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風の挽歌

第3章 細腕の刺客


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 白い陽光の下を、まだ青い葉を残した木の梢が、ばきばきと音をたてて飛んでいく。その合間で背中に羽根を持った黒い鼠(ねずみ)が、大量に羽ばたいている。まるで黒い竜巻のようだった。
 だがその行く手を、三日月型の刃が遮った。びゅと1回大きな刃鳴りだけを残して、迫り来るものを瞬く間に両断する。小さな黒い目玉が、羽根の残骸が、長い尻尾が、一瞬にして空を舞う。
 直前で危険に気付いた鼠たちが羽根をたたみ、一斉に大地を駆け出した。
「ラウル!そっちに行ったよ!」
「了解」
 若い男が腕を振り上げた途端、白い煙があたりを覆った。彼の足元から白煙が、地面に近いところを這って動いている。瞬きすれば遠くは見えず、耳をすませば、もくもくと、煙の育つ呼吸音しか聞こえない。着ているものの袖で口元を多い、シナはラウルの元に走り寄った。
「これ、人間に害はないの?」
「大丈夫だ、人体に無害な程度に調整してある」
 異常発生した羽鼠の群れが、白い煙に包まれて、地面の上でのたうっている。異様に長いひげが震え、瞳孔が開き、四肢が硬直し、やがて1度だけびくりと大きく震え、息ができずに死んでいく。さながら、地獄絵巻だった。
「……さすがに、もと薬師だけあるな」
 切り株に座って、成り行きを眺めていたカイが呟いた。彼も袖で顔を覆っている。眼のまわりが少し赤い。こういう薬品に弱い体質なのか、やがて彼は口元を押さえたまま、しばらくげほげほとはげしく咳き込んだ。
「――カイ!だから宿で寝ていなって言ったのに」
「これはもともと、俺が引きうけた依頼だ。それに大体、なんでここにこいつがいるんだ?」
 びし、と指した先で、ラウルが自身の商売道具である、羽鼠駆除に使った薬を片付けていていた。彼は大災厄まで、首都の研究所で薬師をしていたという薬品の専門家だ。懐から取り出した瓶に残りの薬をしまって、人好きのする笑顔で、細身の青年の肩を掴む。
「そう冷たいこと言うなよな。お前が熱なんか出して寝込んでいるって言うから、わざわざ助太刀にきたんじゃねぇか。さあ、さっさと役人に届けて報酬を頂こうぜ」
「報酬……っておい、お前、この前、人をただ働きでこきつかったのを忘れたわけじゃないよな?」
「……そんなこと、ありましたっけ?」
 男二人のどうでもよい話は無視して、シナは依頼人の方へとに向き直った。
「羽鼠の巣は破壊しましたから、少なくとも来年の繁殖期まで発生することはないはずです」
「ありがとうございます」
 大量発生した羽鼠に畑を荒らされて、賞金稼ぎを呼んだのはまだ若い娘といっていいほどの村娘だった。黒い髪を肩下で束ねて、濃いベージュの上っ張りを着ている。シナと2人で並んだら、さながら姉弟のようだ。…これでは、御礼の方はさほど期待できまい。
「――おいシナ、行くぞ!」
「え、ちょっと待ってよ!」
 いつもは依頼人を大事にしろ、とうるさいくせに。前日まで高熱を出して寝込んでいたカイの背中は、ただでさえ細いのに、いつもより少しやせていて、頼りなげに見えた。だが慌ててシナが証拠の死骸の一つを布に包んで動き出した(これと引き換えに報奨金が出るのだ)時、後から唐突に衣の端をつかまれた。
「シナって、もしかして……」
「?」
 ぐい、と唐突に顔を近づけて、女は上から下までしげしげとシナの体を見回した。まるで値踏みをするような視線に、一瞬シナは尻込みしたが、鼻先がくっつきそうなほどの距離まで顔を近づけて、女は手を離し、やがてにっこりと微笑んだ。
「やっぱり、シナだ!あたしよ、あたし。ハンナ、覚えてない!?」



