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風の挽歌

第5章 皇都にて 2


扉へ/とっぷ/戻る




 晩餐(ばんさん)は、荘厳ときらびやかの中で幕を開いた。
 金や銀を折り込んだ衣服の色が硝子の器を通じて屈折し、来賓(らいひん)用の毛並みの長い絨毯に、複雑な文様を彩っている。この日の為にわざわざ招いた料理人の仕事は彼の計画通り完璧で、裕福な隣国の使節の舌をも満足させたようだった。これだけの宴会を開いて見せれば、彼らもまさかこの国の内情が火の車だとは思うまい。
 部屋の端で宴の成り行きを見守っていた男は、満足げに顎を引いた。
 隣国の王妃はこの国の出身なので、皇子と王女ははとこに同士にあたる。皇族の婚姻は血の近しさが絶対条件から、これならば頭の固い老人たちも文句は言えぬ。王女の輿入れとともに、隣国からの借金の棒引き話は既に出来ていたので、これですべての借金がなくなるわけでないけれど、一番大きな借り入れが消えてくれることは国家財政上、非常にありがたかった。
 ――あとはあの問題の若者さえ、大人しくこの場で、婚約の祝福を受けてくれれば良いのだ。
 問題の青年には近衛隊の兵を張りつかせ、衣服を改めた後にこの場に連れて来るよう申し付けてあった。自国の皇子を婚約披露の会場に連れてくるのに、警護でも護衛でもなく強制連行が必要だというのもおかしな話だが、ことあの皇子に関してだけはそれも仕方がない。
「……そろそろだな」
 唇の端に笑みを浮かべて頷いた男は、白いテーブルクロスの向こうに見慣れた顔を見つけて、わずかに顔を翳らせた。きらびやかな来賓。軍服姿で控える衛兵達。その中央を割って現れた若い男達。だが1人、数が足りない。――よりもよって、一番肝心の青年だけが。
「キール近衛長!」
 現在の近衛隊の長は、彼から見ればまだ子供のような若者であった。腹心だった先の近衛長はこの秋に病死し、その後をつぐべき嫡男は、まだ年若く重みがない。そう言って任官を反対した重臣を説き伏せたのは、他でもない彼である。近衛隊は弓隊や槍隊とは違い、政治的発言力も大きい。些か頼りないのは否めないが、世襲が建前である以上、それもまた仕方がないのだ。
まったくもって、仕方がないことが多すぎる。今は空の玉座を見上げ、彼は心中だけで溜息を吐いた。もしも、自分があそこに座る日が来たならば――
 だめだ。今はまだ、それを考える時ではない。
「皇子はどうした?!」
 宮殿内で絶大な権限を持つ宰相に呼びつけられ、若者は表情を固めて敬礼した。系図を解けば遠くで皇族と繋がる、白い肌と青い瞳に、髪だけが茶色い。血が濁っている証だった。もう宮殿内でも、完全な容貌のものは少ないのだ。だからこそ、皇族のお偉方はあれほどまでに血の純潔にこだわる。
「あ、あのそれがお部屋の方にいらっしゃらなくて…もしかすると先にこちらに向かわれたのかと思ったのですが」
 鍵と見張りつきの一室から、一体どうやって抜け出したというのか。
「この馬鹿者が……」



 ――親の顔は知らないんだ。
 彼の口からそう聞いたのは、同じ寝台で眠るようになって、何度目の夜のことだったろうか。
 親の顔は知らない。子供のころに家を出されて、会いたいと思っても会える相手ではかったし、向こうから会いに来てくれることもなかった。大人になったら探してみたいと思っていた頃もあったけど、そのうちにもう、会いたいという気持ちさえ、なくなっていた。
 そう言った時のカイはやはり少しだけ淋しそうで、それまでは決して、他人に自分のことをべらべら喋るような男ではなかったから、だから、その言葉が私には普通とは違う、何か特別なもののように思えて嬉しかったんだ。



