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月の宝珠
第三章 北国ローデシア〜


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「ええっ、ラドルフさんって、ローデシアの王家の人だったんですか?!」
 ローデシア選王国の王都の片隅にある食堂件酒場の一角で、フィリエは声を張り上げた。
 ラドルフとフィリエ、そしてカイジャンの三人が囲んだテーブルの上には、鶏肉入りのシチューが入った鍋がある。シルヴィアでは想像もつかないことだが、ローデシアでは夏場でも夕食には煮込み料理のメニューがある。よく味が染みこんでいて、人参も馬鈴薯もたいそう美味い。
 捕えられてから数日、ろくな食事をしていなかったという。しばらく無言で匙を口に運んでいた男が、ようやく口を開いた。
「王家と言ったって、ローデシアはお前のところと違って、建国からたかだか五十年……しかも、七つも王家があるんだぞ。大体、インバート家はその内でも序列が七番目で、俺は養子だから、六歳までは普通に親元で育った。――ほとんど一般人だろう、ここまでくると」
 二杯目の器に手を伸ばしたラドルフの横では、赤毛のカイジャンが空になった財布を前に盛大にため息をついている。
「それは……大変でしたね」
「は?」
「わたしや兄は、生まれた時から王宮で育ちましたから。ある程度の年齢になって、ああいうところで暮らすのは、大変だろうと思います」
 男二人の眼差しが揃ってフィリエを見た。自分がそれほどおかしなことを言った自覚がなかったフィリエは、眼を瞬かせて彼らを見返した。
「フィリエちゃん、君って……」
「あの?ラドルフさん?わたし何かおかしなこと言いましたか?」
「あ、いや、別にそういうわけではないんだ。気にするな」
 はじめは鍋いっぱいにあったシチューも、三人で食していると、みるみるうちに残量が減って行く。軽く手を挙げて追加を頼んだラドルフは、建物内だというのにフードを目深に被ったままだ。カイジャンは再び財布の中身を確かめて、額の汗を盛大に拭っている。
「それで、ミドルバさんは、ラドルフさんにインバート家の家宝の指輪を差し出すようにと言ったんですか?」
「ああ。ローデシア王は七つの王家の当主の中から、元老院の投票で決まる。即位式では、そいつを王と認める証に、他の六王家の当主が一つずつ家宝の品を王に差し出すんだ。その王が死ぬか退位するまで、七王家の宝は揃って、王城の神殿に保管される」
 シチューの入った匙を口に運びながら、ラドルフは昔、散々覚えこまされた知識を呼び起こしていた。
 王に選ばれなかった他の六王家に自家の宝物を差し出させるのは、その王の在位中、六王家の人間が家臣として王に従うという証だ。六つの宝――自分の家のものも合わせて七つの宝玉を手にしてはじめて、ローデシア王は王としての尊厳を持つ。
 七つの家の七つの宝、それらはすべて、ローデシアで産出される貴重な宝玉を使った、たいそう高価な品であるそうだ。軍人の家系の家宝が装飾品というのもどうかと思うが、インバート家の家宝はクラル山を産地とするルビー・アイをはめ込んだ指輪で、その名称を「継承の指輪」という――らしい。
「しかし、俺はその指輪の実物を見たことがないし、どこにあるのかも知らない」
 あの頃、ローデシアは少数民族の叛乱が続出し、王の座は空位が続いていた。王の座が空位ということは、当然、継承の指輪とやらもインバート家の屋敷に戻っていたのだろうが、屋敷の中でそれらしいものを見た記憶はない。
「――見たことがないって、お前、三年前まで、確かにインバート家の人間だったろうが?」
 取りあえず、財布の中身を気にすることはやめにしたらしい。声を張り上げたカイジャンに、ラドルフは向き直った。
 ラドルフがカイジャンと知り合ったのは、まだこの国にいた頃のことで、その当時、ローデシア選王国の正規軍の一部隊として、雇われていた傭兵部隊の長がカイジャンだった。何故だか妙にウマが合い、何度かこんな風に、ローデシアの酒場で酒を酌み交わした覚えがある。
