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月の宝珠
第二章 公主の結婚〜


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 一度も会ったことのない、顔も知らない相手でも、女が一人、自分の所為で芋虫のまま串刺しにされるのは、さすがに寝覚めが悪い。
 黒装束の一人に止めを刺す寸前、切り替えした剣の切っ先で、ラドルフは布塊を縛っている荒縄を切り裂いた。拘束さえ解いてやれば、後はもう、守ってやる義理はないし、正直、それほどの余裕はなかった。
 地の利のない土地、足場の悪い石階段、味方もなくたった一人で、しかも満月の夜の翌日である。一人目を倒して、二人目を叩き斬り、三人目をかろうじて切り捨てたところで、息が上がった。それでも伊達に人生の半分近くを、戦場で暮らしてきたわけではない。四人めと五人めは、しばし同時に相手をし、相手が息を合わせて挑みかかってきたところで、敢えて後ろ向きに数十段の階段を踏み外して下方に転げ下りた。目論見は見事に成功し、互いの味方の刃で身体を貫かれた黒装束が二つ、遅れてラドルフの横を転げ落ちて行く。
 ――踏み締める屍(かばね)。飛び交う悲鳴。拭う血脂。
 故郷も家族も未来への展望もなくただ無為に過ごした数年間。それだけが生きている証だった。――あの日あの夜、あの娘に出会うまでは。
 ようやく大方を倒し終え、服の袖で額の汗を拭った時、廃寺へと続く石階段の階下が明るくなった。無数の灯火は松明、響く掛け声は藩王の邸の護衛達――ようやく、公主の不在と侵入者の存在に気がついたのだろう。
「――追っ手か」
 さすがにこの状況で、追っ手と黒装束、両方の相手できかねる。血脂に濡れた愛剣を手に、ラドルフは石階段脇の笹藪(ささやぶ)に飛び込もうとした。逃げるが勝ちというわけではないが、もともとこちらは、金で雇われただけの人間である。雇い主に裏切られた以上、報酬は望めないだろうし、後は勝手にやっていただきたい。
 飛び込もうとした、その足を強かに打たれて、思わずその場に膝を折る。かろうじて体勢を立て直し、振り向きざまのラドルフの斬撃を、相手は軽がると避けて見せた。構える得物は巨大な槍(やり)、脂の乗り切った弁髪は、西大陸に知り合いなどいるはずのないラドルフのたった一人の顔見知り――浩漢である。
「貴様!」
「……この界隈で一番大きな街が栄雅だからな。この辺りで張っていれば、いずれは現れると思っていたのだが、まさか敵方で来るとはな」
 一体、何の話をしているのかはわからなかったが、互いに剣花を散らしながらのやりとりである。友好的であるはずもない。浩漢が使い手であることは紛れもない事実であり、ラドルフとしても気を抜いてはいられない。
 何度目かに互いの武器を放し、息を整える為に身を屈めた時、背後で何かが裂ける音がした。荒縄は切ったが、幾重にも巻かれた布を解くことはできなかったのだろう。捕らわれの公主が、布を解くことを諦めて、懐剣か何かで布を中から切り裂くことにしたらしい。外界の様子が尋常でないことくらい伝わっているだろうに、この冷静な判断はなかなか根性があって――頭も悪くない姫君だ。
 多少破れかぶれの気があるとはいえ、ラドルフもフィリエと再会するまでは、今はまだどうしても死にたくない。ここはもう、姫君を人質に取って逃げ出す算段をした方がいいかと考えた時、芋虫を形作っていた一番外側の布が割れ、そこから栗色の毛がはみ出した。
「……お前!」
 波打つ栗毛、鳶色に輝く瞳。華奢ではあるが鍛え上げあれら四肢の持ち主は、西大陸の公主ではない。姫君は姫君でも、この娘は東大陸の大国、シルヴィア王国の姫君だ。
