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風の挽歌

第7章 哀しい城 1


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 淡い闇に包まれた城の内側を、おさえた悲鳴が駆け抜けた。長く高い階段は棘を帯びた茨(いばら)が走り、空(くう)を弛むシャンデリアの残骸に、埃まみれの宝石が光る。
 人里から離れた山の麓、その城は前庭から城内にいたるまで、すべてが鋭い棘をもった植物に覆われていた。依頼を受けた賞金稼ぎ達が切り払ったはずの草の一部が、まるで生きているかのごとく蠢いて、彼らの退路をふさいでいる。
 棘を帯びた蔓に巻きこまれた皮膚の表面に、かすかに痛みが走る。小さな朱色の花が散る。その場所に触れた途端、蔓の動きが変わった。先端が花咲くようにほころんで、そこからまた新たな棘が顔を出す。
 シナの隣で、男が声を張り上げた。
「シナ、この棘に触れるな、これは――」



「――行ったものが、誰も戻ってこない、呪われた城?」
 渓谷から切り出された岩肌と同じ色の一室、外へと張り出した大きな窓からそびえ立つ山々が見える。山肌はいずれも灰白色、山頂部からたれ込めた霧の色で、その輪郭が霞む。彼方の方角を指さし、男はそうだ、と頷いた。
「ちょうどあの山の向こうに、街の者は誰も立ち入らない城があります。……その城の中には、茨の城の王女が長い眠りについている、と言われていました」
「……王女?」
「まだ皇帝陛下が諸国を統一されていなかった時代の話です。何でもたいそうな美人であったそうなのですが」
 王女の美しさは、当時近隣随一の国家であったタリア皇帝の耳にも届くこととなった。皇帝は、彼女を渇望する。そして国力で圧倒的に劣る父親の国王に、拒む術などあるはずもなかった。
 しかし当の王女は、あくまでも輿入れを拒んだ。彼女には恋人がいたのだ。自国に仕える剣士であったその若者を、皇帝を恐れた父王は殺害する。
 自らが生まれた育った城の広間で、血塗れた恋人の身体を抱きながら、王女は我と我が身、そして城全体に呪いをかけたのだと、男は言った。

 ――我は、タリアになど行かぬ。一生、この血塗られた城から外になど出ぬ。それでも我が欲しい者あれば、この呪い、解いてみれば良い。

 その日から、城のすべてが時間を止めた。城内に降り注ぐ陽光が、川を渡って吹き抜ける風のざわめきが。羽ばたこうとする鳥のさえずりが。
 いつしか鋭利な棘を持った茨が城全体を覆いつくし、外から踏み込もうとした人間たちを、その棘で引きちぎる。やがて城は人の足踏み入れぬ、呪われた廃城となった。
 人は言う。
 足を踏み入れた者を帰さぬ、茨の城。捕らわれたら最後、骨の髄まで食い尽くされて、一生城から出られない――と。
「……カイお前、その話、知ってるか?」
 ラウルの言葉に、カイは瞑目をやめて瞼を開いた。長い物語の間、手をつけられていなかった湯呑みの中身は、湯気もたてず、既に冷め切っている。
「知らん。大体、それはいつの話だ?皇帝が諸国統一したのって、200年とか300年とか、それくらいは前の話だぜ」
「お前のご先祖様だろうが」
「ならラウル、お前は、300年前の自分の祖先がどこで何やっていたのか、知っているのか。言えるのか」
 う、とラウルは詰まった。
「しかし、これまで300年近くも放っておいて街に何にも起こらなかったなら、これから先も何も問題ない、ということだ。今更、その城がどうしたって言うんだ?」
 カイの言葉に、男――依頼主たる街の長は、皇都・宰相の印のある触書を差し出した。それを確かめ、青年は密かに眉をひそめる。
「廃城を改修し、そこに皇軍の部隊を駐留させる――だと?」
「ご存じありませんか。義賊(ぎぞく)を名乗る民の群れが、先月、南都の兵舎を襲撃したとか。……もっともそれは口実で、我々のようにもとは属国の、皇国に忠誠の薄い民をためしているのだという話もありますが」
「……」
 ふと、カイは眼下の街並みに目を向ける。
 この地から切り出される石材は、昔から建材として名高い。だからだろう、彼らが今ある街長の館も、窓の下に広がる街並みも、惜しみなく石を使い、灰と白の二色で構成された街道からは、遠目にも整然とした印象を受ける。
 この乱世に、都よりも整然と栄えた街――
 ――やりそうだな。あいつなら。
「で、具体的に俺たちに何を望むんだ?」
「この通達の後、私は何人かの匠(たくみ)を城に向かわせました。が、やはり誰も戻ってはこなかった。……どうか城内に、人が立ち入ることが出来るようにしていただきたい」
「なるほど」
 先の皇帝の皇孫――現在唯一の皇位継承権保持者の青年は、どこか皮肉な笑みを浮かべる。
「カイ?」
「……おもしろいな。その依頼、引き受けよう」
 そう言った時のカイの目は、雲一つない蒼穹(そうきゅう)と同じ色をしていた。



