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月の宝珠
第一章 王女誘拐〜


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 襲撃があったのはタチアナの地に到着してから、五日目の夜のことだった。
 これ以上湯に浸かって、美味い飯を喰らっていては身体が鈍る――それも下手に時が過ぎて月が満ちては戦えなくなる――と実を言うなら、密かに焦りはじめていたラドルフは、夜陰を切り裂く衝撃に、半ば安堵の思いで愛剣を握り締めた。護衛の任を果たす為、恐れ多くも姫君の隣室を賜っている。殴るようにして扉を押し開けて、同じように部屋から飛び出してきたフィリエと身体がぶつかりそうになる。
「ラドルフさん!」
「――ああ、ようやく来たようだな」
 硝子が割れる音がするのは離宮の居間の付近で、馬のいななきが聞こえるのは、敵がかなりの人数――夜陰を割いての隠密行動ではない為だろう。
 今回は前回とは随分と趣向を変えたようだ……密かに唇をかみ締めて、部屋を飛び出してきたばかりの姫君の格好に気がつく。
「おい。ひ……じゃなかった、フィリエ。お前、取りあえず着替えて来い」
「え?どうしてですか。寒くなんてありませんよ。これから暑くなるんですし」
 既に夜は更けきっており、当然のことながら彼女は既に夜着に着替えている。薄い生地から覗く身体の線は、普段のドレス姿からは想像もつかないくらいに扇情的だ。
 細身だと思っていたが、しっかり出るべきどころは出ていやがる……。つい即物的な観察をしそうになって、慌てて首を振る。戦いともなれば、男は誰だって血が沸き立つ。それは護衛役の自分も、彼女の身を狙った刺客であっても変わりはない。雇われた以上、彼女の身の安全は何においても守るが、それ以上のことは責任が持てない。
「あの、ラドルフさん、今は一刻も早く敵と戦うことが先決なんじゃ……」
「――いいから、さっさと着替えてこい!」
 どうして待ちに待った戦闘を前に、こんなどうでもいい話で怒鳴り散らさなければならないのか。まったくもって、頭の痛い話であった。



 そんなこんなで紆余曲折を経て、辿りついた離宮の居間は、散々たる有様となっていた。連日、豪勢な食事が振舞われたテーブルと椅子がものの見事にひっくり返って、窓に嵌め込まれた硝子はほとんどが割られてしまっている。破壊された硝子窓の向こうに浮かぶのは、大分、厚みを増した上弦の月だ。
「――おい、状況は?」
 抜刀すると同時に敵の一人を倒して、その場にいた姫君の護衛役の一人に問う。もともと離宮にいた兵士はわずかに数名、残りの十数名はラドルフが直々に指名して、王宮から連れてきた者達だ。それぞれがそれなり以上の使い手で、すべてラドルフ自身が地形と屋敷の造りを配慮した上で配置につかせていた。
「東門と正門は破られました。西門だけはまだ我らの手にありますが、それも時間の問題かと」
「奴ら、一体何人いると言うんだ……」
 戦に負けたロルカの反国王派の残党。前回の一件も踏まえ、多くても精々十数名の手勢だと踏んでいたのだが、これは読みが甘かったか。
「すみません、わたしの判断が甘かったようです」
「気にするな。俺も同じ考えでいたんだからな」
 ラドルフの考えを読んだかのように、フィリエが言う。そもそも自分の身が狙われていると知って、敢えてこの地にやってきたのは彼女の考えだ。少数の護衛しか連れずに敵をおびき出すのは、計画の内でもある。
 背中合わせに何人かの敵と打ち合って、最初に崩れたのは王宮から連れて来た姫君護衛役の男だった。ラドルフとフィリエがここに現れるまで、かなりの敵とやりあってきたのだろう。既に息が上がっている。
 ほんのわずかの隙をつかれた男の手から、剣が離れて宙に舞う。たたらを踏んで後ろ向きに垂れ込んだ男の前方に、栗色の毛が立ちはだかった。踏み込んできた黒尽くめの刺客に鋭い斬撃を浴びせ、転がった剣を男に投げつける。
「大丈夫ですか?ここは危ない、早く体勢を立て直して下さい」
「姫様……あ、ありがとうございます」
 まことに麗しき主従愛であり、心温まる光景といえないこともなかったが、一応上役のラドルフにとっては頭が痛かった。――護衛役が、護衛すべき相手に守られてどうする。
 何はともあれ、居間にいたあらかたの敵を倒し終え、ようやく一息ついた時、ずしん……と鈍い音がした。間をおいて衣を裂くような悲鳴がして、窓の外が橙色に明るくなる。屋敷の外にいる敵が、炎の点いた矢を打ち込んだらしい。
「――火矢だと?畜生、連中あんなものを」
「あちらは――使用人達の塔です!!」
 フィリエの口から悲鳴が上がったのは、使用人達のいる塔には護衛の兵を配置していなかった所為だ。炎の矢を打ち込んで、同時に新たな人員を送り出してきたらしい。割れた硝子の向こうに人影が迫り来る。
「ラドルフさん!」
 剣を握り締めたフィリエが目顔で問いかける。彼女の言いたいことは手に取るようにわかった。自分達の判断の甘さが招いたツケで、係わりのない人間達を巻き込むことだけはしたくない。
「ああ、ここは俺が何とかする。――行け!」
 ラドルフが叫ぶのと同時に、フィリエは駆け出していた。



