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月の宝珠
第四章 雪と氷の神殿〜


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 言葉通り二日で、ラドルフは宿に戻ってきた。両手で抱えきれない程の荷を抱え、どこで手に入れたのか、荷車まで押している。
 そのままの状態で、宿屋の食堂に入り込んできたラドルフを見て、カイジャンもフィリエも度肝を抜かれた。荷を解いた男の周囲には陶器の置物やら大きな火鉢やら、絹の夜具やら織目も美しい絨毯やらが、所せましと積み重なっている。
「……あの、ラドルフさん?」
「ラドルフ、お前……骨董屋でもはじめるつもりなのか」
 ラドルフが彼らの前から姿を消したのは、満月の夜――呪いに苛まれる我が身を人の目に晒すことを厭うて、行き先も告げずに出ていった。それがどうして、いきなり骨董屋になる。予想もしていなかった事態に、さすがのカイジャンも二の句が継げないでいる。
「インバート家の屋敷から持ってきた。これを全部売り払えば、かなりの値がつくだろう」
 事も無げに言い切って、持ってきた家具やら皿やらを次々と床に並べて行く。ローデシアにやってきてからというもの、ラドルフは人前に出るわけにもいかず、フィリエには金を稼ぐ手段もなく、経済的にはカイジャンに頼りっ放しだ。昔の傭兵仲間を回って宿代や食事代を借りているようだが、それだって限度はあるだろう。
「二日待ってくれって……お前、まさか、このことだったんじゃないよな?」
「ああ。さすがに金はもう残っていないだろうが、無意味に色々並べたてた屋敷だったからな。まだ何かあるとは思っていたんだ」
 確かに三年も人が住んでいないインバート家の屋敷ならば、彼が人知れず呪いの一夜を過ごすのにふさわしかったかもしれない。しかし、今この時を男が一人で苦しんでいるのかと思うと、こちらはほとんど眠れずにいたというのに、夜が明けた後は丸一日、かつての自邸で金目のものを漁っていたというのか。
「ラドルフ、お前な、それは泥棒って言うんじゃ――」
「誰が泥棒だ。もともとあの屋敷は俺のものだ。――つまりこれは全部俺のものだ」
「三年も前に自分から捨てておいて、今更、所有権だけ主張するってのは少々卑しくねぇか?」
「やかましい。これ以上つべこべ言うと、お前には分け前やらないからな」
 馬鹿げたことを言いあっている男の片割れと、不意に目が合った。
 合わせてすぐ逸らされた目の下には隈が浮き、きっと一晩中かみ締め続けたのだろう、傷ついた唇の端にうっすらと血がこびり付いている。前に呪いの苦痛に苛まれた時は、数日はまともに動けないと言っていた。――多分、彼は今、少し無理をしている。
 今は埃やら煤やらを被って薄汚れているが、確かに磨けばそれなりの値がつきそうだ。自分の頭より大きな花瓶を持ち上げて、フィリエは男二名を振り返った。
「ラドルフさん、カイジャンさん!」
「……フィリエちゃん?」
「これを売りに行って、そのお金で、美味しいものを食べましょう!」
 今日の夕食は、ローデシアにやってきて以来最高の豪華なものになりそうだった。



「――雪と氷の神殿?って、あのローデシア最北部で一年中凍り付いている、ヒュードリヒ家の神殿ってやつか?」
 ああ、それだ……と呟いて、男は目の前のジャガイモに箸を突き刺した。
 テーブルには、鶏肉のトマト煮込みとライ麦のパン、そして山羊の乳で煮込んだジャガイモにチーズをふりかけてオーブンで焼いたグラタンもどきの料理がある。インバート家の屋敷から盗んで――もとい持ち出してきた家財は、思っていたより高値で売れた。料理の他に酒を頼み、デザートに甘いものと注文してもまだおつりが出るくらいだ。
 ローデシア選王国で今最も人気があるデザートは、甘く煮込んだ杏をふんだんに使ったタルトだ。蜜と酒で煮込んだ果物はただ甘いだけでなく、少し大人の味がする。
「ラドルフさん、そこに、継承の指輪があるんですか?」
「ああ、少なくともインバート家の屋敷にはないんだ。――ヒュードリヒの屋敷の焼け跡で煤を掘り返すよりは可能性が高いだろう」
