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月の宝珠
第五章 君がいない未来〜


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 シルヴィア王国は東大陸の南方に位置し、現在の東大陸で最も栄えた国家である。
 十八歳で即位したフェルナンド5世の治世は既に四十年に及び、近年はエルモンド王太子にほとんどの政務を移行している。父王から政権を移譲された王太子は積極的に、ロルカ国の内紛にも干渉し、どちらかといえば保守的だったフェルナンド5世の治世に比べ、辣腕家との評判も高い。
 そんなシルヴィア王国に、遊学中だったフィリエ王女が帰国したのは、夏の暑さも盛りを過ぎた頃のことだった。
 温暖な気候に恵まれたシルヴィア王国では、夏の終わりから、はやくも田畑の収穫がはじまる。今年は特に気候に恵まれ、豊作が予測されることに加え、国を留守にしていた王女が、フェルナンド5世時代からの念願だったローデシア選王国との通商交渉を成し遂げてきたとなれば、国中が沸き立つのも無理はない。
 大地と恵みに感謝し、王家の繁栄を祝うシルヴィア王国の収穫祭は、例年以上の盛り上がりを見せた。


 濃紺の夜空に七色の火花が、轟音と共に打ち上げられる。鮮やかに花開いた炎の華が、はらはらと崩れて散って行く。シルヴィア王国王城の渡り廊下で、祭りの始まりを知ったラドルフは、一瞬、進めていた歩みを止めた。
 シルヴィア王国とロルカ国の間で戦争が起こったのが、去年の冬、その戦争が終結したのは、今年の春先のことだ。その頃にはまさか今年の収穫祭を、自分がシルヴィア王国で過ごすことになろうなどとは、思っても見なかった。
 隣国の内紛に巻き込まれて誘拐された王女を、遊学していたのだと言い張る王と王太子も厚顔だとは思うが、素直に信じ込む民の頭も少々お目出度い。数ヶ月間もこちらの都合で王女を連れまわした自覚はあったが、それでも思い起こせば一応は、誘拐された王女を救い出したことには変わりなく、彼女の父やシルヴィアの国民に対し、顔向けのできる戦いをした、と言えないことはない。
 ラドルフが、渡り廊下を渡りきったところにある王女の居城に足を踏み入れると、忙しく立ち働いていた王女付の侍女が何人かが、振りかえって彼を見た。主人の性格は使用される側にも伝染するらしく、身体の半分が焼け爛れた、得たいの知れない男の姿を見ても、怯えもしなければ眉をしかめもしない。
「あら、ラドルフ様。ラドルフ様の方から訪ねていらっしゃるなんて、珍しいですわね」
「ああ、フィ……姫様に、特等席とやらに招待されてな。姫様は中か?」
「ええ。戻って来られてから、公務やら収穫祭の顔見せやらで、お疲れになったんでしょう。今日は絶対部屋で過ごすと仰って」
 遊学と言うのは名ばかりで、実際は彼女自らが望んだ家出に近いものであったことは、王宮内では周知の事実である。しかし、いつ来ても、侍女達が怯えもしなければ眉もしかめず、いそいそと自分を招き入れる理由は何なのだろうと、正直、首を傾げずにいられない。
「――フィリエ、俺だ」
 王女の住まいは、その居城だけでもローデシアの王城一つ分の広さに匹敵する。そんなところで育った王女が、文句の一つも言わずに、外国の宿屋に滞在していたことに、今更ながら驚きを禁じえない。
 内心で微苦笑を漏らしたラドルフの眼前で、贅を凝らした分厚い扉が開いた。



