×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


風の挽歌

第8章 強く儚いもの 2


扉へ/とっぷ/戻る




 朝焼けは、鶏(にわとり)の鳴き声よりも早くに頭上にやってきた。
 昼の間に降った雨が昨夜の内に凍って、足元で透明な輝きを見せている。さくりと踏み分けたふくらはぎが、凍った草の端で鋭く切れる。咄嗟に体勢を崩したラウルの足が壁にぶつかって、土作りの城壁の地面近くに、くっきりそのまま、足跡型の窪みになってはまった。
「……やべぇ」
「ラウル?どうしたの?こんな朝早くに」
 ――やっぱり、ここに泊まったのか。
 生き別れたかつての幼なじみが、働いている裕福な館。
 同じ男として、カイが不機嫌になる気持ちはわからないでもない。もっとも、その不機嫌の要因である当の本人が、まったくの無自覚であるということが最大の問題なのであろうが。
 堅固な城壁の内側から顔だけ出し、シナは黒い目をまん丸に見開いていた。早朝、それもたった1人で依頼主の館を訪れたラウルは細い腕を引き、離れた木の下まで引きずって、両肩を真正面から掴む。まさかこんな形で――それももう1人の若者ならともかく、ラウルの来訪は予想してはいなかったと見えて、呆気ないほど抵抗なく、シナは彼に従った。
「聞きたいことがある」
「……何?」
「お前の知る限りでいい。最近、カイに何か変わった様子はなかったか?」
「へっ?」
「何でもいい。何となくあいつがボーっとしてるとか、具合悪そうに見えたとか」
 昨日この目で見た、瓶の中身を思い出していた。茨の城での傷ならば、もうとっくにふさがっているはずだ。あんな薬は必要ない。大体、あんなものを服用していたら、それだけで相当体に負担があるはずなのだ。
 あまりに真剣な表情に気圧されたように、シナは2,3歩後ずさりした。それでも彼が表情を崩さず、この問いが冗談でも戯れでもないことを悟ると途端、黒光りする双眸(そうぼう)で、ラウルをひた、と見つめ上げる。
「え、そんなこと……あ。いや、でも、そんな……」
「……思い当たることが、あるらしいな」
 もしかすると、事体は考えていた以上に、深刻なのかもしれない。もともと線が細く、顔色も悪い青年だ。それに加えあの性格では、多少の不調なら何でもないふりをして誤魔化すことだろう。それが水面下で密かに進行していた事体を、他人の目から覆い隠してはいなかったろうか。
 ――それは、想像以上に、カイが現在置かれている状態が良くはないことを示す。
「ねぇ、ラウル、カイがどうしたっていうのさ?」
「いや……」
 しかしそれを今、この娘に言ったものか。判断を逡巡したラウルの腕に、鋭いものが食い込んだ。今度は逆に、シナが彼の腕に縋っているのだ。両腕に突き刺さる爪の感触に、ラウルははっと、我に返った。
 こうしてシナを不安に追い込んでまで、自分は一体、何を確認したかったのか。ただ漠然とした不安を、1人で抱えることに、厭(あ)いただけなのか。いやそれとも――
 他でもないラウル自身が、4人で――カイとシナとティティと過ごす馴れ合いの日々を、失いたくはないだけなのかもしれない。
 平和な日常を襲った、大地震。帰る家も、生涯をかけると誓った仕事も、隣で笑っていた友も、すべてが一瞬で灰燼(かいじん)に帰した。
 4人の中で帰る場所を――家族を持っているのは、ラウル1人だ。
 だけど、それでも。
 1を得ていながら、それでもなお10を得たいと欲す。人間という生き物は、これほどまでに、浅ましい。
「ラウルってば!」
「……それほど気になるのだったら、自分の目で確かめてきたらどうだ」
 両手を握りしめ、シナは動きを止めて瞑目した。暫し瞑目した後、ラウルを取り残したままで、走り出す。彼女が去った後の空間で、影色の梢がざわ、と鳴いた。
 ――結局のところ、人は皆、人を求めずに生きてはいけないのだ。
 だが例え思いが同じ所にあろうとも、時に人と人は、すれ違う。それは避けることの出来ぬ、宿命とでも呼ぶべきものなのかもしれなかった。



 ――頭が痛い。
 ようやく明け方近くに眠りについて、再び目が覚めた時、同じ部屋で寝ていたはずの2人の姿がなかった。先に起きたのなら、起こしていってくれれば良いものを。誰の目もないことをいいことに、だらしなく寝台の端で仰向けになりながら、カイはずきずき痛むこめかみのあたりを、指先で押ししごいていた。
「2日酔い、か……」
 身体に慣れた痛みの感触は、苦痛よりもむしろ、ほっと息を吐きたくなるほどの安堵感を抱かせた。正体が見えている苦痛は、痛みはあっても恐ろしくはない。少なくとも、輪郭が見えぬ、いつ襲い来るかもわからぬ痛みに削られる、あの時の焦燥に比べれば。
 瞼を開いているはずなのに、目の前が妙に薄くらい。眩暈がする。起き上がろうとして吐き気を感じ、カイは再び枕に顔を埋めた。
「……ったく、ラウルのやつ、人が黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって」
 そっと、自分の胸に――命の源が宿る左胸に、手をあててみる。

