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月の宝珠
第五章 君がいない未来〜


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 王位継承争いと、そこから派生した隣国との戦争が終結してから一年余り、ロルカ国の国政は一応の安定を見せていた。
 道行く旅人たちも、そこで暮らす人々の表情も、数年前とはうって変わったように明るい。国が落ち着けば、商人たちは腰を据えて商いに励むので、ロルカ国の人口はこの一年で一割増したという統計もある。
「いや、まったく、この数年間はどうなるかと思ったけど、即位してみれば、それなりに出来た王様だったじゃないか」
「そりゃそうだろう。何しろ王様は王妃様の子なんだからさ。どこの誰だかも知れない外国女の息子とは格が違うんだよ」
「そうそう、王様といえば、もうすぐ――」
 果樹栽培を主産業とするロルカ国王都で最も賑やかな界隈は、通商・酒蔵通り呼ばれている。読んで字のごとく、ワイン作りの酒造が立ち並び、卸しに小売りに商いを張る界隈である。
 東方山脈の頂を上流に、タタール湾へと注ぐイリン河を、大きな樽を乗せた商船が幾艘も行き交って行く。
 今日もまた、酒を売る者、買う者でごった返した通りの道半ば、口許に風避け布、頭からすっぽりとフードを被って顔を隠した男は、浮き足立った街の噂から、逃げるように踵を返した。
「何しろ、めでたいことじゃないか。もうすぐ、このロルカにシルヴィア王国の姫君が嫁いで来るなんて――」
 ロルカ・シルヴィア間の戦争が終結してから、もうすぐ2年が経過しようとしていた。



「――久しぶりだね!元気だった?!フィリエちゃん!」
 その日、シルヴィア王国の王宮を訪れた赤毛の男は、底抜けに明るい声を、これでもかと言う程に張り上げた。
「カイジャンさん!ご無沙汰してます!」
 迎え入れたのは、他でもないこの国の姫君、フィリエ・シルヴィア王女である。王女の護衛役であった男と供に、フィリエをシルヴィア王国に送り届けてから一年、再び傭兵生活に戻った男が、ちょっとした用を済ます為にシルヴィア王国に立ち寄ったのが三日前、駄目もとで王女に接見を申し出ると、二つ返事で王城から迎えがやってきた。いくら顔見知りとはいえ、一介の傭兵があっさりと王城で姫君と謁見できるこの国の治安はどうなっているのか。他人事ながら、心配にならないでもない。
 カイジャンが招き入れられたのは、王宮内の一角、中庭の庭園に程近い、硝子張りの一室だった。壁どころか屋根までもが硝子張りで、四方から燦々と陽光が降り注いでくる。
 別れてからほぼ一年近く、久方ぶりに見た王女は少し痩せ、少女から女性への色香を身に纏いはじめていた。それが、恋い慕った男に置いて行かれた悲しみから派生しているのだとしたら、彼女の人生にとって、あの男の存在も、そう捨てたものではなかったのかもしれない。旧友としては、手を伸ばせば届くところにあった幸福から、あえて目を逸らした友人を、殴り飛ばしてやりたくもなるのだが。
「縁組が決まったんだってね。フィリエちゃんも、もうすぐロルカの王妃様か。――おめでとう」
 カイジャンの言葉に、フィリエはどこか寂しげに瞼を伏せて見せた。
 カイジャンが彼女と出会ったのは、一年と少し前、シルヴィアより北方にある港街の一角で、彼女が旧友の傭兵――ラドルフ・インバートと共にあった頃のことだった。
 あの頃、身体の半分が焼け爛れた男と共に歩いていた彼女は、とても王女には見えなかった。出会ったのはまったくの偶然だったが、あいつもようやく身を固める気になったのかと、柄にもなくしみじみとしたくらいだった。
