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風の挽歌

第5章 皇都にて 1


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 明け方から降り始めた雪は夜には風を伴って、北東部で何十年かぶりの猛吹雪をもたらした。斜めに吹きつける雪の牙は見た目よりもさらに鋭く、その場にいるものの頬やこめかみを、容赦なく切りつける。風で揺れる木の枝はぎしぎしとしなり、その上から散った雪の礫(つぶて)が空(くう)で弾けて、粗末な小屋の屋根を直撃して消えた。
「おい、近寄り過ぎだ」
 背後から襟首を掴まれて、シナは肌が焼けるほど、炎に近寄っていたことに気がついた。見上げた先の白い頬で、薪の炎が奇妙な陰影をつけて揺れている。
「あ、ありがとう、カイ」
「丸焼きになりたくなかったら、少しは我慢するんだな」
 だって、寒いんだよ。こみ上げて来た反論は、喉元近くで嚥下した。南方育ちのシナは雪を知らぬ。綿のような雪が枝や屋根を覆う景色は美しく、かえって暖かみさえも感じさせるものだが、その同じものが一瞬で、狂暴な刃へ変化することがある。だから北方育ちの人間は、とかく寡黙で自身の熱を内部に秘める。その理由がようやく飲み込めたような気がした。
 旅の途中、吹雪に追われた2人が逃げ込んだ山小屋は、猟師の仮宿に使われているらしかった。木板一枚隔てたむこうに死の世界をいただきながらも、小屋の内部は火もつかえるし、毛布や水など、最低限の食料もある。隙間から吹き込んでくる雪片は4隅で固まって、朝には雪だるまになりそうだったけど、それでも何とか、凍死だけはしないですみそうだ。
 無言で炎を眺めていたカイは眉を寄せ、傍らに置かれた手を取った。指と指が絡んで、爪同士が擦れ合う音がする。片手でシナの手を包むように持ち上げて、カイはさらに眉をひそめた。
「随分冷たいな」
「……カイの手だって、冷たいじゃないか」
 男の手がシナの手の甲をさまよって、そのままおもむろに上へと這い上がってきた。着ているものの袖を押し上げ、その内側の柔らかい肌を、冷えた指先が駆け上がる。氷のように冷たい指で二の腕を掴まれて、シナはぞくり、と身震いした。
「や、ちょ、ちょっと、カイ!」
「や?」
 言葉に反し、目の奥は熱を帯び、かすかに潤んでいた。わざとらしく息を吹きかけた後、カイはシナの耳朶に口を寄せる。
「寒いんだろう?」
「…………」
 結局のところ、とシナは思わずにいられなかった。一番の問題は、この人に触れられることを嫌と思わない、自分自身の方にあるのだと。
 だがシナが四肢の力を抜く前に前に、今日はカイの方が先に、がくり、と肘を折った。
「カイ?」
「……あと30分くらい、待てないのかよ」
「はあ?」
 囲まれている――。シナがそう気がつくまでに、さほどの時間はかからなかった。一瞬で、事態を判断する。それは、魔物を退治することを生業とする賞金稼ぎにはかかせぬ能力でもある。
 2人が互いに武器を取って小屋を飛び出した後には、室内に残された白い闇だけが、2人の間を突風のように吹き抜けた、酷く熱くて激しい、感情という名の熱の残渣(ざんさ)を追っていた。