「ラドルフさん!来てくれたんですね!」
 開けた戸の外側にラドルフの姿を見て、フィリエは満面の笑みを浮かべていた。さすがに城の中では姫君らしく絹のドレスを身にまとっているが、髪だけはいつものように頭の後ろで一つに括っている。栗色の尻尾がゆらゆらと揺れて、白いうなじが見え隠れを繰り返している。
 姫君の居室のバルコニーからは、先ほどはじまったばかりの花火が真正面に見える。なるほどこれは大した特等席だ……とラドルフが目を見張っていると、フィリエがいそいそと椅子を持ち出してきた。
「花火ってすごいですよね。どうやったら、あんなに綺麗な炎が上がるんでしょう。最近、西大陸から輸入できるようになったんですけど、まだこの国には職人が少なくて」
「……あの大陸には、まだ俺たちが知らない技術が埋もれているらしいからな」
 星の瞬きや月の光――後は精々、炎の赤や煙の白といった単調な色彩しか見当たらなかった夜空に、極彩色の花を咲かせる技術を、はじめて知った時には驚いた。何よりも、腹が膨れるわけでもなく、敵を倒すわけでもない技術が、異世界では脈々と受け継がれているという事実に、身が竦むほどの衝撃を覚えたことを覚えている。
 東大陸と西大陸の国交は長い間断絶しており、細々と航路が繋がったのは、ここ数十年の話だ。ラドルフも傭兵として東大陸は随分と廻ったが、西大陸に足を踏み入れたことはない。
 そうしている間にも断続的に火花が上がり、赤や白や黄色の炎が一筋の棚引く煙を残して消えてゆく。花火が消えた夜空の片隅に浮かんだ、満月には少し間のある傾いだ月の輝きも今宵は主役を明け渡したかのように、どこか遠慮がちだ。
 無言で打ち上げられる炎の華に見入って、しばらくして、フィリエが部屋の奥から茶器を持ち出してきた。盆の持ち方が危なっかしくて一瞬ひやりとしたが、意外と手馴れた仕草で、二つのカップに茶を注いでいる。
「――どうぞ」
「ああ……どうも」
 何も考えずにカップを受け取って、口に運ぶ寸前で、ラドルフの手はふと、止まった。
「おい、フィリエ、この茶……お前が淹れたんだよな?」
「そうですよ?淹れるところも渡すところも、今、見てたじゃないですか」
「……」
 思わずまじまじとカップの中身を見つめてみる。香しい薄茶色の液体は、不気味に波打ってもいなければ、メダカが泳いでもいない。
「ラドルフさん、今、わたしの淹れたお茶、本当に飲めるのかって考えていませんでした?」
「あ、いや、それは……」
 まさしく図星だったので、ここは言いよどむしかない。まともに返答に詰まったラドルフを見て、フィリエは頬を膨らませた。
「これでもお茶の淹れ方には自信があるんですよ?母がよく言っていたんです。大切な人の為に淹れるお茶は、王女だって、自分の手で淹れなくちゃだめだって」
 政務で疲れて居室に戻ってくる父王に、きっと彼女の母はいつも手ずから茶を淹れていたのだろう。
 親にも民にも、周囲の人間すべてに愛されて、慈しまれた姫君だ。だからどんな人間にでも、わけ隔てなく心を注ぐことができる。
「フィリエ、お前、もし俺が……」
「――ラドルフさん!」
 口を開いたのはほぼ同時、その直後に一際大きな花火が上がり、ラドルフの思考は即座に現実に引き戻された。
「ラドルフさん?今、何て?」
「あ、いや、何でもない。お前こそ、なんだ」
「あの……、え……と」
 彼女にしては珍しく歯切れが悪い。何とも言いようもなくてただ黙って濡れた唇の辺りを見つめていると、意を決したように、拳を握り締めた。
「ラドルフさん、このままシルヴィアに残ってはくれませんか?」
「……」
「ラドルフさんは、ロルカとの戦争を終わらせてくれた恩人ですから。父も皆も認めてくれると思うんです。わたしも……父や兄に精一杯、頼みますから……」
 ――だから、このまま、自分の側に。
 言いながらみるみるうちに頬が染まって、しまいには耳たぶまでもが真っ赤に染まってしまっている。熱で潤んだ鳶色の瞳が、今にも零れて落ちてきそうだ。
 左手で拳を握り、右手でカップを口に寄せ、ラドルフは一つの光景を思い出していた。
 それは、王女の居城に向かう前、王太子の執務室に呼び出された時のことだった。



