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月の宝珠
最終章 月の宝珠〜


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 分厚い雲が左右に割れると、そこから光の階が降って来た。雲の狭間が夕焼け色に染まり、黄金色の月光が夕闇に霞む家々の屋根を照らし出している。
 大聖堂の戦いから1ヶ月、ラドルフとフィリエはロルカ王都の宿屋に滞在していた。叛乱組織の首謀として、カイジャンには王都に留まる理由があったし、解術を起こったイキシスとロキシスの双子が熱を出し、しばらく動けなかったという理由もある。
 伝説の解術師である双子の談によると、傀儡の術は対象者の時間の流れを止めるので、術による直接的な身体の損傷は少ないらしい。長い間寝ていた所為か多少だるいくらいで、今のところフィリエの身体状態はいたって良好である。
 一方のラドルフの状態は決して良好とはいえなかった。骨折と打撲こそ順調に癒えたものの、前回の満月の夜の後、彼はほとんどまともに動けなかった。左側の聴力と視力の欠損を告げられた夜、フィリエは彼に見えないように枕に顔を埋め、ほんの少し泣いた。
 ロルカ国の新たな国政の形作りはこれからだし、そこにシルヴィア王国がどう係わって行くのかという問題もある。それでもすべてが終わったこの日、イキシス・ロキシスの指示に従い、ラドルフは夕暮れ前から彼らの部屋に篭っていた。今宵は満月――フィリエの時もそうだったが、かけられた呪いを解くには、状況を整えることが非常に大切らしい。
「フィリエちゃん、こんなところにいたのか」
「カイジャンさん」
 既に夕刻を過ぎ、本来ならば呪いの症状が出ていても不思議でない時刻になっても、ラドルフは部屋から出てこなかった。どうにもいたたまれなくなったフィリエは、単身、宿屋の露台に上がっていたのだった。
 ぎしりと床が軋む音がしてフィリエの隣に、赤毛の男が立ち並んだ。露台の手摺に腕をかけ、夜の闇に向けて目を眇めている。
「カイジャンさん。わたし達を助けてくれて、ありがとうございました」
 肩の後ろで結わえた栗毛が布地を滑り落ちる。唐突に頭を下げたフィリエと相対し、カイジャンは面食らったような顔をした。
「礼なんか言っていいのかい?ラドルフの呪いが解けるかどうかはまだわからないし……おれがやろうとしていることは、君の国や兄上の利益と反する」
 ロルカ国が王を頂く議会制の国家に変わったならば、その流れは必ず、シルヴィア王国にもやって来ることだろう。恐らく、兄はその流れに対抗しようとする。その先に何が起こるかは――もはやフィリエの関知するところではない。
「それでもあなたは、ラドルフさんとわたしを助けてくれましたから」
 言い切ったフィリエに向かって、カイジャンが小さく笑みを浮かべる。
「あいつは、俺に借りがあるつもりでいるらしいんだけど。――本当は、おれの方がラドルフに借りがあるんだ」
「カイジャンさん?」
「昔、あいつがまだローデシア軍の指揮官だった頃にさ。先陣だった傭兵部隊が、敵方の砦に取り残されたことがあったんだ」
 河で囲まれた敵軍の砦を攻めるにあたり、先に傭兵部隊が河を渡り、その後で本隊が河を渡る予定だった。しかし、雨が多い年だった所為か。本隊が河を渡る直前で、水嵩が増して渡れなくなった。――そんな時、普通ならば指揮官は傭兵部隊を見捨てて、本隊のみを退却させる。
 当時、部隊の指揮官だったラドルフは敵陣に取り残され、全滅寸前だった傭兵部隊を見捨てなかった。無謀ともいえる渡河作戦を強行し、結果、傭兵部隊も含む全部隊を無傷で撤退させた。
「もっとも、あいつはその時のことなんか忘れ果てているらしいけどね。それでもおれは忘れていない――人間ってのは、自分がやったことは案外覚えてないものだからな。それでいてされたことは忘れない。……ったく、厄介な生き物だぜ」
 カイジャンが苦笑した時、見下ろす先で扉が開いた。建物の壁に揺れる人影を見つけ、フィリエはその場を駆け出していた。



 月明りに照らされた宿屋の庭先に、彼は黙って立っていた。
 上背のあるたくましい体躯を白い光がくまなく照らし出している。ほんのわずかも欠けていない満月そのものの月を見上げて、その表面の斑点を数えてでもしているかのように、瞳を眇めている。
 フィリエが静かに近づいて行っても、振り返りもしない。ラドルフが苦痛の呪いと連れ添い続けた年月は、フィリエとラドルフが出会ってからの年月よりも長い。そこには彼にしかわからない、彼だけの思いが、苦悩が、人生があるはずだ。
 生きる為に数多の血でその手を染めて、そんな自分自身を許せず悩んでしまう人。人には不敵な態度を見せながら、実は自分に自信のない小心者だということは、とっくに知っている。
 傍にいたい。心の底からそう思う。王女ではないフィリエの力など本当に些細なもので、誰かを救うことができるなど思い上がったりはしていない。それでもこの人が道に迷って立ち止まった時、共に進むべき道を探すことくらいはできるはずだ。
 フィリエが横に立ったとき、はじめてはじかれたようにその肩が動いた。歴戦の剣士が、今の今まで彼女の気配に気づいていなかったのだろうか。大きな手を掴んで取って、フィリエは愛する人に、心からの祝福を贈った。
「ラドルフさん、月が綺麗ですね」
 広がる闇と輝く月。そして、その向こうに続く明日に向かって。








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