 2,4,6――敵の数は多かった。倒せば倒すほど、増えていく気がする。背後から絡んできた腕を掴んで、そこに刃を突きたてながら、シナは雪原に横たわる者の数を数えていた。
 ――しかも、これって……。
 雪の中に倒れた者の顔を覆った布が、足元ではたはたとはためいている。雪よりさらに白い肌と金や薄い茶色の髪、大抵の瞼は閉じられていたが、まれに開いたままで意識を失っている者の、瞳の色は青い。
 人間だ。それも上流階級に属する者の。
 耳元で、何かが鳴いている。風の嘶く音なのか。それともただの幻聴か。手にした刃に、深々と肉を裂いた感触があった。赤いものが宙に散る。人の悲鳴と、雪の音と、風の声と。
 凍てついた木枝を覆っていた雪が、ぶわ、と散った。遠くの湖から吹きよせる風は肌に触れ、氷の刃へと姿を変える。濡れた髪の一筋が寒気で凍てつき、首筋にぴったり張りついている。
 赤いものが、今度は頭上を散った。カイが一人の体に剣を突きつけたのだ。振り返りざまにもう一人を鞘で殴り倒し、彼はシナに向かって声を張り上げた。
「シナ、こいつらは――」
「え?」
 唐突に、耳元で鳴いていた風の音が強くなった。目の前に白いものが吹きつけてきて、視界が利かなくなる。氷の欠片のようなものが無数に舞い降りてきて、それが皮膚を打つ痛みで、シナの体は一瞬、ぐらりと傾いた。
「――カイ!なんて言ったの?!」
 脇腹に、食い込んだものがあった。人間の拳大の雪の礫――と思ったら、衝撃で雪が溶け、中から本物の人間の腕が現れた。2本、3本……次々と腕が体を掴む。振りほどこうともがいて地面に膝まで埋まり、突っ伏しそうになる白い闇の中で、それでもシナは必死で、自分の名を呼ぶ、男の声を探していた。
「カイ?!」
 ――声が、聞こえないよ。



 ずっとずっと、夢を見ていたような気がする。
 それはずっと昔、まだ大災厄が起こる前の、父母と過ごした穏やかな日々のようでもあり、または来る筈もない、望んでもかなえ得るはずもない、求めても手には入らない遠い未来の夢のようでもあった。
 夢の彼方で母が言う。
 ――ここに、帰っておいで。
 夢の向こうで父が言う。
 ――ずっと、一緒にここにいよう。
 だけど、そんなわけにはいかないのだ。ずっとここでまどろんでいるわけには。自分には守らねばない現在(いま)と、守りたいと思う人がいる。
 ゆらりゆらりと夢は意識の谷間を浮遊し、近づき遠ざかり、また近づき、俯瞰(ふかん)している。掴めば指の合間を擦りぬけて、背を向ければ体にべっとりとまとわりつく。そしてまた、ゆらり、ゆらり、と――



 夢から覚めてもまだ、そこには夢の続きが広がっていた。体を包んだ布は内側に羽根を包んだ高級寝具で、頭の下にあるものは高く、柔らかい。遠くで燃える炎は橙色で、ぱちぱちと蠢くその向こうで薪が真っ赤に輝いては、黒々とした灰を残して崩れ落ちる。部屋の中は、明るく、そして暖かかった。
「目が覚めたか?」
 近くで、聞き慣れた声がした。額に、誰かの手が触れている。その指の感触を他でもない、自分自身の肌が知っていた。
「……カイ?」
「正解」
 がば、と起き上がり頭の後ろに痛みを感じて、シナは思わずその場に突っ伏した。鼻を突きつけた寝具から、花のような匂いがする。目をぱちくりと瞬いて、シナはこちらを覗きこんでいる、青色の双眸(そうぼう)を見つめ返した。
「ここ、どこ?」
「……昔、俺が住んでいたところ」
 ――は?
「む、昔の家って、それはつまり――」
 宮殿。
 ようやく事態が飲み込めてきたシナの眼下に、広い窓と、そこから広がる町の景色が見えてきた。窓の布地には今まで見たこともないような荘厳な刺繍が施され、枠の彫刻は、きっと売れば1月の宿代と食事代を足してもおつりが出るに違いない。2階建てや3階建ての商家の煉瓦屋根が整然と大通りを続き、そのすべての窓から、赤や黄色や青色の、原色の旗が風に吹かれてはためいている。――はっきり言って、随分派手だ。
「祝い事になると、ああやって窓から旗を振るんだ。昔からちっとも変わってない」
 吐きすてるように、カイは外の景色を見ていた。まるで汚いものでも見ているように、2つの眉を寄せている。着ているものはいつもの変わらぬ古着なのに、こうしていつもと違う場所で見ると、やはり彼の姿は場に溶け込んで、何の違和感もなかった。
「……祝い事って?」
「――隣国の王女が、婚約の発表がてら、祝いにこの国に招かれているんだそうだ」
 婚約?王女?あまりにシナには遠い世界の出来事で、また頭が痛くなってきた。
「婚約……って、誰との?」
 椅子の上で足を組み、掌は顎、窓枠に頬杖をついて、青年は憮然と言い放つ。
「そりゃ……、俺の、だろうな」