「――妹を無事に国に帰してくれて、感謝している」
 収穫祭当日の夕暮れ時、姫君専属の護衛を執務室に呼び出した王太子は、重厚な樫の机の前に座っていた。
 父王からほぼすべての政務を移譲された王太子は、現在二十八歳。栗色の髪の質は妹姫と似通っていないこともないが、黙っていても見る者を威圧する強烈な覇気は、普段のフィリエにはないものだ。
 ラドルフをフィリエつきの護衛に雇ったのは王であるフェルナンド5世で、王太子とは面識はあっても、直接、話を交わしたことはない。正直、こうして王太子の部屋に呼ばれてもなお、用件の想像がつかなかった。
 ラドルフがシルヴィア王国の国民であったなら、敬愛される王太子に感謝するとまで言われ、喜んで首の一つも垂れたかもしれない。だが幸いにして彼はこの国の人間ではなく――相手が王であろうと王太子であろうと、跪く謂れもない。何も答えないラドルフに向かい、エルモンド王太子は机から皮の袋を取り出した。かなりの重量があるそれを、躊躇うことなく机の上に放ってみせる。
「――報酬だ。受け取れ」
 長年の傭兵暮らしの習慣で、袋の膨らみ具合や金貨の触れ合う音で、大体の金額を推察することができる。中身がすべて金貨だとしたら、かなりの金額だろう。姫君をロルカ国の離宮から助け出した報酬はすでに王から受け取っており、今ここで王太子から金を受け取る道理はない。まさか本心から妹姫を救い出したことに感謝して、報酬を上乗せしようとしているわけではないはずだ。
「父上はフィリエに弱いからな。妹のために、お前に相応の身分を与えるつもりでいるらしいが」
「……」
「俺は認めん。あれには、この国の後継者を生んでもらわねばならないからな」
 切れ者と評判の高い王太子の唯一の弱点が、未だ後継者に恵まれていないことだった。十八で最初の妻を娶ってから十年近く、子供が生まれないことを理由に三度王太子妃を取り替えても子供に恵まれず、あまり大きな声では言われないが、王都の心無い人々は王太子は種無しだ、などと噂している。
「シルヴィア王家の後継者の父親を、一介の傭兵……ローデシア選王国の犯罪者にするわけにはいかない」
 つまりはこの金は報酬でも給金でもなく、手切れ金というわけか。本気でわからなかった謎の答があまりにも馬鹿げたものであると知って、不覚にも――本当に不覚にも、ラドルフは腹を抱えて笑い出したくなった。
 辣腕だの切れ者だのと評判高い王太子が、本気でそんなことを恐れて、今時三文芝居でも描かないような茶番劇を考えたのか。だとしたらこの国の行く末など知れている。それがどんなものであるかは知れないが、きっと、ろくなものではあるまい。
 笑い出す変わりに皮袋を押し戻したラドルフを見て、王太子は露骨に眉をしかめて見せた。
「俺には、こんなものを貰ういわれはない」
「……なんだと?」
 まさかラドルフからそんな反応が返ってくるとは思わなかったのだろう。眉をしかめたエルモンド王太子の口許が歪んでいる。あまりに似通ったところのない兄妹だと思ったが、よく見れば唇の形はフィリエとよく似ている。
 東大陸を代表する大国の王太子と向き合いながら、ラドルフは言い切った。
 「――そもそも、俺にははじめから、この国に留まるつもりなどないからな」