 一方、そのころ、シナはティティと手をつなぎ、街を南北に横切る大通りを歩いていた。
 水入れと携帯食に、ほんの少しの酒。武器を手入れする為の油と、古着屋で仕入れた着替えと靴。予定していたすべての物品を買い込むと、懐は思っていた以上に寒くなったが、それでも灰色の街並みの内側から浮きあがる喧騒は、シナの心を浮き立たせた。
「あ、ねぇ、あれ何だろう、ティティ!」
「シナ、もう寄り道してる時間はないんだってば!カイとラウルが戻ってくるまでに、宿屋に帰るんでしょう。早くしないと日が暮れちゃう」
 完全に、見た目と立場が逆転している。母親にしかられた幼子のようにしゅん、とシナがうなだれたとき、不意にティティの手の力が強くなった。
「ティティ?」
「これ、何の音かしら?」
 夕暮れまで、あともう少し。雲の端に一筋、山吹色の照り返しが映える。その合間を駆けめぐる風。冬枯れの枝をかき鳴らし、陰鬱な調べを作り出す。
 恐らくは、谷間を吹き抜ける冬の季節風だろう。それが岩肌にぶつかり、奏でる旋律。だがそうとわかっても、その声はあまりにもの悲しかった。
「何だかこれって……」
 シナの手を握りしめ、ティティは呟く。
「まるで、何かを悼んでいるみたいだわ」



