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月の宝珠
第四章 雪と氷の神殿〜


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 雪と氷の神殿は、文字通り、氷と雪の中にあった。無論、建物自体が氷や雪で出来ているわけではない。北国ローデシアの北端のそれも標高の高い山の中腹にあって、周囲に雪が残っているのだ。
 シルヴィア王国はこの土地よりはるかに南方だが、気流の関係で、真冬にはかなり冷え込むことがある。その経験も踏まえ、途中の街で防寒着やら手袋やらを仕込んできたのだが、まさか夏の最中に毛皮を身にまとうことになろうとは思わなかった。
 世界は広い……国を出てから、何度となく抱いた感慨を胸中で呟きながら防寒着の襟元を書き合わせていると、傍らから声がした。
「噂には聞いていたが……本当にこの季節にも雪が残っているとはな」
「ラドルフさんも来たことがなかったんですか?」
「ああ、軍にいた頃には主に南方で戦っていたからな。生まれ故郷は王都より北ではあったが、さすがに夏に雪はなかった」
 神殿のある山の麓までは地元の案内を雇ったが、地元の人間にとってこの神殿は禁忌であるらしく、神殿に繋がる小道のはるか手前で退散していった。薄茶色の地面から名前の知らぬ草が何本か顔を出しているだけで、周囲には生きているものの気配がない。ところどころに雪が残った山の斜面にそびえ立つ神殿の門に向かって、フィリエは声を張り上げた。
「あのー、御免ください。誰かいませんか?返事ないんで勝手に入りますけど、怒らないで下さいね」
「お前な……本当にそれでも大国の王女か」
 フィリエが閉ざされた神殿の門扉に掌を触れると、思っていたより遥かに呆気なく扉が開いた。蝶番もよく油が塗られていて、軋む音さえしない。
 ほっとして先に進もうとして、フィリエはその場に棒立ちになった。棒立ちになったフィリエの斜め後ろから門の中を覗き込んだラドルフも、その体勢のまま固まっている。
「よ、妖精……?」
「……化け物か?」
 そこにいたのは、子供の頃に絵本で見た昔語りの妖精そのものの老婆だった。しわくちゃの皮膚を白い巫女装束の中に埋め、鉛色の杖をついている。腰が完全に曲がってしまっている所為で、向かいあってもフィリエの腰の高さくらいしか、身の丈がない。
「……ラドルフさん、ここって妖精の神殿だったんですか?」
「――黙らっしゃい!」
 見た目より遥かに威勢のよい声がして、老巫女の杖がフィリエとラドルフをめがけて飛んできた。まともに当たれば怪我をしかねないスピードではあったが、そこはかつてローデシア一と呼ばれた剣士と、その剣士に「七不思議の一つ」と言わしめるシルヴィアの王女である。軽く身をひねるだけで難なく避けると、どんな仕掛けになっているのか、投げられた杖が空中でブーメランのように弧を描いて、老巫女の手へと舞い戻って行く。
「インバート家の嫡子と、シルヴィアの王女か。まったく、もっと早く来るかと思ったら、随分と待たせおって。年寄りを待たせるものではないわい。まったく、寿命が尽きたらどうしてくれる」
 先ほどの一喝といい、一撃の鋭さといい。あと百年は寿命が残っていそうな老婆が、腰を曲げたまま神殿の敷地を歩いて行く。とんだ歓迎の仕方もあったものだが、この場所にとってフィリエとラドルフは、招かれざる客というわけではないようだった。
 