 エリトリアの北部とローデシアを根城する傭兵団に所属していたカイジャンは当然、三年前、ラドルフがローデシアを逃げ出さなければならなかった経緯も知っているはずだ。だがその後、互いに傭兵となって再会した後も、彼はその時の事情に踏み込んではこなかった。
「……仕方ないだろ。俺が養子に入った時には、先代の爺さんはもうほとんど死にかけてて、まともに会話の成り立つ状態じゃなかったんだ」
 ちなみに、彼が養子に入った頃、既に死にかけの老人だった先代当主は、死にかけの老人のままその後十年近く生き抜いて、今から五年前に九十九歳で世を去った。我が親戚ながら、その生への執着の深さには感心しないこともない。――まあこれは、完全なる余談ではあるが。
 そもそも手にしたこともなければ、ありかも知らない物体を差し出せと言われたところで、はっきり言ってどうしようもない。一度はラドルフを捕えておきながら、あっさり解放したのは、ラドルフに指輪のありかまで案内させるつもりであったのかもしれないが、そもそもそのありか自体をラドルフは知らないのだ。
「継承の指輪と言うくらいですから、この国にとっては大切なもの――王位を象徴するものなんでしょうね。もしも、ラドルフさんがこのままローデシアを逃げ出したなら……」
「また、ああいう訳のわからん輩が、うじゃうじゃ沸いてくるだろうな。――幸い、お前たちはまだ、面が割れていない。ローデシアを出るなら、早い方がいいぞ」
 三年前にやったように、それらすべてを斬り捨てて、逃げ出すこともできないわけではないが、まったくもって、頭の痛い話ではある。もうほとんど中身が空になった鍋の底を柄杓で探っていると、先ほど追加で頼んだ鍋が芳しい香りを漂わせて運ばれてきた。
「そんな!ラドルフさん一人をおいてなんて行けませんよ!」
「そうだぞ、ラドルフ!お前、散々人の金で飲み食いしておいて、ここで俺を追い返す気か!」
 金髪のウェイトレスが去ると同時に栗毛の娘と赤毛の男が立ち上がって、ラドルフは思わず椅子に座ったまま後ろにひっくり返りそうになった。立ち上がったフィリエの手には先ほどまでシチューをすくっていた木の匙が、カイジャンの手には革の財布が握られている。
「前に、わたしがロルカ国に攫われた時、ラドルフさんは助けに来てくれたじゃないですか。任せて下さい、わたし、宝探しは得意なんです!」
「報酬は……そうだな。インバート家の財産の半分だ。それでどうだ!」
 言っていることの内容はまったく噛み合ってないが、やっていることはそっくり同じな二人の姿を見ているうちに、ラドルフの頭に、違った意味での頭痛が沸いて出た。
 ――こいつら、いつの間にこんなに仲良くなったんだ……?



 ローデシアの民家や商家の屋根は大抵、通りとは逆方向に向けて傾斜している。傾斜の反対側に造られているのがバルコニーで、民家ならばそこで花を育てたり、洗濯物を干したりする。
 彼らが今ある宿屋のバルコニーは、もの置き代わりに使われているらしく、夏の間は使わない暖炉の火掻き棒や、陶器の火鉢、真冬に寝具を温める為に使う温石や防寒具などが、ところせましと積み上げてある。さすがにこの時間ともなると、通りを歩く人間もいないようで、もう顔を隠していなくとも良いだろう。バルコニーの手すりにもたれかかって、外の景色を眺めていたラドルフは、背後に近づいてきた人の気配に、伸ばしかけていた手を引いた。
「星見酒ですか?」
「――まあな」
 埒のないもの思いにふけっていた所為で気づかなかったが、確かに、濃紺の夜空に光の破片を撒いたような星空だった。どこぞの名も知れぬ抽象画家が、天という名の巨大な画布に、幾つもの光の象徴を描き連ねたようにも見える。星見酒とはなかなか粋な言葉だが、満月を愛でる酒――属に言う月見酒など間違ってもできないのだから、こればかりは、仕方ない。
「もしかしてこれ、ローデシアの地酒ですか?」
 塗装の剥げ落ちたテーブルに置いておいた酒瓶に気がついたらしい。栗色の尻尾を揺らしたフィリエが、興味津々といった風で、覗き込んでくる。