「皇弟夫人って……、何でそんな身分の人がこんなところにいるんだよ?」
「さあ」
 少女は、首をゆらゆらと左右に振った。
「私は、神通力があるわけじゃないから。その扉を開けてみればわかるんじゃないの?」
 簡単に開けば、最初から聞いたりはしない。扉は外側から鍵がかけられているらしく、押しても引いてもびくともしなかった。だが確かにその向こうに、誰かの気配がある。衣擦れと人が息をする時の呼吸音が、厚い扉を擦りぬけて、シナの場所まで漂っている。
 こんな時に、あの青年がいたならば――と心のどこかで、わずかにそんなことを思った瞬間、背後からがつり、と肩を捕まれた。
「人を振り払って出て行って、案の定、こんな場所に入れられやがって」
「!」
「いつも、人の話は最後まで聞け、と言っているだろうが」
「……どうしてここがわかったの?」
「この辺りの土地勘だけはあるんでね。それと、俺と監視役が知り合いだと知らなかった、あいつのミスだな」
 傍らで、黒髪の少女がまじまじと2人を見渡していた。牢に入れられた黒い目の娘と、どこから見ても上流階級の青年の姿は、はたから見れば確かに珍しい組み合わせだろう。だが彼女の視線の意味は、どうもそれだけではないようにも思われた。
「あ、あのね――カイ、ここの鍵開けられる?」
「え?」
 青い目がシナの背中のさらに向こうへと注がれた。そうして随分と長い間、彼は扉の奥を見ていた。
「おかしいな。いつのまにこんなところに扉が……」
「カイ?」
「あ、ああ。何でもない」
 金髪の青年が息を吐くと同時に、どこか遠くで金属がこすれる音がした。針の穴に糸でも通そうとしているかのように、カイは目を細める。彼の周囲を舞う埃がきらきらと光る空気の筋となって、無数に扉に突き刺さり、やがてその向こうで、ぱちんと留め金の外れる音がした。
 シナはごくり、と唾を呑みこむ。
 ――本当に、ここにいるのはカイのお母さんなんだろうか……?



 想像に違わず、皇子の部屋はもぬけの殻だった。近衛長の他、余分につけてあった2人の護衛は、ご丁寧にも折り重なって、ぐるぐるに縛り上げられ気絶している。
 ――だからあの皇子に武術を学ばせるのは、反対だったのだ。
「ゾ、ゾフィー宰相……」
 細身でひ弱だった、少年の頃の彼を思い出した。服の上からでも浮き出たあばらが見えるような、ガリガリに痩せた幼子だった。これは長生きできんな――初めて見た時に、そう思ったものだ。事実、彼の兄は成長することなく幼少時に病死している。それがまさかこんな、あらゆる意味で異端の、極めつけの問題児にできあがろうとは。
「宮殿内を捜して、皇子を見つけ出せ。全隊を召集して構わん。抵抗するようなら、多少手荒になっても良い。何としてもお探しして、広間までつれてこい」
 は、と叫んで若者が長い廊下を駆け出した。
 こんなことになるのならば、あの遊牧民の娘はさっさと処分しておくべきだった、と苦い思いが脳裏を過ぎる。よりにもよって現在はたった一人のこの国の皇位継承候補者が、いつまでも城を捨て、被差別民の娘と行動を共にしていたなどと隣国に知れたなら、この縁談は破談する。その辺りのことを、あの青年はわかっているのだろうか。
「――皇子、これ以上のご勝手は、御身を滅ぼしますぞ」
 男の呟きに、答えはない。ただ誰もいない部屋を、吹き抜ける風だけが舞う。ひゅうひゅうと。