「――ロルカの新王様も悪い噂は聞かないし、フィリエちゃんなら、きっといい王妃様になるよ。……君を置いていった男のことなんか、さっさと忘れちまえ」
 フィリエにとってカイジャンがラドルフのおまけ程度であることなど、重々、承知している。カイジャンを王城に招き入れた瞬間、彼女の瞳に走った哀しげな色合いに気づかないでいられる程、彼は鈍くはない。
 こうして彼女と再会できたのは嬉しいが、カイジャンの存在など無視して素通りするのが、一国の王女であるフィリエの正しいあり方なのだ。あのどこまでも不器用だった男も、それをわかっていたから――彼女の前から、姿を消した。
 出された茶は、恐らく、西大陸からの輸入品だろう。香りも味も最高級の緑茶だった。カイジャンのような一般庶民には、一生かかっても手を出せない品だ。
 しばらく黙って茶の味を楽しんでいると、桜色の唇から声がした。
「――違います」
「フィリエちゃん?」
「ラドルフさんがわたしを置いて行ったんじゃない。わたしが、あの人を置き去りにしたんです」
 握り締めた小さな拳は、微かに震えていた。
「――わたし、探したんですよ」
「……?」
「ミドルバさんや、エリトリアで泊まっていた宿の女将さんにも協力してもらって。ラドルフさんの姿を見たら、教えて下さいって――」
 現在の東大陸で最大の国家の王女が、その気になって包囲網を張れば、よくも悪くも人目を引く外見の男の居所を突き止めるのは、決して無理な話ではない。しかしまあ、あの状況で置き去りにされて、泣いて諦めたならともかく、王女の権力を駆使して、置いて行った男を捜していたとは。
 ……恐ろしい。恐ろしすぎる。
「だけど途中で気がついたんですよね。わたしは、あの人のことを何にも知らないんだなって……」 
 フィリエが姿を消したラドルフを探そうとしても、知っているのは彼がずば抜けた剣士であるということと、身体の半分が無残に焼け爛れた外見であるということくらいだ。これでは指名手配と変わらないと、一国の王女は心底悔しそうに、言った。
「ごめん、フィリエちゃん。悪いけど、今度は俺もラドルフの行き先に心当たりなんてないぜ。――今更、あいつが故郷の親のとこに戻ってるとも思えないしな」
「――え?」
 首を傾げたフィリエに訝しそうに見つめられ、カイジャンは自らの失言を悟った。
「あ、いや、えっと。その……参ったな、あいつ、君に話してなかったのか」
「ローデシアにはもう誰も……待っていてくれる人はいないって、そういう話はしてことがありましたけど」
「――生きてるぜ。あいつの生みの親」
 カイジャンの言葉に、フィリエは思わず瞳を瞬いた。
「ヒュードリヒ家が焼けた後……元老院や軍から追われて、行き場がなくなって、飢えて疲れて、一度、故郷の親を頼ったことがあるそうだ」
 犯罪者となった自分の存在が、故郷の両親にどれほどの苦痛を強いたか。それがわからないほど浅はかな男ではない。ローデシアの気候は、帰る家を持たない人間を黙って生かしておくほど優しくはない。月が満ちるたびに訪れる呪いの苦痛に苛まれながら、それでも一縷の望みを託さずにいられない程――恐らく、その頃のラドルフは疲れ果てていた。
「母親は家から一歩も出て来なかったそうだ。門の外まで出てきた父親は、あいつの足許に金と食料を投げつけて、これで金輪際縁を切ってくれと言ったそうだ。まあ、俺に話した時にはもう、あいつが国を出て何年かたった後だったからな。……普通に、笑って話してはいたが」
 眼は真っ暗だったと、カイジャンは言った。
 黙っていると涙が浮いてきそうになって、フィリエはきつく拳を握り締めた。拳を握って顔を上げたフィリエを見て、カイジャンは本気で気圧された表情をした。
