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月の宝珠
第五章 夢のあとさき〜


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 3
「――これは一体、どういうことなんだ?浩漢?」
 事態の鍵を握る人物――浩漢は、安閑の街外れにある砦の内にいた。既に役人や街長とは話がついているらしい。赤茶けた山肌からせり出すように作られた砦の一室には、ラドルフと浩漢、小麗とフィリエの4人しかいない。
「どうもこうもない。つまりはそういうことだ」
 長い足を投げ出すように椅子に腰掛け、浩漢は息を吐き出している。砦の向こうには赤茶けた山が聳え立ち、その山を越えた所には西大陸一の大河――醒国・景国の国境である紅河が流れている。3国が国境を接するこの地域は、別名「西大陸の火薬庫」と呼ばれていた。
 この地域の山脈で、火薬の材料である硝石が採掘されるだけではない。歴史上、この地を巡っての争いが耐えなかった為だ。
 そもそもこの地域を支配していたのは、遼と呼ばれる小国だった。遼が王族同士の内紛で滅んだ後は延が、次いで醒に割譲されたものの、先の戦いで景国はその地域を占領し、引き換えに景の公主を要求した。要求を呑んだ景が差し出したのが、現王の第18公主――小麗である。
「和睦を呑んで、公主を出立させておきながら、3ヶ月近くも栄雅でぐずぐず留まっていたからな。どういうことかと使いをやれば、公主は病で枕も上がらないと言って寄越したもんだ」
 言いながら、ちらりと小麗を見る。
 枕も上がらないどころか、自分の足で峠まで越えてきた公主は、握り締めた拳を口元に押し当て震えている。
「つまり、醒国内部は和睦について、二つに意見が割れているということなんですね」
 国や政治絡みの話に関して、王宮育ちは飲み込みが早い。フィリエの言葉に、浩漢が目顔で頷いた。
 恐らく醒国の内部は今、和睦賛成派と反対派に割れているのだ。当初、和睦派が公主を出立させたが、その後、情勢が入れ変わって抗戦派が力を得た。公主を栄雅から呼び戻さなかった辺り、和睦派も完全に力をなくした訳ではないのだろうが、内輪もめの間に、和睦反対派が国境を越えてしまった――といったところだろう。
「国内がそんな状況で、醒王とやらは、一体、何をやっているんだ?」
 吐き出すようなラドルフの言葉に、小麗がはじめて反応した。握り締めた拳は膝の上、身体は未だ小刻みに震えたまま、囁くように言う。
「父上はお体が弱くて……もうずっと、政務は叔父上や王太后様が執っておられる……」
「王は傀儡というわけか。ったく、これだから王族という連中は」
「ラドルフさん!」
 言いたい事はわかるし、実を言うならフィリエも同じことを考えていたのだが、実の娘の前で口にする台詞ではない。肩に手をかけ制止したフィリエを一瞥し、ラドルフは小さく、ち、と舌打った。
 食堂での騒動の後、結局、ラドルフの言う話とやらは、聞けずじまいに終わってしまった。取りあえず今は、彼と普通に会話を交わせる状態に戻ったことを喜ぶべきなのかもしれないが、フィリエの胸中には、今もまだ複雑な思いが渦を巻いている。
 ラドルフの手には、フィリエが先の街で贈った革の手袋がはめられている。これまでのように手を伸ばして、この手を取ったなら、彼は握り返してくれるのだろうか。
「私は!醒国と景国との和平の為に、景王に嫁ぐ為にここまでやって来たのじゃ!醒の公主が景に行くのなら、戦にはならないはずじゃ!」
 事の成り行きに呆然としていた小麗が、ようやく拳を解いて立ち上がった。慣れない旅路を、ただ故国の為に歩き続けてきた少女には、あまりにも過酷な展開である。
 和睦を一方的に破棄した醒国は公主を――小麗を取り戻してはいない。それはつまり、醒国が自身の公主を切り捨てたということに他ならない。
「小麗!」
 身を乗り出したフィリエの腕を、傍らのラドルフが掴んで取った。黙ってフィリエの目を見つめ、顎をしゃくって見せる。
「わかっている。お前が――醒の公主が、その足で、ここまでやって来たことを、決して無駄にはしない」
 フィリエより先に、立ち上がった浩漢の腕が、細い肩を掴んで抱き寄せていた。武芸も槍も剣も人並み以上にこなす器用な男の掌が、不器用なほどにそっと、少女の黒い頭の上に置かれた。
 


