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風の挽歌

第4章 落下流水


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 忘我(ぼうが)の彼方から引き戻された時、半分開いた窓の布地の向こうで、白くて細長い三日月が、藍色の空の彼方を輝いていた。ちょうどそれと同じ形で、鉤(かぎ)型に歪んだ白い手が目の前に転がっている。遠目には女のように白い手だが、触れてみれば意外と骨太で、ごつごつと節くれだっていることを知っている。
 闇の中でゆらりと揺れた体が、まわされていた腕を解いて半身を起こした。見下ろす下で、寝息がふきかかった金髪が、淡い月の光を受けて揺れている。
 そういえばこの手に初めて抱かれたのも、こんな月の夜だったなと、シナは思った。


 それは、今から半年程前のこと――


 宴は、思っていたよりも盛大だった。
 久しぶりに口にした酒の感触が、喉奥に心地よい。出された食事もなかなか美味で、お腹が一杯で、シナは少々眠くなってきた。
「おい、寝るなよ」
 どうやら、自分でも気付かぬうちにこっくりやってしまったらしい。カイに頬をぴしゃりと張られ、思わず目を見開く。
「あ、ごめん」
「緊張感がなさすぎだ。……気持ちは、わからないでもないけどな」
 そう言うカイのグラスの中身は空だった。そこには最初から何も入っていなかったことを、シナは知っている。ついでに、目の前の皿にも手はつけられていない。彼はこの館に招かれてから、何も口にしてはいなかった。
「だけど、まったく危険な様子はないじゃないか……」
「確かに」
 そう言って、カイはぐるりと辺りを見渡した。白い頬で、燈の灯りが揺れている。青い目は油断なく辺りを見守っていたが、彼の様子から、今この場に果たして危険があるのか疑っているのだということがよくわかる。
 シナとしても、今日は小さな短剣以外、武具を持ってはいなかった。カイもいつもの剣を外している。もっとも彼の武具は、自身の体内に存在したが。
 やっぱり、こんな用心棒なんて引きうけなければ良かった。心の隅に、かすかな後悔がもたげてきた。



 ある街の物持ちの館主から、宴の護衛を頼まれたのは、今日の昼前のことだった。ついこの前に別の依頼を成功させて20リラの報奨金をもらったばかりだったので、別に引きうける必要もなかったのだ。それでも引きうけてしまったのは、魔物が現れる現れないに係わらず、食事代と宿泊は保証する――という申し出に心引かれてしまったからに他ならない。
 どこか遠いところで、皇室に連なるとかいうお偉方を招くとあって、館主は館の周囲の安全管理にやっきになっていた。巷の噂ではそうしてお偉方を接待して、国の事業を下受けているという。あながち嘘ではないのかもしれない。でなかったらこんなきらびやかな宴会に、誰が好んで薄汚い賞金稼ぎなんかを呼ぶものか。
 だけど紛れもなく皇族であるカイでさえ知らないお偉方、となれば、あまり期待しない方がいいんじゃないかな、あの館主さん――、華やかな着物に身を包み、でっぷり太った腹を揺らしている主人を眺めながら、シナは心の内で呟いた。
「カイ、こういうところ嫌い?」
「あまり好きではない」
 天井からぶらさがったシャンデリアを彩る赤や緑の石たちは、まさか本当の宝石ではないだろうが、模造品でも結構なお値段だろう。暖炉の前の敷物は、本物の更紗だ。豪華は豪華でも、あまりきらびやかで、お世辞にも趣味がいいとはいえない。小さく息をはき、カイは何も入っていないグラスに口をつけた。
 本当はあまりこういう派手な場所には来たくないのだ。皇宮から無許可で出奔した身には常に、追われるものの用心深さがある。今もできるだけ主賓からは離れて、ついでに背中も向けていたのだが、どうも首筋の辺りに視線を感じるような気がして仕方がない。
 ――考えすぎか。
 ほんの子どもの頃ならともかく、少なくとも今の彼の顔を見て、すぐに正体を見破るような人間は、ここにはいないはずだった。だが心のどこかに臆病な怯えが、しぶとい滓(かす)みたいにこびりついている。
 ――どうも、今日の俺は気弱になっているらしい。
 カイが自身を嘲笑していたのは決して長い時間ではないと思っていたのに、気がついたら随分と長い間黙っていたらしい。すぐ真下で、シナが彼の顔をしげしげと眺めている。
「どうした?」
「あれ、なんだろ?」
「ああ、最近この辺りで評判の占者さまなんですよ」
 彼らの傍らで、皿を下げていたメイドの一人が、シナの指差す先の人だかりを説明した。さっきからちらちらとカイを見て、ほのかに頬を染めているあたり、先刻見まわりと称して台所に消えた優男が、何か世辞の一言でも言ったのかもしれない。
「お二人も占って貰ったらいかがですか?安い値で、私たちみたいなものでも気楽に占ってくれるんですよ」
「へえ……」
 別に占いを愛でる趣味なんかまったくなかったが、あまりに退屈過ぎて、シナが多少興味をそそられた表情になったのを見て、年若いメイドは楽しそうに微笑んだ。
「どうです?1度、お二人の将来でも占っていただいたら?」
「……」
 一体、何を占ってもらえというのか。シナは思わず、口に含んでいた酒を吹き出しそうになった。