 ハンナはシナの姉の1人であるいう。「1人」とわざわざ断ったのは、彼女にはやたらと異母の兄弟姉妹が多く(なんと14人も子がいるというのだから、よほど元気な父親だったのだろう)、彼女自身、母親の違う姉妹の一人一人の顔までよく覚えてはいないらしい。それでも大厄災以来5年ぶりとなる同族との再会に、シナは大喜びで、彼女が暮らす村まで出かけていった。結局きっちり3等分した報奨金を手に、ラウルも懐を抱くようにして妻子のもとへ帰ったので、宿に戻ってきたときは、カイはたった1人だった。
「寒い…」
 出歩いた所為で、一端下がった熱が再び上がってきたらしい。口に含んだ透明な液体が、飲み込み切れずに唇の端を伝って襟を濡らしている。カイは水差しを机に戻して、寝台の上に倒れ込んだ。
 ――兄弟、姉妹ね……。
 彼の父は、今の皇帝の異母弟にあたる。ついでに母は皇帝の姪だから、両親は伯父と姪の関係で結婚したわけだ。ついで皇帝と皇妃も従兄妹どうしで、皇帝の母は前皇帝と先妻との娘だから、系図にしたならば、随分とややこしいことになるに違いない。皇国の皇位は長子存続を原則とするから、先の皇帝の次男のそのまた次男坊であるカイには相続の目などあるはずもなかったのだが、皇帝の子は夭逝し、カイの兄にあたる人間も早死にしていているので――そのあたりもまた随分とややこしくなってしまった。
 そうしてほんの少しの間、うつらうつらしてしまっていたらしかった。気づいた時、わずかに開いた窓の向こうで、半分色付きはじめた木の葉が揺れていた。その合間を差しこんでくる陽光は橙色で、おそらく元は白かったろうと思われる宿屋のシーツや毛布の端が、燃えたつ色に染まっている。
 カイがぐったりと手のひらを額に運んだ時、たてつけの悪い部屋の戸がかすかに、きい、と鳴いた。
 ――誰だ?
 廊下の向こうは暗かった。斜めに橙色を浴び、細い人影が近づいて来る。途中、投げ捨ててあった上着に足を取られた、肩の線が華奢だった。
 女だ。
 ――シナが帰ってきたのか?
 体の節々が痛い。関節の骨の一つ一つが、全力をあげて脳味噌相手に反乱を起こしている。動かすためにはひれ伏して、おうかがいをたてねばらぬ。だが頭上で、何かが揺らめいて、それがこちらに振り下ろされた瞬間に、関節はすべての反乱を途中放棄して、毛布を飛ばして跳ね起きた。
 途端、刃が枕を切り裂いた。白い布が真っ二つにわれ、中から湿った羽毛が多量に飛び出している。随分湿っていて、ところどころに黴(かび)まで生えている。……どうりで、寝心地がよくないと思ったはずだ。
「――!」
「何者だ!?」
 咄嗟に剣に伸ばした右の手に、鋭い手刀が振り下ろされた。掴む寸前で金属が、遠くに跳ね飛ばされていく。動きが素早い。右腕を畳んで肘打ちを食らわせようとしたものの、相手は身をよじるようにしてそれをよけた。次に振り上げた拳をやすやすと掴まれ、次いで首筋に金属の冷たい刃が触れた時、カイは肩を竦めて両手を上げた。
「動くな!」
「……この状況で容易に動けると思うのか?」
 カイに武術を教えたのは、皇宮に滞在していた隣国出身の老師である。カイも含めて数人の皇族や官僚の子息に護身術を教えていたのだが、彼はカイの中に、並々ならぬ武術への適性を見出したらしい。その日々は今も血肉となって、青年の体を支えている。
 だから少なくとも、万全の体調でさえあれば、こんな不覚を取ることもなかったろう。ちょうど顎の下にある刃物は意外と大きく鋭くて、これならこの首1つくらい、あっと言う間に切り落とせそうだな、と思った。
「お前は……」
 沈む日の角度が変わって、刃をつきつけている女の顔が見えた。なんだかどこかで見た顔だな――などと間の抜けたことを思ってしまったのも、やはり熱の所為に違いない。どこかもどこか、つい今日の昼間に出会ったシナの姉の顔である。
「妹の相棒を訪ねるにしては、随分手荒な訪問だな」
「黙れ」
 こうして間近で見てみると、少しだけ顔の作りがシナに似ていた。小さめの鼻と口に、切れ目の黒い瞳。木目の細かい象牙色の肌は、こんな時でさえなければ、間近で眺めるのも悪いものではない。だが、瞳の奥が、憎悪の炎で揺れていた。それが彼女の顔を、昼見た時よりさらに壮絶なものに仕立て上げている。
はて、と首を傾げたくなった。何かこいつに憎まれるようなことをしたか?昼間ちらっと顔を見て、軽く挨拶しただけだ。ろくに会話も交わしちゃいない。
「黙れって……、こっちは今にも胴と頭が別々になろうとしてるんだ。理由くらい聴かせてもらっても、バチはあたらないだろう」
「理由?」
 唇の端が上向きに動く。
 ――そうだ、もっと怒れ。怒りは人を雄弁にする。
「理由がいるのか!?お前たち街の人間は、私達に何をした?大災厄の後、お前たちは砂漠にやってきて、私の家族を殺した。家を壊して、家畜を奪った。地震で怪我をした子どもたちを踏みつけにして、女を犯した。軍も国も、私達を助けてはくれなかったじゃないか!」
「……」
 いつの時代も、乱れた世に悲劇の種はつきない。大地震の衝撃で、日頃からたまっていた、遊牧民と定住民の間の鬱積(うっせき)が爆発したのだ。暴動は5日にわたり、国全体で数千とも、数万ともいう遊牧の民が虐殺されたという。その中にはシナの一族のように、種族全体が滅んでしまったものも少なくない。そもそも遊牧民たちは好戦的な民族で、シナに代表されるように男も女も武術に優れている者が多いから、一部では壮絶な戦闘があったと聞いている。
 やったのは、日頃はごくごく普通に暮らしている、町の民や農耕民たちが大半だった。何が人を狂気へ狩りたてるのか。魔物は多分、人の心の中にこそいる。
「……気持ちはわからないでもないが、しかし俺を殺して何になるんだ?お前が言う、街の人間とやらを、片っ端から殺して回る気か?やめておけ、返り討ちになるのがオチだ」
 ははは、と乾いた笑い声が聞こえてきた。どこから聞こえるのかと辺りを見回したくなるくらいかすれた笑い声は、確かに目の前の女の口から零れている。
「何になる、だと。随分おかしなことを言うな。お前を殺せば、この国は滅びる。私の家族を殺した国が、だ。そうだろう?皇位継承権第1位の――皇子殿下?」
「……?!」
 ――どうして、それを。
「カイ、具合はどう?ラウルから貰った薬を煎じてきたから――」
 無謀にも開けっぱなしだった部屋の入り口に、注意をむけるのを忘れていたのは、カイだけではなかったようだった。弾かれたように声の方角を見たとき、彼に刃物をつきつけたまま、彼女も同じようにそちらを見た。
「ハンナ……?ここで何を――」
 瞬間、彼女の注意が自分から逸れたことを、カイは見逃さなかった。腕を掴み、刃を跳ね上げると、手の甲の辺りが傷つき血が流れたが、その痛みは、かえって彼を覚醒させたようだった。そのまま、背負い投げの要領で投げを打つと、細い体が宙を回転して、床の上に落ちた。
「!」
 右肩から、まともに落ちた。咄嗟のことで受身を取れなかったのか、女は右肩を押さえてよろよろと置き上がった。関節が外れたのだ。それでもなお、左手で小刀を抜いている。
「――やめろ、ハンナ!」
 シナが、走り寄ってくる。だらんと落ちた自分の右腕と、駆け寄るシナの顔を交互に見比べ、細腕の刺客は窓枠の外に身を躍らせた。
「おい!ここは、2階だぞ!」
 すっかり夕暮れ色に染まった空の向こうで、何かが降っている、と思ったら、小枝が何本も何本の束になって落ちてきた。折れた木枝の肌色から、かぐわしい森の匂いが漂っている。
「何てこった……」
 ようやく彼が窓にはめこまれた木枠を掴んだ時には、そこにすでに彼女の姿はない。宿の外の道の上にも、意外と趣味良く作られた、窓下の花壇の中にも。
木の枝を伝って、逃げ出したのか。呆然と立ち尽くした背後から、震える手で肩を掴まれた。白くて細くて、驚くほど、冷たい。
「血が出てる」
「大した傷じゃない」
「でも、なんで……、どうしてハンナがここに?」
「……シナ、お前、つけられたな」
 はめられたのか――と考えた。今日の依頼はいつもの柱経由ではなくて、直接持ち込まれたものだった。だとしたら、初めからそのつもりだった、という可能性はある。
 ――しかし、ならば何故、あの女は俺の身分を知っていた?
「おい、シナ、お前あいつに俺のことを――俺の血のことを話したのか」
「え?ううん。そんなこと、わざわざ話すわけないじゃないか」
 そりゃそうだろうなと思った途端、すうっと膝の力が抜けたのがわかった。突然の乱闘で張り詰めていた緊張の糸が、今になって一気に緩んだらしい。がくがくと膝が震え、体は火照ったように熱いのに、無性に寒い。何かががちがち鳴っていやがる、と思ったら、それは自分の顎の震える音だった。
「カイ?ちょっと、また熱が上がったんじゃ!」
 まだ、考えなければならないことがあるはずだった。そしてそれは、安易に放置して良い種類のものではないはずだった。だがここまでが、限界だった。目の前がぐるりと回転し、膝が崩れ、闇の中に崩れ落ちるように、カイは記憶を失った。



