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月の宝珠
章 鍵を探して〜


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 ――国を治めるのは王でしかあり得ない。共和政など、単なる衆愚の集まりだ。
 祖父はエリトリアの革命で、国を追われた貴族の一人だった。
 今からおおよそ50年程前、エリトリアで起こった革命は『無血革命』と呼ばれている。
 国王による長年の圧政に耐えかねた民が立ち上がり、国王を退け、王政を廃止した。内乱の最中、王位を継いだ王太子は叛乱組織に自ら退位を申し出て、妻子と共に国を後にした。
 それでも最初の十数年は、王政復古を目指す国内の貴族と、民政派との間で内乱が耐えなかったと言う。当の国王が退位して国外にいるというのに王政復古もあったものではないが、数度の戦と粛清の後、エリトリア国内の王政派は一掃される。
 ――よいか、カイジャン。我が国を治めるのは我らが陛下のみ。お前は王の騎士として、陛下に国をお返しするのだ。その為に命を惜しんではならん。
 阿呆らしいにも程がある……と思ったものだ。
 王位を退いた元国王はロルカ国内で悠々自適の隠居生活を送り、エリトリアは共和国として安定した発展を遂げている。ロルカ国に逃げ出した亡命貴族は地位と土地を失い、持って出た金もいずれはなくなる。後先短い本人はともかく、子供や孫にとってはたまったものではない。
 最後まで現実を見ようとしなかった祖父の死後、家を出て雇われの傭兵となったカイジャンを、両親は死んだ者として扱っている。祖父から貴族の誇りだけを受け継いだ父と、同じく亡命貴族の血を引く母親にとって、傭兵となった息子はこの世から消えた。
 そんなカイジャンが、生まれ育ったロルカ国に拠点を置くことになったのは、傭兵生活の中で、ロルカ国の半王政派と繋がりが出来た為だった。
 先々代の王の病没後の内紛、シルヴィア王国との戦争から先王の暗殺を経て、ロルカ国の内政は乱れ、現王家に対する民の不満は大きく膨れ上がっている。ロルカ国西部を拠点とする叛乱組織の中で、いつしかカイジャンは中心的役割を担うようになっていた。



「正直なところ、今のおれ達にはシルヴィア王国を相手にする力はない。もっともシルヴィアとしても、ロルカ王が娘婿でなければ、ロルカ国の内政にまで干渉する大義名分を失う。――おれ達は目的を果たし、お前はフィリエちゃんを取り戻す。悪い話ではないはずだ」
 カイジャンが語り終えるまで、ラドルフは身じろぎ一つせずに聞いていた。長い物語を終えたカイジャンに、双子の一人が湯のみに入った水を差し出してくる。ありがたく喉を鳴らして頂戴し、カイジャンは友人の顔を見つめた。
 自分が国を追われた経緯が経緯だけに、ラドルフが国や政治に係わりたがらないことはよく知っている。その男が惚れた女がよりにもよって大国の王女だったといのは皮肉な話だが、彼にとっても決して損になる話ではない。一国の王宮に囚われた最愛の妻を取り戻すには、ラドルフだって手が多い方がよいに決まっている。
 窓の外から潮騒と夏虫の声が聞こえてくる。カイジャンの視線を受け止めたまま、ラドルフはしばらく言葉を返さなかった。しばし無言が続いた後、小さく、ふ、と息を吐き出す。
「カイジャン、お前には借りがあるからな。――お前に嘘はつきたくない」
「ラドルフ?」
「多分、お前が考えている程、今の俺は使い物にならない」
 言われた言葉の意味がわからずに、カイジャンは目を瞬く。一月程前に負った怪我は大怪我ではあったが、打撲の傷も大分癒え、骨折は固定さえしていればいずれは治る。ラドルフほどの使い手ならば、もう数ヶ月あれば今まで通りに剣を振るえるようになるだろう。
 カイジャンの動揺が伝わったのだろう。ラドルフが掌を持ち上げた先は自身の耳――呪いによって焼けて爛れた左耳だった。
「聞こえてないんだ。左側が」
「お前……」
「前から、高い音と低い音は聞き取りにくかったが、今はもうほとんど何も聞こえない。……最近では、たまに目まで霞む」
 だからあの日、足場の崩落に気がつくのが一瞬、遅れた。それが東大陸に戻って来た本当の理由だと、語る表情は苦しげだった。
「フィリエちゃんは知ってるのかよ、それ」
「呪いの症状が酷くなっていることは話した。ただ、具体的なことまでは言っていない」
 どうにも隠し切れなくなった時には、話すしかないと思っていた。それでどう考えるかは彼女自身の判断だ。消せぬ呪いを抱え、この先どうなるかわからない男と共にいるか――国に戻って父や兄の庇護を受けるか。
「雑兵の一人や二人を蹴散らすくらいはできるだろうけどな。少し時間をくれないか。もしお前達と道が分かれたとしても、このことは誰にも話はしない」
 正直に言うならば、今のカイジャンにとってシルヴィア王女とロルカ王の婚姻を阻止することこそが最重要課題であり、例え戦力とならなくとも、ラドルフがフィリエの惚れている男であるというだけで、充分利用価値はある。いや、何よりもそれ以上に――
「ラドルフ、これだけは言っておく。フィリエちゃんは、お前のところに戻りたがってたぜ。それだけは信じてやれよ」
 応えはない。ただ黙って瞼を押し伏せた友人の目の中にある暗闇が、カイジャンには悲しかった。
 