 すべては緊迫した戦いの最中での出来事、ラドルフに油断があったわけではないが、動揺はあった。ほんの刹那、意識が逸れたその次の瞬間には、浩漢が振り上げた槍の柄が鳩尾に食い込んでいた。
 重い衝撃に目の前が暗くなり、胸奥から吐き気がせり上がってくる。それでも剣を手放さず、かろうじてその場に踏みとどまった後ろ首に、強烈な手刀が落ちた。
「悪いな。あんた相手に加減をしていたら、こちらがやられる」
 ぎりぎりで繋ぎとめていた最後の意識を失う寸前、ラドルフが最後に見たのは赤く染まって歪んだ月だった。



 浩漢の部下である公主の護衛達に見つからず、ラドルフを藩王の邸に運び込むのは至難の業だった。
 ただでさえ、ラドルフの身体は上背がある上、気を失っている人間の身体は通常より重く感じるものだ。浩漢の助けを駆り、公主を攫いにきた誘拐犯を人目につかないように寝所に運び込んで、フィリエが使っていた寝椅子に横たえた時には、全身が汗だくになっていた。
「……ラドルフさん」
 横たえられたまま、意識を取り戻していないラドルフの顔には疲弊の色が深い。昨夜は満月、一晩中呪いの苦痛に苛まれた上に四面楚歌での戦闘は、いかにラドルフといえども荷が重かったはずだ。
 きつく閉ざされた眦、鋭く切れ上がった顎の線、薄く引き締まった唇は、客観的に見てかなり整っているとフィリエは思う。顔の左側が焼け爛れているというだけで、時折、彼を見て眉をひそめる者がいるが、それはただ単にそんな人間達に見る目がないだけのことだ。
「よかった、ラドルフさん……」
 ラドルフの意識がないのをいいことに、きつく寄せられた眉間にそっと指を寄せてみる。
 ――彼はここにいる。生きて、こうして、手を伸ばせば届く程の近くに。
 触れた指先からは乾いた肌の感触と、人の温もり、そして確かな息吹が感じられた。調子に乗って掌を滑らせて、左胸の鼓動を確かめようとした瞬間、伏せられていた睫が揺れた。
「よかった、気がつきましたか――って、ラドルフさんっ!」
 気づいた時、フィリエの体は寝椅子に仰向けに横たわり、その上に、体の半分が焼け爛れた男が馬乗りになっていた。左腕だけでフィリエの身体を拘束し、大きな右手が、フィリエの首を夜具に縫いとめている。締め上げる必要もない。彼がほんの少し力を込めただけで、フィリエの首の骨など、一瞬で折られる。
「お前……」
 閉ざされていた瞼は開かれ、乾いた唇から荒い息が漏れている。低く、かすれて、聞きようによっては不機嫌とも取れる声で、一言。
「……夢か」
 ラドルフにしてみれば廃寺からこの場所までの意識がないのだから、そう思うのも無理はない。夢ではないことを伝えたくて、フィリエはラドルフの頬を両手で挟んだ。万感の思いを込めて微笑みかけると、血の味がする唇がフィリエの唇を掠めて降ってきた。
啄ばむような口付けを繰り返し、息苦しさに負けて開いた口の中にラドルフの舌が入り込んで来る。フィリエにとって口付けは、あの氷と雪の神殿以来の出来事だ。慣れない行為に戸惑うフィリエの舌を絡めて取って、散々に蹂躙した熱い舌先が、そのまま首筋に移動した。
「ラ、ラドルフさん!ちょ、ちょっと、待って――」
 上げかけた抗議の声は、再び合わされた唇によって飲み込まれる。両腕はラドルフに柔らかく拘束され、せめてもの抵抗に自由になる脚を振り上げてみたものの、膝を膝で割られて固定され、全くの逆効果にしかならなかった。
 割られた衣服の裾をさらにたくし上げるようにして、男の掌が侵入してくる。素の肌に直接触れられると、決して嫌ではないのに肌が粟立ち、知らず知らずの内に息が上がってしまう。
「あっ……」
 これまでのこと。今後のこと。どうして彼が敵方で現れたのか。確かめなければならないことも、話さなければならないこともたくさんあるはずなのに、意識が霧散して、どうにも思考がまとまらない。耳朶を甘く噛まれて、低い声で名を呼ばれると、酒にでも酔ったかのように頭がくらくらしてくる。ああ、もうこのまま流されるのかもしれない……と半ば覚悟を定めかけた時、入り口の方角から、至極冷静な声が響いた。
