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歓喜の呪い


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 宴が開かれたのは、新王の即位と新たな都への遷都が終わり、内乱で荒れた朝廷が、新たな滑り出しを遂げて間もなくのことだった。
 ――来なければ、よかった。
 目の前の卓から盃を取り上げて、高市皇子は密かに息を吐き出した。
 大王家の宴と言ってもこの場にいるのは、新大王の妃や子供――身内ばかりで、親戚同士のちょっとした集まりといった風情でもある。通常、母が違えば育つ家も別々で、兄弟が一同に会することはあまりないのだが、父の方針で高市は父の妃達とも、彼女らが生んだ異母兄弟ともそれなりに親しく付き合ってきた。心が重いのは、この宴に「戦勝」という名目が被せられていた所為だ。
 ――死んだ、大友、他にもたくさん。
 戦の相手は父の甥――高市にとっては従兄にあたる大友皇子で、大友と共に死んだ近江朝の近臣は、高市にとっては共に学んだ友人でもあった。集まった他の大人達のように、めでたい、めでたい、と繰り返す気にはなれないし、父王の即位を息子として寿(ことほ)ぐ気にもなれはしない。
 それを口にして出席を断ることもできず、ただ粛々と宴の席――母の身分の低い高市は年長であっても序列では下位になる――に座っているしかできない己への嫌悪が、口の中を苦くする。
「――高市様」
 何度目かに盃に伸ばした腕に、小さな、だが確かな温もりを帯びた掌が重ねられた。掌の持ち主は年若い少女――先々王の皇女であり、高市にとっては従妹にあたる御名部皇女である。
「おつぎしましょうか?」
 初めて出会った時から数年の時間を経て、柔らかく微笑む横顔は、少女のものから娘のものへと変わりつつある。
 これまでも親戚同士の集まりなどで、たまに顔を合わせてはいたが、ここ数年は内乱の所為もあって、彼女と直接会う機会はなかった。今日、久しぶりに会って驚いた。いつの間に、蛹が蝶に変わっていたのだろうか、と。
「――いや、いい。飯にするよ。もう」
 盃を卓上に置いた高市が箸を取り上げた瞬間、宴のざわめきが一瞬にして、消えた。
 


 宴の席に現れたのは、高市の異母姉――新大王の長女である十市皇女だった。祝いの場にふさわしく綺麗に化粧を施して、豪奢な衣に身を包んでいる。白いうなじに零れたいくつかの後れ毛からは、父親に夫を殺された女の深い哀しみが、色香となって匂い立つかのようだった。
 ――十市を呼んだのか……?
 大王の長女である十市には当然、王の即位を祝う宴に出る資格がある。だが死んだ先王は十市の夫であり、この宴は、彼女の夫の死を祝う宴だ。咄嗟に箸を投げ捨てて、父王の許へ飛び出そうとした高市の行動は、寸前で引き止められた。――他でもない十市自身の声によって。
「――皆様、どうなされましたの?」
 ざわり、と沈黙が割れる。
「私は、大王の皇女です。酷いではありませんか。父上の即位をお祝いすること、私に教えて下さらないなんて」
 にこり、と微笑む白い相貌に、誰もが気圧されたのようだった。そもそも、先の内乱自体が身内同時の揉め事で、宴には御名部のように、大友にとって異母弟妹にあたる者もいる。だがさすがに、夫を亡くしたばかりの妻の前で、その死をめでたいと口にする度胸のある人間は、この場所にはいない。
 ここに座ってもよろしくて?十市に問われた皇子の一人が、困惑顔で立ち上がる。着座して祝いの盃を取り上げた彼女を遠巻きに見つめる人々からは、先ほどまでの和気藹々とした空気は消えていた。
 ……これが、お前の復讐なのか。
 大友の自殺によって内乱が終わった後、彼女が公(おおやけ)の場に姿を現したのは、この席がはじめてのことだった。当然だろう。夫を殺し、子供と引き離した人間達の顔など見たくもないと思うのが、自然の感情だ。だが十市はこの場に訪れた。その裏で起こった出来事を忘却して、ただひたすらめでたいを連呼する連中の胸に、不快な一石を投げ入れる為だけに。
 自分が死んだ後は、代わりにこの女を守ってくれ。そう言い残して、友は逝った。だが彼女を守ることのできる人間など、この世にいるのだろうか。そう思わずにはいられないほど、背筋を伸ばした十市の姿は力強く――美しかった。
 ――俺に、この女が守れるだろうか。
 交わした約定を胸に、答のない自問を繰り返していた高市は、その時、傍らにあった御名部が、どこか哀しげな眼差しで自分を見ていたことに、気がつかなかった。





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