 フィリエを抱きかかえて足先で蹴り上げた姫君の寝室は、想像に違わず、贅を凝らした豪勢なものだった。
 錦の天蓋つきの寝台だけでも、泊まっていた宿屋の一室以上の広さがある。夜具も枕も複雑な文様を縫いこんだ最高級の更紗で、こんなところに横になった日には、ラドルフならばきっと、眠れはしない。
「所詮は、生きる世界が違うということか……」
 ラドルフの両腕に抱きかかえられたまま、姫君はすやすやと安らかな寝息を立てている。花火の打ち上げが終わる頃までは、シルヴィアの名物料理やら観光名所やらについて語りあっていたのだが、気づいた時には、栗色の尻尾のついた首が、がくりと下に向いていた。国の民には遊学ということで誤魔化しはしたが、父親や兄王子にはこってりと絞られ、ここ数日は公務で休む暇もなかったらしい。彼女は彼女なりに、疲労を溜め込んでいたのだろう。
「……しかし、この状況で寝るかよ、普通」
 自室に男を招きいれ、あんな顔をして、告白めいたことをしたあげく、その男の前で眠りこけるなど、無防備にもきわまりない。普通なら、手を出されたとて文句は言えまい。というより――あまり考えたくはないが、ラドルフ自身が本当の意味では、彼女に男として見られてはいないのかもしれない。
 錦の天幕を持ち上げ、豪奢な寝具に少女の体を横たえて、ラドルフはふっと息を吐き出した。
「お前と出会えて、よかったよ」
 この先に続く人生など、余生に過ぎないと思っていた。息はしていても凍りついたまま動くことを止めていた時計の針が、あの夜、王宮の中庭で剣を振り回す物騒なお姫様に出会った瞬間に、音をたてて廻りはじめたのだ。
 一筋すくい上げた栗色の髪が、男の無骨な指に絡むことなくさらさらと滑り落ちて行く。完全に消えてゆく寸前、わずかに手の中に残った先端に口を寄せ、ほんとうに久方ぶりに、ラドルフは心の底から、笑った。
「――忘れろ。忘れてくれ」
 見上げた空にはいつかと同じ、満月に少し足りない欠けた月。随分と長く続いた回り道が、本来あるべき場所に戻る時が、ようやくやってきた。――ただ、それだけのことだ。
 眠り続ける姫君の額に、口付けを一つ落として。シルヴィア王国の王宮にやってきた時と同じだけの荷物を手に、ラドルフはあの夜、進むはずだった道へと足を踏み出して行った。



 フィリエが目覚めたのは祭りの翌朝、まだ熱気の余韻が消え去らぬ、早朝のことだった。
 寝起きの頭を擦りながら起き上がって、その場所が自室の寝台であることに気がついて、一瞬、血の気が引く思いを味わう。昨夜は勇気を出してラドルフを花火鑑賞に誘って、その後の記憶がまったくない。となれば、この場所に運んでくれたのは、他でもないラドルフで――多分、いや、絶対に見られた。だらしなく寝こけた顔を。
「……ラドルフさん?」
 寝室は勿論、居室にも昨夜二人で花火を眺めたバルコニーにも男の姿はない。開け放たれたままの窓から吹き込む初秋の風が、レースの白いカーテンを揺らしているだけだ。茶器も椅子もまだ出したままなのに、そこにいたはずの剣士の姿だけが足りない。
 息を切らして扉を押し上げた瞬間、朝早くから立ち働いていた侍女の一人と身体がぶつかりそうになった。洗濯物を洗い場に運ぼうとしていたのだろう。両手で大きな籠を抱えている。
「まあ、フィリエ様。お早いお目覚めですね」
「――ラドルフさんは?」
「剣士様でしたら、夜が明ける前に出ていかれましたよ。何でもシルヴィアを離れて、また遠くへ旅に出られるとか――って、フィリエ様?!」
 侍女の言葉を皆まで聞かず、フィリエは駆け出していた。
 深紅の絨毯を蹴り上げて、駆け出した先は、ラドルフと出会った王宮の中庭の庭園だった。ラドルフは知らなかったらしいが、あの場所は王女の居城の表玄関を出たところから、すぐ目と鼻の先にある。あの時、咲き誇っていた夜薔薇はすでに花の季節を追え、いまは鋭い棘をおびた茨が茂っているだけだ。
 息が上がって、膝が震えてもなお走って、庭園を抜けたところにある砂利の上で膝を落とす。本当は、心のどこかでわかっていた。彼はもうここにはいないのだと。フィリエを置いて、行ってしまったのだと。
「どうして……?」
 ――忘れろ。忘れてくれ。
 朝の風が駆け抜けて、フィリエの鼓膜を愛おしい声が揺らして行く。見上げた空は東の空から白みがかかり、西の空にいつか見た、どこかが傾いだ月が浮かび上がっていた。あの夜、彼に出会わないまま、明けた夜はきっとこんな朝だった。出会わぬまま、何も知らぬまま、目覚める朝は、きっと。
 地面に膝を落としたままのフィリエの頭上を小鳥が飛び交い、色を失いはじめた木の葉がさわさわと揺れている。
 ――まるではじめから、そこに何もありなどしなかったかのように。





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