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月の宝珠
第三章 北国ローデシア〜


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 チェシャン族の叛乱が鎮圧された後も、ローデシアでは少数民族の叛乱が続出した。結果的に敗れたとはいえ、一時、王都までを制圧したチェシャン族の存在が、彼らの反抗心を煽ったらしい。チェシャン族の降伏の半月後には南方のユリトニア湖でラワン人が反選王国の狼煙を上げ、そして三ヶ月後には少数派の戒教徒が、一時期、南都イオニアを落とす勢いを見せる。
 休む間のなく戦い続けたローデシア選王国軍が、ようやく王都に帰還できたのは、チェシャン族の叛乱から、半年近くも経過した後のことだった。



「――ミハイルの様子はどうだ?」
 その日、南方の砦から引き上げてきたラドルフは、インバート家の屋敷ではなく、ヒュードリヒ家の屋敷に向かった。文字通り、勝手知ったる他人の家、彼は子供の頃からこの屋敷に入り浸っていたし、夜更けに訪ねてそのまま泊まっていったのも、一度や二度の話ではない。実際、ヒュードリヒ家の屋敷には彼の部屋もちゃんとある。
「今日もまた……ご気分が優れないようで」
 答えたのは、当主ミハイルの妹のサラ姫だった。呪い師の家ヒュードリヒ家の姫として神殿で巫女を務めていた彼女は、最近、生家の屋敷に帰還した。彼女は先代当主が後妻に産ませた娘なので、兄とは歳が二十歳近く離れている。当然、金髪碧眼の美少女――と言いたいところだが、彼女の瞳は紫色をしている。どこか遠いところで、ヒューバート家と他民族の血が混ざった結果らしい。
「今日の昼間、ミドルバ家のご当主様もお見舞いにいらして下さったのですが」
「もうすぐ選王の儀だ。……あいつがいなければ、話にならない」
 彼が今宵、この屋敷を訪れたのは、長きに渡る戦の疲れを癒す為ではない。ローデシア選王国序列七位の王家の主として、体調が優れず自邸に篭りがちになった第一王家の当主の様子を見舞う為だった。
 相次いだ叛乱もようやく鎮まり、空位が続いたローデシア選王国にもようやく新たな王を選ぶ時がやってきている。名目上は七王家の当主の中から選ぶという形を取るが、実際には出来レースのようなもので、選ばれる人間などもう何年も前から決まっている。だが、選ばれるべき当の本人がいなければ、出来だろうが出来でなかろうが、レースそのものがはじまらないではないか。
「――とにかく、俺が会って、話してみる」
 運命の夜は満ち足りた満月。その先に待ち受ける暗転を知らずに、ただ白々と光り続ける。



「――ミハイル、俺だ。入るぞ」
 部屋の鍵は閉まっていなかった。ラドルフが扉を開けた時、出迎えたのは微かな風の流れだった。少し窓が開いているのかもしれない。窓辺の布が夜風にはためいて、その向こうで煌々たる満月が光り輝いている。
 部屋の中に脚を踏み入れた瞬間、ほんのわずか、だが確かな違和感を覚えて、ラドルフは立ち止まった。鼻腔を掠めた甘い香り。大地を彩る花々とも、貴婦人が使う香水とも異なる芳香。そういえばサラ姫が、今日の昼間、ミドルバ家の当主が見舞いに来たとか言っていた。序列第三位の王家――薬師であるミドルバ家の当主が、薬効のある香でも調合していったのかもしれない。
「具合はどうだ?他の王家の連中も、元老院の奴らも心配している」
 夜だというのに灯火を灯していない室内は薄暗い。病に倒れた男が寝台に臥しているのかと思っていたラドルフは、薄闇の向こう、月明かりを背にした男の姿に、思わず息を吐き出した。彼がどんな病に冒されているのかはわからない。だがそれは決して、枕も上がらぬ……という程ものではないようだ。