 老巫女の先導によって案内されたのは、神殿の中央にある広間と呼べる空間だった。壁と柱は石灰石で、北側に大理石の女神像がある。建物内に入ってしまうと、防寒着を脱いでも寒いということはない。
 腰を曲げ杖までついているはずなのに、老巫女の歩みはかなり速い。小走りでその後を追いかけながら、フィリエは問いかけた。
「あの……どうしてわたしたちが誰か知っていたんですか?」
「神託があったでの。遠からず、インバート家の息子と南方の国の王女がこの神殿にやってくると」
 ご神託や予言といった言葉は迷信と呼ばれ、昨今のシルヴィアではまともに取り合われることはない。それでも神殿という神域で、この世のものならざる風貌の老婆の口から聞くとどこか厳かで、厳粛な空気が漂ってくる。
神殿内の聖堂、女神像を取り囲む祭壇には、色とりどりの花が咲き乱れて、さながら、春の野のようだった。毛糸の手袋を脱ぎながら祭壇に走り寄ったフィリエの目が、大きく見開かれる。春の野のごとく咲き乱れる花々の中心には一振りの短剣――ローデシア王国七王家の家宝のひとつ、ヒュードリヒ家の懐剣から白い炎が燃え上がっている。
「あれから三年……まだ、巫女姫の恨みと哀しみは尽きぬのじゃ。どれほど時を経ようとこの炎が消えることはない」
 揺れ動く白い焔に吸い寄せられるように、フィリエは腕を伸ばした。すぐ側でラドルフの制止の声が響いたが、炎は彼女の身体を焼くことはない。懐剣は、まるでそれがはじめからフィリエの持ち物であったかのように、手の内に納まった。
「これがヒュードリヒ家の神剣……」
 懐剣とは本来、女性が身を守る為に懐にしのばせる武器であり、上流階級の女性が持つものは凝った細工を施したり、宝石をはめ込んだりする。彼らが今目にしている懐剣の柄の部分には、かなり大きな宝玉が埋め込まれていた。黄昏よりも、暁よりもりなお深い緋色は、恐らくクラル山でしか採掘されない宝玉ルビー・アイだろう。
「ラドルフさん、もしかして、この石が」
「……ああ。これがインバート家の宝玉だろう」
 ラドルフが自家の家宝を目にしたことがないのも当然だった。インバート家の家宝は、ヒューバート家の神剣の中に取り込まれていたのだ。
 継承の指輪が代々インバート家の当主の妻に受け継がれて来たものであるのなら、嫡子の許婚であった巫女姫は正統な持ち主であると言えないことはない。だが、いくら第一王家とはいえ他家の家宝の形を取り込むなど、ヒュードリヒ家はよほどインバート家を軽く見ていたことになる。
 胸の奥底に閉じ込めたものが疼いて来そうになって、ラドルフは下唇をかみ締めた。幼くして生家を出された幼子を哀れむのは、それほど楽しい余興であったか。何も知らずに自分に懐く少年を、所詮は血に塗れた軍師の家の人間と腹の底ではさぞかし笑っていたことだろう。
「ラドルフさん……」
 不意にひやりと冷えたものが腕に触れ、ラドルフは現実に引き戻された。そう、今のラドルフは序列七位の王家の後継者でも、ローデシア選王国の軍人でもない。大国シルヴィアの王宮に雇われた姫君の護衛だ。
 どこか心配げに自分を見つめるフィリエの鳶色の瞳を見返して、ラドルフは軽く頷いた。目的のものが手に入ったのなら、こんな場所にもこんな国にも長居の必要はない。そう告げようとした、その時――。
 氷と雪の神殿の柱の奥から、声がした。
「――その神剣を渡しても貰おうか」
 雪のように白い銀髪、両頬が抉れた鋭い眼差しの男が、褐色の掌を差し出していた。


 
「――ミドルバ、貴様がどうしてここに……」
 唐突に姿を現した序列三位の王家の当主――この国の王の姿に、ラドルフが剣の柄に手をかける。しわくちゃの老巫女はいつの間にやら姿を消し、炎が消えてしまった神殿の内は薄寒い。それは決して、この場所が北方にあるからでも、標高が高いからでもないはずだ。
「ここに残りの二つがあることは最初からわかっていた。――が、その炎から宝物を取り出せる人間がいなくてな」
 ヒュードリヒ家の屋敷の焼け跡から見つかった神剣が、一つで二つの王家の宝物をかねていることはすぐにわかった。それでも王が宝を手にすることが出来なかったのは、巫女姫の呪いの炎が、並の人間の手を寄せ付けなかった為だ。
 呪い師や神職者の手を借りて何とかこの神殿に収めた後も、神剣は炎を帯びて燃え上がり続けた。まるで、彼女の怒りと哀しみそのものであるかのように。
「そんな時に神殿に神託が下った。インバート家の嫡子と南の国の王女。この二人になら、神剣を手にすることができると」
「――貴様、俺達を謀ったのか」
 かちり……と鍔が鳴り、腰の剣が半ば程まで引き抜かれる。一跳びに飛び掛ろうとしたラドルフの動きは、寸前で止まった。すぐ傍らで懐剣を手にしたフィリエが、彼より先に脚を踏み出した所為だ。
「さあ、フィリエ姫……それをこちらに渡していただこう」
「フィリエ、何をしている?!」
 鳶色の瞳は霞がかかり、何かに操られているかのように、フィリエが銀髪の男に近づいて行く。男が背を預ける柱の後ろに香炉があった。この男は薬草の調合を生業とする、薬師の家の主だ。これがあの夜王城で、フィリエが嗅がされた香なのだとしたら――まんまと、謀られた。
「フィリエ、よせ、渡すな!」
「やっと、やっと手に入れた!これで私が、この国の本当の王だ!」
 どこか狂った嘲笑が鳴り響き、男の手が懐剣の鞘を引き抜く。その瞬間――王権を庇護するはずの氷水晶の刃が、黒焦げになって、崩れ落ちた。