「つ……。猫か、あいつは」
 ――人の話は、最後までちゃんと聞けといつも言っているだろうが。
 しなやかにすり抜けた牝猫を捕まえようとした右腕に、2筋、生々しい引っかき疵が残されている。それは熱を帯びて腫れあがり、そこからじりじりと、鈍い痛み発している。カイの言葉に聞く耳もなく、一瞬で逆上したあの少女は、彼の腕を振り解き、扉の向こうへ消えていってしまった。どこかで道にでも迷って、警備兵あたりに捕まっていなければいいが。
「……おい、たった2人の人間を捕まえるのにあれだけの人数とは、少し手荒過ぎないか?」
「貴方が抵抗しない、というから、あの娘もここまで連れてきたのですよ」
 抵抗すれば、シナはあの場で切り捨てたというわけか。カイに応えて現れた人物は、両腕を前で組んでいる。金髪と白い肌はここでは珍しくもなんともないが、目だけが茶色い。長い布は踝(くるぶし)まで垂れているが、腰まで切れ込みがある為に、歩くのに差障りはないようだ。これはタリア皇国宮殿内の、伝統的な祭服である。
 彼は、皇帝を支え国政をつかさどる、宰相の位にもう随分と長くいた。
 「なるほど」と呟きながら、その男は、シナが去った方角を見る。
「今は野花でも、後2、3年もたてば、誰もが振り向く大輪の花になるでしょうな。戯れに貴方が手折ってみたくなった気も、わからぬではない」
「そんなんじゃねぇよ」
 ――そんなんじゃ、ない。
「……つくづく、ご自分の立場をわかっていないお方だ」
 カイが城を出たのは5年前のことである。まだ大災厄が起こる前だった。彼はその時、もうここには戻らぬつもりで姿を消したのだ。例えどこかで食詰めようと、野垂れ死のうとも。
「悪いが、俺はあんた達の思い通りになる気は――」
「5年前、あなたの行動のお陰で何が起こったか。まさかもうお忘れになったとは言いますまい」
「……」
「今夜の夜会は、国の内外に婚約の成立を示す重大事項ですよ。貴方なしでは、国民に示しがつきません」
 ――人の婚約話を、本人ぬきで決定しておいて、何をどう示すつもりでいるんだ?
 カイは息を吐き、床の絨毯の長い毛を、足先で蹴り上げた。
 そんなことを口にしたならば、生れ落ちてから15年近く、国費で食わせてもらった恩があるだろう、と言われるのかもしれない。
 だがそれをいうなら、額に汗水たらして自分の食い扶持を稼ぐ世の多くの男にだって、抱きたくない女は抱かなくとも良いくらいの自由はある。
 うんざりした心持ちで眼下を見下ろした時、外で激しい喚声が沸き起こった。大通りに面した旗が揺れ、爆竹が鳴る音がする。隣国の使節と王女が到着したらしい。男は身を翻し、カイの横をすり抜けざま、唇だけで、嘲るように微笑んだ。
「ああ、皇子の護衛には近衛隊の隊長をつけてあります。幸い、この部屋には鍵もある。……逃げようなどとは、くれぐれもお思いにならぬように」
 結局、見た目が柔らかいだけで、監禁状態に置かれていることに変わりはなかった。



