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月の宝珠
第三章 北国ローデシア〜


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「――ようこそ、我が国へ。シルヴィア王国のフィリエ姫」
 その日、ローデシア選王国の王城をたずねたフィリエを出迎えたのは、驚いたことに、ミドルバ国王その人だった。
 両の頬が深く抉れたような独特な風貌に、虎か豹――獲物を狙う肉食獣を思わせる険しい眼差し。そんなことを思いながら王城内に足を踏み入れたフィリエは、ところどころに灯火を差し込んだ薄暗い廊下の行く先に、ほんものの虎の姿を見つけて立ち止まった。銀色の下毛に、夜色の縞模様が美しい。アーモンド型の瞳を爛々と輝かせ、廊下の隅の奥まったところに、きっちりと両脚を揃えて鎮座している。
「ローデシアの奥地に生息する白虎――ホワイトタイガーです。姫は虎を見るのははじめてでいらっしゃいますか?」
「え、ええ……」
 ミドルバ王が近づくと静かに立ち上がり、その掌の下で気持ち良さそうに目を細めている。フィリエが恐る恐る指を伸ばすと、ごろごろと喉を鳴らして擦り寄ってきた。図体は大きいが、仕草は仔猫のように愛らしい。
「可愛い虎さんですね。お名前は?」
「サマンサと申します。お見知りおきを」
 ローデシア選王国の王城は、フィリエの育ったシルヴィア王国の王城よりも、はるかに規模の小さなものだった。街中からほんの少し離れた小高い丘の上にあり、一見したところ、小規模な要塞のように見える。政治の場は別にあると聞いたが、大広間の一つもないこの城では、虎を飼うことはできても、外国の使者との謁見はできないだろう。
 絵姿の王子がいる国に、生けすでタコを育てる街、そして、王城内を虎が闊歩する国。
 ――やっぱり、世界って広い……。
「ようこそ――我が城へ。シルヴィアの姫君」
 しみじみと感嘆したフィリエの目の前で、王の居城へ通じる扉が開いた。シルヴィア王国の彼女の部屋の扉の半分もない大きさなのに、一瞬、それはあたかも、迷い込んだら二度と出られぬ迷宮への入り口であるかのように、フィリエには感じられた。



「――上手くやっているかなぁ、フィリエちゃん」
 頭からすっぽり被った布がはたはたとはためく。ラドルフは普段からフードやら風除け布やらを駆使して顔を隠しているが、この夜はカイジャンも服の襟を限界まで持ち上げ、頬かかむりをして人相を変えている。そんな状態の男二人が、王城の敷地内で建物の屋根にへばりついて、地上を伺っている様子は、まるで泥棒のよう――いや、どこからどう見ても、泥棒そのものである。
「あいつがシルヴィアの王女だというのは、何も嘘ではないからな。まあ、それなりにやっているだろう」
 お忍びでローデシア選王国を訪れたシルヴィア王国の王女が、内々にローデシア王に謁見を願い出る。その隙に王城に忍び込んだ泥棒――否、男2名の眼下を警邏の兵士が通り過ぎて行く。ラドルフがまだこの国の軍にいたころから、警備体系は変えられていないようで、あと十数分で交代の時間がやってくるはずだ。
「まあ確かに、シルヴィアの王女様がやってくるとなれば、外への警備の目は薄くなるよなぁ」
「――ついでに俺たちも、こうして敷地内に潜り込めたわけだしな」
 人の視線はとかく自分よりも下方に向くもので、どこかに忍び込む時は屋根の上に潜むに限る。これは国を逃げ出し、傭兵に身をやつしてから得た経験だが、床下に潜むよりは、圧倒的に見つかる可能性が低い。屋根に腹ばいに張り付いた体勢で、ラドルフはフィリエが消えていった王城の裏門を見た。
 あることを確かめる為に、一度ローデシアの王城に忍び込みたい。ラドルフの言葉に、フィリエは任せてくれと言って胸を張った。過去に彼女のたてた計略によって大変な目に合わされたことを忘れたわけではないが、そう頭は悪くないと、ラドルフはフィリエを認めてはいる。彼女とて、権謀術中が渦巻く王宮内で育った身、いざとなれば剣もあることだし――ミドルバ家は、先祖代々の薬師の家柄で、何が入っているか知れたものではないから、出されたものには絶対に口をつけるなと、聞いている方どころか、言っている方の耳にタコができそうなくらい、口を酸っぱくして言い聞かせておいたので――多分、大丈夫だろう。
「なあ、ラドルフ。一度聞いてみたかったんだが……フィリエちゃんの剣って、そんなにすごいのか?」
「技術だけなら、お前とほぼ互角だろうな」
「ええっ?!マジかよ」
 本気で驚いたらしい旧友の顔を横目に見ながら、ラドルフは息を吐き出した。