 ――フィリエちゃんは、前のところに戻りたがってたぜ。
 カイジャンと双子が退出した後、誰も居なくなった部屋の片隅で、ラドルフは薄闇を見る。
 今ある部屋はウェルガの街にやってきた時にとった二人部屋、フィリエの着替えや荷物は残ったままで、あの日以来一度も使っていない寝台上の夜具は、皺一つなく整えられている。
 もっとも寝台に関しては、彼女が居るときから使われないことも多かった。肌を重ねる時もそうでない時も、いつしか同じ寝床で眠ることが彼らにとって当たり前になっていた。
 フィリエと引き離されてからのこの1ヶ月、ラドルフの心は不思議な程に凪いでいた。かつては彼女を失うことが何よりも恐ろしかった。過ごした時間は暖かくて柔らかく、いつかこれを失う時が来るのかと思うと、どうしてもあの生ぬるい幸福に浸り切ることができなかった。
 これがいつぞやのように、得たいの知れない人間に攫われたとでもいうのなら、何が何でも取り戻しに向かうだろう。だが今、フィリエを迎えに来たのは血を分けた兄なのだ。フィリエは父と兄を愛していた。彼らの側も、ももちろん、彼らの姫君を心から愛していることだろう。
 そうしていずれ、ラドルフを忘れる。ラドルフに向けてくれた心は別の誰かのものになり、あの弾んだ声で誰かの名前を呼んで、誰かの胸に顔を埋めて眠るようになる。
 閉ざした瞼の上に掌を重ね、小さく息を吐き出す。カイジャンに対して申し訳なくは思うが、明日の朝一番でこの宿を発とう。彼女と共にある為に、呪い師を探して呪いを解こうとしていたが、フィリエがいないのなら、そんなことはどうでもいい。この先はどこで野垂れ死のうが、もう知ったものか。
 ――ラドルフさん!
 布団も被らず夜具の上に仰向けになって、それでも少しは眠ったらしい。誰かに名を呼ばれたような気がして、ラドルフはその場に起き上がった。そういえば先ほども、誰かに呼ばれた気がして目が覚めた。しかしこの異国の町で、ラドルフの名を知っている人間など、数えるだけしかいない。
 咄嗟に開け放った窓の向こうでは、半分に割れた月が煌々と輝き、庭木の緑は夜の中にひっそりと静まっている。宿の門構えから続く人通りのない路地裏の一角に光るものを見つけ、後先を考えず部屋を飛び出していた。
 宿屋街の一角、滞在している宿から徒歩でも5分はかからない場所に、月明かりを受け、光り輝くものが転がっている。鞘に繊細な細工を施した――細身で軽量化された、しかし限りなく実用的な長剣は、ラドルフにとってはよく見慣れたものだ。
「これは……」
 思わず周囲を仰ぎ見る。大勢の旅人に踏み固められた地面には誰の足音も――何の気配も感じられない。だけど見間違うはずもない。これはフィリエの長剣だ。これがここにあるということは、彼女はこの場所までやって来たのだ。徒歩で5分、走って3分――声を張り上げれば届く程度の距離に、彼女はいた。
 ――フィリエちゃんはお前のところに戻りたがってたぜ。それだけは信じてやれよ。
「畜生……」
 いつだって、失うことを覚悟していた。悟ったふりをして自分に言い聞かせていなければ、手を伸ばすことさえできなかった。
 もしもラドルフがきちんと耳を済ませてさえいたならば。彼の名を呼ぶフィリエの声に、応えてやることができただろうか。
 駄目だ。失う覚悟など、どうあってもまやかしだ。どうしても、どうしても諦められない。――あれを失うのだけは、どうしても嫌だ。
 顔を上げたラドルフの視線の先、遠くの水平線が茜色に染まって、海辺の町に朝の気配が漂いはじめていた。もう半刻もたたないうちに朝陽が昇り、今日もまた暑くなりそうだ。
 手の中の剣をきつく握り締め、覚悟を決める。
 手放す覚悟ではなく――戦う覚悟を。






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