでくたばるような連中とは思ってないが、探索は諦めざるを得なかった。
「無理に引き離せば、思いはかえって募るもの。戦闘者のギルドの頭領ともあろうものが、そんなことにも気がつかなくて?」
「……うるさい」
 吐き捨てた口許に、柔らかな唇が押し当てられた。舌先が生き物のように歯列を割って入って、絡んだ唾液の味が甘い。
「さすがは、戦闘者のギルドの秘薬。実によい効き目だった」
 それでは<黒宰相>は、この女を抱いたのか。
 カイザックが彼女と知り合ったのは王宮炎上事件の直前、当時の近衛騎士隊長と取引を交わした直後のことだった。会った瞬間、直感でわかった。この女は、自分と同じ世界で生きる人間である、と。
「わたくしは約束通り、貴方が<戦乙女>を手に入れられるよう手を貸した。今度は、わたくしに協力していただく番よ」
 そう言って、王家の女騎士は艶やかに――、笑った。





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