 彼女に人を殺めたことがあるとは思えないし、腕力や持久力その他もろもろ、フィリエにカイジャンを倒せるとは思えない。だが仮にも一国の姫君が、どうしてあそこまで剣の腕前が卓越してしまったのか。これは東大陸の七不思議のひとつに数え上げるべきだとラドルフは思う。
「ああ、俺も一つ言っておこうと思っていたんだが」
 風が強すぎて、フードを被っていても結局、脱げ落ちてしまう。思い切って取ってしまうと、すぐ隣で屋根にへばりついていたカイジャンが息を呑むのがわかった。時折、自分で鏡を見ても化け物じみていると思う顔だ。それなりに迫力はあるのだろう。
「――手は出すなよ」
「ださねぇよ!俺だってそこまで命知らずじゃないって!」
「……ならいい」
 どうやら本気で言っているらしいと判断して、深く息を吐き出す。それなりに長い付き合いではあるのだが、ことこの件においてだけはあまり信頼がおけない。
 ラドルフの現在の立場は、シルヴィア王国王女の護衛だ。それが万が一、こんなふざけた男に手を出されたとあっては、ローデシアだけではなく、シルヴィアでも犯罪者になってしまう。
「俺のことはともかく、お前はどうなんだ?ラドルフ?」
「俺はあいつの護衛だ。ミドルバの奴に継承の指輪を渡して、ローデシアを出る。それしか考えていない」
「お前のその投げ捨て癖は、年季が入っているからなぁ……」
「……何なんだ、そのけったいな癖は」
 かれこれ二十年少々生きているが、わけのわからない呪いを受けた覚えはあっても、そんなわけのわからない癖を持った覚えはない。
「これまでのお前なら、例え脅されたって、自分から進んで継承の指輪とやらを探す気にはならなかっただろう、と言っているんだ……俺はお前が、ローデシアの王にでもなる気になのかと思ったぜ?」
「――何だと?」
「フィリエちゃんと一緒にいるためにさ。お前だって、七王家の一人なんだ。ローデシア選王国の王ならば、大国シルヴィアの王女を娶ったって不思議じゃない。大体……三年前、お前はほとんどその直前まで行って――」
「カイジャン!貴様――」
「おい、よせって、ラドルフ!お前、今ここで俺と戦う気か?!」
 無意識に剣の柄に手を触れたラドルフを見て、カイジャンは本気で慌てたようだった。
 カイジャンとフィリエの剣の腕はほぼ互角、ラドルフがカイジャンと戦った場合は、十中八九、ラドルフが勝つ。だがそれはあくまで、こちらがまったく加減せずに実力を出し切った場合であって、さすがにそれはできかねる自覚がある以上、手傷の一つや二つは覚悟しなければならない。
 今、彼ら許可も得ずに王城の敷地に忍び込んでおり、そして、何よりも――ここは屋根の上だ。
 かちりと鍔が鳴る。引き抜きかけた刃を鞘に戻し、ラドルフは深く嘆息した。
「……悪い。この国に来てから……どうも気が立っているらしい」
 この件に関しては、あくまでもラドルフ一人の問題であり、カイジャンやフィリエには本来何の関わりもない。それでも今こうして屋根の上にいる男の真意が、金や報酬でないことくらいは――それくらいは、わかっているつもりだ。
「いや、こっちも言葉が過ぎた。すまん。――ああ、そろそろ交代の時間だな」
 王城の近くにある見張り場で、松明の明りが揺れている。交代要員がやってきて、先任者との引継ぎに入ったらしい。
 ここはラドルフが生まれ、育ち、そして失くした国だ。この城内でなら今でも、目を瞑っていても動くことができる。カイジャンに目配せをし、二人の男は地上に降り立った。
 


 部屋に入ると、そこには炎が灯されていた。季節は夏の只中だというのに、暖炉に火がくべられている。
 それもそのはず、石造りの城の内側は、昨晩彼らが泊まった、レンガ造りの宿屋の中より少々寒い。ただでさえ冬厳しいローデシアのこと、これでは冬の寒さはひとしおであろう。
 どうやらかなり古い建物のようで、だったら建て替えればよいと思うのだが、その費用も予算に計上できないほどに財政が厳しいのだろうか。
 などと、勝手に他所の国を訪ねておいて、とんでもなく失礼なことを考えていたフィリエは、部屋の入り口からさほど行かないところに、光り輝くものを見て、思わず瞳を瞬かせた。
「わぁ……綺麗」
 さすがに大陸随一の玉の産出国だけあって、壁や棚には光り輝く宝玉がこれでもかと陳列されている。扉の近くに陳列されているのは人の拳大のルビーで、あちらの棚にあるのはサファイアだろうか。様々な色の光沢が混じった、原石のような塊もある。
 一国の王女も年頃の娘も、光物に目がないことに変わりはない。しばらく息も吐かずに見入っていると、白虎のサマンサがすりすりと足許に擦り寄ってきた。
「――お気に召されましたか」
「さすがは、東大陸に名高いローデシアの玉。――素晴らしいです」
