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月の宝珠
第二章 公主の結婚〜


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 西大陸の食事は、大皿にのって供される。
 主食は蒸すか焚くかした米で、それに必ず汁物がつく。季節の野菜は油で炒め、海の側では魚も食べるらしい。
交流が復活して数十年、東大陸では密かに、西大陸の人間は、四脚のものなら机以外何でも食べる……などと噂されていたものだった。毛むくじゃらで赤毛の可愛らしい犬が、翌日に食卓に上っていた時にはさすがに驚いたが、今日の食卓で、珍しいのは拳大の蛙の丸焼きくらいで、それほど素っ頓狂な品はないようだ。
 今宵の夕餉は、延国亜州の州都にある、藩王と呼ばれる地方領主の別邸だった。フィリエ以外の人間は皆、席に着いていて、後は箸を取り上げるばかりになっている。急いで席に向かおうとしたフィリエに向かい、黒い髪を高く結い上げた12、3歳の少女がぶんぶんと大きく手を振った。
「フィリエ、フィリエ、こっちじゃ!遅かったな」
「――公主様、公主様!お座り下さい、はしたない!」
 側仕えの老女が、すかさず声を上げる。小さく首を竦め、利発そうな瞳を輝かせたこの少女は、西大陸は醒国の第18公主――名を李小麗と言う。
 ――あんたに、一つ、頼みたい事がある
 そう言って浩漢が持ってきたのは、延国に滞在している、隣国醒国の公主――西大陸では姫君を「公主」と呼ぶ――の護衛の仕事だった。
 西大陸の女は、通常、自分の手で剣を取って戦わない。大陸横断船で海賊相手に剣を振るうフィリエを見て、公主直属の護衛にどうかと白羽の矢を立てたものであるらしい。
 未だ行方のわからないラドルフのことを思えば、流れ着いた漁村を離れるのは気が引けた。しかしフィリエが船から持ち出せたのは、自身の命とわずかな貴重品のみ――要は無一文のすっからかんだったので、ラドルフと再会するまでに、干上がってしまうわけにもいかなかったのだ。
「――よりにもよって、異大陸の人間が、公主様の護衛など」
「船の沈没で夫とはぐれたなんて、本当は遊女か妓女の間違いではなくて?」
急いで自分の席について、食事を初めようとした時、艶やかな声が辺りを響いた。人でも食らったような赤い唇、やけに小さな脚の持ち主は、藩王の娘や妾達――いずれ劣らぬ西大陸の貴婦人方である。
フィリエは船の沈没によって夫とはぐれたが、遊女でもなければ妓女でもない。それでもフィリエにわかったということが、その場の誰にもわかった。次の瞬間、空を切ったのは金属の棒――「箸」と呼ばれる食事道具の一種だった。
 長さは人の肘の丈くらいの、鶏肉と青菜の炒め物を取り分ける為のそれなりに先端の尖った金属の棒が、女の背後の壁に突き刺さる。孔雀の羽のついた扇が、ぱたりと床に落下した。
 東大陸で食事に用いられるのは、主にナイフとフォーク――あとは木匙が精々で、最初の頃は、うまくものがつかめなくてかなり困った。だがそんなフィリエとて、箸が食事に使うものであって、武器でないことくらいはわかる。
「――そなたら!」
 武器――ではなくて、箸を放った小公主が、大音声で呼ばわった。彼女の隣の椅子で、側仕えの老女は完全に目を剥いてしまっている。白目を剥いた老女のすぐ脇で、輿入れ前の公主は、あろうことか椅子の上に仁王立ちになり、白い人差し指を振り上げている。
「フィリエは我が護衛ぞ!フィリエを侮辱するは、私を侮辱すると同じと思うがよい!」
 フィリエ自身、元を正せば東大陸の大国シルヴィア王国の王女であり、国を背負って他国に嫁ぐ直前でもあった。幼い頃から剣を振り回して、側仕えの者の目を丸くさせた経験も数限りない。
 ――今になって、その時の周囲の人たちの気持ちが、ほんの少し、わかったような気がする。
「フィリエ、気にするな。そなたの夫はきっと見つかる。――さあ、食べよう」
 側仕えの者に白目を剥かせる公主は、すとんと椅子に腰掛け、蒸したての饅頭をぱくついている。
 食べることは生きることに通じる。人が美食を求めるのは、より良く生きたいという本能の現われだと、シルヴィア王国の王宮料理人はよく言っていたものだった。
 王宮育ちのフィリエは、こんな程度の陰口悪口雑言には慣れっこだし、食事は美味しく、部屋も清潔で居心地がよい。護衛として雇われはしたものの、今のところはまだ、剣を抜くような事態には遭遇していない。
 ならばここは来るべき日に備え、たっぷりと栄養を蓄えておくに限る。至極冷静にそう判断し、フィリエは、目の前の蛙に取りかかかることにした。



