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月の宝珠
章 鍵を探して〜


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 ロルカ国王都グラノスは、酒蔵が立ち並び、商人が卸しに小売りに商いを張る界隈と、王国貴族の住居が軒を連ねる界隈とで成り立っている。
 人ごみの喧騒を背に、大きな樽を乗せた商船が幾艘も行き交うイリン川を渡り、最初の角を折れると、石造りの長い塀が続いている。貴族の屋敷が連なる界隈の一角、勝手口と思われる木の扉から外に出て来た女に向けて、カイジャンは掌を振り上げた。
「――久し振りだな、元気にしてた?」
 カイジャンの言葉に目を見開いたのは、以前、ウェルガの街でシルヴィア王女の身の回りの世話を焼いていた四十代の侍女だ。元々はロルカの下級兵士の妻で、夫が先の戦争で死亡した後、陰険な舅姑に婚家を追い出された。腹を痛めて産んだ子供を二人、姑に奪われて家を出るしかなかったと聞いた時には、本気で彼女の運命に腹を立てたものだ。
「――まあ、カイジャン。あなたは解雇されたと聞いたわ。どうしてこんなところに?」
「野暮用でグラノスに来たんで、寄ってみたんだ。元気そうでよかった」
 どうやら買い物にでるところであったらしい。さり気無く近寄って、女の持っていた籠をかわりに持ってやる。
 人は彼を蜜蜂だの女たらしだのと言うが、カイジャンは自分ほど女性を大切にしている男はいないと思っている。柔らかく、優しくて甘やかで――そして強かな彼女達には、いつでも幸せに笑っていてもらいたい。それが自分に係わりがあっても、なくてもだ。
「ところで、最近、あのじゃじゃ馬姫様の様子はどうなんだい?まだ、ここで姫様の面倒を見てるんだろ?」
 数年前までは戦争をしていた相手と、さすがにすぐに婚礼と言うわけにもいかなかったのか。密かにウェルガの街を出立した後、王都に入ったシルヴィア王女は、ロルカ国内の親シルヴィア派の貴族の屋敷に滞在していた。この事実を調べ上げるためだけに、半月近い日数を要したが、まだ王宮に入っていないだけ、こちらにもつきがあると言えよう。
 肩を寄せて笑いかけるカイジャンに、女は露骨に渋い顔をした。もっとも、彼女とて本気で不快に思っているわけではない。だったらとっくに走って逃げ出している。こんな裏側の見えているトランプゲームをしているような男女のやり取りが、カイジャンは嫌いではない。
「やっぱり、あなたは姫様に気があったのね?夜更けに、姫様の部屋の鍵を開けて置くようになんて、怪しいと思っていたのよ」
「まさか。おれはあんな生意気な小娘はごめんだよ。おかげで仕事もクビになったしさ」
 カイジャンの手に奪われた買い物籠を取り上げて、年嵩の侍女が舗装された道を行く。未だ渋い顔をしているが、感触はそう悪くない。女は男よりよほど割り切りの早い生き物だから、本当に気に添わない相手ならばこんな風に肩を並べて歩みはしないものだ。
「もうすぐ嫁がれるという自覚もおできになったのでしょう。最近は大人しくなさってますよ。ほとんど部屋からお出にもなりません」
 ――ほとんど部屋から出ずに、大人しく。
 それはカイジャンの知るフィリエの特性に、もっとも当てはまらない行動だった。彼女のことだから、てっきりここでも脱出を試みて、剣を振り回したり、建物を破壊したりしているものだと思い込んでいた。
 女は男よりはるかに割り切りが早い。先ほど己の胸の内を過ぎった思考回路が巡り巡ってカイジャンの脳裏を強かに打ち据える。フィリエがロルカ王との婚姻を拒んだのは、彼女に想う男がいたからだ。まさかとは思うが……。
 ――まさか、心変わりした、なんてことはないだろうな。
 先ほど背を向けて遠ざかった喧騒が、今度は前方から少しずつ近づいて来る。この上なく不吉な想像を胸の内に淀ませながら、カイジャンは真夏の太陽を弾いて光り輝く、イリン川の水面を見た。