 そう言って、ラドルフが差し出したのは色褪せた――褪せすぎてほとんど白黒になった、掌大の写真だった。特殊な光線を発する光の箱を使って、人や景色を焼き付ける写真という技術は数十年前に開発されたものの、まだあまり一般化されていない。フィリエはシルヴィアの王宮で何枚か撮られたことがあったが、今でも王族の姿を残すのは肖像画の方が一般的だ。
「先代の爺さんはあたらし物好きでな。この技術が開発された当時、わざわざエリトリアまで行って撮ってきたらしい」
 写っているのは初老の男と、その傍らで微笑んでいる初老の女性だった。恐らくこれがラドルフの養父である先代当主とその奥方だろう。
 穏やかに微笑んでいる女性の左手に、色あせた写真でもそうとわかるほどの大振りの宝石が見える。色がわからないのが残念だが、恐らくこれが――
「もしかして、これが継承の指輪……?」
「多分な」
 焼きたてのジャガイモは、そのまま口に入れるには少々熱い。充分に冷ましでもまだ内側が熱かったらしい。ほんの少し顔をゆがめて、水差しの水を飲み干している。
「好みの問題もあるが、普通、指輪というのは女の持ち物なんじゃないのか。先代の妻は俺が養子に入る前に亡くなっているから、俺があの屋敷で指輪を見たことがなかったのも無理はない」
 それでは、インバート家の家宝はその当主ではなく、代々の妻に受け継がれていたというのか。
「一つ聞いてもいいか。ラドルフ。お前はあの夜、ローデシアの王城に何がないことを確かめに行ったんだ?」
 それまで黙々と料理を平らげていたカイジャンが、動かしていた匙を置く。彼の傍らには空になった皿が塔のように積み重なっている。
「継承の指輪は王城にない……ならばもう一つの家宝、ヒュードリヒの宝はどうなったんだ?」
 フィリエがミドルバ王と訪ねたあの日、ラドルフはローデシア王城の神殿に忍び込み、即位の儀で七王家の当主が差し出すはずの宝物が、五つしか存在していないことを確かめた。一つは言うまでもなく、インバート家の継承の指輪。そしてもう一つは今はなき、ヒュードリヒ家の氷水晶の懐剣だ。
「――でもどうして、インバート家の指輪が雪と氷の神殿にあるんですか?」
 指輪がどちらかといえば女性の持ち物であるのは事実だし、氷水晶の懐剣については、フィリエは幻の中でしか見ていない。雪と氷の神殿はヒュードリヒ家のものだというから、氷水晶の懐剣のありかとしてはふさわしいかもしれないが、どうしてインバート家の家宝がその場所にあるのだろう。
 素朴な疑問を巡らせたフィリエから、なぜかカイジャンは視線を逸らした。いつ何を聞いても滑らかな答しか返したことのない男が、お前が言えと言わんばかりにラドルフに向けて顎をしゃくっている。
「雪と氷の神殿は」
「……」
「サラ・ヒュードリヒ……俺の許婚だった女が、かつて巫女を勤めていた場所だ」



 かたん、かたんと、馬車の車輪が小石を弾く。シルヴィアやロルカでは主たる街道は石畳で舗装されているものだが、ローデシア王都を出ると、道は途端に石ころだらけのでこぼこ道になった。道の広さはそれなりにあるのに、これでは旅を急ぐこともできはしない。
 どういうわけか、カイジャンが昔の傭兵仲間に会うと言って別行動を取ってしまい、ローデシア最北端に向かう旅は、ラドルフとフィリエの二人きりだった。そういえば、フィリエがシルヴィアを離れることになったきっかけ――タチアナの湯治場に向かった時も、こうしてラドルフと二人で馬車に乗っていたものだが、あの時より格段に小さな車内は、向かい合って座っていると、膝と膝がぶつかりそうになる。
 フィリエを一人でシルヴィアに帰す発案は引っ込めてくれたらしいが、今この状況で二人きりは少々気まずい。気まずさを押し隠して夏のローデシア郊外を眺めていると、向かいの席から声がした。
「――フィリエ、お前に一つ聞きたいことがある」
「はい。何でしょう?」
「お前は、一国の王にふさわしい条件とは何だと思う?」
 窓枠に肘を置き、長い脚を組んだラドルフは顔を隠すための布を外している。正直にいうならはじめの頃は、火傷の痕の痛ましさに目を逸らしたくなることもあった。だが今は、綺麗な人だと、心の底から思う。
