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月の宝珠
第三章 風は吹いているか〜


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 捜し求めた夫が、自分以外の妻を娶り、国王の近臣の地位にいる。
 その事実を玉琳に告げるべきか否かについて、ラドルフと浩漢、そしてフィリエの意見は真っ向から割れた。
 男2名は彼女に真実を知らせずに、故郷に帰すべきだと主張した。国府に問い合わせたが、夫の行方はわからなかったということにすれば、玉琳は諦めざるを得ない。郷士の姪ならば、故郷に戻ればそれなりに遇されるはずで、夫がなくても生活の心配もない。新しい夫を見つけることだって、不可能ではないはずだ。
 一方、フィリエは玉琳に真相を伝えるべきだと、訴えた。例え今、真実を知らずに王都を離れたとしても、いずれは本当のことを知る。そして何よりも、玉琳は心から、夫の身を案じているのだ。
「まあ、あんたの言いたいこともわからないではないんだがな」
 寝台脇の卓から、水差しを取り上げながら浩漢が言う。見事に鍛えられた背中が窓を塞いで、光源が立たれた室内を闇が押し包んだ。
「今日のあの連中は、その男――栄建とやらが雇ったと?」
 ラドルフの言葉に、浩漢が無言で頷く。あの男達は、はじめから玉琳のみを狙っていた。引き下がるのがやけに早かったことを考えると、ただ単に恐ろしい目に合わせて、王都を出て行かせたかっただけとも考えられる。
「だけど浩漢さん。西大陸では複数の妻を持つことが許されているんですよね?確かに栄建さんがしたことは裏切りかもしれないけど、そこまでする程ですか?」
「――相手が悪い」
 現延王の治世は今年で23年、新興国家の景国と斜陽の醒国の狭間にあって巧みに中立を保ち、名君との呼び名も高い。同時に貴族や臣下に対して厳しいことでもたいそう有名で、数年前、后の父でもあった当時の宰相がわずかな賄賂を理由に罷免されたことは、未だに記憶に新しい。
「離縁せず次の妻を迎えれば、通常、あとの妻が第2夫人だ。延王が知れば、地位を失うだけでは済まないだろう。どんな手を使ってでも真実を抹殺したがるはずだ」
 真実を知らせる、知らせないの問題ではない。身の安全の問題なのだという、浩漢の意図は、フィリエとてわからないわけではない。――が。
「ラドルフさんだったら、本当のことを知りたくありませんか?」
 フィリエの問いかけに、ラドルフは思わず目を見張った。まさかそう来られるとは思っていなかたので、咄嗟に答が思いつかない。
 フィリエと離れていた数ヶ月前。彼女に縁組があることを知った時、心が騒がなかったといえば嘘になる。
 あの時、確かに考えた。こんなにも心が騒ぐぐらいならば、いっそ――
「……知りたくないな」
「だけど!」
「フィリエ」
「わたしだったら知りたいです。例えそれが、どんなに辛い真実だったとしても……」



