風の挽歌

お題 消えてゆく五つのもの


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3:引っかき傷

「――ほら、さっさと服を脱げ」
 ごくさりげなく、まるでそれが当たり前であるかのように発せられたカイの台詞に、シナは凍りついた。


 賞金稼ぎは、魔物を退治して日々の糧を得る職業である。我が身一つで異形の生物へ突進し、その命を奪うことが生業なのだ。当然、生傷は耐えない。魔物の爪や牙には特殊な毒が含まれている場合も多く、かすり傷に見えても、油断はできない。身体に毒が回ってからでは遅いのだ。
「……」
 抱えた荷を床に置き、シナは信じられない言葉を聞いた、とばかりに背後を振り返った。時と場合によっては噴飯ものの台詞を吐いた青年は、一向に悪ぶれる様子もなく、相変わらず、憎らしいくらい表情の動かない顔でシナを見る。
「魔物に負わされた傷は、早めに処置しておかないと、まずいことになると言ったのは、お前だろうが」
 依頼を受けた魔物と一晩かけて対峙し、彼らは見事にその役目を果たした。村は魔物の脅威から解放され、2人は20リラの報奨金を手に入れたのだが、その戦いの中で、シナは迂闊にも傷を負ってしまったのだ。
 傷そのものは大したものではない。息絶える寸前の魔物の爪による引っかき傷で、痛みも既にない。しかし傷を負った場所が、シナにとっては大問題であった。
 背、というよりは腰に近いような箇所に受けた、魔物の爪あと。とてもではないが、自分では手当てが出来ない。
「お前だって、こないだ俺の服を引っ剥がしただろう。お互い様だ。気にするな」
 自分の荷物を乱暴に寝台の上に投げ捨て、カイはあっさりと言い捨てる。夜通し戦い抜いて、ようやく宿屋に戻ってきたのだ。彼とて、本来なら一風呂浴びて眠りたいところだろう。
 確かに、魔物と対峙して傷を負ったこの青年のシャツを引き剥がして、シナが治療を施したのは、ほんの数日前のことである。しかし、男と女ではまったく意味が違うではないか。
「そ、それとこれとは、話が違うだろ!」
「なら、そのままで過ごすか?……目が覚めて隣でお前が冷たくなっていたら、俺も寝覚めが悪いんだが」
「う……」
 こういう場合、次善の策として、まったく関係のない第三者――例えば宿の女将などがいれば――を巻き込む、という手もある。しかし今回の彼らの宿の経営者は、油の浮いた額をした40過ぎの男で――あんな男に肌をさらすくらいなら、今目の前にいる、優男風の相棒のほうが、まだましだと思えなくもない。
 シナを見るカイの目に、他意は感じられない。もしもその青い目に、一欠けらの邪気でも見つけたならば、例え命を失ったとしても、傷などそのままにしておきたいと思ったかもしれないが。
「……わかったよ」
 目の前の男を信頼できる、と言い切れるほど、付き合いはまだ深くない。疑いの視線と深いため息とともに、シナは頷いた。



 いったん上半身を覆うすべてのもの――衣服はもちろん、胸を覆うさらしまでもを取り外し、布の束となったそれらのもので、身体の前半分を覆う。宿屋の床の上に膝をついて、男の目に、何も身に着けていない背中をさらすのは、とてつもない勇気が必要だった。
 ひんやりしたものが、背を斜めに横切る。濡らした手ぬぐいで、カイが背中の傷を拭っているのだ。
「それほど深くはないな。これなら、跡は残らないだろう」
「別に今更、傷跡なんて――」
 身体中にある。続きかけた言の葉をシナは飲み込んだ。
 意識しまい、意識しまいと思っても、どうしてもむき出しの肌が、青年の指の感触や息遣いを感じてしまうのだ。振り返ることが出来ず、自ら視界を閉ざしているだけに、肌の感触は余計鋭敏に、彼女の感覚を刺激する。
 娼館育ちで、いずれは春を売るために育てられた為、純朴そうな外見とは裏腹に、シナは割りとその手の知識には詳しい。だが実際に異性に身体を見られる、という体験ははじめてであった。勿論、誰かと肌を重ねた経験もない。
 何度か冷たいものが横切った後、今度はもっと温度の高いもので傷跡をなぞられる。びくり、と身体が震えそうになるのを、全身の力を総動員して押さえつける。
 背後から感じる、特徴のある香に、覚えがあった。
 以前知り合った、ラウルという名の薬師から買った塗り薬だ。大災厄前は王都の薬師であったというだけあって、彼の調合した薬はよく効く。以前、カイの怪我の手当てにシナが使ったのも、この薬である。
「しかしこれじゃあ、しばらく風呂は難しいかもしれないな」
 必要以上に敏感になっている感覚が、若者の息遣いを感じてしまう。できるなら黙っていて欲しいのに、生憎、シナのそんな感情は彼には伝わらなかったようだ。
「お、終わったらお湯で身体を拭くから、カイは部屋から出ててよ」
「……わかった」
 背後で苦笑する気配がする。火照った頬を見られぬよう、ひたすらに窓の方角を見つめながらシナは不意に、青年に対し、怒りにも似た感情を覚えて、振りかえってやりたくなった。
 一応、年頃の娘が、決死の覚悟で肌をさらしているというのに。
 こちらは、指先の動きの一つ一つに、心臓が高鳴るほど緊張しているというのに。
 ――全然、何にも感じてないわけなの?この人は……?
 何か感じて欲しい、というわけでは断じてないのだが、それでもこうもあっさり受け流されると腹も立つ。それほど、自分は女として見られていないのか……と。
 顔立ちが整っていて、剣の腕も優れていることもあり、カイは女によくもてる。村の娘はともかく、酒場の女などとは、意気投合してそのまま帰ってこなかったこともないわけではない。
 貧相な小娘など相手にしなくても、女には困っていないというわけか。しかしこの場合、少しくらい躊躇して見せるのが、礼儀というものではないのか?
「――終わったぞ」
 柔らかく清潔な布で患部を覆い、外れないように留め金でとめる。軽くシナの肩に手を置いた後、カイが立ち上がったのがわかった。
「後は、身体拭いて服を着るから……早く、出てって」
「ああ」
 腹立たしいような恥ずかしいような、それでいて情けないような。自分の気持ちをもてあまして、ついつい乱暴な言い方になってしまう。慌てたように、シナは付け足した。
「あ、あのさ……」
「どうした?」
 背中越しにそっと首をねじると、カイは慌てたように視線を逸らした。一応、正面からは見ないでおこうという程度の意識はあるらしい。
 よく考えてみるならば、彼にはシナに八つ当たりされるような理由は何もない。ただ彼女の受けた傷を案じて、手当を施してくれただけなのだ。――もっともそれで、いったん感じた腹立たしさが消える、というわけでもなかったが。
「手当てしてくれて、ありがとう」
 ようやく発することが出来た感謝の言葉に、カイはひらひらと手を振ることで返答した。その手で扉を開き、ごくわずかの隙間に身を滑らす。
「外にいるから、終わったら呼んでくれ」
「……うん」
 カイの気配が完全に部屋の中から消えると同時に、シナはどっと疲労を感じて息を吐いた。






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