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月の宝珠
第四章 飛沫の夢〜


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 翌日も、平和で平穏な野良仕事が続いた。野良仕事とは言っても、農作業は、経験のない誰にでもできるというわけではない。作物と雑草の見分けがつかない自覚のあるラドルフは、本日ももっぱら、薪割りに精を出した。故郷のローデシアでは、冬場の燃料確保に、軍人達もさかんに薪割りを行っていた。昨日一日休んだ分は、割りに割って取り返すしかない。
 陽が中天近くに差し掛かった時、昨日の若者が、ふかした芋を持って現れた。どうやらこれが昼食らしい。
「もうこんなに割ったのか。あんた、薪割りが上手いな」
「そりゃ、どうも。――出身が北国なんでな」
 薪割りに上手い下手もあったものではないが、誉められて悪い気はしない。少なくとも、人殺しの腕を誉められるよりははるかにましだろう。
 投げ渡された手拭で額の汗を拭い、手近の切り株に腰を下ろす。労働の後のふかし芋は美味かった。切り株の横を放し飼いの鶏がよたよたと歩いて行く。
 水袋から水を飲みながら、若者もふかし芋を頬張っている。その横顔に、ふと、問うて見たくなった。
「お前らは……、どうして俺達のような人間を受け入れられるんだ?」
 ラドルフとフィリエは、彼らにとって明らかに風貌の異なる異大陸の人間、それも男の体は左半分が焼け爛れている。濡れ鼠で河原に倒れていたところを助けてくれたのはありがたかったが、正直、その後は、すげなく追い出されることを覚悟していた。
「俺も本来ならば余所者だ。自分の里が卑族(ひぞく)にやられて、この村に流れ着いたんだ」
「――卑族?」
「ああ、そうか。東大陸の人間には馴染みがないか」
 若者の言うところの卑族とは、延国と景国との国境付近の荒地で暮らす遊牧民のことを指すらしい。本来、この地域の遊牧民と農耕民の生活は持ちつ持たれずで、遊牧民特産の乳製品や毛織物と、農耕民の穀物や野菜を交換しながら、長年、共存してきた。頻度は少ないが通婚もあったので、遊牧民と農耕民の両方に親戚のいる者もそう珍しくはない。
 その状況が変わったのは、今から数十年前、遊牧民の一部族が景国を建国し、周辺部族を統一したことにはじまる。
 初代景王は遊牧民には珍しい定都を建設し、それと同時、景国の領内にいくつかの都市が形成された。景国に服属した遊牧民が都市に定住するようになり、それは、国に服属しない遊牧民から、豊かな馬草のある馴染んだ土地を奪う結果となった。
 そうして追いやられた遊牧民が徒党を組み、これまで共存関係を保ってきた農耕民の村を襲って作物や女性を奪うようになった。特にここ数年はそんな卑族の横行が激しく、延国は景国に取り締まりの強化を訴えているが、そもそも遊牧民には、国境の概念が乏しいこともあって、有効な対策を打ち出せないでいる。
「俺の村はほとんど全滅して……、今、生き残っているのは俺と、あんたも昨日会った、あの婆様くらいのものだ。婆さまの話なんて笑えるぞ。跡取りの息子を殺した卑族を馬から引き摺り下ろして掴みかかってみたら、なんと昔、遊牧民に嫁にだした娘の子供だったそうだ」
 卑族に身をやつす前は気前の良い自慢の孫息子で、時折、母親の実家を訪れては、営養価の高いチーズや防寒用の毛皮を置いていっていたという。
 この村自体は平和でも、一歩外に出れば、血なまぐさい話で溢れかえっているというわけか。密かに拳を握り締め、ラドルフは外して立てかけておいた剣を見た。