 砂の嵐が吹いていた。掴めば指の隙間から零れるような粒子の細かい砂の粒が風に巻き上げられて、地上の世界を砂の世界へ変えていく。その中心で肩を押さえて祈りを捧げていた娘は気配を感じ、垂れていた頭(こうべ)を押し上げた。
「申し訳ございません。今回は仕留めそこないましたが、今度こそ必ず……」
 砂の中に膝をつき、両手を胸の前で組んだ娘の顔は紅潮している。仕留めることができた相手に、怒りで我を忘れて逃げられた。その屈辱は深い。
「次こそは必ず、憎き皇家の血を、この手で葬ってご覧にいれます」
 その言葉に答えるがごとく、鋭い音をたてて何かが弾けて飛んだ。一抱え程もある、大きな砂の塊だった。
 一際激しい嵐が吹いていた。舞い上がった砂塵が螺旋状に空を駆け上がり、天の彼方へ吸い寄せられていく。砂がなくなる。消えていく。そうしてすべての砂が消え去った時、冷え冷えとした黒い闇が辺りを包んだ。その静寂の中で、砂をまとったかたまりが、右へ、左へ揺れている。
 それが転がり震えるたびに、はらり、はら、と砂が散った。黒い髪が、皮膚が、剥き出しになる。そうして闇が切れ、そこからかすかに光がのぞいた頃ようやく、砂の中からごろりと、物言わぬ、女の首が踊り出た。



