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月の宝珠
章 鍵を探して〜


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 半分に割れた月が雲に翳った。燃える松明に照らされて、建物の壁のあちこちで、庭木の枝がおとぎ話に出てくる奇怪な化け物のように蠢いている。
 壁の合間に身を隠しながら、行き当たった兵士は鞘のままの剣で殴りつけて自由を奪う。何人目かの兵士を打ち倒して植え込みの中に押し込んだ時、カイジャンは思わず、呟いた。カイジャンにも剣の腕には覚えがあるが、息の根を断たずに、こうまで手際よく敵を倒す術を彼は知らない。
「さすがだな」
「……こんなことで誉められても、嬉しくない」
 ラドルフの口から、思わず本音が吐いて出る。人体の急所やら倒し方などはローデシアの正規軍にいた頃に習い覚えたが、実践経験はその後の傭兵生活で培ったものだ。一兵士として、戦場で殺しあうのはやむを得ないとしても、胡散臭い雇い主から命じられる胡散臭い任務で、人の命を奪いたくはない。必要に迫られ、やむなく身につけた特殊技能である。
 隠密行動は少数精鋭が第一なので、今宵、屋敷に忍び込んだのはラドルフとカイジャンの2人のみ、屋敷の外ではイキシス・ロキシスの双子が夏のイリン川の風物詩である打ち上げ花火を手に、見張りを行っている。万が一侵入がばれた際は、盛大な花火が打ちあがるという手はずだ。 
 もっとも、彼らの目的である姫君はいざとなれば充分戦闘要員になり得るので、合流すれば格段に戦力は上がる。ことここに至って、奪還目標の姫君を戦闘要員に数えなければならないというのは、少々――いや、かなり情けない。
 正直に言うなら今でもラドルフの中に迷いはある。ここで奪い返すことが本当にフィリエの幸せなのか。いっそ手放した方がよほど彼女の為ではないのか。
 だがその答えは、多分、ラドルフが一人で考えるべきものではないのだ。ラドルフにはラドルフの未来を選ぶ権利はあっても、フィリエの未来を決める権利はない。フィリエの人生はフィリエのものだ。彼にできるのは訊ねることしかない。――お前はどうしたい、と。
 フィリエがもうこんな男といたくないというなら仕方がないが、そうでないのなら、この先のことは、二人で共に考えよう。まずは解術師を探して何としても呪いを解く。その後は世界を旅して回ってもいいし、一所に落ち着いて家を構えるのも悪くない。
 かなり破れかぶれの人生を送ってきたという自覚はあるし、根本的には今も変わりはないのだが、フィリエと過ごした月日はラドルフの中に、一種の前向きな思考回路を植えつけていったらしい。これまでならば決して思いつきもしなかった考え方を自身の中に見つけた時、ラドルフは不覚にもほんの少し笑った。
 カイジャンが馴染みの女から仕入れた屋敷内の見取り図は、既に頭の中に叩き込んである。フードを目深に被り直し、ラドルフは屋敷の内側へと身を滑らせた。



 呆れるほど廊下の長い建物の中は、がらんと静まり返っていた。煉瓦作りの壁面のところどころに燭台が備えられ、一定間隔で、仄かな灯りが瞬いている。屋敷の外には護衛の兵士が配置されていたが、どうやら建物の中に兵の姿はないようだ。
「最上階の西側……だったよな」
 カイジャンが仕入れてきた情報は、ウェルガの街で、フィリエの身の回りの世話をしていた侍女からのものであると言う。ウェルガでは何とかして拘束を逃れようと、建物を破壊したり剣を振り回したりしていたそうだが、最近では随分と大人しくしているらしい。カイジャンから最初にその話を聞いた時、その行動があまりにラドルフの知るフィリエらしくなく、正直、ほんのわずかばかり不安になった。よくも悪くも、フィリエは意志が強く諦めが悪い。身体の調子でも崩していなければよいのだが。
 3階だての建物の最上階まで上がった時、行く手に人の影を見つけ、二人で廊下の角に身を潜める。ラドルフの右側に身体を滑らせたカイジャンが、囁き声で問いかけてきた。
「なあ、ラドルフ。その後……お前の状態はどうなんだ?」
 打ち身と打撲は完全に癒え、骨折の治りもそう悪くない。一週間程前から様子を見つつ剣を振るい、7割方は回復したと自分でも思う。
 しかしそれでも回復しきれていない部分がある。左耳の聴力は未だ失くしたままだし、はじめはさほど気にならなかった目の霞みもだんだんと進行している。誤魔化しはきかない。長年連れ添ってきた呪いの症状が、もはやどうしようもないほどに、ラドルフの肉体を蝕み始めている。
「ああ、怪我の方はもうほとんど問題ないが……」
 言葉を探しあぐねた時、手に荷物を持った使用人らしき人影が2人、廊下の先を話しながら歩き去って行った。大柄な男が二人、肩や足の一部は物陰からはみ出していたはずだが、どうやら気づかれずに済んだらしい。
 いつまでもここでぐずぐずしているわけにはいかない。慎重に周囲をうかがい、最西の部屋の扉までたどり着く。カイジャンが仕入れた情報に誤りがなければ、この部屋に現在、シルヴィア王国の王女が滞在している。