「カイジャンさん」
「……フィリエちゃん?」
「カイジャンさんに、お願いがあります」




 夕闇が迫り初めた山道に、不穏な気配が満ちていた。
 生い茂った木々の葉の向こうで、誰かが息を潜めている気配がある。一人や二人ではない。気配からして、二、三、四……精々、五人と行ったところか。腰に佩いた剣の柄に手をやって、ラドルフは口の端を持ち上げた。
 案の定、現れたのはいかにも山賊ですと言わんばかりの、薄汚れた男の集団だった。脂が浮いてきそうな顔に無精ひげを生やして、全員が手に武器を帯びている。
「おい兄ちゃん、もうすぐ日も暮れようってこの時刻に、山道を一人で行こうなんざ、少々命知らずなんじゃねぇか?」
 集団の中で最も年嵩に見える男が、舌なめずりしながら近づいてくる。ロルカ国もそれなりに落ち着いたとは言っても、それは街場だけのこと、今でも山道には出るとは聞いていたので、今更、それ程驚きもしない。
「腰に立派なもん下げてるようだが、たった一人で何ができる。悪いことは言わねぇ。荷と金を置いてきな。そうすりゃ、命までは取らな――」
 口上は最後まで続かなかった。抜刀したラドルフの一太刀が、男の喉笛を掻き切っていたからだ。
 まさか今夜の獲物と思った旅人が、問答無用で剣を抜くとは思っていなかったのだろう。夜盗の集団にざわめきが走る。棍棒を振り上げて挑みかかってきた男の垢で汚れた右腕を切り落として、ラドルフは血で濡れた白刃を振った。
「たった一人で何が出来るだと?笑わせてくれるな。つるんだところで、その一人も倒すことの出来ない、屑共めが」
「――てめぇ、ふざけやがって!!」
 年嵩の男が振るった鉈のような武器が、ラドルフ剣の切っ先に弾かれて谷底に落ちて行く。その後を、刃こぼれした剣を持っていた、集団の中で最も体格の良い男が追った。張り出した木の枝や岩が肉を割いたのだろう。低い悲鳴が木霊のように響いて、聞こえなくなる。
 残った二名のうち、三日月型の刀を持った若い男の方が、案外まともな相手だった。かつての旧友とよく似た得物だが、所詮、使う人間の腕が違う。何度か打ち合ううちに、息が上がり、足が縺れてまともな構えもできなくなった。
「た……助けてくれ。頼むよ」
 情けなく大地に首を垂れた男に止めを刺す気にもなれず、黙って踵を返す。まったく、これでは退屈しのぎにもなりはしない。せめてもう少し手ごたえのある相手であれば、鬱屈した気持ちの一つも晴れたものを。
 夕闇が落ちかけた山道を数歩歩いた時、背後に気配を感じて立ち止まる。いや、気配自体は先から感じてはいたのだが――
 命乞いをしたふりをして、挟み撃ちにする計画だったらしい。行く手に立ちはだかる三日月型の刀を剣の鍔で弾いた時、背後に迫っていた男が、斧を持ち上げてきた。難なく身を捩ってそれを避けると、顔を隠していた布地が枝に引っかかって、焼け爛れた左側の顔が剥き出しになった。
「ひっ」
「こいつ、――化け物かよ?!」
 山賊の生き残りが、蛇にでも噛まれたような声を上げて退散して行く。これではどちらが善良な旅人かわかったものではない。態度も台詞もいい加減言われ慣れすぎて、今更、傷つく心などありはしないが。
「化け物……か」
 剣を拭って鞘にしまった時。
「よお。相変わらず、いい腕してんな」
「カイジャン、お前――」
 懐かしさを覚える赤毛が、目の前に立っていた。



 結局、余計なことに時間を取られたお陰で次の街に迎えず、その夜は山の中で野宿になった。季節は夏の真っ只中で、旅慣れた傭兵二人、炎を囲んでいれば寒いこともない。燃える焔に薪を投げ入れながら、ラドルフは保存食の乾パンを口の中に放り込んだ。
