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月の宝珠
第三章 北国ローデシア〜


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 屈強な男に両脇を抱えられ、石造り床に投げ出されると、途端に肩や肘に震えが走った。北国の夜は夏であってもそれなりに冷える。もっとも今が夜であるとは、完全なるラドルフの推測で、陽の光の届かない地下の牢にいては、今が昼か夜かもわかりはしない。
 倒れた時に、口の中を切ったのだろう。口の端に垂れてきた血の筋を拭っていると、牢の外から声がした。
「――久しぶりだな。インバート家の嫡子」
 懐かしくもない呼び名と共に姿を見せたのは、ほとんど白と変わらぬ銀髪を短く刈り上げた、壮年の男だった。頬から顎にかけて険しく抉れたような独特の風貌に、眼の光は猛禽類のように鋭い。ラドルフを牢に叩き込んだ屈強な男達が、一礼して男の行く手を開けた。
「本当に、久しぶりだ。薬師――ミドルバ家の当主殿。いや、今は、ローデシアの国王陛下だったか」
 わかっていながら、あえてかつての呼び名を口にしたラドルフに相対し、男は表情も変えずに、腰の剣を抜いた。
 鋭い切っ先が、首筋を伝い、顎を押し上げられる。冷えた床よりさらに冷たい白刃が、ラドルフの髪をさらい、普段は人前にさらさない、焼け爛れた顔の左側がむき出しになった。
「ロルカにインバートの名を名乗る男が現れたと聞いた時は、まさかとは思ったが。本当にお前だったとはな……ラドルフ・インバート」
 タチアナの湯治場からフィリエがさらわれた後、一度シルヴィアに戻って王の許可をもらっている暇などなかった。駄目でもともととロルカの王宮に駆け込み、インバートの――ローデシア選王国第七王家の名を出したことが、どうやら生国にまで伝わってしまっていたらしい。
「しかし、たった一人を捕まえるのに、随分と目立つ刺客を他所の国まで送り込んだもんだな。……あんたの好みなのか、あのけばけばしい連中は」
「そう心配せずとも、ヒュードリヒ家の当主を殺害した咎で、お前の手配書は、各国に回してあるさ。もっとも、手配書は昔のお前の姿で描かれていたが。まったく、――醜い」
 壮年の男の指先が、頬から首の爛れた肌を伝った。その淀みのない仕草に背筋に悪寒が走る。まさかとは思うが、そういう趣味でもあるのだろうか。
「あんたに、美的感覚をとやかく言われたくねぇな」
 他人の趣味をとやかく言う気はないが、男の指など、こちらにはとっては気持ちが悪いだけだ。首を振って無遠慮な手を跳ね除けて、ラドルフは目の前の男をねめつけた。
 ローデシア選王国の『選王国』という呼び名は、その名の通り、七つもある王家の中から、元老院が一人の王を選び出す風習から由来している。かつて、ラドルフはこの国の七王家のうちの一つ――インバート家の後継者であり、当時、ミドルバ家の当主であったこの男とは、同等の立場にあった。しかし、ラドルフが国を捨てた三年前から、現在の二人の男の立場には、圧倒的な差がある。
 剣を鞘に戻した男――ローデシア選王国の国王が口の端を持ち上げた。
「ローデシア選王国七王家に伝わる宝の一つ――継承の指輪を渡してもらおう」



 エリトリア共和国の北方に広がるローデシア選王国は、東大陸において、最も広大な領土を持つ国である。
 もっともその土地の大半は苔すら生えない氷と雪の大地で、実際に人が住んでいる面積は、ロルカ国の全国土より少ない。当然のことながら、耕作に向いている土地も少なく、国の富の大半は、東方の山岳地帯で採掘される玉によってもたらされる。特にクラル山で採られるルビーは純度、輝き共に最高級のルビー・アイと呼ばれ、東大陸の市場において最高値で取引されている。
 昔から玉には不可思議な力が宿ると言われ、また、未だに呪術や占術が盛んなこともあり、謎の多い神秘的な国だ。玉の商取引を除いては、東大陸のどの国とも正式な国交を結んではいない。