 ローデシアにいた頃は、国に従わぬ民を屠るのが、彼に与えられた定めだった。やがて自身が屠られる側に回った後は、金のためなら何でもやった。それが敵方であれば、命乞いをされようが、相手が子供であろうが、斬り捨てることに迷いはなかった。長年、そんな生活を送ってきた男に、卑族とやらの行いをとやかく言えるわけもない。
「まあ、この村は大丈夫だろう。奴らは馬でやって来るからな。こういう山に囲まれた場所は比較的安全なんだ」
 悲惨な体験を経てきたとも思えない、清々しい顔で笑って、彼方の方角を仰ぎ見る。若者の視線の先の緑の畑から、赤ん坊を抱いた若い女性とフィリエが歩いてきたところだった。
「俺はこの村で、かみさんにあって救われた。――あんたも、そうなんだろう?」
 朴訥とした若者は、父親の顔になって赤ん坊を抱き上げる。母親らしい女が一礼し、一家が今来た道を去って行く。
「ラドルフさん?お昼休みだって聞いて、一緒にご飯をどうかと思ったんですけど。どうかしました?」
「ああ、いや、何でもない」
 頭を振りながら、気を惹かれて止まない鳶色の瞳を見る。救われた。多分、きっとそうだ。この瞳に魅入られなければ、きっと今もあの血と屍の中にいた。
「フィリエ」
「はい?」
 正直に言うなら、今でも、彼女の瞳に映る自分の姿を見るのが怖い。いつも純粋な好意と思慕を滲ませ微笑む瞳が、これまでであってきた人間と同じように、非難と嫌悪に歪んだなら。――きっと俺は、その後、息をすることさえできなくなる。
 爪の中に木っ端が食い込んだ掌を栗色の頭に落とすと、そのまま頭の後ろで一つに束ねた艶やかな髪に指を絡める。ラドルフが密かに尻尾と呼んでいる長い髪が、指の合間をすり抜けて、風に吹かれて行く。
「――今夜は、俺もあの小屋で休む」



 村人の好意に甘えて、その晩は交代で、沸かした風呂に入れてもらった。昨日は井戸端で身体を拭いただけだったので、湯に浸かると身体の芯まで解れて行く気がする。街場と違い、夜になれば灯火の少ない山里から見上げる星空は、見事としか言いようのない輝きだった。無数の宝石を散りばめた濃紺の布地が、山と山の間に、張り巡らされてでもいるかのようだ。
 余所者の若夫婦に提供された小屋の寝台は一つきり、だが大きさはそれなりにあって、二人で使って寝返りを打ったとしても、床に落ちたりはしないだろう。肩を並べて寝台に腰を下ろし、ラドルフはフィリエに向き直った。
「一応、確認しておきたいんだが」
「はい」
「――お前、意味はわかっているんだよな?」
 ものすごく間抜けな質問ではあるが、結婚した男女が共に夜を過ごすことの意味からしてわかっていないのであれば、それはそれで事である。一抹の不安を滲ませたラドルフに向かい、フィリエは軽く噴出した。
「ラドルフさん、もしかして、わたしのこと馬鹿にしてます?」
「いや、そいういうわけではないのだが……」
「子孫を残すのは、王族の義務ですから、一応、知識はありますよ。侍女達の中には、既婚者もいましたし」
 フィリエにはじめて、口付けの何たるかを教えてくれた一番仲良しの侍女は、その口付けの相手とめでたく結婚して、子を授かって王宮勤めを辞して行った。きっと今頃は生まれている頃だろうと、目を細めて笑う。
「恋人ができた時って、みんなとっても嬉しそうなんですよ。こんなところに行ったとか、こんなこと言ってくれたとか。それが婚約なんてことになれば、もう、収穫祭とお正月が一時に巡ってきたような顔をして」
 記憶の中の幸せな友人達の顔を思い出したのだろう。そういえば、東大陸で旅をしていた時も、歳の近い侍女達に、土産物をたくさん買い入れていた。
 遠く離れた地で、二度と戻れぬ故郷を思った経験はラドルフにもある。いささか苦い思いが胸を掠めた時、話の雲行きが突然、怪しくなった。
「そうしてその後、決まって言うんです。フィリエ様もいつか、素敵な人とって!」
「フィリエ?」