 ぱちぱちと、赤いものが舞っていた。
 火の粉が暖炉の内を飛び、弾け、やがて黒い煤(すす)を残して散っていく。部屋の中は暖かく、床に敷き詰められた絨毯も、熱をふくんで心地がよい。生成りの壁紙に、奥には寝台、中央に籐でできたテーブルと安楽椅子。その上では籠に入った白い毛糸が、ころりころりと転がっている。窓がなく灯りに乏しいことにさえ気にしなければ、そのままここを居抜きで買い取っても良さそうだった。
「あ、貴方たちは……?」
 ゆらゆら揺れる安楽椅子で編み棒を動かしていた女は、唐突に現れた若者たちを見て顔を上げた。囁くような口調だった。声も顔も若い。彼女が本当にカイの母親であるならば、40近くなっていなければおかしいはずなのに、どうみても30代の前半にしか見えない。
「……あの、え、え〜と、その、僕達は、怪しいものじゃ」
 ねえ、と相槌を求めた先で、占者の少女はうっすら微笑って、おじぎをした。その斜め後で、青年が一人固まっている。前触れなく扉の向こうに現れた人物を見て、彼も少し驚いているように見えた。表情がわずかばかり強ばっている。
 こうして見比べると、2人の顔は本当に良く似ていた。淡い黄金色の髪。深い海の底を思わせる青色の瞳。肌はどこまでも抜けるように真っ白で、カイが多少女性的な顔立ちである分、目鼻立ちまで切って貼ったようにそっくりだ。
 ――やっぱり、この女性は。
「……あ、あ」
 扉の影にカイを見つけると、女は背中を激しく震わせた。震えは瞬く間に身体を這い上がり、膝から腿、腹を通って上半身までもが、がたがたと小刻みに痙攣している。端整な容貌に似合わぬ、獣じみた震えを止めようともせずに、おもむろに彼女は傍らのものを掴み取り、そしてそれを、目の前の若者達へむけて投げつけた。
「いや、来ないで、―――いやっ!」
 半歩足を踏み出したままの姿勢で、シナは目を開いて歩みを止めた。目線だけでたどった先で、真っ白なシャツの袖から伸びた青年の指先が、行き場をなくして宙に浮いている。飛んできた編物の棒の1本が、そこをかすめて、向こう岸へと飛んだ。現実と虚構の岸辺。そこに一滴だけ、散った赤い華。
 それでもカイは動かなかった。いや、動けなかったというべきか。もっともそれは、シナも、占者の少女も同じであったが。
「ば、化け物、いや、来ないで。誰か、助けて!」
 女は肩を抱き、目をこれでもかと見開いて、後方へ身を寄せていた。シナ達が――いや、カイが少しでも動けば激しく身じろぎ、壁に背がぶつかりその場に崩れ落ちても、それでもまだ、後に下がることをやめようとしない。喉の奥から絞り出された甲高い悲鳴に、シナの背中に一筋、冷たい汗が滑り落ちた。
「いや…」
 額に玉のような汗が浮かび、それが首筋を伝って胸元の布地を黒く染める。ゆらゆらと左右に振れる髪がざん、と頬を打ち、それがいっそう、気ちがいじみた印象を強くする。
 不意に、「狂女」という言葉が頭に浮かびあがった。
「……」
 全身での拒絶。
 ――狂っている。普通じゃない。
 これがこの美貌の婦人が、宮殿の地下に――それも牢の片隅などに幽閉されていた理由なのか。
「――おい、いたぞ!ここだ!!」
 唐突に、頭上で声がした。見上げると兵隊姿の何人かの男が、革靴の踵(かかと)を鳴らして、一斉に石階段を下りてくるところだった。2,3――都合5人。闇に光る金属が、すべてこちらに向けられている。シナの傍らで、少女が怯えた声を上げた。
「な、何で、兵がこんなところにやって来るのよ?!」
「――来い!」
 強い力で腕を引かれ、はっとして見つめた先に、シナの見慣れた、石に彫られた彫刻のような顔があった。――決して、何も感じていないわけではないはずなのに。
「カイ?!」
 シナの腕を引いたまま冷えた牢を横切って、カイは瞼を閉じた。柔らかい金の髪が、ざん、と首の周囲を打つ。辺りを光輝(こうき)が覆い、彼が何事かを唱えた瞬間、青年の身体を軸にして、光は半円形に広がった。
 その中に引きずり込まれ、シナは思わず目を見張った。
「これは……」
 光の洪水。
 春のそよ風に揺れる、レースのカーテンを眺めた時に似ている。上から下へ。今度は下から上へ。はためく布の上を移動する光の粒子。あるいは――
 あるいは、滝の流れを内側から見たら、こんな感じなのかもしれない。
「いいか。絶対に手を離すなよ」
 呆然としたシナを掴まえたままで振りかえり、もう一方の手を後方にむけて差し出した。その先には、小さな翡翠色の瞳が2つ、激しく瞬き、息を切らして震えている。
「お前は?……お前は、どうする?――どうしたい?」
「……ティティよ。よろしく」
 差し出された男の掌に、少女が自身の小さな手を重ねる。カイが手を掴んでティティを引き寄せるのと同時に、彼らを包む光の粒子が粗くなった。すべてのものが、金色の薄膜を通したみたいに色を失って見える。石の壁が。鉄格子が。そして群青色の分厚い扉が。
 それらすべてが歪んで、ぶれて、捻れて――
 床を打つ複数の人間の足音が、牢の中に響き渡る。だが兵達が地下に駆け込んだ時にはもう、そこには誰の姿も残ってはいなかった。