 国境を越えると、そこには異世界が広がっていた。
 季節は夏の最中だというのに、遠くに見える山の稜線は白い。空は青く陽光は燦燦と降り注いでいるのに、空気が乾いているからか、ひとたび日陰に入ってしまうと、ひんやりとした涼感が漂ってくる。
 教会や図書館など国の大きな施設の屋根は玉ねぎ型で、民家や商家の屋根はすべて一方への傾斜がある。黙って見ていると首が痛くなってきそうな屋根の合間を歩きながら、フィリエは先を行く男に問いかけた。
「どうして、屋根が平らじゃないんですか?カイジャンさん」
「ああ。ローデシアは別名を雪と氷の国というくらいだからね。屋根を斜めにして、冬の雪が自然に滑り落ちて行くようにしてあるんだ」
 降り積もった雪の量が人の身の丈を越え、軒先を歩いていた人間が屋根雪に埋もれて死んでしまうこともあるという。
「へぇ……そうなんですか」
 ロルカはシルヴィアと同じ文化圏の内だし、マゼンダは多種多様な文化が交じり合って、逆に特徴というものに乏しかった。道行く人々の風貌もロルカやシルヴィアではあまり見かけない、金髪碧眼が多いようだ。時折聞こえる言葉は、東大陸の公用語ではあるが、鈍りが強くて聞き取り難い。
 ――異国の空。異国の風。異国の町。
 異国の街角に立ち止まり、フィリエは首を巡らせる。
「ここが……」
 ――ラドルフさんの生まれた国。