 後ろ手に縛られて、追いたてられながら石で出来た階段を下りながらも、頭はまったく別な思いで、いささか火を吹いていた。目の前に炎が散っていて、胸の辺りが苦しい。もしも彼女の顔を覗いて見る者がいたならば、少年じみた勝気な瞳の淵に、涙がたまっていることに気がついて、驚いたに違いない。
 ……男って、ずるい。
 初めに、失礼ですがお嫁さんや、それに準ずる人はいませんよね?と聞いておかなかったシナが悪いのだろうか。だけど確かに見てくれはいいから、女にはちやほやされているみたいだったけど、それでいて夜中に針で手を刺しながら、自分で衣服の破れを繕っていたりもして、まさか結婚を約束したような女がどこかにいるなんて、思ってもいなかった。
「……」
 女は男と違うから、淋しいだけじゃ体は繋げない。寒いだけじゃ、肌は重ねられない。それでもそこに何かの繋がりを求めてしまうから、多分男と比べて、女という生き物は、憐れで哀しい。
「――ほら、そこだよ、あんたの場所は」
 牢の扉が、けたたましい音をあげて開かれた。灯火も勿論暖を取るものもない地下の牢の中は暗い。追いたてられるように足を踏み入れた石造りの地面は、一瞬身震いしてしまうほど冷たかった。
「こんな大事な時だっていうのに、何でこんなに妙な侵入者が多いのかね」
 彼女を掴まえた衛兵は、後ろを向くでもなくシナを見るでもなく、鉄格子の向こうへ姿を消した。確かに黒髪、黒い目の娘が、宮殿内をうろうろしていたら目立つだろう。だけど問答無用で捕まえて、檻の中にぶちこまなくとも良いような気がする。シナが憮然と格子の四角い隙間を睨んだ時、背中から静かな声がした。
「皇子の婚約決定は、この国にとって一大事項なのよ」
「あなたは……」
 薄闇の中から、小さめの人影がふらりと現れた。黒い髪に翡翠の瞳、抜けるように白い肌を持った、人形のように美しい少女だ。
「大災厄の後、壊れた国の復興には国家予算の何倍ともいうお金が必要だった。それを皇家は、首都の富豪や、血縁関係にある近隣の王家から借りたの。だけど、返すあてのないそんな借金するものじゃないわね。特に富豪からの借金の利子は高いから、5年でほとんど元金の3倍にまで膨れ上ってる。もしこの縁組が成功すれば、王女の持参金で、それが返せるってわけ」
 そう言って、少女は斜め下からシナを見上げた。10歳くらい――いや、もっと年下だろうか。頭が、シナの腰の辺りまでしかない。
「隣国は銅が取れるから、ここより裕福だし、大災厄の被害も少なかったから。税が軽くなれば庶民は助かるけど、まるで人身売買ね。そんなわけで首都でうろうろしてる貴方や私みたいな怪しい人間は、片っ端から捕まえられているわけ」
「……」
「祝い事に宴はつきものだから、仕事になるかと思ったら、このザマね」
 この子供は――

 ――貴方の未来は見えないもの。道は途絶えて、そこから先には何もない。

 シナの目に認識が過ぎるのを見ても、少女は微かに首を傾げただけだった。もしもあれからずっと、彼女が占いで生計をたてているのなら、半年以上前、1度だけ占ったことがある人間を覚えていないのは当然かもしれない。だがシナにとっては、あの日の占いと、その夜に起こった出来事は到底忘れられるものではない。
 ――人身売買……。
 この場合、売られていくのは輿入れする王女じゃない。妻に迎える側の皇子――皇弟の子供の方だ。
 何か言いたそうだったカイの顔を思った。彼が見せた、酷く曖昧な笑い方を思い出だした。
「……」
「ねえ、あなたは?何でここの牢に?」
「僕は――」
 シナが何か言いかけた時、闇に慣れた目の先で、橙色の光が漏れていた。煉瓦が組まれた牢の壁の奥に、木で出来た扉があるのがわかる。その隙間から一筋、暖色の光が差している。近づき手を翳すと、確かにその向こうは温かかった。
「この先には何があるの?」
「……何でも、誰か、高貴な人がいるみたいよ」
 幼い占い師は、背伸びしてシナの耳元に口を寄せた。目の端が笑っている。そんな仕草が年に似合わず、妙に艶っぽい娘だ。
「これは、私の前にここにいた人に聞いたことだけど」
「?」
「何でも、皇弟のご夫人だとか」
「!」
 皇弟夫人――
 それが本当ならば、つまりこの奥にいるのは、カイの母親――ということになるはずだった。






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