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月の宝珠
第六章 それぞれの戦い〜


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 1
 その日、景国正規軍八旗の将、迅雷(じんらい)は機嫌が悪かった。
 その理由は、迅雷が占領地帯の近況報告の為に王都に向かっている途中、後を任せていた部下が占領した国境地帯の砦を敵に奪回されるという醜態を演じたということが一つ。そしてもう一つ、国王直々の命により向かった西南の砦にて、正体不明の異相の男が、戦線の指揮を取ると言われたのだから、不機嫌になるのも当然だった。
「――正気で言っているのですか?こんなたかだか異大陸の傭兵風情に、指揮を取らせると?」
 問いかけたは自身の上司である浩漢に対してのものだったが、答えたのは異大陸の異相の傭兵――ラドルフだった。
「卑族襲撃の報に惑わされて、みすみす兵を割いた挙句、肝心の砦を奪い返された人間の言葉とは思えんな」
 それを言われると、ぐうの音もない。最も迅雷自身はその時、前線にはいなかった。しかし指揮官である迅雷がその場にいなかったこと自体に、油断があったと言われても仕方ないであろう。
 景国北西部に滞在していた迅雷に、報せが届いたのは一昨日のこと。いずれはこの事態の責任を取らされるにしろ、まずは目前の敵と戦わずにしてどうする。部下と共に、勢い勇んで砦にやって来た迅雷を待っていたのが、今のこの状況であった。
「――過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。とにかく迅雷、お前には今後この男に従ってもらう」
 長い腕を胸の前で組み、淡々と言い放ったのは艶やかな弁髪の男――浩漢である。
 安閑の街を出立してから二日ほどで、予定通り、ラドルフと浩漢は西南の砦に到着した。
 かつてこの地を治めた遼国の城であったという砦は、強固な城砦として、今なお相応の威容を保っている。その一室から見渡す木々は既にすべての葉を落とし、黒褐色の地肌をむき出しにしていた。今はまだ城下に迫り来る醒国軍の足音は聞こえないものの、醒国とて冬が来るまでに雌雄を決したいところだろう。山間での戦いにおいて冬将軍は、時に敵軍よりも手ごわい敵となり得る。
 ――しかし。
 顔は動かす視線だけで、ラドルフは浩漢を見やる。
 景国八旗いえば、景国建国時に国王の手足として働いた戦闘部隊――景王直轄軍であると聞いている。改めて思う。その将を呼び出すことのできる浩漢という男は、一体何者なのだろう。
 ラドルフと浩漢、そして迅雷の眼前に、生成りの地図が広げられた。もう何度となく目にした、険しい山と川に囲まれた国境地帯の地図のあちこちには朱色の印が入れられてある。
 既に浩漢とラドルフの間では、ほぼ作戦の陣容は決められていた。後の問題は人員――少数精鋭で、個人の力も統率力もあり、なおかつこちらのやろうとしていることを正確に理解できるだけの頭を持った人員が必要になる。その為に浩漢が白羽の矢を立てたのが、迅雷であった。祖父は初代景王の元で武功を認められた武人であり、本人も武芸に秀で、20そこそこの若さで、先の戦いでは八旗のうち一旗を率いて、国境地帯の砦を占領するという功績を挙げている。
 景国きっての新進気鋭の将――だからこそ、そんな自分が名も知れぬ一傭兵の下に扱われることが許せないのだろう。先ほどからずっと、人でも殺せそうな眼差しで、ラドルフを睨み続けている男の目の奥には、己の自尊心を傷つけられた者に特有の暗い光があった。
 実力と自尊心は表裏一体、特に正規軍に属する人間は、とかく雇われの傭兵を下に見たがる傾向にある。ラドルフはかつて、味方であるはずの正規軍に敵陣での補給を断たれ、餓死した傭兵部隊の屍骸をはした金で片付けたことがあった。
 ラドルフとて己の力量に対するそれなりの自負はある。しかし自負と自尊心とは種類が違う。滅多なことでは折れないくせにやたらと傷つきやすい自尊心とやらは時に、持ち主と周囲を傷つけ切り裂く刃に変貌する。
 一抹の不安を、軽く首を振ることでやり過ごし、ラドルフは目の前の地図に集中した。浩漢が白羽の矢を立てるくらいだ。実力のある人間であることは間違いないだろう。大体、請け負った仕事が終わった後は、誰がどうなろうと知ったことか。
 ――窓の外に聳え立つ峻厳な山々。その向こうに残してきた人。
「まず、この川辺に布陣する人数だが――」
 浩漢が作戦を伝えるその間もずっと、迅雷はラドルフを睨み続けていた。