 ――だって、あなたの未来は見えないもの。道は途絶えて、そこから先には何もない。

 ――こういう……ことなのか。
 これが、民の期待も空っぽの国庫も放り捨て、好き勝手にやった末の結末なのか。なるほど、そろそろ年貢の納め時がきたということなのだろう。だがあの茨の城での一件以来、日に日に強烈さを増していく苦痛は、さすがにカイの手にも余っていた。
「……?」
 ふと、間近に気配を感じた。何時の間に部屋に入ってきたのか、閉じた瞼の向こうで誰かが、自分を見下ろしているのがわかる。その感覚は以前、シナの姉・ハンナに寝込みを襲われた時のものに極似していたが、身体が病めば精神も荒むのか、それとも心の荒廃の方が先か――もしくは両者が連動しているのか、とにかく、もう何もかもどうでも良い気分だった。
 ――頭でも指でも足でも、欲しけりゃ、切り取って土産に持って帰れば良いだろう。
 どうせもう、この体は長くは保たないのだろうから。
 しばらく、無音の時が流れ落ちる。その重苦しさに耐えかねて薄く目を開き、カイは思わず眉を寄せた。
「……シナ?」
 未だ昇り切らない太陽を背にこちらに向かい、少女が、かすかに身じろぐ。彼女の肩を滑る黒髪が、力なく褥(しとね)に縫いつけられたカイの掌の上を、艶やかに覆った。
「どうして、お前がここにいる」
「……ラウルに、調子が悪いって聞いて」
 ――どうしてお前はいつも、そんな目で俺を見るんだ。
 大災厄で、一族家族のすべてを亡くした娘。
 決して、優しい男ではなかったはずだ。慰めの言葉をかけてやった記憶など、一度もない。どこまでも己の為だけに――それが国を捨てた皇子には、最もふさわしい生き方のような気がしてならなかった。
「大丈夫……なの?」
「ただの二日酔いだ。わざわざ見舞いに来るほどのことじゃない」
 外気がよほど冷たかったのか、頬がかすかに朱色に色付いていた。一瞬、その場所を両手で挟んで、滅茶苦茶にかき乱してやりたい衝動にかられ、衝動のあまりの強さに、堪える為には、夜具の端を掴まねばならない程だった。
「用はそれだけか」
「私に…」
 日頃、シナは自分自身を「私」とは呼ばない。はっとして見上げた両の瞳が、わずかに潤んでいた。震えるほどきつく噛んだ唇が、ほとんど色を失っていて。
 自らを装う、ということのできない娘だ。無論、衣や飾りの話ではない。痛みも哀しみも持っていないわけではないのに、それでも彼女は自分を曲げようとはしない。世の多くの女のように、表情を装い、自らを利用するという術をシナは持たない。
 きっとそれは愚かな振るまいなのだろう。だがあくまでも、生(き)のままであろうとする娘の強さが、カイの目には好ましく映ったのも事実だった。
「私に……私には、カイの為に出来ることはないの?」
「お前が?」
 くつ、と喉奥を震わせると、自分で想像していたよりも、ずっと冷淡そうな声が出た。
「お前、何ができるつもりでいたんだ?」
 その言葉に、シナはまともに傷ついたような目をしてカイを見た。承知で放った台詞だった。だが言葉の矢は同時に、カイの中にあった、最も柔らかい場所をも傷つけた。
「そう……そうだよね」
「……」
「カイと出会って、一緒に仕事したり、いろんなところに行って。1年以上、結構楽しかったよ。だから――」
「シナ?」
「今まで、ありがとう。……さようなら」
 頭より先に、身体の方が動いていた。だが伸ばした指が衣を掴むより早く、シナの身体が、カイの横をすり抜けた。まるで何かを暗示するかのように。嘲(あざわら)うかのように。
 次の瞬間、体の奥から痛みと共に、猛烈な吐き気がこみ上げてきた。床を蹴った筈の踝(くるぶし)が、通常ではあり得ない角度で床に投げ出されている。自分では立ち上がったつもりでいたのに、実際には寝台から転がり落ちただけだった。
 荒い呼気の合間に、低い呻きが漏れる。だが生憎胃の中は空っぽで、吐き出すものなどあろうはずもない。
「畜生」
 力任せに振り下ろした拳が木目の床を突き破り、そこに不格好な凹みを作り上げる。割れた木の破片が皮膚を裂き、鮮血が溢れ出してもまだ、カイはそこから拳を抜こうとはしなかった。