「そんな馬鹿な?どうしてだ?ヒュードリヒ家の神剣だぞ。たかが炎で焼かれたくらいで、そんな……」
「巫女姫の呪いの炎で三年も焼かれた剣ですよ?そのままの状態で残っていると、本気で思っていたんですか?」
 静かな声音に知性と意思の力を感じ、ラドルフは伸ばしかけた腕を引いた。
 床に膝をついた男の両の手には、もはやそれが何であったか判別もつかない、ぼろぼろになった炭の塊だけがある。すべてを賭けてようやく手にした最後の籤引きで、外れを引いてしまったようなものだ。険しい眼差しに虚ろが宿り、乾いた嘲笑が喉奥からあふれ出る。
「あの娘……神剣を血で汚すたけでは足りずに、こんな真似を」
「ミドルバ、貴様……、どうして貴様がそれを知っている……?」
 ヒュードリヒ家が炎上し、その焼け跡から当主と妹姫の遺骸が見つかって後。ラドルフは二人を殺害した罪人として、ローデシア中で追われる身となった。ヒュードリヒ家の二人を殺した罪状で、街角や駅舎に張り出された自分の絵姿を、何度目にしたことだろう。
 サラ姫が自ら命を絶ったことを知っているのは、あの夜、あの屋敷にいたものだけのはずだ。
「ミドルバ、貴様、まさか……あの時、屋敷にいたのか」
 そういえば、あの夜サラ姫は言ってはいなかったか。ラドルフが訪ねる少し前、序列三位の王家の当主が見舞いに訪れていたと。
「私は何もしてはいない……」
「何だと?」
「私はあの日、あの男の耳元で囁いただけだ。元老院は全会一致で、お前を――インバート家の当主を王にすることに決めたと」
「貴様――」
「私があの男にお前を殺すようにけしかけたわけではない。私のたった一言で、真相を確かめもせず、あの男――ヒュードリヒの当主はお前を殺そうとした……!」
「駄目です。ラドルフさん!」
 引き抜いた剣の切っ先をローデシア王の首に突きつけたラドルフを見て、フィリエが腕にしがみついて来た。何度か耳元で名を呼ばれたような気もしたが、頭の奥が熱くなっていて、何を言われたのかほとんど定かではない。
「貴様……よくも――」
「私はこの国を救いたかっただけだ!戦しか能のない軍師の家と、時代遅れの呪い師に何ができる……!」
 掴んでいた男の胸倉を突き放し、ラドルフは剣を振りかざした。父とも兄とも慕った相手と、その傍らでいつも微笑んでいた金髪の少女。失くしたものすべてが、ただ一人の男の掌の上で踊らされていた故のことだとしたら。
 一度振り上げられた鋼が振り下ろされるまでの速度はほんの一瞬、慣性力に従って、それは一瞬で、向かいあった男の体を斬り裂くはずだった。その切っ先が直前で止まったのは、両腕を広げたフィリエが、ラドルフとミドルバの間に割って入ったからだ。
「駄目です!ラドルフさん!」
「よけろ!フィリエ!」
「ここでこの人を殺したって、誰も救われません!!」
 彼女が一度言い出したら梃子でも動かないのは、この数ヶ月で嫌という程思い知っていたし、彼女ごと男を切り裂くことができないことなど、はなからわかり切っている。のろのろと剣を下ろしたラドルフを見て、フィリエは床に膝をついたままの男に向き直った。
「――ミドルバ王」
 項垂れていた男が頭を持ち上げる。父と娘ほどにも年の離れた男にむかい、少女は静かに言い放った。たかだか数十年、それも七つに分裂し、王の座を巡って争い続けてきた、新興国の当主などとは格が違う。それは二百数十年の長きに渡り、一国を治め続けた王家の血脈を持つものだけに与えられた強い意志と力だ。
 ――完全に、威圧されていた。たかだか小娘一人に。大の男二人が。
「あなたは、この国を解放したいと言った。貴方がこの国の王であるかどうかを決めるのは、宝玉なんかじゃない。――この国で暮らす人々です」



 どれくらい時が経ったのか。ラドルフが気がついた時、神殿の広間に風が吹きぬけ、そこにはラドルフとフィリエの二人しか存在していなかった。先ほどまで咲き誇っていたはずの、祭壇の花々さえない。
 ミドルバが王としてふさわしい人間であるのかどうかなど、わからない。だが、王家が七つに分裂し、互いに互いを出し抜くことしか頭にないローデシアの七つの王家の中で、ただあの男のみが、国の行く末を――この国で暮らす民の存在を気にかけていた。多分それは、他の何にも勝る王の適正であるはずだ。
 吹き抜ける風が冷たくて、むしょうに温もりが恋しい。それ以上など望まない。ただ今だけでいい。その瞳にこの呪われた姿を映して、その声で名を呼んで欲しい。
「……フィリエ」
 ラドルフの呼びかけに、フィリエはゆっくりと振り返った。その手に一振りの短剣が握ある。一体、何がどうしたことやら、それは柄の部分にルビー・アイをはめこんだ、ローデシア選王国七つの宝物の一つ――氷水晶の神剣だった。
 神剣は呪いの炎に焼かれ、ぼろぼろに崩れてこの世から消え去ったはずではなかったのか。動くことができないラドルフに向け、フィリエは綺麗に微笑んで見せた。
「ラドルフさん」
「……フィリエ、お前、何を……」
「ラドルフさん、逆の理(ことわり)って知ってます……?」
 彼がこれまでに目にしたことのない、艶やかな顔で微笑んで、氷水晶の鋭い切っ先を、フィリエは己の喉に押し当てていた。





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