 秋の天気は変わりやすい。骨まで凍らすような木枯らしが吹き荒れたかと思えば、その翌朝には小春日和の太陽が降り注ぐ。黄金色の麦穂は既にほとんどが刈り取られ、荒れ野原と化した畑のそこここでは、南に渡る鳥達が落穂を啄ばんでいる。
 旅立つ男達を見送った後の日々を、フィリエと小麗は布に埋もれて過ごした。男達の残して言った置き土産――糸が切れたり所々が破れたりした、衣服の修復作業を頼まれたからだ。
 戦闘に関して、ほとんど人並外れた身体能力を持つ彼らだが、当然ながら衣服の強度は人並みと変わらないので、すぐに糸や布が駄目になる。破れる端から買っていては、とてもでないが金が追いつかない。
 王女の針仕事といえば刺繍が主だか、フィリエはどちらかといえば刺繍より形あるものを作る方が好きだ。いらくなったドレスの歯切れで、小物入れを作ったこともある。小麗にとってはちょうどよい花嫁修業にもなる。おかげでここ数日間、心の底にわだかまる思いから目を逸らして、目の前の作業に没頭することができた。
 今、フィリエが直しているのは、東大陸を出る時にラドルフが着ていた上着だった。持ち主の人柄そのもののように質素でシンプルで、しかし作りはしっかりしている。実際、ラドルフも気に入っていたのだろう。共に東大陸を旅していた頃にも、着ていたのを見たことがある。よく見れば袖や裾のあちこちに、荒くて大きな繕い跡があった。大柄の男が背を丸めて針を使っている姿を想像するのは、何だか楽しい。
「のう、フィリエ。東大陸の男は妻を一人しか娶らないというのは、本当なのか?」
 顔には出さないように、ひっそりと心の中で笑っていたので、小麗の言葉に反応するのが遅れた。結果、指先に針を突き刺すことになって、人差し指に血の珠が浮かび上がる。
「え?ええ、そうよ」
 一応は……と心の中で付け加える。東大陸で信仰されている一神教は一夫一婦制を原則としている。男も女も基本的に伴侶は一人だけ――しかし王族や貴族や大商人の一部には、妾を囲っている人間も少なくない。
 愛妾から生まれた庶子には相続権がないので、親が亡くなっても財産を受け継ぐことができない。愛妾の運命などもっと悲惨だ。男の愛情が消えれば打ち捨てられ、未来には何の保障もない。
「――ならば、ラドルフはフィリエ以外の妻を持つことはないのじゃな」
 羨ましい、といわんばかりの台詞に応える言葉はなかった。西大陸の男は複数の妻を持つ。妻の地位は妾よりは高いが、実際にその立場となれば心境は複雑だろう。
 先ほどまで繕っていた衣服の中には、明かに男のものとは違う、細やかで丁寧な繕いの跡があった。フィリエの知らないラドルフの人生のどこかに、彼がこういうことを気軽に頼むことができる女性がいたのだろうし、いたとしても不思議はないし、だからと言って、とやかく言うつもりもない。
 だけど、とフィリエは思うのだ。ラドルフの過ごしてきた人生の中で、彼に寄り添い、離れられない関係にある女性がいたならば。例え月が満ちるたびに苦痛に苛まれようと、彼は自らの命を断とうとはしなかったのではないか。その手を支えに生き抜くことを選んだのではないか。ラドルフの中で自分自身の価値が、あそこまで貶められることもなかったのではないか。
 まるで、未だかつて誰にも落とされたことのない、難攻不落の城砦だ。フィリエはまだそのとば口に立ったに過ぎない。
「先が長そう……」
 思わず口に出して呟いた時、窓の外で馬車が止まる気配がした。男達が出立した後も、フィリエと小麗は安閑の砦に滞在している。与えられた部屋の窓から見下ろす先で、2頭仕立ての馬車が停車していた。訪いがあったのだろう。砦を守る兵士達が、わらわらと駆け出して来る。
「……あれは」
 針を置き、フィリエと同じように身を乗り出していた小麗が息を呑み込む。
 馬車から下りてきた、袖丈の長い衣服に身を包んだ中年の男と、その周囲を取り囲む黒装束の集団。
 もしもこの場にラドルフがいたならば、それが栄雅の街で公主誘拐をたくらみ、卑族を率いて一つの山里を壊滅に追い込んだ人間であることを、彼女達に告げたことだろう。





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