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月の宝珠
第六章 それぞれの戦い〜


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 安閑の街長は、この地方を治める郷士達が持ち回りで務める。突然の来訪に、大慌てで街外れの砦にやって来たのは、まだ三十代の若い街長だった。前の街長が病で急死し、急遽息子がその後を継いだものであるらしい。だからというわけでもあるまいが、薄い肩といい、やや女性的な顔立ちといい、どうにも頼りない印象がある。
「わざわざお越しいただかなくとも、こちらから出向きましたものを。して、醒国王宮の御方が、何故、このような辺境に?」
 街長が手ずから淹れた茶を飲み干し、長衣の男――遠尚は悠然と答えない。砦内の広間で繰り広げられている街長と客人のやりとりを、フィリエと小麗はうっすらと開いた扉の隙間から覗き見ていた。はっきり言って、盗み聞き――東西大陸の大国の姫君がすることではない。
 延国は通商を通じて醒国とも景国とも繋がりがあり、これまでずっとどちらにも汲みしない方針を貫いてきた。先の戦争においても、延国は基本中立である。浩漢が借りうけた兵士にしても建前上は街長の私兵だ。
 延国の兵と軍備を借り受けた時点で、醒国が延国に対してもの申してくることは、浩漢もラドルフも――フィリエだって予測していた。だからこそ小麗とフィリエは安閑に残ったわけだが、これは想像より相手の出方が早い。安閑から西南の砦に兵が向かったことが醒国に知れるまでにまでには、もうすこし日数がかかると思っていた。
「一昨日の朝、この街から兵が出立したのは紛れもない事実」
「それは……」
「此度の一件について、延は景についたと考えてよろしいのか」
「――いえ、決してそのような!」
 詰問を受けた女顔の街長が、椅子を蹴って席を立つ。派兵は山岳部で暴れている卑族討伐の為であって、醒国に相反する意図などまったくない。あらかじめ取り決めてあった口上を必死でまくしたてているが、形勢は甚だしく不利だ。
 わずかな扉の隙間から二人で覗きこんでいるので、客人の姿は背中しか見えない。白いものが入り混じった弁髪を見つめながら、フィリエは小麗に向き直った。
「小麗、どう?心当たりはある?」
「多分……叔父上のところの家令じゃ。前に王宮で会ったことがある」
 内紛にまで発展した王位継承争いの後、即位した現在の醒王――小麗の父は病弱で、即位当初は義母である王太后が政務を代行し、現在は腹違いの弟である親王が政務のほとんどを引き受けている。とはいえ醒王宮では依然として王太后が絶大な権力を持っており、先の戦で和睦を推進したのは王太后派の宰相だった。
 今回の一方的な和睦破棄により、王太后派はいわば面目丸つぶれとなった。親王派はこのまま一気に王宮の権力を掌握するつもりでいるらしい。
「それでは、貴国の兵を借り受けることを了承いただけるな?この安閑から西南の砦までは二日程度。二日あれば彼奴らを挟み打つこともできる」
「そ、それは……」
 実際問題として、現在の西南の砦には、延国の兵士が多数滞在しており、安閑から砦に向けて補給も行っている。現在の西南の砦にとって最も恐ろしいのは、延国が完全に醒国側に着くことだ。それだけは何としても避けなければならない。
 細く開いた扉の向こうで、小麗とフィリエは顔を見合わせる。
 唇を振るわせた街長が応えるより早く、少女の足が動いた。けたたましい音を立てて扉が開く。長衣の男と街長と黒装束の視線が、小麗に向けていっせいに集まった。
「おいおい、どこの小娘だ。部屋を間違えておるぞ、ほら、さっさと戻れ」
 黒装束の男の一人が、馬鹿にしたように腕を伸ばしてくる。ぶしつけな手を跳ね除けて、醒国公主は声高にのたまった。
「――無礼な!そなたら、私の顔を見忘れたのか!?」
 澄んだ声が四方の壁に跳ね返る。弾かれたような腕を引いた黒装束の男の口から、擦れた言の葉が漏れた。
「……どうして、公主がここに」
 さすがに行方知れずの公主がこんなところで、こんな形で登場するとは思っていなかったのだろう。長衣の男の顔に、一瞬、酷く苦々しげな色が浮かびあがった
 実際のところ、醒国は既に公主の存在をないものとして扱っており、彼らにはここで小麗を切り捨てるという選択もなくはない。だが、長衣の男はともかく、小麗を公主と認めたことで、黒装束の側に動揺が激しい。彼らに戦意がないことを見て取って、フィリエは剣の柄から手を離した。
 ――場合によっては、醒国は公主を消しにくるかもしれない。
 出立前夜、この広間で、浩漢はフィリエとラドルフにそう告げた。
 そもそも浩漢がフィリエを公主の護衛に選んだのは、醒国から公主に付き従ってきた護衛や側仕えの女を完全に信用しきれなかった所為だ。
 側に置くのを、醒国とも景国とも因果関係のない東大陸の人間とすることで、浩漢はこれまで小麗を守ってきた。彼女の生命も――そして多分、心も。
「国に帰って叔父上に伝えるが良い。醒国公主は景王に嫁ぐ。和睦は破棄されてなどおらぬとな!」
 人差し指を振り上げ、正々堂々宣言する小麗の姿からは、公主としての――王妃としての決意と意志が見て取れた。幼い恋を捨て、景王に嫁ぐと宣言した彼女はきっと景王妃として、醒国と景国と新たな時代を築いて行くことであろう。
「あ、あの……街長はいらっしゃいますか」
 誰もが気圧されたようになって何も言えずにいる中、広間の外にいた兵士の一人が、そろそろと顔を出して来た。首だけ部屋の中に入れた状態で、まともにぴしりと凍り付いている。
「どうした。人払いしたはずだぞ」
「――それが、あの、その」
 その背後からまた別の兵士が駆け寄ってきて、床に膝を折って礼を取った。
「たった今、王都の宰補様より通達があり――」
 延国王都にいる宰補とは、この街にやってくる前、ひょんなことから係わり合いになっていた。出世のために糟糠の妻を捨てた男は今では延国の公主の夫となっている。
「此度の一件、延国は全面的に景国を支援することと相成りましてございます」





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