風の挽歌

お題 消えてゆく五つのもの


戻る/とっぷ


4:耳の奥の囁き

 話を聞いた途端、ラウルはまともにがははと噴出した。腹を抱え、身をよじって笑うので、人の多い酒場の喧騒の中でさえ、その声は目立った。周囲を気にしながら、カイは憮然、と唇を引き結ぶ。
「――何がそんなにおかしいんだ、ラウル」
「あ、いやだって、金さえ手放せば、追われることも野宿することもなかったんだろ?2人が2人して、そこのところに気がつかないっていうのが……」
 2日程前、カイと相棒のシナは依頼を受けて魔物を退治し、20リラの報奨金を受け取った。しかしたいそうがめつい土地の領主に兵を差し向けられ、危うく、命と報奨金を奪い返されそうになったのである。
 確かに話で聞くだけなら面白いかもしれない。だが実際に兵と打ち合い、ついでに荷を失って寒空の下で野宿までした方は、笑ってなどいられない。自棄酒気味に、カイは目の前のグラスを一気に煽る。
「それ以上笑うと、ここの飯代、全部お前のつけにするぞ」
「……わかった、わかった、もう笑わん」
 大抵の場合、宿屋と酒場は隣接して作られている。少し大きな宿なら、1階が食堂になっていて、夜になると酒も出す場合が多い。場所によっては、酒場の女中が宿の部屋にまでついてくるようなところもないわけではないが、今、彼らがある場所は健全そのもので、遅め目の夕食を楽しむ家族連れや、明るい声をあげる若者達で、酒場の中は陽気な熱気に満ちている。
 彼らの隣では、婚礼か何かの内祝いなのだろう、初々しい男女2人を何人かの若者が取り囲みささやかな宴が催されている。微笑ましい光景だった。
 そんな光景をぼんやり眺めていると、不意に、すぐ隣でかたりと何かが倒れる音がした。
「シナ……?」
 そろそろと視線を下げ、カイはそこに、テーブルの上にばったりと顔を突っ伏した相棒の姿を見つけて、目を見開いた。
「シナ、おい、どうした?大丈夫か?」
 ラウルが立ち上がってシナの前に回りこむ。男2人でしげしげと少女の顔を覗き込み――やがてラウルの大きな手が、飴色の瓶を取り上げ逆さに振った。
「まさか……」
「これ全部飲んだのか?」
 カイとラウルは顔を見合わせる。甘い味付けで呑みやすい果実酒だが、決して弱いものではない。本来は、蒸留水で割って飲むものだ。
「お、おいシナ」
「ふえ……」
 肩に手をかけ揺さぶると、弱々しく、応えがかえる。酒場の明かりは薄暗く、顔色までは確かめられないが、恐らく、相当酔っぱらっているのだろう。一向に、起き上がる気配がない。
「シナ、ここで寝るな。目を覚ませ」
 カイの手の動きに合わせて、がくがくと、顎が揺れた。この調子で、舌でもかまれたらたまらない。思わず手を離そうとした瞬間――
「カイ……」
 必要以上に艶かしい声で名を呼ばれ、カイは動きを止めた。
 しなやかな腕が、青年の首に絡んでいた。金色の髪の中に顔を埋め、何かを確かめるように何度も鼻をならしていたシナが、とろんとした顔でカイを見る。
「……今日は、匂いしないね」
「匂い?」
「花の匂い」
「……」
 先ほどから、首の後ろにかかる吐息や、意味も無く髪の中を這い回る指先の感覚が気になって仕方ない。酔っている所為だろう。間近の頬がほんのりと蒸気し、襟元からのぞく首筋の白さに、周囲の喧騒が遠ざかって行く。
「……カイの馬鹿」
「おい……」
「人の裸、見たくせに……」
「ちょっと、待て。あれは、見たうちには――」
「じゃあ、あの河原のことは?」
 凶器となりかねない酒の瓶を取り上げ、カイはシナの詰問から逃れようと足掻いた。しかし細い腕のどこにそんな力があるのか、拘束はいっこうに解けそうにない。
 ずい、と鼻先近くまで寄られ、カイは後ずさった。先ほど、彼の目を奪った色香はどこかに消え去り、完全に目がすわっている。――はっきり言って、今はどんな魔物より恐ろしい。
「あれも、口付けのうちには入らないって言うんだ?」
「――おい。カイ、お前、何したんだ?」
 それまで無言で――むしろ面白そうに――成り行きを眺めていたラウルが、呆れたように声を上げる。ようやく自分が置かれている状況を明確に把握し、カイは後方を振り仰いだ。
「誤解だ!俺は何もしてない!」
 実際、とがめられるようなことは、何もしていないはずだ。いくつかの<事故>を除けば。恐らく。少なくとも、今は、まだ。
 自分の首筋に張り付いている少女を指差し、カイは救援を求める声をあげる。
「ラウル、これ、どうにかしてくれ」
「冗談じゃない。シナにぶん殴られるのはごめんだ。自分でどうにかしろ」
「どうにかしろって」
「こうなっちまったら、もう部屋に連れてって寝かしてくるしかねぇだろう。部屋の鍵はあるんだろう?」
 鍵はある。確かに。しかし、シナを寝かしつける部屋と、今宵の彼が帰るべき部屋は、まったく同じ一室なのだ。
「裸は見たうちに入らなくて、口付けはしたうちに入らないんだったら、問題ないだろう」
 腕組みをして、にやにや笑いながら、ラウルは2人を見る。シナはカイの首にしがみついたまま、酔っ払い特有の浅い眠りに落ちたようだった。むにゃむにゃとわけのわからない単語の合間に、寝息が混ざる。そろそろ周囲の目が気になり始めてきたし、何よりも一刻もはやく、この体勢から解放されたい。
「もし、お前が問題あるって言うのなら、今晩は俺の部屋に泊めてやってもいいぜ。――今日の晩飯代で」
 目の前に、彼ら3人がたいらげた食事と酒を書きとめた伝票がかざされる。カイはもともと食が太い方ではないし、シナの食べた量などたかが知れている。ほとんどがラウル1人の食事代だ。ひらひらと揺れる金額と自らの自制心を秤にかけ、青年は軽い眩暈を感じた。
「わかったよ……」
「あん?」
「金は俺がはらうから、お前の部屋に泊めてくれ!」
 ラウルの手から伝票をむしりとったカイの言葉に、ラウルは本日2度目となる大爆笑をした。






戻る/とっぷ