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月の宝珠
第六章 それぞれの戦い〜


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 3
 川の向こうに敵軍の姿が見え始めたのは、西南の砦に到着して3日目の朝のことだった。
 鈍い響きが地鳴りのように鳴り響いたかと思うと、旗指物を持った先頭部隊があっという間に川べりに集まった。どこかから船を調達しようとしているのだろうが、待ちきれずに馬や泳ぎで川を渡ろうとしている者もいる。
 兵の数はざっと見たところで2千あまり。対する景側は、景国軍と延国から借り受けた兵を合わせても、精々5百程度でしかない。醒国の正規軍の他に、景国に反感を持つ卑族の部隊が相当数混ざっているようだが、先の戦いが終結してからまだ1年も経過していないというのに、わずかそれだけの期間で、卑族を手なずけ、景国を追い詰めるところまで兵力を整えた醒の王弟とは、恐らく今後何度も戦うことになるだろうと、浩漢は思う。
 かつての王城から見下ろす遼国の王都は廃墟と化し、わずかばかり残った民家にも商店にも人は住んでいない。渡河を終えた醒国軍はそれらすべてを破壊しながら進んで行く。川べりから始まり、じわじわと大地を侵食するその様はまるで、堤防を破って溢れ出た黒い水のようだ。
「――開門!」
 黒い水が城下を飲みつくす直前、浩漢は腹の底から声を張り上げた。背後に控えた兵士の何人もが駆け出して行く。
 浩漢が立っている見張り台のすぐ下で、馬の嘶きが響いた。勇ましく法螺の音を響かせ城砦から走り出したのは、わずか10騎あまりの騎馬部隊だった。



 ひたひたと迫り来る大軍にわずか10騎あまりで突撃するという、無謀きわまりない先行部隊。その先陣を切ったのはラドルフと迅雷――後に続くのはラドルフと浩漢が選りすぐったいずれ劣らぬ景国きっての使い手達だ。
 飛び交う矢は剣で叩き落し、歩兵が振り上げた槍は盾で防いで、逆に相手の喉笛を掻き切る。
 全員が戦場経験豊富な人間で、そして今回は浩漢の発案により、それぞれが2人1組の対になっている。相方がいれば攻撃と守りを分担できるし、相手に無様な姿を見せまいと思えば、人は実力以上の働きをするものだ。
 突然の開門と突撃に、醒国軍が色めきだった。四方からじわじわと攻め入る城攻めの隊形が崩れて、わずか10騎の先行部隊を全軍で追いかける形となる。前後左右を敵に囲まれ、しかしながら5組10人の先行部隊はここに至るまで、一人もかけてはいなかった。
「……なかなかやるな」
 ラドルフのすぐ横を疾走する迅雷の槍使いは、騎乗していても速度が落ちるということがなかった。馬の扱いも並外れている。浩漢の目に狂いはなかった。一応、ラドルフは迅雷と対になって守りを引き受けていたのだが、ほとんどラドルフの手は借りずに、確実に敵を仕留めて行っている。
 たった10人で何人もの――否、何十人もの人間を血祭りに上げただろう。ひたすら馬を走らせ、目の前に黒い流れを見る。つい先ほど、醒国軍が越えてきた紅河の支流――体力を限界まで使い切った彼らには、最早この川を越えるだけの余力はない。
 敵軍の放った矢の一つが、迅雷の馬に命中した。栗毛馬がもんどり打って横倒しになる。受身を取りながら川辺の茂みに落下した迅雷の後を追い、ラドルフも馬を捨てて茂みの中に飛び込んだ。
「――行け!今だ!!」
 その瞬間、川べりの茂みの中から数多の兵士が飛び出した。枯れた茂みで息を潜めて醒国の渡河作戦を見守っていた、景国の兵士達である。
 迅雷やラドルフ同様、体力を限界まで使い切った突撃部隊の面々が、次々と転がり込んでくる。頬や額に汗を浮かべ、ところどころに傷を負っているが、一人として欠けてはいない。それぞれの男達の顔には、果たすべき役割を果たした充足感で満ちていた。