 ――そうして、今に至る。
 ティティひとりを宿に残し、山を分け入ること半日、道なき道をかき分けた末にたどり着いた茨の城は、半ば以上が朽ち果て、崩れ落ちていた。
 網目状に建物を走る、棘を帯びた草は、シナやカイの肌や髪に、細かい傷を残した。だが刃を振り上げ断ち切れば、それは瞬時に霧散して地面に散り、そして骸さえも残さず空に消える。
 聞いていたほど、たいしたことではなかった、と思った。だが彼らが城内に立ち入った後、重々しく重厚な音を放ち、扉が外側から閉じられた。――退路を断たれたのだと気がついた時には、背後から首を締め上げられていた。
 ――これは何?
 砂塵と埃で塗り固められた床から、足の裏が浮く。いくつもの棘が皮膚を裂く感覚に、視界が霞む。
 白く歪んだ視界の淵を、無数の茨が横切った。そのすべてが鈍くうごめきながら、シナに向かい、触手を伸ばしてくる。
「なっ」
 何故、茨が。
 まるで意志あるものがごとく、動く。
「シナ、ラウル!」
 振り向きざま、目にも止まらぬ早さで、カイは剣を抜いた。そして、斬撃。緑と褐色が混ざったような色合いの棘草は、一瞬にして力を失い空に散る。
 浮いていた踵が、床を打つ感覚にシナは膝を折った。体中が痛い。首を押さえて咳き込むシナの背に、暖かな手が触れる。
「怪我はないか」
「……うん、擦り傷だけ」
「――ラウル、お前は?」
 大丈夫、という返答とともに、頭上からラウルの声が降ってきた。
「しかし、何なんだ、この城は?」
「それはわからない。だが恐らくこの茨は――」
 切っ先をはらい、剣を鞘に戻す。その瞬間、彼がはっと息を呑んだのがシナにもわかった。
 ――何か、いる。
 うなり声が聞こえた、と思ってから、白い影が視野を横切るまで、その間、刹那。
「カイ、後ろ――!」
 剣を抜くのが早いか、力を解放した方が早いか。両者の距離は、ちょうど大人が腕を伸ばしきった程。一瞬の逡巡が、時の勝敗を決した。
 カイは剣を抜くことを選んだ。そして彼が柄から刃を引き抜くより、飛びかかってきた剥き出しの牙が、肉を裂く方が早かったのだ。
 勢い余って、カイの体は一瞬、弓なりにたわんで宙を浮いた。彼を受け止めたのは、床に敷き詰められた埃の布団、四方から舞い上がり視界を覆い尽くす。
「カイっ!」
 悲鳴と共に、つかみ取った手のひらは温かかった。温かすぎる――と言っていいほどに。
「シナ、気をつけろ!」
 ラウルの叫びを背に受けながら、倒れ込んだカイをたぐりよせ、刃を抜き取り、前を見据える。そこでようやく、シナは飛びかかってきたものと、正面から向き合うこととなった。
 ――白い……獅子(しし)。
 大きさは、小柄の駱駝と同じくらい。堂々たる体躯と、銀に輝くたてがみが神々しい。館の門扉や、街の浴場にある彫刻に似ている、と思った。前にティティと行った街の浴場では、口から湯を噴いていて、それを2人で笑い合ったりもしたものだったけれど。
 見合った時間は数秒――永遠かと思うくらいに長かった。先に目を逸らしたのは、獅子の方だった。唐突にシナから視線をはずし、身を翻したかと思うと、ふるりと身震いし、埃と異臭の漂う空間に消えていく。身動き一つ出来ずにシナがそれを見送った時、不意に背中の後で声がした。
「くっ……」
「カイ!」
 シナの背後から這い出し、肘を支えに身を起こしかけ――カイは顔を歪めて膝をついた。
 右腕の上着の肘から下が切り裂かれ、そこからシャツの袖が露出している。手首の近くまで斜めに横切る傷口は、黒い血の色をしていた。牙跡、などといった生やさしいものではない。たくしあげた布地の下は、肘の下の肉がごっそりそげ、滴るもので爪の先までが染まる。
「カイ――」
「咄嗟に急所はよけたが、しかし、まともにざっくりやられたな。情けない」
 間に合わないと悟った瞬間、剣を捨て、腕で体をかばったのだ。そうでなければ、彼の喉笛は今頃、獅子の両顎で食いちぎられていたことだろう。
 それとて、並の人間にできる芸当ではない。しかし迂闊に傷を負ったことか、あるいは一時とはいえ、女の背にかばわれたことが恥辱なのか――当の本人は情けない、と繰り返し、ぐるりと辺りを一瞥した。
 壁に沿い、螺旋状に続く階段の上を、粉砂糖のように埃が舞う。明かり取りの天窓に、そして外界へ続く広大な扉に、張り巡らされた鋭利な棘は、表からやってくるものを拒むというよりは、中にいるものを外に出さない為に備えられているかのように思われた。
「おいラウル、お前、剣は使えるのか?」
「ああ。多少は」
 自ら剣を取り、シナの傍らにむけて差し出した。ラウルがそれを受け取り頷いたのを見て、シナはカイの隣に膝を折りる。
「頼んだ」
「わかった」
「ちょ、ちょっと待ってよ。2人共何を考えてるの?!」
 ――何をやっているのだ?この男たちは。
「シナ、見ろ」
 カイが指し示す先で、鮮血が何滴も滴って床に落ちた。その染みに向かって何かが集まってくる。さわ、と微かな音をたて、散っていたはずの茨の蔓が。
 シナもラウルも、身体中に切り傷や擦り傷だらけだ。だが茨はそれには見向きもしない。――より熱く、より色の濃い方へ。
「これ……もしかして人の血に集まってくる?」
「ああ。そうらしい」
 着ているものの裾を切り裂き、上腕部を縛り上げて止血する。シナが傷口に布を当てると、カイは苦しそうに息を吐いた。痺れているのか、感覚がないのか――恐らくはその両方だろう。指先はぴくりとも動かない。
「できるだけ長く、こいつらは引きつけておいてやる。あの獣にだけ、気をつけろ」
「そんな、だってそんなことをしたら、カイは?!」
 くしゃり、と指先がシナの髪に触れた。
「どこへ動こうが、これだけ血の臭いをさせていりゃ、茨は全部俺に向かってくる。……もう、引き返すことはできないんだ」
「そんな!」
 こういった場での、カイの読みは実によく当たる。読み違えたことはない、と言っても過言ではない。だがそんな、人一人の命を生き餌代わりに使うような真似など――
「間違うなよ。勝算がなけりゃ、誰がこんなことを言うか。俺がこいつらをひきつけている間にお前たちが200年前の王女とやらを見つけて、この城を解放して来い」
 薄暗い壁の上に、また新たな茨が集まる。蠢き、ちぎれ、再び動き出す茶褐色の棘の先に、滴る赤い色。シナが両断した途端、それは断末魔に近い叫びを発して下方に落ちる。
 よろめきながらも、カイは立ち上がろうとした。脇へまわって男を支えようとしたシナは、何を思ったか、伸ばしかけていた手を引く。次いで彼女が手を差し出した時には、しなやかな両腕はカイの首筋に絡みついていた。
 棘草に取り囲まれた異形の空間に、一瞬、静寂が落ちる。
 ほんのわずか、触れるだけのささやかな口付け。自分の唇に乗せられた柔らかく暖かい感触に、カイは目を見張る。
「言っておくけど」
「……」
「こんなところで死んだりしたら、許さないから。……カイが死んだら、僕も追いかけていくからね。追いかけて、思いっきりぶん殴って、生きていた方がよっぽどましだったと思わせてやる」
「……わかった」
 こほり、と。2人の背後で誰かが咳きこむ真似をする。向き合っていたカイとシナに同時に振り向かれ、何故かラウルの方が赤面していた。
「あ、いや、別に、邪魔するつもりはねぇんだが。そろそろ、行ってもいい――か?」



