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月の宝珠
第一章 再会〜


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 1
「西大陸の戦争の話は、こっちにも伝わってはいたが。――まさかお前がそれに係わっていたとはなぁ、ラドルフ」
 その男と再会したのは、ロルカ国北東部の港町ウェルガでのことだった。
 今年の春先に政変があって国王が交代し、ロルカ国の国政はこれまで以上に混乱している。傭兵稼業において、混乱と儲け話は同義語――東大陸に戻ってきてすぐに、心当たりを探し回ると、思っていたより簡単に旧知の男の消息は知れた。今はロルカ国の北部とエリトリア共和国の南部を拠点に、傭兵や用心棒を取りまとめる仕事をしているらしい。
 もともと面倒見が良くて、どういうわけか人好きのするタイプではある。その性質が異性に向いた場合は彼の二つ名である「蜜蜂」の習性がいかんなく発揮されるわけだが、これが同性である傭兵達の目には、頼りになる兄貴分と映るらしい。同じテーブルに年若い男――というより少年を二人、従えていた。それぞれ顔がそっくり同じところを見ると、兄弟――多分、双子だ。
 その便りになる兄貴分――カイジャンは、ほかほかと湯気を立てた珈琲茶椀を手に、ラドルフの隣席に座った人物に邪気のない笑顔を向けている。彼女にとっても彼は知己だ。そのこと自体に意を唱えるつもりはない――が。
「――綺麗になったねぇ。フィリエちゃん」
 発せられた言葉が非常に危ない発言に聞こえ、ラドルフは思わず、腕を伸ばしてフィリエを自分の身体の後ろに押しやった。この男のこういう発言をあなどってはいけない。この手の言葉に惑わされ、奴の手に落ちた女の末路を何例も知っている。
「何だよ、ラドルフ、見るくらいいだろう!減るもんでもあるまいし!」
「お前が見ると減るような気がするんだ」
「――もう!2人とも何の話をしているんですか?!」
 立ち上がったフィリエが拳でテーブルを打ち据えて、ようやく話が本題に引き戻された。彼らが今、ここで再会したのは旧交を温めるためでも、ましてや新婚の妻を見せびらかす為でも決してない
「どんな呪いでも解くことのできる、凄腕の解術(げじゅつ)師か」
「エリトリアの革命前に、王宮にいたという記載がある。革命時に国を抜け出して、以後、誰もその行方を知らない」
 ロルカ国の隣国であるエリトリア共和国で革命が起こったのは、今から50年あまり前、国を追われた人間が亡命先とするのなら、ロルカ国が第一候補であろう。北隣のローデシア選王国は、その頃まだ国の形をしていなかった。
 今でも呪術師が相応に重用されているエリトリアで、その呪術師は国王にいたく重用されていた。無論、呪術や医術の技能もあっただろうが、もっと得意としたのが解術――人にかけられた呪いを解く技術である。さすがは崩壊間近の王宮、陰謀やら権謀やらで呪われる人間がそれだけ多数いたのだろうが、ぞっとしない話ではある。
「わかった。情報があったらお前に伝える。しかしラドルフお前、大丈夫なのかよ?よりにもよって――」
 言って、声を潜めたところを見ると、一応、こちらの身の上を気遣ってくれてはいるのだろう。当然だ。よりにもよって、ロルカ国の王妃になるはずだった女を連れて、ロルカ国内に滞在しているのだから。
「ここに来る前に、ひとつ、手に入った情報があるんだ。その情報を確かめたら、エリトリアに移ろうと思っている」
 幸い、政変の影響でロルカ国中央部の目は、まだ国境間近の港町にまで向いていない。だがラドルフとしては正直なところ、あまりこの国には滞在したくないのが本音ではある。
 言い切ったところで、袖を引かれて、ラドルフは自らの手もとを見た。傍らに座ったフィリエが彼の袖を引っ張っている。
「ラドルフさん、あの……」
「ああ、もう時間か」
 ラドルフとフィリエがこの街にやってきたのは本日の午後のこと。到着の時間が予定より大幅に遅れ、宿にたどり着いた頃には、大浴場が閉鎖の時間を迎えてしまった。仕方がない、今日は身体を拭くだけで我慢しようと思ったときに、宿屋の主人が教えてくれたのだ。大浴場は定期清掃があって使えないが、家族風呂の方なら空いていると。
 到着予定が遅れたのは完全にこちら側の非であり、大浴場は使えないが家族風呂なら使えると申し出てくれたのは宿屋側の好意である。折角の好意を無にするわけにはいかない――と立ち上がった時、カイジャンが引き連れていた少年の一人が、呆けたような声を上げた。
「え?風呂に入るんですか?――まさか2人で一緒に?」
 実を言うなら、同じ部屋で休むことが当たり前になった今でも、同じ風呂で入浴というのは今回がはじめてのことだ。以前、冗談半分本気半分で誘いをかけた時に、酷く恥ずかしがって断られ、そのままになっていた。
 しかしだからと言って、何の問題がある。宿屋の主人だって、ラドルフが宿帳に「夫婦」と記帳しなければ、そんな提案はしてこなかったはずだ。
 それぞれ湯のみ茶碗を手にした少年達が口々に、赤毛の男に話しかけている。
「兄貴、これって――」
「放っておいていいんですかね。何だか、犯罪の匂いがするんですけど」
 両袖を引かれたカイジャンが困ったような笑みを浮かべ、フィリエは耳まで赤く染まって棒立ちになっている。ラドルフは拳を握り締め、腹の底から声を張り上げた。
「――この女は俺の妻だ。何か問題があるか!!」
 