 再びカイが目覚めた時には、すでに日はとっぷりと暮れていた。完全に閉じられた窓の向こう側で、夜の帳が下りている。白い布の隙間から染み込んでいる赤い光は、今夜の月の灯りだろうか。
 きちんと寝台に横になり、肩まで毛布をかけられていた。首と右手がさらしで覆われている。額の上でごろごろしているのは……氷か。
 熱っぽさは抜けていた。変わりに、切られた右手の甲が痛い。彼がゆっくり瞼を開くと、ぼうっと橙色した灯火の下で、こちらを見ていたシナと目がかち合った。
「目が覚めた?」
「ああ、なんとかな」
「具合はどう?」
「……悪くはない」
 シナの手が彼の手を取って、それを両手で包み込んだ。人差し指の先端でそっと、なぞるように手の傷に触れている。普段の彼女からは想像もつかないくらい、女っぽい仕草だった。
「ごめんね、痛かったろう?」
「お前が謝ることではないだろう」
 いやそれとも、姉が傷を追わせた人間に妹が謝罪する。家族とはそういうものなのか。だとしたら……難儀なものだ。
「お前は、恨んではいないのか?」
「恨むって、何を?」
 本気で、意外そうだった。
「1つ、聞きたいことがある」
「何?」
「何故、お前は賞金稼ぎなんかをやっている?」
「……最初は、そうやって色々なところを回っていれば、僕以外にも誰か、生き残った同族に出会えるんじゃないかと思っていたんだ」
 ――ならば今、何故、こうしてお前は俺と共にいるんだ?ならば何故、その大事な大事な家族を止めたりしたんだ?
「でも今は違うよ。楽しいんだ。こうやって、カイや――ラウルと一緒に色んなところに行って、 色んな人に出会ったりするのが。カイは違うの?」
 本当のことを言うと、俺には自分が何故賞金稼ぎをやっているのか、いや、それ以前にどうして自分がここにいて、こうやって息をして生きているのか、わからないんだ――とは言えなかった。 ただ包まれた手がとても暖かくて、やっぱりまだ理由はわからないのだけど、だけどこんな暖かいのなら、わからないままこうやって生きていくのも悪くはないかもしれないな――そんなことを思いながら、瞼を閉じた。


 幸い、今度は朝まで、目を覚ますことなく眠っていられそうだった。









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