 グラノスの貴族の屋敷から、囚われの姫君を奪い返す。それがカイジャン達叛乱組織の当面の目的である。
 と、口で言うのは簡単だが、実際はそう易々と進む話ではない。王侯貴族の屋敷が一所にまとまっているのは、警備の都合上であり、界隈には正規軍の詰め所が2箇所もある。貴族が自前で雇っている護衛達もまた厄介で、最近、グラノスの治安が乱れていることもあり、貴族達は腕の立つ護衛を数多く抱え込んでいる。寄せ集めの叛乱組織の人間が、そう簡単に踏み込める場所ではないのだ。
「いやむしろ、騒ぎが大きくなればなるほど、こちらにとっては都合が良い」
 顔の半分が焼け爛れた男は、カイジャンが仕入れて来た屋敷内の見取り図を前に、そう言い切った。
 ――少し時間をくれないか。もしお前達と道が分かれたとしても、このことは誰にも話はしない。
 一晩の間に、ラドルフの心境にどのような変化があったのかはわからない。しかし翌朝、宿屋を訪れたカイジャンと双子に、ラドルフは全面的な協力を申し出た。身体が完全に動かなくとも、この男の実戦経験と頭脳は貴重だ。シルヴィア王女が惚れている男だというだけで、利用価値はある。
「未だにロルカ王とシルヴィア王女の婚姻が発表されないのは、ロルカ国内の反シルヴィア派を考えてのことだろう。今、騒ぎ立てられるのはあちらにとって都合が悪いはずだ」
「となると、おれ達がフィリエちゃんを取り返したとしても、正々堂々正規軍を向けてくることはない……ということか」
 ウェルガだけではなく、このグラノスにもカイジャン達叛乱組織に与する人間はいる。今、彼らが滞在しているのもそんな反体制派貴族の別邸の一つだ。グラノスの屋敷街ではなく、王都の外れにある。
「というより、今のロルカ王が軍を掌握している可能性は低いでしょう。――今のロルカ王にとって、軍は敵だ」
 冷静にそう告げたのは、同じ顔をした少年の片割れ――イキシスである。そのすぐ隣ではロキシスが黙ってこくこくと頷いている。
 この双子はエリトリア共和国の生まれで、ロルカ国の裏町で辻占いをしていたところを通りかかって親しくなった。エリトリアの一部とロルカの田舎はいまだに迷信が深い。双子は縁起が悪いと親に捨てられ、それ以来、誰にも頼らずに二人きりで生きてきたという。
 ディラン1世が王子時代、先代の王マルコ3世を推すロルカ・シルヴィア軍と戦ったのはほんの数年前のことだ。実際にシルヴィア軍の一端を率いてロルカ軍を撃破したラドルフだけではなく、両国の民にとっても記憶に新しい。
「――と、いうことはだ」
 人の寝静まった深夜、蝋燭の灯りを頼りに見取り図を広げていたカイジャンは、振り返ってラドルフと見た。壁にもたれかかって腕を組み、表情の見えない友人に向かい、あえて軽薄に笑いかけてやる。
「後は夫婦の問題だな」
「……?」
「親兄弟の反対なんざ、珍しい話じゃない。何、子供ができれば、どんな親だって結婚を認めるものだ」
「あのな……」
 馴れ馴れしく肩に手を置くカイジャンに、ラドルフは露骨に渋い顔をした。傭兵仲間にも妻帯者はおり、厳格な親に傭兵風情に娘はやれない……と反対されるのも珍しい話ではない。だがまさか、この男相手にこんなからかい方ができる日が来るとは思ってもみなかった。
「おれ達に協力してくれるんだろ?お前とフィリエちゃんが一生睦まじく暮らしてくれるのが、正直、一番の協力なんだ」
 ラドルフがカイジャンに協力するのは、あくまでもシルヴィア王女の奪回までであり、その先まで手を借りるつもりはない。シルヴィア王国のロルカ国への介入さえ止められれば、当座の目的は果たされる。
 カイジャンの手を払いのけながら、ラドルフが小さく呟く。
「……そう簡単に行けば苦労するか」
 彼らが計画するシルヴィア王女奪還まで、後3日を切っていた。






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