「呑むか?」
 先ほど食堂から失敬してきた、硝子の器に注いで手渡したのは多少の遊び心で、受け取ったフィリエに喉を鳴らして飲み干され、実を言うならほんの少し、ラドルフは慌てた。財布は取られてしまったが、靴の下に縫いこんでおいた小銭は残っていたので、宿代と食事代を快く――は、なかったが――出してくれたカイジャンに飲ませようと買い求めてきたものだ。そう強い代物ではないが、決して弱くもない。
 そんなラドルフの心中を知るわけもなく、少女は満面の笑みを浮かべ、
「ああ、美味しい」
 などと、のたまっている。足がふらつくこともなければ、顔が赤くなってもいない。
「フィリエ……お前、いけるクチだな?」
「王族が、人の前で酔いつぶれるわけにはいきませんから。少しずつ慣らしたんですよ。厨房から盗んできたのを、侍女達と回して呑んだりして。最初に潰れた人が、次の日の掃除当番を代わるんです」
「……それは、どこの世界の話なんだ、おい」 
 どこかで聞いたような話であるし、ラドルフ自身も傭兵仲間と、暇つぶしに似たような遊びに興じたことがある。だがしかし、仮にも一国の王女が、王城内において、一体何をやっているのか。
 ――いや、ものすごくやりそうだな。このお姫様なら。
 ラドルフに並んでバルコニーの手すりに手をかけた、フィリエの長い栗色の髪がさらさらと靡く。よく見ると白い頬がわずかに色づいているようにも思えるが、本当に、びた一文酔っ払ってはいない。
「ローデシアの夏って、風が気持ちよくて過ごしやすいですね」
「夏だけだぞ。冬になってみろ。――普通に暮らしていたって、死人が出る」
 一冬を越すのに足る薪や炭を確保できる富裕層ならともかく、一般の民は冬場に燃料が尽きれば凍えて死ぬしかない。家の中のありったけの衣服を着込んで、間近の家族の体温をよすがに、ただひたすらに春の訪れを待つ。秋の実りが一冬を越すに足りず、どこぞの集落が壊滅の危機に陥っていることがわかっても、雪で道が閉ざされ、救援にも向かえない。それが、ローデシアという国だ。
「お前……国の方は大丈夫なのか」
 どれほどそうは見えなくとも、この少女は大国シルヴィアの王女であり、その肩に乗っているものの重みは、ラドルフやカイジャンとは桁が違う。彼女が今ローデシアで割いている時間はすべて、シルヴィアの民の為のものだ。
「わたし一人がいないくらいで、どうにかなるような、柔な国じゃありませんよ。シルヴィアは。父にはマゼンダから便りを出しておいたので、もうそろそろ届いているはずですし」
「……自分の娘がいきなり、外国からそんな手紙を送ってきたら、普通は心配するだろう」
「自分も若い頃は諸国漫遊とかしていた人なんで、手を叩いて喜ぶんじゃないですか」
「手を叩いて喜ぶ……なぁ」
 現在のシルヴィア王は即位以来、堅実な治世を敷いており、国の内外を問わず――ロルカ国の一部を例外として――評判は悪くない。ラドルフもシルヴィアの王宮で何度か顔を合わせたことがあるが、一見したところは、ごく普通の穏やかな初老の男にしか見えなかった。しかし仮にも一国の王、そしてこの娘の父親である。実はとんでもない変人であったとしても、今更、驚きはしない。
「ラドルフさんはいないんですか?」
「何がだ?」
「ご家族とか、ご親戚とか。折角、国に帰ってきたんですし」
「……」
 彼女に悪気がないことなど百も承知で、だからこそいっそう返す言葉が思いつかずに、ラドルフは押し黙った。胸の奥の片隅に一点、未だ血を吹き流している箇所がある。月が満ちるたびに訪れる痛苦にも、自分が独りであることにも慣れたが、今になってもまだ、流れる血の止め方がわらかない。
「……ラドルフさん?」
「――いない」
 見上げた先には見惚れるような星空、その中天近くに引っかかっているのは、見事に真ん中近くで半ばに割られた半月だ。これから次第に月は満ちてゆくが、まだもう暫くは動ける。
「いないんだ。……もう誰も」





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