「ふてぶてしさ……でしょうか」
 故郷の父王に思いを馳せる。人の上に立つということは、苦労の塊を背負い込むようなもので、一方の意を汲めば一方に恨まれ、双方の意を汲めば何も収められない。連日、呪文のように繰り返される臣下の繰言に、フィリエの父はいつも穏やかな表情で耳を貸し――その実、実は何も聞いていなかった。政治の場だけでなく、夫婦喧嘩の際にもそうだったらしく、母はよく、お父様は馬耳東風だからと嘆いていたものだ。
「これは前に父が言っていたことなんですけど……、どうにもならないことが、世の中にはあるんだって。そこにいた人がみんな善意で、持てる力を精一杯に発揮したのに、結果が最悪だってことが。そんな時は、起こった結果を受け入れるしかないんだって」
「……」
「だから一国の王は、人の意見なんかどうでもいいって思えるくらい図々しくて、ちょっとくらい踏んづけられても平気な人にしか、勤まらないんじゃないかと、わたしは思います」
 極論ではあるかもしれないが、フィリエにとっては常々身に染みて感じている真実だ。率直な思いを口にしたフィリエに、ラドルフは軽く口の端を持ち上げて見せた。
「なるほどな」
「あの……わたしも、一つ聞いてもいいですか?」
 その時、車輪がすこし大きな石の上に乗り上げたらしく、一際大きく馬車が揺れた。椅子から転がり落ちそうになったフィリエを、ラドルフは腕一本で軽々と受け止めた。ただでさえ狭い距離がさらに縮まってほとんどないに等しくなる。
「――気をつけろ」
「あ、ありがとうございます」
 ほんの一瞬、触れられたところが熱くなり、心臓の鼓動が煩いくらいに跳ね上がる。一方、自分の席に戻ったラドルフはといえば、相も変わらず、いつもと同じ表情だ。
「で、何が聞きたいんだ?」
「――好きだったんですか……?」
「何をだ?」
「その……許婚だった、という女の人を……」
 言ってしまってから、自分の問いかけが彼に対して、非常に酷な問いであることに気がついた。もしもラドルフが、許婚であったというヒュードリヒ家の姫を好いていたとしたら。彼は好きな女性が自ら命を絶つその場に立ち会ったことになる。
「お前も王女ならわかるだろう。俺が養子に入る条件に、家と家の都合で決められていた縁組だ。好いたはれたの問題じゃない。それに……」
 珍しく語尾を濁らせて、ほんの少し、ラドルフは笑った。彼が見せる感情表現のバリエーションは極めて乏しいが、それでもこの笑みははっきりそうとわかる苦笑だ。
「俺は、自分以外の男に死ぬほど惚れている女を好きになる程、酔狂じゃない」
「……え?」
「俺の許婚な。年の離れた自分の兄貴に惚れていたんだ。それこそ命がけでな」
 当主であった兄と妹は母親が違い、しかも妹は幼い頃から巫女として神殿に預けられて育った。年頃になって生家に戻された妹姫が、年の離れた兄に恋心を抱いてしまっても不思議ではない。
 幻影の香の中で見た一人の女性の姿を思い出す。命がけで好いた兄を殺されて、彼女は兄を殺した相手に呪いをかけた。永遠に尽きることのない苦痛の中で、のたうちまわるようにと。
 だが本当にそれだけだったのか。巫女姫の見せた痛みと哀しみの中に、父とも兄とも慕った相手を手にかけてしまった男に対する感情は、ほんの一欠けらも含まれていなかったのか。
 空は青く雲ひとつない晴空であったが、窓から吹き込む風は、ローデシアの王都で感じていたものより少し冷たい。ローデシア北部に向かう旅路だからというだけではない。着実に、季節が移り変わろうとしているのだ。
 ――俺は、自分以外の男に死ぬほど惚れている女を好きになる程、酔狂じゃない。
 ……ならば。
 窓の外を眺める男の横顔を見つめながら、フィリエは思った。
 わたしがあなたを好きだと告げたなら。その為になら何を捨てても惜しくないくらい、心の底からあなたの幸せを願っていると告げたなら。
 ――あなたは応えてくれますか……?





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