「まったく、南都で病だとか聞いてから、ずっと心配していたんだぞ。何だ、思ったより元気そうじゃないか」
「そんなことがあって許されると思うか……?」
 笑いかけて近づいた、かつての保護者の憑かれたような眼差しに、悪寒が走る。落ち窪んだ眼差しは紫色の隈に縁取られ、頬の線が抉れたように見えるのは、決して乏しい灯りの所為だけではないはずだ。
「――何故、この私が、お前ごときの下に立たねばならぬ?」
 至近距離まで近づいた瞬間、男が剣を抜いていることに気がついた。呪術を生業とするヒュードリヒ家の当主が戦場に向かうことは、まずない。だが七王家の当主のたしなみとして、彼もそれなりに、剣術を収めてはいる。
「ミハイル?お前……何を――」
 引き抜かれた剣の切っ先が、頭の上に振って来た。咄嗟に身を屈めてその一撃をやり過ごしたラドルフは、信じられない思いで、かつては保護者であった男を見た。
 親元から引き離された時、彼はまだ六歳の幼子だった。今にして思えば情けないとは思うが、故郷の両親が恋しくて、毎日、泣いた。そんな子供を抱き寄せ、頭を撫で続けてくれたのが、新たしく保護者となった青年だった。手を引いてローデシアの王都の縁日に連れて行き、長じたラドルフが戦で戦果を挙げるたびに、我が事のように喜んでくれた。
「おい、お前、どうしちまったんだよ、ミハイル?!」
 子供の頃こそ、一度ならず手ほどきを受けたが、体格が同等になった後は、剣でミハイルに打ち負けたことは一度もない。もっとも――今のラドルフに剣で勝る人間など、この国に一人としていなかったが。
 振り下ろされる切っ先を、身を捩ることで交わして、腰に佩いた剣に手をかける。ほとんど無意識の動作ではあったが、ラドルフには確信があった。今の自分にならば、例え剣を抜いたとて――相手に一太刀も浴びせることなく、抑えられる。
 事実、何度か打ち合って、息が切れるのは相手の方が先だった。逞しい腕が身体の両脇に垂れ下がり、雪のように白い肌に汗が滴り落ちる。
「ラドルフ、俺は許さんぞ。決して、貴様をローデシアの王になどしない……」
「……!」
 病と称して政の場に出てこなくなった第一王家の当主ではなく、戦で功績ある第七王家の――ラドルフを王にと望む一派が元老院にあることを、彼はかなり早くから承知していた。
 例えどんな人間が上に立とうと、それに異を唱える必ず人間はいるものだ。そんな人間は誰構わず、御輿に乗せて担ごうとする。絶対に、自らが御輿に乗ろうとはしない。
「俺は王になることなど、望んでいない!そんなことはお前にだってわかっているはずだ!」
「……そんなことはどうでもいい」
 憑かれた男が憑かれた眼差しのまま、再び武器を振り上げる。交わそうとして交わし切れずに、ラドルフの背中が壁に打ち当たった。黒い髪が一房、根元からそぎ落とされて宙空に舞う。完全に避けきれたはずのタイミングなのに――どういうわけか、動きが一拍、遅れた。
 ぐらりと視界が歪んで、次に見えてきたのは臙脂色の毛足の長い絨毯だった。手と足の先に痺れたような感覚がある。身体の自由が利かないことに気づいた時には、敵対した相手の剣の切っ先が、すぐ目の前にあった。
「ようやく効いてきたようだな」
「あの香か……」
 ヒュードリヒ家は呪い師の家柄、例え剣を握らずとも敵を屠る手段はいくらでもある。もっともラドルフ自身は簡単な呪術さえいくら教えられても使いこなせず――自分が屠られる敵の側に回ることなど、天地がひっくり返ってもありえないと思っていた。
「――死ね」
 月光が瞬く。
 白々と光を纏って、閃光が駆け抜ける。
