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月の宝珠
第五章 大聖堂の戦い〜


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 グラノスの大聖堂は、ラドルフとフィリエの婚姻証明書を書いてくれた、生臭神父の教会のゆうに10倍近い広さがあった。
 すべての窓には神話や聖書を元にしたステンドグラスがはめ込まれ、月明りが壁のあちこちに、複雑な文様を描き出している。
 本来の目的である冠婚葬祭時には大勢の客が座るであろう椅子に、観客の姿はない。ただ静まりかえった空間を、初秋を風が吹きぬけて行く。
 ラドルフとカイジャン、それに解放されたイキシスとロキシスの双子がたどり着いた時、フィリエは覚束ない足取りで、大聖堂中央の通路を歩いていた。
 婚礼の時には花嫁が歩み、葬式の時には棺が進む道。塵ひとつなく掃き清められた床を歩む裸足の足が痛々しい。参列客の一人もいない道を進んだ先に、一人の男の姿を見つけ、ラドルフは息を吸い込んだ。
「待ちくたびれたぞ。シルヴィアの姫君――いや、わが花嫁」
 陽の光を思わせる金髪と、紺碧の瞳。それに女という女が憧れるような白い肌。どこか彫像めいた美貌には見覚えがあった。実際に顔を合わせたのは彼がまだロルカ国の一王子であった頃、フィリエを湯治場から誘拐した時以来だ。
 ロルカ国王・ディラン1世は、先々代の王と外国出身の庶民の妻の間に生を受けた。東大陸において、金髪碧眼は呪術の盛んな北方系の風貌である。ディラン1世が、母親から呪術の能力を受け継いでいたのだとしても不思議はない。
 民も聖職者もいない聖域で、若きロルカ王は正装をしていた。フィリエを見付けた時、彼女がドレス姿であったことを思い出す。フィリエが今もあの姿であったなら、二人の姿はさぞかし似合いの新郎新婦に見えたことだろう。
 参列客も親族からの祝福もないたった二人だけの結婚式ならば、ラドルフにも経験がある。花嫁が操り人形でさえなければ、それは人生でもっとも幸福な瞬間だった。
 無粋な闖入者には目もくれず、美貌の新郎が彼の花嫁に向かって手を伸ばす。フィリエが顔を上げ、その手に掌を重ねようとしたその時、あらん限りの力を振り絞って、ラドルフは叫んだ。
「フィリエ!」
 手と手が重なる直前、操り人形の動きが停止する。すかさず通路半ばにまで走り寄り、再び声を張り上げる。

「――戻って来い!フィリエ!」

 ――例え何が起ころうと、お前のところに戻ろうとする。
 それはかつて、ラドルフがフィリエに誓った言葉だ。あの時の誓いに偽りはない。例え世界の果てであろうと、フィリエがある場所がラドルフの戻るべき場所だ。
 その反面、フィリエが帰る場所が自分のところだとはどうしても思えなかった。彼女には彼女のいるべき場所があり、いずれはラドルフを置き去りにして帰って行く。ずっとそう思っていた。
 多分、それが間違いだったのだ。あの日、フィリエは父と兄と自国の民を捨ててラドルフと共に行く道を選んだ。共にある為に親兄弟を捨てさせておいて、その男の元に帰れないのだとしたら、彼女の心はどこに戻ればいいのだろう。
「お前が戻る場所は、ここだ!」
 掌を宙に浮かせた状態で、フィリエの動きは止まったままだ。美貌の国王の顔が歪む。ディラン1世が浮いたままの白い手を掴んで、強引に己の懐に引き寄せようとした時、唐突に閃光が辺りを押し包んだ。
「これは……」
 フィリエの手や指や首筋、白い寝間着から覗くくるぶしにいたるまで、絵とも字ともつかない奇怪な文様が描かれている。一体いつの間にこんなものが現れたのか。これまで気がつかなかった文様の一つ一つが光を帯びて、まるで彼女の身体全体が発光しているかのように見える。
「下がって。あまり近寄ると貴方まで巻き込まれる」
 驚きで固まったラドルフの前に、カイジャンの影から双子達が歩み出た。そばかすの散ったそっくりの顔が妙に大人びて見える。イキシスとロキシスの姿を認めた途端、ディラン1世の目が驚愕に見開かれた。
「まさか、お前達は……!」
 フィリエを押し包む光が広がって、彼女に触れていた男を飲み込もうとする。飲み込まれまいと足掻く男とフィリエの間の空間で、光が歪んで屈折している。
 傍目にはまったく同じに見える顔を見合わせて、双子がそれぞれ左右に走り出した。彼らの得物の切っ先が空間を切り裂き、光の空間が半ばで断ち切られる。光の文様が巨大な獣のような咆哮を上げて、大聖堂の天井へと駆け上って行く――