 ――まずは10騎あまりで、攻め手の軍勢をかく乱する。
 戦闘前夜、集められた兵士達に向かって、ラドルフはこの作戦の全容を説明した。
「目的はあくまでかく乱だ。敵を殺すことは考えなくていい。自分達が生き延びることだけ考えろ。それにこの作戦の成否がかかっている」
 突撃部隊が敵を引き寄せて戦っている間中、川辺に布陣された兵士達はただひたすら待ち続けた。目の前ですべての醒国軍が上陸するのを息を殺して待ち続けるのは、相当な忍耐を強いられたことだろう。彼らの中には先の戦いで、醒国軍に仲間を殺された者も多数いる。
 唇をかみ締め耐え忍んだ彼らが満をじして立ち上がった時、醒国軍の戦闘体系は完全に崩れ去っていた。冷静に考えたならば、景側が忍ばせておいた伏兵であることくらいわかりそうなものだが、そこが即席連合部隊の弱さ、既に河のこちらは醒国の勢力圏と思っていただけに、
「――引くな!引くなというのが聞こえんのか!!」
 指揮官が声を枯らして叫んでも、辺りは我先に川を渡ろうとする兵士達の怒号や叫びで満ちた。
 そこに再び法螺の音が響く。城門が再び開かれ、浩漢が率いる本隊――景・延連合部隊が勢い勇んで砦を飛び出す頃には、形勢は完全に逆転していた。
 


 作戦の成功を、ラドルフは整わぬ息の下、背の高い葦の茂みの中で確信した。
 飛び込んだ時に擦り剥いたらしい。額からは血液混じりの汗が滴り落ち、右足と左腕に痛みはあったが深手ではない。剣を支えに身を起こし、冷静に自身と周囲の状況を確認する。
 一人として欠けることなく、役目を果たしきった彼らではあるが、まだまだ休んでいられる状況ではない。もっとも彼らに戦うだけの体力は既にないので、後は隠しておいた旗指物を振り上げて大声でわめきたて、自軍を多勢に見せかけるくらいしかない。
 最後の一仕事の為、皮袋の水を口に含んで立ち上がろうとした時、すぐ傍らで呻く声がした。
「くっ……」
「――おい、どうした?」
 どうやら落馬した時に足をやられたらしい。つい先ほど、ラドルフが目を見張る程の戦いを見せた男――迅雷が足を押さえて呻いている。
 馬に矢を射掛けられ、想定外の形で落馬していたことは知っていた。受身を取っていたように見えていたのだが、迅雷程の男であっても、今回の戦いは体力的に厳しかったのかもしれない。
「立てるか?」
 差し伸べようとした、その掌が打ち払われた。土と汗に塗れて膝を抱えた男が、ほとんど憎悪にも近い眼差しで、共に戦ったはずの男を見据えている。
「――誰が貴様の手など借りるか!!」
 どうして今この状況でそういった思考ができるのか。呆れかえったラドルフは無言で迅雷の肩を掴んで抱え上げた。どうやら足の筋をやられたようだが、この程度ならば旗指物を振り上げるくらいのことはできるだろう。
「……傭兵なんぞの手を借りて生き延びるくらいならば……」
 半ば強制的に肩を貸し、よろめきながら2、3歩歩いた時、不穏な台詞を耳元で聞く。ラドルフの肩を支えとしながら、もう片方の手で、迅雷は血塗られた刃を半ばまで引き抜いていた。刃こぼれはしてもいまだ殺傷能力に満ちたその切っ先を、自身の首筋に押し当てようとしている。
「――このど阿呆が!」
 考える前に体が動いた。気づいた時には拳を振り上げて、目の前の男を強かに打ち据えていた。
 まさか戦場のど真ん中で、味方の男から拳で打たれるとは思わなかったのだろう。若い男の目が驚愕に見開かれる。
「誰が貴様なんぞの命を惜しむか!俺は俺の命が惜しいだけだ!」
 迅雷を欠けばラドルフの対となる人間がなくなる。それはラドルフ自身の命の危険に直結する。
 必ず帰る――とは約束できなかった。
 それでもあの日の約束は、今もなお胸の内にある。
「貴様が死ぬのは勝手だが、俺はこんなところで死ぬ気はない。――帰りを待っている人間がいるからな」
 唖然として、最早死ぬ気もなくなったらしい男に向け、川辺に隠してあった旗指物の一つを投げつける。形勢は景国側に傾いているとはいえ、ここは戦場だ。本隊に合流して砦に帰り着くまでは、気を抜くことなど許されない。
「生きて帰るぞ。俺も、貴様もな」
 血塗られた手が、そろそろと剣を掴む。刃を剣に収めきった刹那、迅雷の顔に本来の武人らしい険しさが戻った。
「――気をつけろ!後ろだ!」
 途端、身体に鈍い衝撃を感じ、ラドルフはその場に膝を折った。肩越しに振り返った自分の背中から、矢の先端が生え出している。
「っ……」
 声にならない声が喉奥を掠めて消えた。川辺の湿った土に黒い血が滴り落ちて行く。





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