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月の宝珠
外伝 月影〜


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 二度目の妻はすぐに決まった。離縁から半年後には、シルヴィア王国の南方にあるナヴァル公国の公女が輿入れしてきた。エルモンドより5歳年下で見目麗しく、多産の家系でもある公女と王太子の婚姻はシルヴィア王国の国民に、概ね好意的に迎えられた。


「いい加減、東宮にお戻りなったらどうですか、殿下」
 その日、王宮の広間の隣室――表向きの執務室の一角で政務にいそしむエルモンドに、一人の若者がそう言った。彼は王太子を育てた乳母の息子であり、エルモンドとはいわゆる乳兄弟の関係である。昔から、シルヴィア王国では王太子が生まれると臣下の妻から乳母を選び、その家の子供と一緒に育つことを伝統としていた。一緒に育った子供たちが王太子の親衛隊となり、次世代の王の近臣となるという図式だ。
 もちろん身分上は主従だが、幼い頃から一緒にいるので、気安いと言えば気安い。今日もまた、大した理由もないのに王太子宮に戻ろうとしないエルモンドを、兄のような顔をして諌めてくる。
「私の行動は私が決める。――他人にとやかくは言わせん」
「あなたが妃殿下と同衾しないと、跡取りが生まれないでしょうが。しっかしりして下さいよ。あなたの行く末に、我が家の未来がかかっているんだ」
 エルモンドの周囲がしきりに跡取り誕生を気にかけるのは、父王の弟の子――つまりはエルモンドの従兄弟に健康な男子が2人も生まれているためである。周囲の反対を押し切り、平民の妻を迎えた父とは違い、叔父は由緒正しい王族ゆかりの妻を持ち、従兄弟の妻も貴族の娘だ。一部の頭の固い年寄りたちが、エルモンドよりよほど王にふさわしいと言っていることくらい、エルモンドも知っている。
 ――まったく、どいつもこいつも。
 エルモンドの周囲が王太子によりよい妻をあてがい、跡取りを得ようとするのは、エルモンドが王になった時の自身の利を考えてのことだ。従兄弟を跡取りと考える人間だって所詮、考えは同じだ。人間の考えることなど皆同じ。ただ己の目先の利益の為にのみ、息をして飯を食って寝起きをしている。
 ほとんど頭に入ってこない判例集から目を離し、両手を頭の下で組む。
 ナヴァル公国の公女と結婚してから半年あまり、エルモンドが王宮内にある自邸に帰る頻度は格段に減った。別段、新しい妻に不満があるわけではないが、邸の内装や庭園が妻好みに作り変えられて行くのを見るのが嫌だった。そこにあるものではなく、なくなったものを探している自分自身に辟易して、もう一か月あまり、王太子宮には帰っていない。
「まあ、いざとなればフィリエの子を養子に迎えれば済むことだ。前の結婚でも子供はできなかったからな」
「殿下!」
 いきりたつ乳兄弟にひらひらと手を振って、エルモンドは執務室を後にする。この五月蠅い奴を黙らせるために、たまには王太子宮に帰ってみるか―それくらいの気持ちだった。


 エルモンドが王太子宮に帰りついた時、邸は静まり返っていた。邸には王太子妃の外に下働きの人間や彼女が国から連れてきた侍女達がいるはずで、彼らが皆寝入ってしまうにはどう考えても早すぎる。時刻はまだ宵の口で、藍色の夜の片隅に白銀の月がきらめいている。
 出迎えさえない邸の様子に訝りながら、自身の宮の敷地に足を踏み入れる。エミリナがこの邸で暮らしていた頃、季節の花が咲き乱れていた庭園は綺麗に刈り取られ、今はただ緑の芝生が広がっている。誰が植えようと刈ろうと花は花だ。種を蒔けば芽吹いて、冬が来れば枯れ落ちる。だがはじめてこの空間を目にした時に感じた寂寞だけは、季節が半分めぐった今でも塗り替えられることがない。
 今にして思えば、現在の妻とエミリナとの間に大した違いはないのだ。家柄はナヴァル公女に軍配が上がるが、教養ならばエミリナの方がはるかに持っていた。エルモンドより年上のエミリナと比べ、年若い今の妻の方が跡取りに恵まれる可能性は高いかもしれないが、それだって寝室を共にする気になれなければ、絵にかいた餅だ。
 静まり返った廊下を進み、寝室の扉を押し開けた時、そこには想像もしていなかった光景があった。王太子夫婦の寝台に横たわった女の上に、上半身裸の男がのしかかっている。
「王太子殿下……、どうしてここに?!」
 エルモンドに気づいた妻が、体を隠しながら後ずさる。黒い髪と浅黒い肌の男は恐らく下働きの人間だろう。いくらひと月あまりも夫に構われなかったからといって、下働きの男を寝室に引き込むとは、まったく、大した公女様だ。浅はかすぎて笑う気にもなれはしない。
 もっとも、不貞の現場を夫に見つかった間男にはまた、違う見解があったらしい。だらしいなく前をはだけた半裸の男が、短刀を手に喚きながら突進してくる。
 己の身を守る為の武術のたしなみも、王族として教養の一つだ。エルモンドの技量は十人並みで、年の離れた妹にあっけなく追い抜かれたが、それでも、まるで心得のない相手に遅れをとる程、未熟ではない。
 軽く身をよじって攻撃をやり過ごし、振り向きざま引き抜いた剣で、相手の喉笛を掻き切る。頸動脈を切られた男の首から血しぶきが舞い、寝室の壁紙を真紅に染め上げて行く。
「下種の輩が」
 絨毯の長い毛足に沈みこんだ男の顔が、信じられない、という表情で見上げてくる。血塗られた白刃を一振りすると、まだわずかに息があったらしい男の目から完全に生気が抜け落ちた。賤しい身で王太子宮に忍び込み、王太子に向かって刃を抜いたのだ。こんな程度の処遇では生ぬるいくらいだ。
 血しぶきを浴びるエルモンドの背後で、甲高い女の悲鳴が上がった。白い肩をむき出しにした若い女が、男の躯に取りすがっている。血塗られた剣を持った夫に目もくれず、一国の王太子妃は、肌の浅黒い男の死に顔だけを見ていた。
「いやっ!死なないで、お願い、目を開けて……!」
 ――どうして。
 一国の王子や王女にとっての婚姻は、生まれ持った義務のようなものだ。望む相手を選ぶことができない分、結婚後の火遊びは大目に見られている。もちろん、夫以外の男の子を産むのは御法度だが、それ以外ならば多少のことなら目をつぶる。今、彼女が行うべき行動は、火遊びの相手に取りすがることではなく、夫である自分に跪いて許しを請うことだろう。
 ――やっぱり、貴方には人の心がわからないのね。
 不意に、以前、一人の女に言われた言葉が脳裏を甦る。彼女は賢い女だった。その賢さで、エルモンド自身が気づいていない彼の欠損を見抜いていたというのなら、せめてそれが何であるのかくらい、教えて行ってほしかった。
 なぜか追い詰められた気分で踵を返した時、窓辺に揺らぐカーテンの向こうに、赤く染まった月影が見えた。






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