 次いでラドルフが眼にしたのは、自分を壁に押し付けている男の広い背中から、何かの冗談ように、生え出している剣の切っ先だった。その先端がぬるりと黒いもので濡れている。ほとんど無意識に、握り締めた剣の柄を引き抜いた。掌に、肉と骨を断つ時に特有の重く痺れた感触がある。はじめて戦場に立った十五の歳から、これまでに何度となく繰り返してきた行為だ。それが名も知れぬ敵であっても、よく見知った人間であっても、感触自体に何ら違いはない。
 支えとしていた剣を引き抜かれた肉体は、何の抵抗も見せずにその場に崩れ落ちた。心を――生命を失くした人間は人ではない。ただの肉の塊だ。
 どれくらいそうして、かつて保護者であった肉の塊を見下ろし続けていただろう。背後で何かが割れる音がして、ラドルフは振り返った。臙脂色の床の向こうの板の間に、陶器の破片が飛び散っている。主の部屋に向かったまま戻ってこない客人に暖かい茶でも振舞おうとしたのだろう。盆を取り落とした少女は白い両手を口に当て、声にならない悲鳴を上げていた。
「あ……」
 上げた声がどちらのものかはわからなかったが、伸ばした腕は、どちらとも、黒とも赤ともつかぬものでべっとりと濡れていた。命を失くした肉親の塊にすがり付いて、少女の白い手が血で濡れている。
「お兄様……こんな、どうして……」
 どうして。どうして。そうだ、答があるのなら、頼む、誰か教えてくれ。何がどうして、何をどう間違えたなら、こんな結末が起こり得るんだ。
 わずかに開いた窓の向こう、手を伸ばせば触れられそうなところに満月が見える。月光は清廉でいて、それでいて、どこか禍々しい。
 するり……と衣が擦れる音がして、呪いの家の巫女姫が、懐から短剣を引き抜いた。ローデシア選王国序列一位の王家・ヒュードリヒ家の宝は氷水晶で出来た懐剣だった。代々、この家に生まれた娘にのみに受け継がれる宝刀の切っ先を、少女は己の喉元に押し当てていた。
「許さない。わたくしの大切な人を奪ったあなたを、絶対に――」
「――やめろ、サラ!」
 人の身体には何点か、生きた血の通う急所とも呼べる箇所がある。彼女が自ら切り裂いたのは、そのうちの最も脆い部分――首から胸へと続く血の道だった。壊れた噴水のように吹き上がった鮮やかな朱によって、咄嗟に腕を伸ばしたラドルフの左半身がみるみるうちに染めかえられて行く。
 漆喰の壁も窓辺の布も、床も天井も絨毯も眼に映るすべてが赤かった。眼に映るすべてが一色で染まり――不意に、燃え上がるような赤がぐらりと揺らいだ。
「わたしはあなたを許さない。……この月が満ちるたびに、あなたはこの恨みを思い出すのよ」
 血の気をなくした唇が呪いの言葉を紡いで行く。次いで襲ってきたのは、強烈な熱と痛みの発作だった。肉が焦げる異臭は、他でもない、彼自身の肉体から立ち昇っている。耐え切れずにその場に倒れこんだラドルフの身体から、炎が床に燃え移った。染みこんだ人の血がまるで油か何かであるかのように、炎が、建物のすべてを舐めつくして行く。
 ローデシア選王国の歴史に名を残す、ヒュードリヒ家炎上事件。満月の夜、序列一位の王家の屋敷で、突如として燃え上がった炎は、三日三晩消し止められることはなく――
 ローデシア選王国は、二つの王家を同時に失った。



 待ち合わせの場所に選ばれたのは、王城のある丘から王都に向けてほんの少し下ったところにある、通称「時計公園」と呼ばれる空間だった。
 この公園には、機械弄りを趣味とした先王が趣味と実益をかねて立てた時計塔がある。ここの時計は、あらゆる技術が他国からみて数十年は劣っているローデシアにおいては破格の正確さで、王都の民は、この塔の時計が鳴らす鐘によって時を知る。時計塔の周囲は東屋や噴水を備えた公園となっていて、王都の民の憩いの場となっている――が。