 結局、その日のうちには結論はでず、今後の行く先は翌日に持ち越しになった。
 宿の部屋に戻って寝床に入ったフィリエは、窓の合間から差し込む白光の鋭さに、伏せていた瞼を持ち上げた。
 隣の寝台では小麗が、そして宿の主人に頼んで持ち込んだ長椅子の上では玉琳が静かな寝息を立てている。時刻は夜半を過ぎ、階下の酒場も店じまいをしたのだろう。今はほんの一欠けらの喧騒もなく、しんと静まり返っている。
 夜空を彩るのは満月にはやや足りない欠けた月――十三夜の月だ。
 寝床に入れば3分で眠れることが自慢だったはずなのに、ラドルフを想うようになって以来、月が満ちる夜には寝付けぬことが多くなった。夜空に浮かぶ満月を、美しいと愛でる夜など二度と訪れないに違いない。人は変わる。変わって行く。――良くも、悪くも。
「……傷が痛みますか?」
 脳裏に浮かぶ悲痛な光景を忘れようと、何度か寝返りを打っていると、寝椅子の上に横たわった佳人とまともに目があった。
 幼い頃に罹患した熱病によって視力を失い、わかるのは光の加減程度だと言っていた。だが、玉琳と過ごした短い時間、ふと気がつくと、こうして目が合っていることが何度かあった。フィリエはこれまでの人生において盲人と係わったことがないので確実なことは言えないが、この澄んだ瞳に見つめられると、己の奥底までを覗かれている気がして落ち着かなくなる時がある。それは決して、気のせいだけではあるまい。
 そんなフィリエの心情に気がついたのか、盲目の美女は唇をほころばせ、小さな頭をたおやかに持ち上げて見せた。
「傷が痛むのではなくて……心に憂いをお持ちのようですね」
「……玉琳さん?」
「見えるのです。わたくしのこの眼には、人の奥底に秘められた本質……のようなものが」
 熱病で父母を失い、伯父である郷士の邸に引き取られて間もなく、彼女はその見えぬ眼で、郷士から金を引き出そうとしていた詐欺師の心根を見抜いたのだという。
 以来、郷士が目をかけて邸に連れて来る若者や、邸に商品を売り込みに来る商人達の心根を、玉琳は見えぬ目で見抜き続けた。勤勉に見せかけて怠け癖のある書生候補も、うまい儲け話で郷士を騙そうとしていたやり手の商人も、彼女の眼を誤魔化すことはできなかった。
 はじめて夫に会った時、太陽のように眩しかったのだと艶やかに笑う。こんな片田舎に埋もれるつもりはないというのが口癖で、気概に見合うだけの才も覇気も持っていたが、いかんせん、生家が貧しい農家で、教師を雇う金も科挙を受けに都に出るだけの伝手もなかった。そんな男にとって、郷士の姪との婚姻は、千載一遇の機会であったことだろう。
 恐らく、彼女は自分の夫が、自分との結婚を出世の足がかりにしたことに気がついている。そして多分、それならそれで構わないと思っているに違いない。
「何となく……、わかるような気がします」
 ラドルフが、時折、とても辛そうに自分を見ていることに、気がついていた。共に国を逃げ出して数ヶ月、フィリエが伸ばした手を振りほどくことこそなかったものの、握り返されることが、数えるだけしかないことにも。
 フィリエは、物語の中の多くの姫君のように、ラドルフに幸せにして欲しいと思ったことはない。ただ、かなうことなら、自分のこの手で、あのどこまでも幸福に臆病な男を幸せにしたい。それは多分、冒険家が、見果てぬ大地に挑む心理とよく似ている。
「街中ではじめて、ラドルフ様にお会いした時、あの方の奥底には、わたくしがこれまで見たこともない、何かとてつもない大きな力が蠢いているように見えました」
 静かな声音に、心がざわめく。この光を宿さぬ眼は、ラドルフを捉えて離さない呪いの正体が見えるのか。
「ならば、それは、どうすれば――」
 正体が見えるのなら、解き放つ術も見えないだろうか。フィリエが上掛けを跳ね除けかけた時、微かに焦げたような匂いが鼻をついた。これまで静まりかえっていた部屋の外が騒がしくなって、廊下を誰かが叫びながら走り去って行く。
 起き上がって見下ろした窓の外、左斜め下辺りが薄ぼんやりと明るい。建物の内と外を宿屋の従業員達が大勢、駆け回っているのが見て取れる。
 再び、どこかで誰かが叫ぶ声がする。その言葉の意味をかみ締めるよりも早く、フィリエは立ち上がっていた。
 微かな熱。焦げる匂い。騒ぐ人々。
 ――火事だ。



 従業員の誘導に従い、中庭に退避した時、そこには既に宿泊客の大勢が集まっていた。宿のお仕着せの寝巻きの上に、それぞれ肩がけやら上着をはおり、皆、心配そうに空の方角を見上げている。
 濃紺の空には灰白色の煙が立ち昇り、先ほどまで夜空で輝いていたはずの、月や星を覆い隠してしまっている。時折、細かな火の粉が空から降ってきては、ほのかな朱色の軌跡を残して消えて行く。
 フィリエ達の滞在する宿屋は、貴洲の宿屋街からは少し外れたところにある。周囲に延焼する建物がないのは幸いだったが、この分では、火が消える頃には、宿屋の建物はほとんど残っていないかもしれない。
「――無事か?」
 肩がけを引き上げながら、しばし呆然と燃える建物を眺めていると、背後で下草を踏み締める音がした。懐手をしたラドルフと浩漢が、ゆっくりと近づいて来たところだった。二人ともしっかり衣服を着込み、ラドルフは剣を携えている。
「火元は敷地内の物置だそうだ。冬用の寝具や暖房器具を保管していて普段は人の目がない。見逃してやってもいいつもりでいたが……いくらなんでも、手段を選ばなさ過ぎだ」
 どうやら消火に当たっている宿屋の人間から、事の成り行きを聞きだしてきたらしい。吐き捨てるような浩漢の言葉に思わず瞬く。日中のごろつきといい。まさかこの火事騒ぎまでもが。
 フィリエの視線の先で、2階建ての建物の一角を、蛇のようにのたうちまわっていた炎が、空へ向け、駆け昇ったところだった。地を揺るがすような轟音が響いて、蛇の顎に噛み砕かれた建物の一端がぼろぼろと崩れ落ちて行く。
「え、じゃあ、この火事も玉琳さんのご主人が――」
 火事騒ぎの興奮で、昼日中、玉琳に真実を知らせるか否か、彼らと議論を交わしていたことをすっかり忘れていた。背後で小さな悲鳴が上がってようやく、そこに当の本人がいたことに気がつく。
 フィリエ同様、寝巻きの上から肩がけをはおり、小麗の手と、白木の杖にしがみついた盲目の佳人が、澄んだ眼を顔一杯に見開いている。
「夫が……?それは一体、どういうことなのですか……?」





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