 東大陸に到着したのが一昨日、それからすぐに船に乗り、ろくに陸地に寄ることもなくウェルガまでやって来た。さすがに疲れたのだろう。枕に頭を乗せるなり、寝息を立て始めたフィリエを起こさぬよう、ラドルフはそっと部屋を出た。
 一緒にいた少年達を先に帰したらしい。宿屋の一階の食堂では、赤毛の男が酒の入ったグラスを傾けている。
「――楽しかったか、夫婦風呂は」
 からかうような――というより完全なるからかい口調でそう告げると、言われた相手は露骨に渋い顔をした。つい先刻まで、無意識なのろけを散々に振りまいてくれいたのだから、これくらいの仕返しはさせてもらいたいものだ。
 渋い顔をしたまま隣に座った友人に、自分が飲んでいたのと同じ飴色の液体を注いでやる。最後に会ったのは、ロルカ国の山中で、その後にこの男が何を仕出かしたかは、カイジャンもよく知っている。その後すぐに西大陸に渡ったらしいとは聞いていたが、恐らく二度と会うことはないだろうと思っていた。
「また、お前やフィリエちゃんに会えて嬉しいよ」
 カイジャンがウェルガの街を根城にしてから半年近く、ラドルフの名前を聞いた時には正直驚いた。いつの間に東大陸に戻ってきていたのかという驚きが一つ、もう一つは、戻ってきてすぐに、ラドルフが自分を探してくれたことに。
「おれもこの辺では結構顔が広くなったからな。エリトリアの革命時に亡命してきた集落なんかに当たってみる。何かの手がかりくらいは見つかるはずだ」
「……恩に着る」
「何なんだ、やぶから棒に。お前の為にするんじゃない。お前が本気で呪いを解く気になったのはフィリエちゃんの為だろう?」
 むさくるしい傭兵仲間の男のためではない。可愛らしい元王女様の為に骨を折るのだと。冗談めかした言葉に返ってきたのは、思いも寄らず真摯な台詞だった。
「カイジャン、本当にお前には感謝しているんだ。……お前は、俺を生かそうとしてくれた」
 何の話をしているのかは、すぐにわかった。ラドルフが故郷を追われた直後の話だ。給金の一か月分をまるまる使い切ってどこかから買い求めてきた劇薬をどぶに捨てたこともあれば、高い所に登ろうとしている時に、足払いをかけて転ばせてやったこともある。どうぜ死ねないのだから放って置いてもよさそうなものだが、カイジャンとしてはそれなりに見知った知己が、物騒なことばかりしているのを放置しているのは寝覚めが悪かった。そんなことを続けて、何かの拍子に運よく死なれでもしたらもっと寝覚めが悪いので、あの頃は根気を据えてひたすら邪魔をし続けたものだ。
 ラドルフもまた、その頃のことを思い出しているのだろう。焼け爛れた左手の内側で、グラスの氷がゆらりと揺れる。
 別段、感謝されたくてやったわけではないので、そんな言葉を望んでいたわけではない。だがこれまでのそれなりに長い付き合いの中で、ラドルフが当時のことを口に出したのはこれが初めてのことだ。
 酒の入ったグラスを傾けながら、煤で汚れた天井を見る。本来ならば決して手に入らないはずの好いた女を手に入れて、身も心もめでたく夫婦となった。カイジャンには経験がないが、普通に考えて、今が一番幸せな時だろう。生かそうとしてくれたことを感謝しているという台詞は、今が幸せでなければ決して出てくることはない言葉だ。
 それなのに今、その言葉がやけに不吉に――まるで死地に赴く直前の兵士の台詞に聞こえるのは何故なのだろう。
「なあ、ラドルフ、お前……今、幸せか?」
 思わず眉をゆがめたカイジャンの言葉に、ラドルフは虚を突かれたように彼を見た。片側の頬を軽く持ち上げ、笑みの形を形作る。
「――ああ、まあな」
 ただ寝覚めが悪かっただけではない。恩義と友誼――好意がなければ、あれほど根気よく邪魔だてなんかしなかっただろう。友達が幸せであることは嬉しい。しかし今、この上なく喜ばしいはずの呟きは、酒場のざわめきの中でかき消され、あっという間に消えてなくなった。




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