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月の宝珠
第三章 北国ローデシア〜


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「――元気でねぇ」
 と母親は言った。
「身体に気をつけて、立派な軍人になるんだぞ」
 門の前まで手を引いてくれた父親は、地元の小学校で教師をしていた。 
 ラドルフの生家はインバート家の分家であり、枝分かれしたのは彼の祖父の代のことだった。
 何でも本来なら当主を継ぐ予定であった祖父が、使用人の女性と駆け落ちしたため、当時の当主だった曽祖父に絶縁され、分家の扱いになったという。もっとも当の祖父は彼が三歳の時に亡くなっているので、詳細は謎だ。ちなみに当主を継いだ祖父の弟には子がおらず、インバート家の親戚一同が揉めに揉めまくったあげく、勘当された分家の孫にお鉢が回ってきたらしい。
「便りを待っているからな」
 大きな掌が、とん、と背中を打つ。父親の位置と入れ替わったのは、誰とも知れぬ男達の集団だった。その向こうに馬車が見える。彼がこれまで見たこともない4頭引きの大きな馬車だ。
「ラドルフ、元気でな。便りを待っているぞ」
「インバート殿。ご子息は確かにお預かりしましたぞ」
「よろしく頼みます」
 自分の頭上で交わされる大人達の会話の意はわからなくとも、家に駆け戻っても、今までのように父母が迎え入れてくれないことだけは、幼い彼にも理解ができた。


 ――これは……一体。
 どこかで見たことのある――黒髪の少年が、大人達に手を引かれて馬車に乗り込んで行く。呆然とその光景を見送ったフィリエは、自分の存在が彼らにまるで認識されていないことを悟った。
 幻だ。わたしは今……幻を見ている。
 それともわたしの存在の方が、この世界にとって幻なのだろうか?
 見上げた空は鈍色で、触れたら落ちてきそうな分厚い雲の下を、針金のように痩せた枝が無数の指を伸ばしている。



 ローデシア選王国第七王家であるインバート家に養子として迎え入れられた少年は、序列第一位の王家ヒュードリヒ家の後見を受けることとなった。
 ヒュードリヒ家の当主の名は、ミハイル・ヒュードリヒ。呪いの家ヒュードリヒ家の主として相応しい、ローデシア随一の呪い師であり、また、老齢で病がちの王に代わり、次代のローデシア王と目されている金髪碧眼の美丈夫である。
「――ラドルフ!」
 ローデシアの短い夏の青空によく通る声が響き渡る。大音量で名を呼ばれた少年は、彼の身の丈からすると少々長すぎる長剣をその身に帯びていた。
「剣の稽古か、せいが出るな」
「まあな。――最近、東の方角が少々、キナ臭くなってきていることだしな」
 インバート家は代々軍人を輩出する軍師の家系であり、ゆくゆくはローデシア王国軍の最高指揮官の地位につくことが求められる。長年の武功により、名目上七王家の一つに数えられてはいるが、過去にインバート家から王が選出されたことはない。
「東と言うと、ああ、チェシャン族か……まったく、我が国の支配下に入ってもう五十年にはなろうというのに、何故、今更国に叛旗を翻すというのか」
「奴らには奴らの都合があるんだろう。――相手が何を考えていようと、関係ない。俺はただ、ローデシアに仇なすものと戦うだけだ」
 金髪の保護者に促され、少年は傍らの石段に腰を下ろした。春の終わりから夏にかけての一時は、ローデシアでもっとも過ごしやすい季節である。青々と葉を茂らせた枝の合間を、太陽の光が縫うように降り注ぐ。
 だがそれもほんの一時のことなのだ。東大陸で最も北方に位置するローデシア選王国は、同時に、東大陸で最も自然環境が厳しい国でもある。数十年かけて少しずつ、周辺部族を征服して現在の広大な国家となったが、今なお、辺境の地では戦が止んだことはない。
「わたしが呪いでほんの少し奇跡を起こしたところで、戦いを終わらせることも、冬の寒さを和らげることもできはしない。……本当にこの国を守っているのは、お前たちだな」
「何を言ってるんだ。食料や燃料だけでない。人が生きて行くには、呪いだって――希望だって絶対に必要なんだ」
 ここ数十年、東大陸では医学や天文学などの科学技術が飛躍的に進歩し、それと反比例するように呪術や占術は急速に廃れた。だが、それがどうしたというのだろう。雲の流れや風向きを見て種蒔きの時期を決められるのは、芽生えの時期が多少前後しても構わない、温暖な気候を持つ国だけだ。ほんのわずか芽生えの時期がずれただけでも収穫に結びつかないローデシアにとって、季節の移り変わりは雲の流れよりも祈りに近い。春に祭壇に生け贄を捧げ、豊作の祈祷を行う民の心根が、最新の農業技術より劣っているなどと、誰が決めた。
「ラドルフ……、そうだ、インバートの当主殿のご様子はどうだ?」
「ああ、まだくたばっていないぞ。あのジジイ、このまま、あと二十年くらいは生きるんじゃないのか」
 インバート家の現在の当主は老齢で、ほとんど寝台から頭が上がらない。もっとも少年が養子に入る前からその有様で、余命幾ばくないと言われながら、その状態でもう何年も生き延びているのだから、それなりに壮健なのかもしれないが。
「ラドルフ、お前な、仮にも自分の養親だぞ」
「親なんて――俺には、お前がいればいいんだ」
 言ってしまってから、普段心の中で思っていることでも、口にしてしまうと非常に気恥ずかしいのだということを知った。だが告げた言葉に嘘はない。ほとんど会話も成り立たない名目だけの養親よりも、六歳の時に分かれたきりの実親よりも、彼にとってはこの金髪の青年が、たった一人の肉親だ。
「血を流すことは、俺に任せておけばいい。お前は、この先も、ローデシアの民に明るい希望だけ示し続けていてくれ」
 外して石垣に立てかけておいた剣を手に、少年が立ち上がる。彼の手にした剣は、インバート家の初代当主が、当時の国王から下賜された名剣だ。この剣を手に、王の為に国の為に、生涯をかけて戦う。それが彼の人生であり、幸せだと――そう、信じていた。
 