 忍び込んだ王城から抜け出してこの公園までやってきて半刻あまり、ラドルフとカイジャンの二人連れはこれでもかというくらい、周囲から浮きまくっていた。季節は夏の最中で、ローデシアの夜が最も過ごしやすい季節であり――この場所自体が高台にある所為で、北国特有の零れ落ちそうな星空が拝めるとあれば、こうなるのも当然だろう。周囲はすべて若い男と女の二人連れ――俗に言う、「愛を語らう男女」で満ち満ちていたのだ。
「いやぁ、よかったな、ラドルフ。お前の祖国の子孫繁栄は約束されたようなもんだぞ」
「……世も末だ。畜生、何だってこんな……」
 時計塔の後ろの茂みから、明かにそうとわかる、衣擦れと人の声がする。腕を組んで仏頂面の男は、それでも時計塔の下から動くことができない。理由は明白だ。他でもない、彼の為にローデシア王城に赴いたフィリエとこの場所で合流することになっていたからだ。
 口では大丈夫だとか言ってはいたが、やはり気にかかるのだろう。王城の方角と時計塔を見比べる視線には、明らかに焦燥と呼べるものが浮いている。そんなに気になるのなら、片時も側を離さず捕えておけばよいものを。傍らの男に気づかれないように苦笑いを浮かべながら、カイジャンはほんのすこし前、ラドルフを交わした会話を思い出していた。
 ――手は出すなよ。
 ――ださねぇよ!俺だってそこまで命知らずじゃないって!
 カイジャンの言葉を、ラドルフは一介の傭兵が大国の王女に手を出すほど命知らずではない、と受け取ったらしい。その意味がまるでないわけではなかったが、本当のところは、まるで違った。
 ……怖えぇんだよ。ああいう女は。
 マゼンダの街でラドルフがさらわれた後のフィリエの行動力はすさまじかった。ラドルフはカイジャンがフィリエをここまで連れてきたと思っているらしいが、実際は、フィリエがカイジャンをローデシアに引っ張ってきたようなものだ。
 あれは一度男に惚れたなら、身も心も捧げつくしてしまう、そんな女だ。そんな女程、男にとって恐ろしいものはない。彼女達とてただひたすら与えつくすだけではない。必ず、男にも同じものを求めてくる。
「お前が何を探しに王城まで行ったが知らんが……まあ、あんまり気を落とすな」
 わざわざ危険を侵してまで王城に忍び込んだのに、何の収穫も得られなかった。旧友の落胆を思って、柄にもなく気を使ったカイジャンに、ラドルフは黒い眼を瞬いた。半分近くの皮膚が焼け爛れた顔から表情を読むことは難しいが、どうやら少し驚いているらしい。
「いや、目的なら果たしたぜ?」
「あ?」
「俺はあそこに何かを探しに行ったわけじゃない。あるものがないことを確かめに行ったんだ」
「お前な……人を巻き込む時は、せめて何をしに行くかくらいは最初に説明しろよ……」
 背後から聞こえる衣擦れやら、二人で一つになったまま動かない人影やらの向こうに馬車が停まった。そこから降りてきたのは、彼らの待ち人であるくだんの王女である。
「ああ、フィリエちゃん!ここだよ、ここ」
 その足取りが少し覚束ないような気がして、カイジャンは目を眇めた。何かがおかしい。近づいていったカイジャンには目もくれず、フィリエはのろのろと、ラドルフに歩み寄って行く。
「お、おい……フィリエ?」
 物もいわずに近づいてきた、ほっそりとした肩が胸に触れ、ラドルフは正直、かなり困った。以前、さらわれた彼女を助け出した時、肩を抱いて慰めてやったことがあったが、それ以上の接触など、無論、いまだかつて一度もない。
「どうした?何かあったのか?」
 肩を掴んで引き剥がした、鳶色の瞳が濡れている。ローデシアの王城で何があったのか。それともなかったのか。やはり、彼女を王城になど行かせるべきではなかったのか。
「ラドルフさん……」
 少女の肩を掴んだままの掌に、たおやかな、白い掌が重ねられた。砕けて散った宝玉のような星空を背に、桜色の唇が綻ぶ。
「……好きです」






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