 西大陸沿岸に位置する醒国は、かつて西大陸で最も繁栄した国家であった。
 その勢力が衰えたのは今から二十数年前、当時の王が正妃所生の皇太子を疎み、妾妃腹の第二王子に王位を譲ったことに端を発する。
 国を二分する戦い、内紛に次ぐ内紛で、醒国はそれまで一手に担っていた西大陸に置ける制海権を完全に消失する。そうしてついに半年前、景国との国境である紅河流域で起こった戦で、新興国家である景国に大敗北を喫してしまう。
 即位したばかりの景国王が、和睦の条件に示したのが、醒国公主との婚姻だった。末の姫君である18公主の領地は、東大陸との交易に欠かせない貿易港をいくつも含んでいる。行く行く、二人の間に跡継ぎが生まれれば、貿易港のすべてが景国の領土になるといった算段の上での典型的な政略結婚だ。
 戦争の終結と和睦から半年あまり。醒国を出立した公主一行は、現在、延国亜州の州都である栄雅(えいが)に滞在している。



 灯篭の灯りも眩い裏街道に、むせ返るような香が炊かれている。
 路地脇で袖を引くのは、首まで白く塗った女達の集団だ。目をつけた男の腕を引き、近場の宿やら小路の一角で、わずかの金で我が身を売る。
少し歩けば赤い格子に囲まれた遊郭と呼ばれる一角に行き当たり、多少懐に余裕のある男は、屋根と壁のある部屋で、酒と女を購うことができる。
どこの世界でも、街の裏の顔など似たようなものだ。住む世界が違っても、人間の本質が変わらないからなのかもしれない。
 頭からすっぽりとフードを被り、口許を風避け布で顔を隠した男の袖に、白い指が絡まった。相応に顔かたちの整った若い女が、見かけとは裏腹の強い力で男の腕を捕えている。
「お兄さん、東大陸の人間だろ?――どうだい、お安くしとくよ?」
 引っ張られた勢いで布がずれ、男の顔の左側――焼け爛れた皮膚の一部が剥きだしになった。一瞬、小さく息を飲み込んだものの、それでも女は袖を離そうとはしない。
「ひっ……西大陸の女ははじめて?ねえ、いいだろう?」
 その見上げたプロ根性に、一瞬、本気で感心しそうになったが、そもそも女を物色するつもりでこの界隈に足を踏み入れたわけではない。白い掌を掴んで引き剥がすと、思っていたよりはるかに乾いて、筋の浮いた手をしている。
「悪いな。俺はこれでも一応、妻帯者なんでな」
 なおも取りすがろうとする女を引き剥がし、一つ角を曲がると、漂う気配は一変した。どんより淀んだ熱気の片隅で、薄暗い目をした男がたむろしている。彼が路地裏に足を踏み入れると同時に、そのうちの一人がゆっくりと何かを振り上げてきた。
 こんな程度の相手に、剣を抜くまでもない。男が振り上げた棍棒をラドルフは身を捩るだけで難なく避けた。石壁にぶつかった棍棒が砕けて周囲に木っ端が舞い散る。
 首根っこを掴んで鼻先を2、3回壁にぶち当ててやると、すぐに意識を失い大人しくなった。その間、背後から挑みがかってきた男2名は、剣の柄に急所を砕かれ、当の昔に地面の上である。
「……ったく、手応えのない」
 鞘のままの剣を腰帯に戻し、倒れた男の腹を軽く爪先で蹴り上げる。さて、どうしたものかと踵を返そうとした時、路地裏のさらにその奥――闇のわだかまる空間から、声がした。
「なるほど。使い手と言うのは本当らしいな」
 現れたのは、頭髪に白いものが入り混じった、四十がらみの中年の男だった。
この大陸では、男も女も裕福であればあるほど、布地の多い服を着る。質素ではあるが長い袖や幅のある上着は、男が恐らく、相応の地位にあることの証であろう。
「……俺に仕事を頼みたいと言ってきたのは、貴様か」
「――左様」
 長い袖から覗く拳の、薬指に黄金色に光るものがあった。東大陸ならばこの指に指輪を嵌めるのは既婚の証だが、まさか西大陸にも同じ風習があるわけでもあるまい。
「――内容は」
「現在、この栄雅に醒の公主が滞在している」
 その話ならば、西大陸にやって来て間もないラドルフでさえも聞いたことがあった。命からがら海岸に流れ着き、この地域で最も大きな街にたどり着いてようやく数日。かつて西大陸一の勢力を誇っていた醒国が、新興の国家である景国に大敗したこと。景国王が望んだのが、賠償金でも領土でもなく醒国の末の公主であったことは、街のもっぱらの噂だ。
「それがどうした」
 差し出された皮袋の重さで、報酬の大体の額を推し量る。西大陸と東大陸の交流が復活していてよかった。おかげで、通貨の基準は違っても大体の価値は推測できる。これだけあれば、当面は生活の心配をせずに、沈没した大陸横断船の乗客のその後を追えるだろう。
「成功した暁には、その倍――三倍、支払おう。滞在先は、街外れの藩王の別邸。現在、腕の立つ護衛を幾人も集めている。――その腕の立つ護衛から、公主を奪い取ってもらいたい」




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