「王族なんて、会ったその日が結婚式なんですよ?!素敵か素敵じゃないかなんて、どうやって見分けろって言うんですか?!選ぶ余地も見極める時間もないんですから!!」
「お、おい、どうでもいいが、少し落ち着け!」
 胸倉を掴んで揺さぶられ、目を白黒させる自分自身を情けなく思う余地はなかった。女だてらに長剣を振り回す姫君の力は、結構、強い。まともに締め上げられれば、喉が締まる。
 かろうじて白い拳を引き剥がし、内心で汗を拭う。国を逃げ出す前、選ぶ余地と見極める時間はなくとも、誰もが祝福する相手と、彼女は政略結婚の直前だった。
「――で、見極めて選んだ相手が俺だっていうのは、少々、趣味が悪すぎやしないか」
「そんなことありません。好きな人と結婚できたんですから。こんなに幸せなことはありません」
 何ら衒いもはにかみもなく、真っ直ぐに言い切られて、息が詰まる。無意識に伸ばしかけた指で空を握り、ラドルフは息を吐き出した。
「もう一つ、確認しておきたいことがある」
「――え?まだあるんですか?」
「これが最後で、一番、重要なことだ。お前は、嫌ではないか?……その、こんな身体に触れられるのは」
 手燭の明りに照らされた左手の甲は、焼け爛れて引き攣れている。今更、見てくれをとやかく言うつもりはないが、陽の光の下で何気なく見た時など、自分でも時折、ぎょっとするような有様ではある。
 ラドルフの言葉に、フィリエは長い睫をぱちぱちと瞬かせた。しばらくそうして瞬いた後、一瞬、痛ましげに顔を歪め、ぶんぶんと勢いよく首を振る。
「いいえ、全然」
 膝立ちになったフィリエに突然首筋に抱きつかれて、勢い余って寝台に仰向けに倒れこみそうになる。場所が夜具の上なので倒れて悪いことはないが、どう考えても形勢が逆だ。後ろでに両手を寝台に突き立て、かろうじて踏みとどまった時、甘く濡れた感触が、左のこめかみ近くに落ちた。
「お前……」
 誰もが触れること躊躇うラドルフの顔の左側、額から、瞼の上、鼻筋から頬へ、触れるだけの優しい口付けが滑り落ちて行く。顎の先にまで達した時、どちらからともなく、口付けあった。啄ばむような口付けを繰り返して行くうちに、頭の芯が痺れてきて、もう何もかもがどうでもよくなってくる。
 清潔で心地のよい寝台にそっと身を横たえたとき、さすがにフィリエは少し怯えた顔をした。ラドルフの腕に白い掌を添え、潤んだ瞳で見上げてくる。
「ラドルフさん、わたしも一つ確認していいですか……?」
「何をだ?」
「……ラドルフさんは、わたしのこと、好きですか?」
 この期に及んで何を今更、と思わないでもなかったが、そういえば、きちんと言葉にしたことはなかったような気がする。栗色の髪の一筋に口付けて、ラドルフは口の端を持ち上げた。
「誰が、好きでもない女と結婚したりするもんか」
 我ながら、素直でない返答だと思ったが、彼女には充分伝わったようだった。安心したように閉ざした瞼に口付けを一つ、芯が燃え尽きかけた燭台の灯りを吹き消して、優しい闇に身を浸そうとした時――遠くで、悲鳴が上がった。
 即座に身体を跳ね起こしたラドルフを見て、フィリエの顔色が変わった。壁に立てかけてあった剣を片手に、もう一方の手で彼女の身体を引きずり起こす。彼らが今ある小屋は、村の人家からは少し離れたところにある。先ほどの声は、間違いなく人の悲鳴であり、微かに、だが確実に聞こえるこの低く鈍い響きは――間違いない、馬の蹄だ。
 今日の日中、若者と交わした会話が脳裏に蘇る。
 ――俺も本来ならば余所者だ。自分の里が卑族にやられて、この村に流れ着いたんだ。
 ――この村は大丈夫だろう。奴らは馬でやって来るからな。こういう山に囲まれた場所は比較的安全なんだ。
 卑族だ。





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