 結局、その夜は宿を引き払い、4人とも砦に滞在することになった。
 夜も更け、一部の見張りを残してすべての人間が寝静まった砦の広間で、国境地域の地図を見つめていた浩漢は、灯火の揺れる気配に背後を振り仰いだ。土作りの壁を背に、身体の左半分が焼け爛れた男が、胸の前で腕を組んでいる。
「――ああ、あんたか。何の用だ」
「浩漢、貴様は景国の人間だな」
「何だ、まさか今頃気づいたのか?」
 この期に及んでとぼけるつもりもなかろうが、とぼけているとしかいいようのない返答に、ラドルフは内心で息を吐き出す。実を言うなら、前々から薄々勘付いてはいたのだが、確信を得たのは、先ほどのやりとりの後だ。あの時、浩漢は終始、景側の立場に立って話を進めていた。ラドルフやフィリエは彼を醒国公主の「護衛」と捕えていたが、実際のところ、浩漢の役目は護衛ではなく「迎え」だったというわけだ。一見、似て非なるこの2つの役割の間には、それこそ国境を越えるくらいの違いがある。
 とはいえ、この状況でそれがわかったところで、自分たちも――ラドルフとフィリエもまた、既に景側についてしまっているという、ありがたくもなければ嬉しくもない事実が見えてくるだけだ。
 もう一度、深々と息を吐き出しながら、ラドルフは浩漢が机の上に広げていた国境近辺の地図を見た。
 地図上に広がるのは西大陸中央部の山岳地帯、山肌を縫うように蛇行する紅河を挟んで景国と醒国そして延国が国境を接している。
 もともとこの地域は農耕には向かない不毛地帯であり、山岳地帯には一部の少数民族が、南西の荒野には遊牧民族が生活していた。ろくな道も整備されていないので、醒国から景国へ向かうには延国を通るしかなく、近辺には大きな街もない。
 硝石を産出する貴重な土地よりも、貿易港をいくつも領地に持つ公主を欲した景国の方針は、慧眼であったと言えなくはない。しかしその貴重な切り札である国境地帯の砦を、あっさり醒国に奪回されていては、話にもならない。
「一体、何をやっていたんだ。景国とやらの兵は」
「――まったくだ。占領地域で卑族が暴れているという報を受け、兵を割いて向かった直後に、紅河を越えてきた醒軍にやられたらしいが」
 懐から取り出した銀の指輪を、こちらに向けて投げて寄越す。見間違うはずもない、ラドルフが惨劇の村から持ち帰った――フィリエと心が離れるきっかけを作ったあの指輪である。
「裏側を見てみろ」
 言われて、目を細めて輪の内を見る。細身の金属の裏側には、天駆ける龍の姿が刻まれている。
「醒の王族の紋だ。通常、王族かそれに連なる者しか、刻むことを許されない」
 つまり、栄雅の街で、公主奪還を企んだのは醒国だった。景国に反発する卑族を援助し、叛乱を起こさせたのも、醒側の策略であったということか。
 弁髪の男の斜迎えの椅子に腰を下ろし、ラドルフは再び、国境付近の地図を見た。
 蛇行を繰り返し、山岳地帯から平原部へと注ぐ川。険しい山脈とその狭間に点在するいくつかの砦。
「これから、貴様はどうするつもりだ。浩漢」
「幸い、西南の砦はまだこちらの手の内にあるからな。山越えで延側から何とか入れないか交渉中だ。西南の砦を拠点に、醒軍を追い払う。その後で、公主が既に醒側にあることを内外に公表する」
 そんなことを言うあたり、少なくとも浩漢はまだ、景王と醒公主の婚姻による和睦を諦めてはいないらしい。
 とは言え、既に砦のいくつかは醒に奪われ、西南の砦は敵陣に取り残されている。この状態からの起死回生はそう簡単なことでなないだろう。
「将が必要だな」
「……ああ、まあな」
 ラドルフの言葉に、浩漢が地図から視線を上げる。
「景の将とやらがどれほどの力量かは知らんが、一応、これでも相応の実戦経験はあるつもりだ」
 ロルカとシルヴィアの戦争終結以来、東大陸では目だった戦がなく、主に隊商の護衛や用心棒まがいの仕事で、食いつないできた。とはいえ、ラドルフの本質は軍人だ。戦場で敵を屠ることでしか、己の存在意義を見出せない。
 世界を見てみたかったのは、フィリエではなくラドルフの方だったのかもしれない。血の匂いも怨嗟もない。穏やかに土地を耕し、誰かと手を携え、日々暮らして行くという世界。
 垣間見た世界は一瞬で暗転し、今、彼の目の前には、あまりにも慣れ親しんだ世界が広がっている。
 世界を見るために旅立った異国の片隅で、今、こういった場面にめぐり合ったのも、きっと星のめぐり合わせという奴なのだろう。
 星のめぐり合わせで出会った旅の道連れに向かい、精々不敵に見えるよう、ラドルフは口の端を吊り上げた。
「――俺を雇え」





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