 評判の占い師とやらは、まだ年若い少女だった。幼女といってもいい。どうみても10歳以上には見えない。
 髪は黒いが瞳が翡翠色で、肌だけ抜けるように白かった。異国の民族との混血かもしれない。側に大人がいないところを見ると、この年齢で一人で商売をしているのだろうか。
「貴方は、幸せになれるわ。道は長くて暗いけど、その先には光が見える」
 シナが貰った答が、それだった。何も占ってもらいたいものが見つからなくて仕方なく、「僕の未来が見えますか?」と聞いたのだ。質問も抽象的だが答も抽象的で、これくらいなら誰にでも答えられる。
「さあ、次はあなたね」
 少女が伸ばした手の先を、カイは無造作に跳ね除けた。ほとんど目にも止まらぬほどの、素早い身のこなしだった。
「いや、俺はいい」
「カイ?」
 さっきから、彼はあまり機嫌がよろしくないようだ。占者から顔をそむけたまま、カイは露骨に嫌そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「俺は、こういうのは信じない主義なんでね」
 シナだって心底信じている訳ではないし、好きか嫌いか――と問われれば、あまり好きではないと答えるだろう。結局、こういう占いとか厳担ぎとかは、他力本願に過ぎないからだ。だがそれを、よりにもよってとうの本人である占い師の前で口に出さないだけの分別はあったし、カイだって本来、それくらいわかっているはずだ。
「……怖いのね」
 今まで黙っていた少女が唐突に口を開いた。利発そうな目が真っ直ぐに、金髪の青年を捕らえている。
 カイの片眉が跳ね上がった。
「本当のことを知るのが」
「何だと?」
「だって、貴方の未来は見えないもの。道は途絶えて、そこから先には何もない」
「……」
 一瞬ではあったが端整な横顔が、醜く歪んだように思われた。だが、それはほんの刹那の出来事で、彼はすぐに少し笑って、懐から1フルー銀貨を取りだして、少女の小さな手のひらへ向け投げつけた。
「なるほど、良く当たるっていうのも、まんざら出たら目でもなさそうだ」
「ちょっと、カイってば!」
「……取って置けよ」
 そうして、カイは顔をそむけた。周囲にある、すべての人と、ものと、言葉から。一瞬だけ彼の顔を通り抜けた闇は、今までに見たこともないように深く鋭いもので、それに途惑って、シナは消えて行く背中を追えなかった。
 ――初めて見た。
 あんな、まるで苦虫を噛みつぶしたみたいな顔をしたカイを。



