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夢みたあとで


扉へ/とっぷ


 華燭の式は豪華で、集まった人間の数も多く、またその顔ぶれも半端ではなかった。大王に皇后、皇太子にその妃――国を動かす主要な面子が誰一人欠けることなく集まったのは、この婚礼が大王の長男である高市皇子と、大豪族蘇我氏の娘を母に持つ御名部皇女のものであったからだ。
 母の身分が低い為、大王の後継にこそなれぬものの、高市は今や国の政の要、御名部も同母妹が皇太子に嫁いでいる。彼らの縁組に、誰もが政略上の意味を見出したし、口さがのない者達は、御名部を娶ることで、高市が皇太子の地位を狙っているのだと噂した。
 ――当の本人達の感情など、知る由もなく。



 ……一体、どうすればいいというんだ。
 派手すぎる宴と頭が痛くなるだけの祝辞をやり過ごして一刻あまり、高市は頭を抱えていた。
 今宵は彼自身の婚礼で、今ある場所は彼らの新居、共にいるのは妻となったばかりの娘――ともなれば、行うべきことはたった一つ、古今東西、長い人間の歴史を紐解いてみても、一つしか存在しないと、胸を張って言える。ただ問題は、彼と共にそれを行うべき相手がまったくその理屈を理解していないということで……。
 高市と御名部の新居は、かつて高市が一人で使っていた宮を改装したものだった。特に寝室は、婚姻が決まった後に建てた建物にあり、こうして座っていても真新しい木の香が漂ってくる。つい先刻まではその場所に二人で座って、御名部の酌で酒など口にしていたのだが、いざその段になると、なかなか思うように事態は進まなかった。ほんの少し指先が――否、吐息が触れただけでも泣き出しそうに顔を歪めてしまい、とてもではないが、その先に進めそうにないのだ。
 高市の二十四、御名部の十八という年齢は婚姻年齢としてはかなり遅い方で、十八にもなれば普通は夫や恋人の一人や二人、既に子を産んでいても不思議ではない。だが御名部にこれまでそんな浮いた噂は一つもなかったし――それどころか、夫婦(とは限らないが)が夜(とも限らないが)にどうするかもまるでわかっていないらしい。
「……あの、一応聞いとくけどさ。母上か乳母か誰かに、今日の夜のどうするかってこと、聞いた?」
「母様も乳母やも、そういうことは、高市様がとてもよくご存知だから、高市様にすべてお任せするようにって」
 ああ、やっぱり。危惧していたことが的中したと知り、高市はがっくりとうな垂れた。
「まあ、そりゃ、知らないとは言わないけど」
 この年齢まで一人身でいれば、それ相応に経験もある。だがこれまで高市が相手にしてきた女性は、その目的の為だけに大王家の皇子に与えられた采女や、彼の寵を受けたことを糧に己の地位を高めることが目的の経験豊富な女性ばかりで――はっきり言って、勝手が違う。
 あいつなら、こんなことはなかったのだろうな……七年前に世を去った友を思い出し、ますます深く嘆息する。武芸も学問も人並み以上にこなし、いつも年齢以上に世慣れていた六歳年長の従兄なら、好きな女を目の前に、こんな身の置き所のない思いをすることなどなかったに違いない。そんな感慨に、守れなかった約束と、永遠に失ってしまった懐かしい存在を思い出してしまい、痛みに顔を歪めた高市の腕に、ひやりと冷えた掌が押し当てられた。御名部の大きな黒い瞳が、気遣わしげにこちらをのぞき込んでいる。
「高市様……大丈夫?」
 日頃は大人しくて口数も少ない御名部だが、意外と感受性が鋭く、何も言わずともこちらの心を見抜いてしまうところがある。しかし初夜の床で、花嫁に心配されるほど、男として情けないことはない。苦笑を一つ、胸のうちに留めて、高市は今彼が向き合うべき相手に向き直った。
 人は政略だ野望だと嗤うが、高市は昔から、掛け値なしに、この従妹のことが好きだった。はじめは兄のように。そしていつしか、封じられた心の奥底で、伴侶として彼女を得たいと願うようになった。
 これまで数多の過ちを行い、守りたかった多くの者を失った。だが今、彼女に対する思いだけは、過ちでも間違いでもないと、断言できる。
「あのさ」
「……はい」
「実を言うと、俺もこういうの久しぶりなんで、手順とか色々忘れてるところがあるんだけど……」
 頼む。拒まないでくれ。祈るように伸ばした指の先で、濡れた瞳の縁をなぞる。この堤防が決壊したら後がこわいな、と思いつつ――
「とりあえず、泣くのだけはなしで」
 御名部の口許にうっすらと安堵の微笑が浮かんだのを確認し、彼女の唇にむけ、ゆっくりを顔を近づけて行く。

 ――誰に託されたわけではない、彼だけの彼女に向けて。




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