 ――まさか、こんなことになるなんて。
 父王と兄王子に掛け合って、タチアナの離宮行きの許しを得た時は、まさかここまでの数――ここまで来れば、既に刺客ではなく軍勢である――が攻めてくることなど、考えても見なかった。第一、戦争は既に終わっているのだ。今この離宮を攻めているのが本当にロルカの反国王派だとしたら、彼らはまだかなりの勢力を保っていたことになる。
 じりじりと焼け付くように胸が痛い。フィリエに剣術を教えたのは、かつて王太子の剣の指南役として城に招かれていた老師だった。かつては名の知れた剣士だったという老師は、兄について剣術場に出入りしていたフィリエにも分け隔てなく剣を握らせ――結果、剣の腕に関しては、兄王子よりフィリエの方がはるかに上達してしまった訳だが――その心得を滔々と説いて聞かせた。 
 曰く、敵を知ることは己を知ること。己を知ることは敵を知ることでもある。
 これはすべてフィリエの判断の甘さが招いたことだ。だからせめて咎なき者達だけは――守りたい。
 息が切れてもなお走って、使用人達の暮らす塔の寸前までやって来た時、暗闇に沈んだ建物と建物の合間で声がした。見ればフィリエが王宮から連れてきた侍女の一人が、蒼い顔で手招きしている。いつぞやラドルフの外見のことで語り合った三十代半ばの女だ。
「ひ……姫様!」
「良かった、無事だったのね!他のみんなは?」
「皆、何とか逃げ出しております。塔には今は誰も」
 返答を聞いて、安堵のあまりに倒れこみそうになる。読みの甘さが最悪の事態を招くことだけは回避されたらしい。
「みんな無事なのね。良かった。案内して。わたしが皆を守るから――」
 皆でこの離宮を抜け出しましょう。紡ぐはずの言葉は半ばで断ち切られた。唐突に現れた何者かの腕が、背後からフィリエを締め上げたからだ。
「なっ……誰?!」
 応えの代わりに、分厚い布の塊を口と鼻に押し付けられた。気道を覆われ呼吸が奪われるだけではなく、強いアルコール臭がする。
 意識が遠のきそうになって、ようやく自分が罠に嵌められたことに気がつく。そしてその罠が誰の手によるものかも。
「そんな……どうして」
「申し訳ありません。こうしないと息子が……息子の命が……」
 泣き濡れた女の顔が闇の彼方に沈んで行く。意識が闇に囚われる寸前、フィリエの脳裏に浮かんだのは父でも兄でもなく、自分が居間に置き去りにした男の姿だった。
 ――わたしの所為で……ごめんなさい。ラドルフさん。



 ようやく合流した姫君専従の護衛達と共に襲撃者を退け、使用人達の暮らす塔までやってきた時、既に炎は消し去られていた。濃紺の空に浮かんだ無数の星屑の狭間を、白い煙が一筋棚引いている。
 離宮の厨房を任されている男が指揮を取り、井戸からくみ上げた水をバケツリレーの要領で運んでいたらしい。ラドルフが駆け寄ると、煤だらけの顔を綻ばせて振り返った。
「炎は大方消し終えました。こちらは全員無事です」
「それは良かった。あんた取り得は料理だけではないんだな」
 ラドルフは刃を拭って鞘に収めた。元々離宮で働いている使用人や姫君付きの侍女達が、続々と離宮の中庭に集まってくる。皆、腕や顔があちこち煤で汚れているが、酷い怪我をしている人間はいないようだ。
「それでフィ……いや、姫様はどうした?」
「姫様?姫様のお顔は見ていませんが……」
 あまりに呆気のない返答に、背筋を一筋冷たいものが駆け抜ける。撤退した敵。ここにはいない姫君。その事実が指し示す答は一つしかない。
 ――やられた。




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