 夜の空気が重たい。ひしひしと、肩にその重みを感じる程に重たい。あてがわれた細長くて狭い部屋は物置代わりに使われているらしく、かび臭い薄い毛布が何枚も、部屋の隅に積んである。勝手に拝借したそのうちの一枚に包まりながら、シナは傍らでまったく動かない背中の影を追っていた。
「カイ、起きてる?」
「……一応、護衛にきて、眠っちまうわけにはいかないだろう」
 嘘だ。
 護衛だろうが仕事だろうが、彼はいつも遠慮なくぐうぐう寝るし、それでも緊急事態には、飛び起きるだけの神経を持っている。
「気にしているの?さっきの占い」
「別に」
 返事がはや過ぎた。不自然なほどに。やっぱり、らしくない。
「ねえ、あんなの、気にしない方がいいよ」
「いや、気にしてはないけど……、二度目だしな」
「え?」
 ごろりと体を転げて、彼は仰向けになった。両手を頭の下で組んで、天井の方を見上げている。だが実際は、視線は天井をつき抜けて、遥か遠くの空の向こうを見ているように思われた。
「もう大分前だけど、宮殿に来た占者に、20を過ぎては生きられないと言われたことがある」
 ――今、何と言った?
「え、ちょっと待ってよ。だって、カイもうすぐ……」
「後3ヶ月もたてば、その20だ。もっとも、その占者が言うには、20の年は無事迎えられるが、その後の未来が見えないってことだったが」
「……嘘」
「いや、本当だ……それに、思い当たることもないわけじゃない」
 今度は体を半回転して、まっすぐ前からシナを見た。口の辺りは笑っていたが、顔のほかの部分は笑っていなかった。こうして薄暗がりで眺めても、やっぱりカイの顔は綺麗だが、だけどその端整な顔のむこうがわに、べっとりと薄気味悪い、何かひどく暗いものがへばりついているのがわかる。その薄気味悪いものを隠そうともせずに、彼は片手を上向きにひらひらさせて、シナを手招きした。
「ほら、俺の目の色、近くでよく見たら、ちょっと普通と違わないか?」
「…………」
 カイの目は青い。髪は金色で肌は白く、かなりがさつな口調と、いつも着た切り雀の服装にさえ構わなければ、典型的な貴族階級の子息に見える。だが言われるまま闇の中で、鼻をくっつけるようにして覗き込んだ瞳の色が、一瞬、赤い色に見えた。驚いて良く見れば、青にわずかに赤みが混じっているのがわかる。
「血が濁る、とでもいうのかな。ごく近い近親婚を繰り返した家系に、こういう目の色の子が生まれるんだそうだ」
「……でも、だからって」
「大抵、そういう赤ん坊は育たないで、ガキのうちにぽっくり逝っちまう。生まれた時から、どこか壊れているんだろう」
「だって、カイは――」
「これでもガキの頃は、体が弱くてね」
「だけど、そんな子供だって、大人になれば…」
 結構何事もなく、生きていくものだ。と言いかけたシナの前で、彼はに、と笑って見せた。
「……さあ、どうだろうな?」
 自分のことを話しているはずなのにのに、ごく素っ気無く、まるで他人について語っているかのようだった。
 そしてそれ以上は、何を聞いても――押しても引いても、うんともすんとも言わなかった。時折、彼はこうして文字通り「貝」になる。だけど嘘や偽りでこんなことを言い出すような男ではない、と言い切る程度の信頼はある。
 不意に身体の底から、何か得体の知れない、だけど酷く強烈な感情がこみ上げてきた。その意味も名前もわからぬまま、それはシナの中で、暴れ、こみ上げ、出口を求めてさ迷っている。
「カイ……」
「悪かったな。いきなり、こんなことを言って。まあ、1度は言っておいた方がいいかと思っていたんだ。もしも俺がどこかでくたばったら、骨くらい――」
 拾ってくれるくらいの義理はあるだろう、と言いかけてカイは言葉を切った。唐突に、シナが背中に抱きついたからだ。血の温かみが肌を通じて、シナの腕や胸に伝わってくる。純粋に驚いた、というように暫く言葉に詰まった後、カイは声を低くして腕ほどいた。
「……おい、少しは状況を考えろ」
 隅っことはいえ宴に出るのだから、シナはいつもの動きやすい服装ではなく、普通の街の娘が着るような女の服を着ていた。15の声を聴いたころから急速に膨らみ出した胸を押さえていた晒布は、その時に外している。だから布を隔てた2つの膨らみが、直接カイの背に触れている。
「!」
 慌てて体を離したシナの上を、一瞬の風のように、視線が通り抜けた。
 問われたらまず10人中9人は綺麗と答えるカイの顔は、はっきり言うとかなり女性的で、見方によっては軟弱に見えないこともない。だが、上から下まで、彼女の体をなぞるように見渡したその顔は、明かにいつもの顔とは違っていた。
 男の顔だ。
 彼が男で、自分が女であることは、今までに考えたことがなかったわけではない。それは明かに腕力の差がある時だったり、湯をつかうときだったり、確かに切り捨てられることなく二人の間に存在してはいたけれど、それが彼らの壁になることもなかったのは、2人が確かに「相棒」であったからなのだと思う。
 少なくとも、この時、この瞬間までは。
 あまりに気まずくて、思わず視線を逸らした。かすかに開いた木窓の向こうで、細くて長い月が、闇夜が掲げた地獄の鎌のように、鋭い光を放っている。その切っ先が、カイの首筋につきつけられているのを、見た、と思った。
 引き寄せられるように、背後を見た。衣擦れの音がして、今度は背後から、長い腕が絡んでくる。むせ返るような男の匂いがして、視界の中で月がぐるり、と反転する。次いで耳元に吐息を感じた時、シナは思わず目をつぶっていた。
「嫌なら、そう言え」
「……」
 そうしてその夜、結局シナは最後まで、「嫌だ」とは言わなかったのだった。