「取り込み中に申し訳ないが、預かりものを受け取ってもらえるか」
 瞬時に現実が頭に流れ込んできて、フィリエは全身の力を振り絞ってラドルフを押しのけた。微かに顔をゆがめてフィリエの上から退いたラドルフが、小さくち、と舌打ったような気がしたのは、多分、気の所為だろう。
 冷静さを取り戻してみると、襟元は肩が見えるくらいまでくつろげられ、衣服の裾は腿の近くまでたくしあげられていた。大慌てで衣服の乱れを直すフィリエには目もくれず、浩漢は鞘に収められたままのラドルフの剣を無造作に投げ捨てた。右腕を伸ばしてそれを受け取ったラドルフが、剣の柄に手をかける。まさしく一触即発の空気に、フィリエはラドルフの肩にしがみついた。
「ラドルフさん!浩漢さんは、わたし達を助けてくれたんですよ!」
「栄雅は、この辺りでは唯一の大きな街だ。この街で腕に自信のある者を集めていると聞けば、あんたほどの使い手ならば、生きていれば必ずやってくるだろうと踏んでいた。しかしまさか、敵方に雇われるとはな。やっぱり、あんた、本当は誘拐犯――」
「やかましい!」
「まあ、折角だ。どうだ、あんたを雇った人間の特徴を聞かせてもらおうか」
「――俺には、貴様に協力する謂れなどない」
 わざわざ労力を割いて、ラドルフをこの邸に運びこんだことも、フィリエを匿ってくれていたことも、こちらに恩を着せる為の策略だとしか考えられない。思えば、はじめて会った時から、どうにも気に食わない相手ではあった。大体、東大陸から帰ってきたばかりの男が、どうして、一国の公主の護衛を束ねる役を担っているのか。
 閉ざした瞼の裏側に、緋燕と名乗った少年の最期の顔が映った。たまたま一時と共にしただけの完全なる行きずりの関係だ。勝手にこちらがかつての自分を重ねていただけで、仇を取ってやる義理などない。――が。
 見開かれた瞳。声にならずに虚空に巻かれた最期の言葉。
「人を虚仮にした報復はせてもらう」
「――交渉成立だな」
 拳を握り締めたラドルフの言葉に、浩漢は満足そうに口の端を持ち上げた。この男の正体については――行動を共にしていれば、おいおいわかることもあるだろう。
 ラドルフと浩漢のやりとりを見守っていたフィリエが、ラドルフの肩から手を離して微笑んだ。その笑顔に懐かしさを覚えるのは何故なのだろう。まるで二度と帰れぬ故郷に帰りついたかのように、彼女が触れたその箇所から、凍りついた何かが溶けて流れて行く気がする。
「ラドルフさん、今の台詞、ものすごく悪役っぽくて、素敵でした!」
「――お前まで言うな!」
 その後に続いたやりとりが、心温まるものであったかは、ともかくとしても。



「東大陸の剣客に、シルヴィア王国の王女だと?――何だって、そんな人間が西大陸に」
 黒装束の男の報告に、白髪混じりの弁髪頭が伏せていた首を上げた。
 東大陸と西大陸の交流が復活して数十年、両大陸の交流はあくまでも商的交流であり、政治的交流は未だ完全に復活してはいない。
 それでも西大陸である程度の地位にある人間ならば、シルヴィア王国の威光は耳にしたことがあった。その経済力、政治力、軍事力は、現在の西大陸で最大の国家である景国をもしのぐであろう。
「――全く、相変わらず何を考えているかわからない御仁のようで」
 黒装束の男が、表情のない顔に苦笑をひらめかせる。彼は今回、異大陸の剣士の手によって、部下の大半を失っている。擦り傷だらけの部下の顔に一瞥をくれ、男は視界を狭めた。
「まあいい。醒の公主を景王に嫁がせはしない。――絶対にだ」





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