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月の宝珠
第四章 飛沫の夢〜


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 4
 ラドルフとフィリエが村までたどり着いた時、そこには惨劇が広がっていた。
 戦場を生活の場としてきた男が、思わず目を背けるほどの酸鼻。家々は打ち壊され、道の端はしに、身体の一部を欠いた人の死体が転がっている。
「酷い……どうして、こんな」
 騎馬で襲ってくる敵を倒す一番の方法は、馬の足を狙うことだ。鋭い嘶きが響き、地面に倒れこんだ卑族の1人を、ラドルフは一撃で仕留めた。ほとんど同時に、フィリエの口から悲鳴が上がる。刃の血脂を拭う間もなく、彼女を地面に引き倒した男の背中に剣を突きたてる。
 先ほど自分が彼女にしようとしていたことと、この男がしようとしたこととの間には、合意があるかないかだけの違いしかない。地面に倒れたフィリエの手を引いて、ラドルフは手近の家の中に飛び込んだ。幸い、先ほどの数騎を除いて、村を襲った卑族の大半は、殺戮の限りを尽くし、この場所からは立ち去ったようだ。このまま身を潜めて夜をやり過ごせば、何とかこちらの存在を知られずに済むことだろう。
 飛び込んだ小屋の土間には、血塗れの男が倒れ伏していた。その死に顔を確認して、思わず息を呑む。
「お前は……」
 どうやらこの家は、ラドルフに人参を差し出した、あの若者の構えた家であったらしい。善良で勤勉で働き者の農村の青年に、武芸の心得や戦闘の経験などあったはずもなかろうが、それでも彼は彼なりに、妻子を守ろうと必死で戦ったのだ。その手には、血塗れの鎌が握られている。
「酷い……、どうしてこんなに酷いことができるの……?」
 板の間に座り込んだフィリエが抱え上げた赤子は、口から血を垂れ流し、息をしてはいなかった。目立った外傷がないところを見ると、恐らく親の手から取り上げられ、力任せに床に叩きつけられたのだ。その向こうで、母親である若い女が、下半身をむき出しにした状態で死んでいる。戦場では珍しくもない光景ではあるが、何度目にしても気分のよいものではない。
「卑族……というのだそうだ。景国の建国で住処を追われた遊牧民の成れの果てらしい」
 油断なく窓の外に注意を払いながら、ラドルフは外した剣を鞘に戻した。日中、若者から卑族の話を聞いた時、まともに向き合わなかったことが悔やまれる。こちらは戦闘の玄人だ。村の防御や戦い方について、彼らに伝えられることは多々あった。
 女の衣服の乱れを直してやったフィリエが、その胸の上に、泣く事も動くこともない赤子を乗せている。土間に倒れていた男の体を引きずって、その傍らに横たえた。遅れてきた傍観者にできる、せめてもの弔いだ。この哀れな一家が、せめて死後の世界ではぐれることがないようにと、祈ることくらいしか。
「例え、自分が土地を追われたからといって、他者を虐げる理由にはなりません。景国だってそうです。自分に従わぬ者を虐げ追い出すだけでは、それはもう国とは呼べない……」
 彼女の言葉には利と筋があり、人間として王女として、まっとうで穢れなく、一欠けらの濁りもない。だがラドルフは考えてしまう。住む土地を追われ、略奪と殺戮で生き延びる卑族達にも、心の中で呟く時があることだろう。――どうして、自分には、こんな惨いことができるのだろうと。
「……さあな。俺にはわからん」
 思わず、本音が口を吐いて出た。
「ラドルフさん?」
「俺がこれまでしてきたことも、奴らとそう変わりはないからな」
 鳶色の目が見開かれる。自分を見つめるフィリエの眼差しに、ラドルフは自らの失言を悟った。
「そんな顔をしないでくれ。人に誇るつもりはないが、俺は自分の人生を恥じるつもりもない」
 ただがむしゃらに、生きてきた。それだけのことだと、今ならば素直に思うことができる。
 自嘲とも自虐ともつかぬ思いに口の端を吊り上げた時、土作りの壁の外に人の気配がした。フィリエの口に掌を押し当て、目だけで窓の外を指し示した。いつでも引き抜けるように剣の柄に手をかけ、窓の外をうかがう。村を貫く道の端に人の影を見つけ、背筋に冷たいものが流れ伝った。
「――生き残った人間は?」
「川の方角に逃れた何人かは仕留めました。村外れに小屋を見つけましたが、今は住んでいる人間はいないようです」
 黒装束の男の報告を受ける男の顔に、見覚えがあった。白髪交じりの弁髪、左手で輝く銀の指輪。栄雅の街でラドルフに仕事を持ちかけ、自身が育てた少年を何のためらいもなく切り捨てた男――遠尚だ。
 醒国の公主と延王との婚姻を阻止する為、公主を攫おうと企んでいた男が、どうして山間の小さな村で、卑族を率いてここにいる。
 取りすがるフィリエの顔と、その向こうに横たわる一家の屍骸を見る。ただの誘拐でも襲撃でもない。その裏側には何かある。それも、とてつもなく、大きく強大な何かが。
「――ここにいろ。朝まで絶対に外には出るなよ」
「ラドルフさん!」
 追いすがる言葉を背に、ラドルフは駆け出していた。