 外に出た時には、ようやく朝の陽射が大地の上を這い出していた。枯枝で寄り添っていた鳥の何羽かが、シナの足音に目を覚まし、朝靄のかかる空の彼方へと羽ばたく。
「……どこに行くの?」
「ティティ」
 幼い占い師は、宿の軒下にいた。彼女の身長と同じくらいの短い影が、丈の短い草上で、さわさわと爽やかな調べを奏でている。その上を、片手を上着の中に入れたまま、ティティはシナにゆっくりと歩み寄る。横顔に浮かんだ表情は、幼き者のそれではない。
「ティティ、僕は――」
「カイはシナを必要としてるわ。……わかっているでしょう?」
「――私じゃ、だめなんだってさ!」
 必要とされている――確かにそう思っていた。別に何を求めていたわけでも、何かを得たいと思ったわけでもなかったけれど、それでも、心が通じ合ったと思える瞬間があったから、そこに何らかの絆があるのだと信じられたから、こうして1年以上も共に在ることが出来た。
 なのにそうして過ごしてきた日々さえも、振りかえれば酷く曖昧で、最早その輪郭さえも定かでないように思えるのは何故なのだろう。
 ――人と人の繋がりは、かくも脆く、儚い。
「……人と人って、分かり合えないのよ」
 ふわり、と宙で小鳥が舞った。宿屋の主人が好意で設けた餌箱から、朝餉を終えた鳥が飛び立つ。まるでそれを合図に、消え行こうとするシナの背中へと向かい、ティティが悲痛な叫びを上げる。乾燥し尽くした冬の空気が、少女の哀しい声に揺れた。
「どんなに、相手の心を欲しいと願たって、他人の心は見えないの。人の思いは、その本人にしかわからない。……だから人が縋れるのは結局、自分の心だけなのよ」
 ――それがたった1人で、300年近くを生きぬいた、彼女の下した結論だった。



 空は透き通った水色をしているのに、道を行く、3人分の足取りはどこか重かった。ラウルは寝不足気味の目を擦り。ティティはぼんやりと、ただ空(くう)のみを見つめ。そしてカイは、様々なものを混ぜ込んで、結局は苦く辛い味になってしまったものを、必死で飲み下しながら。
「……御礼は、どれくらい貰えるのかしら」
「あれだけの邸を持ってるんだ、期待してもいいだろう」
「そうね」
 昨日まで、あれほど滑らかだった会話が、今日に限って何故か続かない。ぽっかり空いた1人分の空間は、今の彼らに、想像以上に重い。
 いくら歩んでも、尖閣の緑が見えなかった。行けば行くほど広がる野はところどころに潅木(かんぼく)を転がした荒れ野原で、あれほど緑茂った園林も、彼らが雨宿った4つ足の東屋も、行けども行けども見えてこない。道を誤ったか。――だがそれにしては、何かがおかしい。
 かろうじて、その場に踏みとどまったのはラウルだった。道を外れ、右手に折れ、枯草を踏み分けて潅木の茂みを掻き分ける。その向こうに見えたものに、彼は思わず、背後に向けて声を張り上げた。
「おい!2人ともちょっと来てくれ!」
 ラウルの指す先で、波打ち際に打ち上げられた残骸のような建物が、果てのない虚空(こくう)を湛えた口をぽっかりと天に向けている。周囲を巡らす城壁は、かつては堅牢を誇っていたのかもしれないが、今ではどんなものをも防いではくれぬであろう。もっとも、こんな長年にわたって打ち捨てられたような廃屋に、忍び込もうとする物好きもいないだろうが。
「そんな、まさか――」
 かがみ込んだラウルの口から、驚きが漏れ落ちた。人差し指でなぞった、壁の窪み。大きめの足型。それは紛れもなく、今朝ラウルの足を汚した土の色で。まだ、乾いてさえもいない。
 崩れ落ち、朽ち果てた廃屋。だがここは紛れもなく、彼らが昨日おとずれた、「あの」邸に違いないのだ。
「おい、どういうことなんだよ、これは?」
「カイ、あなた何か気づかなかったの!?」
 2人の仲間が、これでもかと目を見開いて、後方のカイを仰ぎ見る。何らかの呪術が施されていたのか。だが気がつかなかった。――心にも体にも、そんな余裕は存在しなかった。
 見られたカイは黙って首を振った。「わからない」の意だったが、それでも重ねて問うてくるものはいなかった。
 耳元で、枯枝が無数の指を空に向け、無知でか弱い人間たちを、これでもかとまでに嘲笑(あざわら)う。時間とともに高まるその声は、やがて1つの響きと重なって、カイの瞼の奥で、1つの像を結び上げた。

 ――今までありがとう。……さようなら。

 ……シナ、お前は一体「誰」と「何処」に行くつもりだったんだ?
 こうして、道の1つが姿を消した。時に折れ、時に離れ、時に重なりながらも並びあった4本の道の1本が欠け、すでに行く手には3本分の未来しか見えない。
 再び、この道が重なる日が来るのか。
 少なくとも今ここで、それを知るものは、いない。








扉へ/とっぷ/次へ