 寒波の影響は何十年ぶりという大雪となって、首都の城壁の中にまで降り注いでいた。雪の重みでぎりぎりまでたわんだ木の枝が、庭の隅で、ぎし、と不気味に揺れている。屋根も地面も、厚い雲に覆われた空までもが真っ白で、どこまでが雪で、どこまでが空なのかわからない。腰を曲げて雪を掻いていた老人は背を伸ばし、疲れた肩を拳で揉みしいだ。
 雪かきの所為で、腰が痛い。腕も脚も、目も耳も。風は冷たく、長い間外にいると、耳朶が痛くなってくる。一旦、家に戻ろうか――と思った刹那、酷く懐かしい声に、背中を撫でられた。
「先生、ここにあいつ、来ていませんかね」
 ほう、と老人は息を呑む。枯枝のような四肢、髪の色は白を通り越して、透明に近い。だが見る者がみたならば、深い皺に埋もれた双眸(そうぼう)が、まるで獲物を捕らえる猛禽(もうきん)のごとく鋭い光を帯びていることに、気がついたに違いない。
「――おや、近衛隊の隊長さまが、何のご用かね」
「ラドクリフ先生。ふざけないで下さいよ」
 振り仰いだ先で、軍服姿の若者が腕を組んで渋い顔でこちらを見ていた。先生――とは随分懐かしい呼びかけだ。彼を含む宮殿内で暮らす子供を集め、剣術や武術を教えていたころには毎日のようにそう呼ばれていたものだが。
「あいつ、と言われてもわからんな。誰のことじゃね。」
「カイですよ。カイ。あいつがここで頼れる人間なんて、俺か貴方しかいるはずないんだ」
 さくり、と目の前で雪が割れた。屋根から落ちた氷の塊が白い地面に突き刺さり、暗い窪みを残して消えて行く。
「ここにおったなら、どうするんじゃ?」
 若者――キール近衛長は懐に手を突っ込んだ。そこから苦労して数枚の紙切れを取りだし、師の鼻先にぶら下げる。そこに書かれた文字面を確認し、老人の顔に笑みが広がった。日向に投げ出された春の淡雪のごとき、とろけるような笑みだった。
「旅券ですよ。旅券。今の皇都から出ようと思ったら、これなしじゃまずいでしょう?」
「……」
「叱責覚悟で脱出の手助けをして、職権乱用してまで旅券を持ってきた昔の友人ですよ。少しは信用しても――」
 そこまで言いかけて、若者は唐突に言葉を切った。
 呆けたように立ち竦んだ彼らの目の前に、最初に現れたのは足だった。合わせて6本、つまりは3対の。1つは大人の男のもの。もう1つはかなり小さな子供用。そしてもう1つは若い女のもの。大きさから色合いまで、今ここで靴屋が開けそうなくらい種類に富んでいる。
 巨大な掌で捻り潰されたように空間が割れ、そこからうっすらと光が射し込んでいた。冬のあつく凝った雲の中で、曙を告げる金色の太陽にも似た光が、ゆらゆらと揺らめいている。
 揺らめく陽炎(かげろう)の向こうで、光が人型を形作った。唐突に放り投げられるようにして、3人の人間がその場に吐き出される。彼らが倒れ込んだ先の雪原から蒸気が上がり、通常ではあり得ない形に窪んで、一瞬にして溶解する。
 青年と老人か見下ろす先で、金髪の若者は膝をついて息を整えていた。彼の額を汗が滴って、ぽたぽたと雫になって滴る。滴る先の地面は黒い土の色をしていた。この辺りの土地に多い、腐葉土の色である。
 荒い息もそのままに、青年――カイは顔を上げる。5年ぶりに聞いた青年の低い声が、かすれて弱い音となって、老人の耳に届いた。
「……頼む。少しの間、かくまってくれ」








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