 地獄のような一夜を、フィリエはまんじりともせずに明かした。
 土作りの壁の内側に横たえられた遺体からは、既に異臭が漂っている。朝陽が昇りはじめた空に無数の鴉が羽ばたき、村のそこここで、肉の塊と化した屍骸を啄ばんでいる。
 ――子どもの頃、母に読んでもらった御伽噺の桃源郷のようだと思っていた。
 澄んだ風、蒼い空。人々は互いに協力し合って暮らし、子供達の笑い声がはじける幸福の国。
 言葉には出さずに心の奥底で、でも確かに考えた。ラドルフと2人、このままずっとここに留まっていられたなら、と。
 フィリエは既に子どもではなく、桃源郷は物語の中にしか存在しないことを知っている。だけど一体どこの物書きが、こんな終幕を考え出したというのだろう。
 強張り動かなくなった身体を引き剥がすようにして、道の上に転がり出る。つい昨日まで、この土地には人が集い、暮らし、生きていた。今、そのすべてが無残に打ち砕かれ、時折、風が吹き抜けては、血なまぐさい臭気を巻き上げて行く。
 シルヴィアとロルカが戦争状態にあった頃、国境近くの村のいくつかで、ロルカの敗残兵による略奪があったと聞いている。東大陸一を誇るシルヴィア軍は、ロルカの新王と国の威信は守っても、名もなき山間の村々を守りはしなかった。
「ラドルフさん……?」
 夜が明ける前、彼女をこの場所に残して行った男は、朝が訪れても戻ってきてはいなかった。人の屍骸と、もはや人とも呼べない肉片の転がる道を走りぬけ、河原へと続く道に出る。数日前、フィリエとラドルフが流れ着いたあの河原だ。さすがの卑族も渡し場までは破壊しきれなかったらしく、渡し場の設備だけは、あの日と変わらず存在している。
「ラドルフさん!」
 その渡し場脇の水辺に、見慣れた背を見つけて安堵する。何かを見つけて飛び出して行って以来、まさか彼の身に万が一のことなど起こらないとは思っていたが、本当はずっと不安だったのだ。
 捜し求めた人物は、水辺に屈みこんで、血で濡れた手や衣服を洗っている――ように見えた。
 流れる川の水音が、気配をかき消したのかもしれない。足音を殺したつもりはなかったのに、百戦錬磨の剣士が、フィリエの気配に振り返らなかった。ラドルフの背中に手が届くくらいにまで近づいて、彼がようやく振り返った時、フィリエはその手にあるものの正体がわからなかった。
「ラドルフさん、それ……」
 振り返ったその場所にフィリエの姿を見て、ラドルフは驚いたように目を見開いた。その手は赤黒いもので汚れ、衣服のあちこちにも黒い染みが浮いてしまっている。衣服の血はあの若者の家でついたものだろうし、フィリエの姿とて似たようなものだ。それはそれで構わない。問題なのは、彼がその手で掴んでいるものの方だ。
 赤黒いもので汚れた男の右手には、指に銀の輪を嵌めた、もう一つ、別の掌が繋がっていた。ラドルフのものではない。何故なら、その手には――手首から先がない。
「フィリエ、これは……」
 ラドルフが何かを言おうとしたのと、フィリエの中の生理的嫌悪感が膨れ上がったのは、ほぼ同時の出来事だった。殺戮の村で一夜を明かして、神経が高ぶっていたのかもしれない。ほとんど無意識の内に、フィリエはラドルフの手を振り払っていた。
「いやっ!」
 どぽんと鈍い音を立て、ラドルフの手を離れた手首が水中に落下する。手首から先だけでもそれなりの重みがある所為だろう。川の流れには乗らずに、垂直に沈んで行く。
「あ、わ、わたし……」
 水が岩場を洗う軽やかな調べの合間に、重苦しい沈黙が響いた。共にあることが当たり前になって数ヶ月、いや、そのもっとずっと前から、こんなことは、初めてだった。フィリエがラドルフを拒絶することも。ラドルフがフィリエに振り払われることも。
 遠くで鳥のさえずる音がする。人里が一つ、その営みを終えようとも、朝陽は昇り、川は流れ続ける。
 ――取り残された人の想いを、置き去りにして。





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