「ラドルフ、お前、ローデシアからの玉輸送の護衛をやってたのか」
「まあな。一応、俺はローデシアの土地勘があるからな」
 ラドルフがローデシア選王国を去って間もなく、ミドルバ王は元老院を押さえ込み、ローデシアの玉を東大陸に流通させ始めた。同時、閉鎖的だったローデシア国内にも他国の文化が流れ込み、ロルカ国が落ち着きはじめたことといい、時代は大きな転換期を迎えようとしている。
 争いごとがなくなれば干上がるのが傭兵という商売で、この一年は、どの国でもあまり大きな戦争がなかった為、傭兵ギルドに掛け合ってもまともな仕事が廻ってこなかった。もっとも、夜盗やら山賊やらは今でもあちこちに跋扈しているので、隊商の護衛やら用心棒の真似事で、しばらくは食いっぱぐれることもないだろう。元が軍人上がりなので、傭兵の仕事自体は嫌いではなかったが、正直に言うならもうしばらくは、国だの政治だのには係わりたくない。
 噛み切った乾パンを口の中で咀嚼していると、皮袋から水をがぶ飲みしていた男が、ロルカの街中で散々耳にした話題を持ち出してきた。
「――フィリエちゃん、縁談が決まったんだってな。もうすぐシルヴィアで国民にお披露目をやって、そのままロルカに輿入れしてくるそうじゃないか」
「……その話なら、知っている。ロルカの国中、その噂で持ちきりだったからな」
 行けども行けども聞こえてくるその話題に辟易して、泊まるはずの宿にも泊まらずに山道を進んできたわけだが、そんなことはもう、どうでもいい話だ。
「行かないのか?フィリエちゃんのドレス姿が拝めるんだぜ?」
「何で俺がそんなところに行く必要がある。大体、シルヴィアの民でもない俺が、そんな場所に入れるか」
 王宮の大広間を国民に開放し、嫁入りする姫君を披露するというなどというふざけた習慣は、先代の王の時代に始まったらしい。そうしてロルカに嫁いだ王女が生んだのが現在のマルコ3世で、フィリエとは従兄弟同士の関係になる。顔も名前も知らない敵国に人質同様に嫁がされることもある王族においては、格段に恵まれた縁組だろう。二番目に生まれた男子は養子としてシルヴィアに引き取られることが今から決まっているそうで、行く行くは、ロルカとシルヴィアの王は兄弟になるということだ。
 取りとめなく埒のないことを考えていた鼻先に、ひらひらと白い封筒が振りかざされた。一瞬、わけがわからずに目を瞬いたラドルフに向かい、カイジャンはにやりと笑って見せた。
「じゃ〜ん」
「……?」
「お前がそういうと思ってさ。これ、フィリエちゃんからの招待状。なんと、シルヴィア王家の紋章入り。これさえあれば、シルヴィアの国内はフリーパスだぜ?」
「な……」
「詰めが甘いんだよ、お前は。顔を隠した怪しい剣士が、エリトリアやロルカで隊商の護衛をやってるって、一部じゃ噂になってたんだよ。そいつが、決してシルヴィアの国内には足を踏み入れないってのもな」
 二の句が告げないラドルフの手に招待状の封筒を押し付けて、カイジャンはその場にごろりと横になった。傭兵の旅の七つ道具の毛布に包まって、すぐに寝息を立て始めてしまう。
 手の中に取り残された封筒を握りつぶそうとして、ラドルフは思わず、空を仰いだ。
 薄墨色の夜空に浮かぶ月は下弦の三日月、ここからシルヴィア国内に向かったとしても、満月までには王都に入れる。
 しかし――
「……行きたくない」
 呟きが夜陰に跳ね返る。一体、何が悲しくて、好きな女が他の男のものになる姿をわざわざ拝みに行かなければならない。だがその夜、ラドルフはどうしてもその白い封筒を破り捨ててしまうことができなかった。




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