 ――自分の気持ちがわからないのに、他人の心などもっとわかるはずもない。
 あの夜から、もうそんなにたつんだな――と思った時、寝返りをうって目の前に現れた男の背中に、骨が浮き出て見えた。この1週間ほどの間、彼は高熱を出して寝込んでいた。ただでさえ細い体の線が、その所為でさらに細く儚い。
 一瞬、引きずられるままに、彼を受け入れてしまったことを後悔した。事実今夜、ようやく起きあがれるようになったカイに腕を掴まれ、腕の中に引きずり込まれた時、シナは今までにない力で抵抗したのだ。だが武術に優れた男の腕は巧みで、半分病人の押さえつける手に力はなかったはずなのに、結局はかわしきれずに、じきにこちらの方が先に、我を失ってしまった。
「…………」
 シナは一族が大災厄で絶滅した後、南の村にある孤児院に引き取られて、そこで遊牧民の子など面倒見られないとばかりに、目一杯苛められた。ついでにそこの強欲な院長は、彼女が売り物になる年齢になった途端に、花街の娼館に売り飛ばしたのだ。大災厄から2年後の13の年だった。
 幸か不幸か、年齢よりも幼かったシナの体はすぐに売り物にはならず、そのうちに娼館が潰れてしまったので下働きだけで客を取るまでなく抜け出したのだが、女を求める時の男が、肉だけでなく、そこに束の間の夢と安らぎを求めているのだと悟るくらいには、その世界の色を知っていた。例えそれが、朝になれば使った金と貴重な時間を思って後悔したくなるような、安らぎであったとしても。
 だから今隣で眠っている男が、ただ欲だけで自分を抱いたとは思わない。金のかからない女で間に合わせている――とまでは思いたくない。だけどそれでもやっぱり女だから、こうして肌を触れるたびに、心のどこかで何かが痛むのだ。
 気がついた時には、月が雲の向こうに消えていた。藍色の霞の向こうに、金色の朝の色が、少しずつ近づいてきているのがわかる。空気は冷え冷えとして、草の上に落ちた朝露が、凍りついて固まっている。その一つ一つが、金色の光を弾いて輝いている。
 結局、今夜も聞きたい言葉は聞けぬまま、こうして眠れぬ夜が明けていく。






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