 扉を開け、最初に感じたのは強烈な芳香だった。
 野山を咲き乱れる花の香とは違う。人工的に焚き染められた香の匂いだ。香炉もないのに一体、どこから漂って来るのか。鼻どころか脳髄にまで達する強い香に口と鼻を袖口で覆った時、ラドルフの脇で、カイジャンが露骨に顔を歪めた。
「うげ、何なんだよ。この匂い」
 闖入者によって開かれた扉から、逃げ道を見つけた香が流れ出して行く。まさか侵入者の有無を匂いで判断しているわけでもあるまいが、ここは少し急いだ方がよさそうだ。足音を殺して毛足の長い絨毯を踏み締める。天蓋付きの寝台の脇には曇一つない大きな鏡台、壁には色とりどりの絵画が飾られ、窓の手摺にまで透かし彫りを施された豪奢な部屋だ。薄暗い部屋はひっそりと物音一つしないが、寝台に垂れ下った帳の内側には、確かに人の気配があった。
「フィリエ?いるのか?――俺だ」
 女の寝室に許可もなく忍び込んだラドルフとカイジャンは、傍から見れば完全な犯罪者に他ならない。不完全な婚姻証明書など、何の免罪符にもならないだろう。彼女が今、大声で騒ぎ出したなら、彼らはロルカ国の法に則り、車裂きの刑か縛り首で公開処刑となる。
 胸の内で鼓動が早くなる。こんなに緊張したのは、まだローデシアにいた頃、はじめて戦場に立った時以来かもしれない。震える手を意志の力で押し殺し、ラドルフは言葉を失った。
「え……?これって、フィリエちゃん……?」
 いったいどういう仕組みなのか。豪奢な天蓋付きの寝台には、色とりどりの花が咲き乱れていた。つつじもあればコスモスも薔薇も桔梗まである。季節感も何もかも無視した花の褥――棺の中で、栗色の髪を波打たせた少女が横たわっている。裾に宝石を散りばめたドレスに身を包み、素肌が見えないほどに丹念に化粧を施したその姿は、どこか人形めいて見える。
 カイジャンが素っ頓狂な声を上げたのも無理はない。フィリエをよく見慣れているはずのラドルフでさえ、そこにいる人形の正体が、一瞬、わからなかったのだから。
 ラドルフと行動を共にしていた頃、たまに唇に紅を引くくらいで、フィリエはほとんど化粧をしていなかった。よく見れば左頬にそばかすがいくつか散っていて、本人はそれを気にしているようだったが、特徴があってよいではないかと言ってやると、頬を染めて微笑んでいた。
 しかし今、朱色に塗りたくられた唇からは呼吸の音が零れるだけで、とてもよく聞き慣れた、耳に心地好いあの声が聞こえることはなかった。ぶしつけに女の寝室に踏み込んできた男を見つけて咎める立てることもなければ、無理やり引き離された夫との再会に頬を染めることもない。
「……フィリエ?」
 咄嗟に掴んで持ち上げた小さな手には、命あるものの温もりが確かにあった。感じられた暖かさにほっとしたのも柄の間、そこに持ち主たる人間の意志が欠けていることに気づいてぞっとする。ラドルフが手を離すと、白い手は重力に引き寄せられるままにシーツの上に落下した。
「フィリエ、お前……」
 かつて、これに近い状態の人間に出会ってことがある。ラドルフの生国であるローデシア選王国で、呪術をもちいて作られる傀儡だ。自我のないただ操られるだけの人形。
 横たわったまま。されるがまま。ただ人形のように瞳を見開いて――その瞳は、何も映し出してはいなかった。






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