「茨の城のお姫様って人は、今もまだこの城のどこかにいるんだよね?」
「ああ、硝子(がらす)の棺の中にな」
「……ラウル、それ、なんか別の話と混ざってる」
 まったく、人騒がせなお姫さまだ。何故、逃げ出さなかった?皇帝の側室に迎えられるのが嫌なら、恋人と手に手を取ってさっさと逃げ出せば良かったのに。
足下を茨に邪魔され、ちっとシナが舌打った音が聞こえたのだろう。ラウルがこちらを向いた。その手の中に、シナが見慣れたカイの剣がある。
「大丈夫だ。カイはそれほど軟弱なやつじゃない。そのことは、お前が一番良く知っているだろう」
 彼らが登っているのは、鋼色に輝く螺旋階段であった。手すりといわず床といわず張り巡っていた棘草は、確かに数が減っている。シナが振り上げた刃の下に落ちた棘のある蔦が、今度は彼らの下方に向かって進み行く。餌の気配を感じて。自らの好む血の匂いを滴らせた獲物を見つけて。
 背筋が粟立つような光景を、シナは必死で見ない振りをした。
 ――必ず、この城を解放して戻ってくる。だからお願い、それまで無事でいてよ、カイ。



 2人の背中が見えなくなるまで、カイはその場に片膝をついたままでいた。やがてラウルとシナの姿が完全に視界から消えたことを確認し、広間に中央へと視線を動かす。彼の血を求めて寄り集まる棘草の群れは、放たれた金の光の中で、四方に焼き切られていた。
「――さあ来い、遊んでやるぞ」
 右腕の布地を食いちぎって、瓦礫の一つに巻きつける。血の染み込んだその塊を放り投げてみると、壁にぶつかり跳ね返ったそれは軽やかに転がって、カイの足元まで来て止まった。
 唐突に飛び込んできた異質な物体に、茨の群れが一斉に喰らいつく。ざわめく棘に引きちぎられ、白い布地が見えなくなる。シナとラウルが間に合わなければ、これがあと何時間か後の、彼の姿となるはずだった。
「死んだら許さない、か……」
 苦笑とともに、唇に左手を触れてみる。
 まったく、あの女は。どうしてこうもいつも、人の想像の範疇(はんちゅう)外のことをやってくれるだろう。

 ――カイが死んだら、僕も追いかけていくからね。

 金色を帯びた光の刃に両断され、茨の何本かが空に散った。
 ――ならば、足掻いてみようではないか。
 まだ、死なぬ。少なくとも、今、ここでは。あの娘をこんな場所で死なせるわけにはいかない。
 それが、カイ自身が決めた、今の己の生きる意味なのだから。






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