 人払いをしているのか、あるいはよほど飾り気のない人柄なのか、壮年の王は自らの手で、茶器を持っていた。湯気と共に芳しい芳香が、辺りを漂う。素朴な焼き物のカップを手に、ローデシア選王国の王は、深く息を吐き出した。
「しかしまさか、正式な国交のない我が国に、シルヴィアの王女がいらっしゃるとは思いませんでしたよ。しかも、直々にこの私と話をしたいとは」
 匂いだけ嗅いでいると非常に飲んでみたくなるのだが、さすがにあれだけラドルフに釘をさされた以上、お茶に手を伸ばすわけにもいかない。重厚な樫の椅子に腰を下ろし、フィリエは拳を握り締めた。
「――ミドルバ王。わたしたちと取引をしませんか?」
「取引?」
「父は――シルヴィア王はかねてから、貴国との通商を望んでいます」
 今でもシルヴィアとローデシアとの間には、細々とした玉の商取引があるにはある。だがそれは、あくまでシルヴィアがローデシアの玉を求める一方的なものであり、シルヴィアから商品がローデシアに向かったことはない。
 シルヴィアが求めるのは平等な通商――シルヴィア自慢の文物や器械をローデシアと交易することだ。すでにエリトリア共和国までは航路も開かれており、決して不可能な話ではない。
「貴国と――あなたとラドルフさんとの間に、過去に何があったかは知りません。ですが、あの人は、わたしたちの国にとって、恩人なんです。――ラドルフさんがローデシア国外に出ることを認めてください」
 仮にも王家に連なる若者が、何故、国を出て傭兵となったのか。その仔細をフィリエは知らないし、知らなくともよいと思っている。だが、恐らくそこに至るまでの過程の中に、今なお、彼を傷つける何かがあることくらいは、想像がついていた。
 言い切ったフィリエを見て、ミドルバ王は口の端を持ち上げた。彼が茶の容器を持ち上げたので、さらに芳香が強く漂ってくる。
「……なるほど」
「――ミドルバ王?」
「今のシルヴィア王は、なかなか先進的な考えをする方だと聞いてはいましたが。娘御もまた、噂どおりのお人のようだ」
 ローデシア王が、窓辺に垂れ下がった布地を持ち上げると、窓のはりに壮年の男の顔が映った。磨き挙げられた硝子を軸にして、フィリエとミドルバ王の目が合う。実のところ、フィリエは、父親以外の一国の王と近くしく話したことは、これが初めてのことだった。王というものはどこの誰でも、こんな風にどこか底知れぬ部分を隠しているものなのだろうか。
「私はこの国を――ローデシアを解放したい」
 硝子に映った険しい目に炎が宿る。
「姫君もご存知でしょう。我が国の技術が、東大陸の他の国と比べて五十年は遅れていることを」
 未だに呪いや占いが信じられ、病になった時、人が真っ先に頼るのは医師ではなく呪術師だ。
 玉の輸出以外の商取引を拒んだ結果、輸入すれば手に入る食料も燃料も、辺境の地まで行き届かない。
「ならば――」
 自慢ではないが、シルヴィアの技術は東大陸髄一だ。正式な国交がなれば、医者の派遣も農業技術の提供もできる。
「だが、私にはその権限がない」
「何を言って――だって、貴方がこの国の王なのでしょう!?」
 振り返った男の輪郭がぶれて見える。立ち上がった足がもつれる。床に崩れそうになったフィリエの身体は、白銀の毛を持つ美しい獣の上に崩れ落ちていた。
 ――その時になって気がついた。
 独特の芳香。暖炉の火。
 この香りは珍しい茶のものではない。嫌な予感ほど当たるという俗説は、どうやら真実であるらしい。ゆらりと布が揺れた窓辺には、珍しい形をした香炉があった。
 香炉から立ち上がる煙は、茶器から上がる湯気と同じ匂いをしている。近づけば近づくほど目の前が霞んで、意識が朧になる。顔の横でぱたぱたと揺れているのは、白虎の尻尾だろうか。
 ――いいか。ミドルバ家は薬草の調合を生業とする薬師の家だ。何を出されても絶対に口にするんじゃないぞ。
 耳にタコができるくらい何度も何度も言い聞かされていたので、何を出されたところで、飲んだり食べたりはしないと心に決めていた。だが、フィリエはもちろん、ラドルフも忘れてはいなかったか。薬草の使い道は、決して口から摂取するだけではない。
「ミドルバ王……貴方は、何を考えて……」
 戦をするには少々距離が離れているが、ローデシアとシルヴィアの国力の差は歴然、まさか自国を滅ぼしかねない国の王女にあえて危害を加えるほど、この王は愚かではあるまい。
 意識を失うまいと必死に唇をかみ締めるフィリエを見下ろして、銀髪の王は再び口の端を持ち上げた。
「フィリエ姫。あなたは知りたいのでしょう?……過去にこの国とあの男の間に起こった出来事を」





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