 いいだけ痛めつけられて、解放されたのはローデシア選王国王都の北東部にある、かつて七王家の屋敷が並んでいた界隈だった。七王家とはいっても、ヒュードリヒ家は三年前に滅んでしまったし、インバート家もラドルフが出奔して以来、人が暮らしてはいない。国王に選ばれたミドルバ家の家人はすべて王城に移っているはずで、大きさの割りには人の気配を感じない、寂れた風情がする。
「さて、どうしてものか……」
 痛めつけられたとはいっても、こちらは急所の外し方を心得ているし、相手に殺意がないとなれば、さほど酷い怪我を負っているわけではない。有り金はすべて奪われてしまったが、囚われた時に来ていた衣服を返して寄越したところをみると、ラドルフを泳がせて、目的のもののありかまで案内させるつもりなのかもしれない。
「……ったく、何だって今更、あんなものを」
 普段顔を隠しているのは、単に人の視線がわずらわしいからだが、ローデシアの国内においては、間違っても素顔を人前にさらすわけにいかない。普段よりさらに目深にフードを被って、踵を返そうとした時、背後で針葉樹の植え込みが揺れた。
「お前らは……」
 現れたのはどこか不気味な雰囲気を漂わせた男の集団だった。不気味とはいっても、マゼンダの街でやりあった敵のように、顔にど派手な刺青を刺しているわけでもなく、服装や見た目はいたってまともだ。ただ、どの顔も一様に死体ように表情がなく――端的に言うなら、表情が死んでいる。
「傀儡(かいらい)……だな」
 ローデシア選王国には七つの王家があり、七王家はそれぞれその生業にまつわる二つ名がある。インバート家は代々軍人を輩出する軍師の家であり、ミドルバ家は薬草を専門とする薬師の家、そして、今はなきヒュードリヒ家は、呪いを家業とする呪師の家柄だった。そのヒュードリヒ家の秘術の一つに、人の一切の感情を消し去り、操り人形と化す術があった。ラドルフ自身も軍にいたころ、何度か兵士としての傀儡達と共に戦ったことがある。ひとたび傀儡となった者は、死への恐怖も痛みも感じないので、戦においては使い勝手は良いが、正直に言うならよい気持ちはしなかった。どれほど使い勝手がよかろうが、人でないものに、戦場で背中を預けたくない。
「逃げるのは許さない……ということか」
 傀儡達の手にある抜き身の剣は、一般的に軍の鍛錬用に使われる、殺傷能力を抑えた細身のものだ。とはいえ、まともに当たれば怪我をするし、急所に当たれば怪我ではすまない。
「――悪いが、黙って言うなりになるのは、性に合わないんでな!」
 愛用の剣は、マゼンダの街で手放してしまったままだ。振り向きざまに傀儡の一人の腹に膝打ちを食らわせ、その手の得物を奪い取る。反動を利用して跳び上って、地面に倒れた男の首を、全体重をかけた靴の踵で踏みつけると、小さなうめき声が上がって、肋骨をへし折られてもなおも起き上がろうとしていた人影が、動かなくなった。
 ひとたび操り人形となった者は、二度と人間に戻ることはなく、息の根を止めない限り、腕が千切れようが腸が飛び出ようが、何があろうと敵に向かってくる。
 人が人であることをやめるのは簡単だ。――心を失くしてしまえばいい。
 奪い取った剣で何人かの息の根を止めたところで、刀身の鋼に小さなヒビが走った。鍛錬用の細身の剣は本来、何人もの敵と激しく打ち合うようには作られていない。ラドルフが異常に気づいて間もなく、白刃が、半ばで二つに割れた。
「ちっ……」
 投擲用の短剣を取ろうと懐に手をやって、それが奪われたままであったことに気がつく。
 仕方なく、二つに割れた刃の一方を掴み取って、前方から切りかかってきた男に投げつけた。喉を斜めに割かれた傀儡が地面に倒れ付すと同時に、柄に残された残りの刃を、ありったけの力をこめて、後方の敵の腹に叩き込んだ――が。
 腹を刺された男の顔に、浮かぶはずのない笑みが浮かんだ。折れた剣では長さが足りず、一撃で致命傷を与えられなかったらしい。自身の腹から突き出た刃を素手で握り締めた男が、もう一方の手で細身の剣を振り下ろす。それを避けきるには――相手の間合いに入り込み過ぎた。
 いくら殺傷能力を抑えた剣であっても、この距離でまともに振り下ろされれば、眉間をかち割られる。咄嗟に両腕を目の前で交差させ、防御の姿勢を取った時、七王家の長い塀の影から声がした。
「――ラドルフ、使え!」
 投げつけられたのは、布で幾重にも覆われた抜き身の剣――マゼンダの街で手放してしまった、ラドルフの愛用の剣だった。ありがたいことに、紐一本ひけばすぐに使えるように細工してある。
「ありがたい!」
 十五でローデシア正規軍の軍人となり、二十歳で国を出奔して以来、共に何度も死線を潜り抜けてきた剣だ。既に肉体の一部と感じる程に馴染んでいる。ラドルフに剣を投げつけた赤毛の男――カイジャンは、大きな三日月型の刃を構え、その後方では、例によって例のごとく、実用的な長剣を手にしたフィリエが栗色の髪を風になびかせていた。
「――形勢逆転だな」
 今まで、あれほど整然とラドルフを追い詰めていた傀儡達の動きが乱れる。標的を攻撃することは出来ても、その標的に援軍が訪れると途端に、退却するしか術を見つけられない。かつて、それが、操り人形の限界だと訴えるラドルフを甘いと笑った男がいた。
 音もなく――気配もなく現れた操り人形達が、再び気配もなく退却して行く。その背を見送りながら、ラドルフは剣を鞘に戻した。
「ラドルフ、無事か?!」
「ラドルフさん!大丈夫ですか?」
 見慣れた栗色の尻尾が、剣を収めたラドルフにむけ、一目散に駆け寄ってくる。
 あんな形で別れることになって、少々気にはなってはいたのだが、自力でカイジャンを探し当て、ローデシアまでやってきたのか。
 お前は甘いと、そう言って嘲った男はもういない。だが今の彼の側には、別の人間がいるようだった。





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