風の挽歌

お題 消えてゆく五つのもの


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3:口付けの熱

 前方に、兵士が3人、剣を手に待ち構えている。
 慌てて方向を転換すると、左手にも別の兵が駆けつけたところだった。右側はもともと、隔壁で行き止まりだ。どうにもこうにもならず、シナとカイは今来た道を駆け戻る。
「カイって、本当は偉いんだろ?この状況、命令してどうにかできないの?!」
「……この状況で、俺が皇弟の子だなんて、誰が信じるっていうんだよ」
 賞金稼ぎは、魔物を退治して報奨金を得る職業である。卑しいと蔑まれることも多いのだが、少なくともこんな風に、まるで盗賊か何かのように、兵士に取り囲まれなければならない理由はないはずだ。――恐らく、多分。少なくとも、この2人の知る限りにおいては。
 しかし現在、シナとカイの2人は兵に追われて、ごくごく平凡な村の住宅地の中を、全速力で逃げ回っているのであった。
「……どうして」
 土を付き固めただけの道を蹴り上げながら、シナが声高にはき捨てる。しゃべると余計息が切れるぞ……とのカイの至極冷静な指摘は、あっさり黙殺された。
「どうして、――何だって、こんなことになるんだよ!」



 魔物一頭あたり20リラ。金額を定めたのは首都にある国府だが、その財源まで国が持ってくれるわけではない。
 賞金稼ぎに支払う賞金は、その土地の役所の金庫から支払われる。もちろん、魔物が徘徊しはじめて5年近く、毎年それなりの予算が計上されているものの、財源の少ない地方領主にとって、この金額の確保は決して楽な話ではない。
 難癖をつけて賞金を出し渋る役人というのは、決して珍しい話ではなかった。しかし一度賞金を渡しおきながら、後で兵を差し向けて金を取り返そうとする領主というのは、カイより賞金稼ぎ暦の長いシナでさえ、初めての経験であった。
「あっ!」
 次の角を曲がった瞬間、また別な兵士と鉢合わせた。今度は引き返すわけにもいかず、シナがついに、荷物を捨てて武器を取る。
 カイもため息をつきながら、剣の鞘に手をかけた。できることなら流血沙汰は避けたかったからこそ、逃げ回っていたのだが、そうも言っていられなくなってきた。
「……わかってるとは思うが、シナ、殺すなよ」
 言うが早いが、鞘のままの剣で兵士の一人と打ち合う。三日月型の刀の柄の部分で兵を殴り飛ばしたシナが、2人目の兵士の鳩尾に、鮮やかに回し蹴りを決める。3人目の兵士は、ほとんど同時に繰り出されたシナの膝とカイの拳――この絶妙のコンビネーションが、彼らの売りである――によって、むなしく地面に倒れ付した。
「――おい、いたぞ、こっちだ!」
 放り出した荷を拾う暇もない。また新たな足音がして、シナとカイは顔を見合わせる。そして、脱兎のごとく逃げ出した。
「終え、逃がすな――!」
 ――追うもとの、追われるもの。
 命と報奨金をかけたこの逃亡劇は、結局、日が沈む頃まで続いた。



 遠くの山間に、西日が沈み行こうとする。カラスが群れを成して空を横切り、流れる川のせせらぎを聞きながら、カイはどっと疲労感を募らせた。
 壁をよじのぼり、兵の何人かを叩きのめし、罪科のない通行人に多大なる迷惑をかけ、ようやく逃げ出すことには成功した。だが結局、荷物の大半を失い、手元に残ったのは命よりも大事な武器と報奨金、そして、シナが後生大事に抱えてきたごくわずかの日常品のみである。
「疲れた……」
 水の入った皮袋を手に、カイはごろりと、川原の土手の上に横たわる。飲みきれなかった水が口の端を伝って襟元を濡らしたが、拭う気力もない。
「でもさ」
 カイの隣に腰を下ろしながら、シナがつぶやく。
「でも?」
「ちょっと、おもしろかったね」
「おもしろいって……お前、あれがか?」
 町並みを利用した、盛大な追いかけっこ。つかまれば罰ゲームではなく命を失い、そこまでいかなくとも、命の次に大切な報奨金は確実に失う。カイにとっては、とでもじゃないが、楽しいどころの騒ぎではなかった。
「……あれが、っていうわけではないけどさ。兄弟とかとさ。子供の頃やらなかった、鬼ごっこ?」
「俺の兄貴は、俺が生まれる前に死んでるからな。……いや、そういえばやったか。厨房に忍び込んで飯を盗んで追いかけられたり、装飾品かっぱらって売りに行こうとして、つかまったり」
「……どういう子供だったの、カイって?」
 呆れた、と言わんばかりに、シナが口を開く。
「問題は今晩だよね。また野宿だよ、どうするカイ?」
「どうにかなるだろ」
「うん。とにかく、たき……」
 薪を探そう、とでもいいかけただろう。シナはカイに向かい、わずかに身をかがめた。一方その時、カイは寝転がっていた状態から起き上がろうと、肘を支えに身を起こしたかけたところだった。
 目と目があった、と思ったのは錯覚だったか。2人の間の空間が揺らいだ。ごくわずか、幻かと思うくらいの、短い時間。
「……」
 シナも驚いたようだったが、呆然としたのはカイもまた同じだった。ほんの刹那、自分の唇に乗せられた、あまりの柔らかさ。そしてその熱が離れていった瞬間、思わず引き止めたいと願った、自分自身の願望と。
「た、薪を探してくる!」
 慌てたように背を向けた少女に手を伸ばさずに済んだのは、かろうじて自制が勝ったからに過ぎない。もっともそうしていたならば、容易に振りほどかれて、傷の一つでも負わされていたに違いないが。この娘の身ごなしの軽さと気性の荒さを、カイは半ば本気で尊敬している。
「……何をやってるんだ、俺は」
 無意識のうちに、握り締めた掌。そこにこめられた自戒の念に、青年は薄く苦笑した。






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