 ローデシア北東部で暮らす遊牧騎馬民族・チェシャン族の叛乱は、決して理由なきことではなかった。遊牧を生業とする彼らを一所に押し込め、土地の移動を禁じたため、ローデシアで暮らす彼らの人口は、五十年で半分近くにまで減った。それもこれもすべて、彼らが聖地と崇めるクラル山が、最高級の宝玉ルビー・アイの産出地であった為だ。
 聖地で産出される貴重な玉は国に独占され、やがてはチェシャン族を攻撃する武具へと姿を変える。
 チェシャン族の積年の憎しみがすさまじいまでの怨念にとって変わり、叛乱は一時、ローデシア選王国王都に迫る勢いを見せた。



「――我々に王都を捨てろと言うのか?!」
 その日、序列七位の王家インバート家によって、元老院と七王家の当主が緊急招集された。ローデシア選王国の国政は、元老院の採決を王が承認する形で成り立つ。もっとも王は二年前に亡くなった為、現在は空位だ。本来、王が亡くなれば直ちに開かれるはずの選出の儀は、叛乱の長期化と激化によって延期されたままになっている。
「捨てろとは言っていない。王都は守りに難く、攻めるに容易い土地だ。いったん、奴らを王都に引き入れて、――その上で今度は、俺たちが王都を攻める」
 言い切った青年は、代々ローデシア選王国軍を指揮する軍師の家の後継者である。彼もまた、叛乱の長期化によって、先代当主が亡くなった今もなお、正式な当主となってはいない。
「叛乱軍に王都を明け渡すなど――、正気の沙汰ではない」
「そこまで至る前に、叛乱を鎮圧するのが、お前たちの役目ではないのか?!」
 ローデシア選王国最高意思決定機関――元老院は、ローデシアを建国から支える貴族達が持ち回りで務める。元老院の議員を務める者は、半月間聖域で潔斎し、常に聖職者と同じ法衣を纏うのが慣習だった。
「……そんなことをして、王都の民はどうなる」
 口を開いたのは序列三位の王家ミドルバ家の当主だった。元々、呪いと薬草は切っても切れない仲であり、ミドルバ家とヒュードリヒ家は代々縁組を繰り返した非常に近しい立場にあった。もっとも、近年の東大陸における医学の発達を最も敏感に感じ取っているのがミドルバ家であり、最近では両家の間の不和も囁かれ始めている。
 ちなみに、病や怪我から人を救う薬師と、人の命を奪う軍師の家は昔から相性が悪い。今も、親子程の年の差がある若き当主を見つめる視線は、常よりも険しいようだ。
「仮に七王家と元老院の機能を他所に移したとて、まさか王都の民を皆一時に避難させるわけにも行くまい。残される彼らはどうなるというのだ?!」
「王都の民に大きな被害は出させない。ローデシアの王都を落とすのなど、二日……いや、一日あれば充分だ」
 ローデシアの軍の指揮官が、ローデシアの軍を率いて、ローデシアの王都を攻めるのは容易いと言っているのだから、笑い話にもなりはしない。もっとも、もともとチェシャン族は定住地を持たない遊牧の民なので、その騎馬部隊は戦闘には強いが、都市を守ることには慣れていない。青年の立てた計略は、軍略として見るなら、そう無謀な賭けでもない。
 暫しの沈黙の後、集まった国の重鎮の中で最も年嵩の男が進み出た。この場にいる他の誰より裾の長い法衣を着て、手には杖を持っている。
「インバート家の後継者よ。そなた、この場において、決して失敗はないと誓えるのか」
「ああ。その時は……」
 すらり……と青年が腰に佩いた剣が引き抜かれる。国一番の名剣を引き抜いた青年は、躊躇なくその切っ先を己が首に押し当てて見せた。
「その時は、我がインバート家の当主が初代王から賜ったというこの剣で、俺の首を落とす。――それで、どうだ」
 その勢いに圧されたように、一同の中に同様が走る。よかろう、と呟く声が、誰の者かはわからない。とにもかくにも――ローデシア選王国の取るべき道は決まった。
 ミハイル・ヒュードリヒは半ば呆然と、かつて彼の保護を受けていた青年を見つめていた。序列一位の王家ヒュードリヒ家の当主である彼は、王不在の今、七王家の中で最も高い地位にある。だが今、ミハイルを見ている者は誰もいない。この場を取り仕切ったのはラドルフであり――唯一口を挟んだのは、ミドルバ家の当主だ。
 国の行く末を決める重大な会合を終えた人々がぞろぞろと、ミハイルの横をすり抜けて退出して行く。不意に、裾の長い法衣で身を包んだ一団の一人が、振り返って近づいてきた。元老院の中では中堅の初老の議員は、その顔に意味深げな笑みを浮かべていた。
「ヒュードリヒ殿」
「……」
「――インバート家は、まことによい後継者を得たようですな」
 その言葉に含まれた真の意味に気づいた者は、この時は、一人もいなかった。





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