 起こった時と同様に、唐突にそれは終わった。
 気づいた時、辺りは再び薄闇に包まれ、そこにはラドルフとフィリエ、カイジャンと双子達、そしてディラン1世の6人しかいなかった。眩いばかりの――それでいてどこか不気味な光もなければ、最後に現れた光の獣の姿もない。ディラン1世はその場に腰を落として座り込み、フィリエは棒立ちになったままだ。その傍らでは双子達が肩で息をしながらお互いを支えあい、ラドルフとカイジャンはといえば、傍観者のように目を見開いているしかない。
 沈黙だけで耳が痛くなるような静寂の中、最初に動き出したのは、腰を抜かした国王だった。
「た……頼む、殺さないでくれ」
 国王が命乞いする相手は、剣の使い手であるラドルフでもなければ、叛乱組織の首謀たるカイジャンでもない。まだあどけなさの残る顔立ちの双子の少年達に向かって、一国の王が本気の命乞いをしている。
「何が欲しい。金か?地位か?――王宮専属の呪術師として抱えてもいい。だから頼む、命だけは……」
 ――エリトリア王国崩壊時に、表舞台から姿を消した凄腕の解術師。
 当時の正式文書も、人々の口伝えも、噂が単なる噂ではないことを指し示していたが、その正体も風貌もまったくと言っていいほどつかめなかった。
 つい先ほど、双子を認めた瞬間、ディラン1世は心の底から驚愕していた。本来ならば王位を継げない脇腹の王子とはいえ、彼もまた王族の一人である。おまけに呪いの知識も持っているとなれば、知っていたとしても不思議はない。――伝説となった解術師が、そっくり同じ顔をした双子の少年であったと。
「イキシス、ロキシス。お前ら一体……」
 彼らに兄貴と呼ばれ慕われていたカイジャンの頬が引きつっている。もしもこの想像が当たっていたとしたら、ラドルフにもカイジャンの気持ちはわかる。一見、13、4歳にしか見えない彼らの実年齢は、ラドルフやカイジャンよりもはるかに高いということになる。
 もっとも正直なところ、ラドルフにとっては、双子の正体もロルカ国の王政も、そんなことはどうでもよかった。ラドルフにとって重要なことは一つだけだ。今ここで起こった摩訶不思議を理解しているのかいないのか、栗色の髪の姫君は先ほどから身じろぎ一つしていない。
「フィリエ……」
 もしも、伝説の解術師にさえ傀儡の術が解けなかったのだとしたら、フィリエはもう二度とフィリエには戻らない。ロルカ国王とシルヴィア王女の婚姻が阻止されようが、それによって国王が失脚しようが、ラドルフにとってはフィリエが元に戻らなければ最悪の結末に他ならない。
 恐る恐る手を伸ばし細い肩に触れる。秋の訪れを感じる夜の片隅に寝間着一枚で、その身体は冷え切っていた。脱いだ上着をかけてやろうとした瞬間、色を失くした唇がかすかに動いた。
「……どうして」
「……?」
 聞き間違いかと目を瞬いたラドルフの胸元の布地を、二つの拳が掴んで取った。ラドルフもそれなりの年数を生きてきたが、男の胸倉を掴んで揺さぶるような性癖を持つ姫君は一人しか知らない。
「どうして……」
「フィリエ、お前……?」
 長く口を開いていなかった所為が、声がかすれて聞き取り難い。口許に耳を寄せた刹那――
「どうして、剣を下ろしたりしたんですか?!」
 大音声が耳をつんざいた。






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