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風の挽歌

第2章 賞金稼ぎ


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 仕事がない。
 毎朝デルフィ神の石柱を参っているというのに、もう10日、依頼の張り紙がない。
 空は高く、抜けるように青い。綿をそいだような薄っぺらい雲はもう秋雲で、空を舞い出した蜻蛉(とんぼ)は秋を告げるがごとく赤い。いたって平和。それは大変結構――というわけにいかないのが、賞金稼ぎの哀しい性(さが)というもので。
 そもそも賞金稼ぎの仕事は、待っていて仕事が転がってくるという類のものではないので、依頼がなければ国中でもまわって、自ら仕事を探すくらいの意気込みがなければやっていけない。しかし旅に出るにはいささか懐が淋しく、昨日改めてみたら財布の中には小銭が数枚しか残っていなかった。
 真っ白で染み一つない石柱の前でシナは、本日で11回目となるため息をついた。
「まいったな……」
 今は場末の安宿に泊まっているが、この分では明日の宿賃は払えそうにない。といって、今すぐに旅にでるための路銀もない。
 こういうのを、進退きわまる、というのである。
「……どうしよう」
「やけに不景気そうじゃねぇか」
 本日何度めかの一人ごとの後、大きな手で肩をがし、とわしづかみにつかまれた。振り向くと熊みたいに大きな若い男が、茶色の髪を揺らしてのっそり笑っている。人が笑うのにのっそりとは妙な擬音語だが、何しろ体が大きくて、なおかつ顔も目鼻も大きめなので、そう見えてしまうのだ。シナは思わず目を見張り、みるみるうちに笑顔になった。
「ラウルじゃないか!」
「よう、久しぶりだな、シナ」



 ラウルは同業の賞金稼ぎである。
 大抵の賞金稼ぎは普通、2,3人の集団を組んで行動しているが、彼はまったくの一匹狼で、大抵の獲物なら一人で仕留める。シナがラウルと知り合ったのは、こちらも2人では仕留め難い大物退治のおりに彼と組んだことがあったからで、その時の的確な戦いぶりと、きっちり報奨金を3等分して持っていったその行動に、好意とまではいかなくとも、好感は持っていた。相棒が、その点いたっていい加減な男なだけに、なおさらだ。
 しかし3月ぶりの再会で、彼はまずその相棒の行方を聞いてきた。
「お前一人か?あの金髪の相棒はどこ行った?」
「……さあね。女のとこにでも転がり込んでんじゃないの」
 近くの家の煙突から、白い蒸気があがっている。朝食のパンでも焼いているのか、小麦が焼ける香ばしい匂いがする。この町に着いた途端に飲み屋の後家と親しくなり、シナの泊まっている宿になどほとんど帰ってこないあの青年は、今頃まだ、寝台の毛布に包まって、ぬくぬくと眠っているのだろうか。
「そうか……、まいったな」
「カイに何か用?」
「いや、俺が今手がけてる仕事が、どうもあいつむきっぽいんだよな。ここでお前に会ったのも、何かの運だと思ったんだけどな」
「カイむきの仕事って?」
「……あいつは、あれで一応神官の位を持ってるだろう」
 ラウルはつ、と声をひそめた。唇に人差し指をあてて、シナに顔を寄せてくる。髪油の匂いが、鼻腔を撫でた。
「ここだけの、話だぞ。……この町の城持ちのガキが<魔物つき>になったらしい」



 出たばかりの月が、橋を挟んだ反対側で、驚くほど真っ赤に輝いている。水路の水は真っ黒な闇色で、その表面で月明かりが、流れに沿って揺れていた。
 月明かりを背に、水を眺めていた男は背後の気配に振り向いた。女のように白い肌に、赤い光が反射している。彫刻のように動かないその顔は、男が見ても一瞬、身じろぎしてしまうほど、美しい。
「カイ、久しぶりだな」
「シナに聞いた。何か、俺向きの仕事があるんだってな」
 欄干に背をもたれ、青年は巻き煙草を口にくわえた。だが火はついていない。くわえるだけくわえて、彼は巻き煙草を石畳に落として踏みつけにした。
「しかし、お前だけか?あのチビの方はどうした?」
「知らん。最近やけに機嫌が悪くて、俺の顔を見てもろくに口もきかないんでな。今回も一緒に行くかと言ったのに、返事もしない」
 ――そりゃ、お前が自分をほったらかしで、他の女とよろしくやっているのが気に食わないんだろうが。
 とは思っても、口には出さなかった。かわりにまじまじと、自分とり3,4つ年下の青年の顔をのぞきこんだ。青年は、視線を逸らしはしなかった。真正面からラウルの視線を受けとめている。
「なんだよ、俺の顔になんかついてるのか?」
「いや、別に。行こう。依頼人が待ってる」
 決して悪いやつではないんだけどな。どうも掴みどころのないやつだ。心の中だけで、ラウルは自身のカイ評に、もうひとつこう一つ付け加えた。
 ――そんでもって、案外、鈍いのかもしれねぇな。



 「どうか、息子をお助け下さい」
 城主というからには、中年、少なくとも40過ぎた白髪交じりの壮年を思い浮かべていたら、先代城主が早くなくなったという、この城の主は想像以上に若かった。30代前半――少なくとも35にはなってはいまい。渋みがかった、なかなかのいい男だ。
 表向き、子どもが病気とあって城の中は暗かった。窓という窓に木板がはめこまれ、鏡が布で覆われている。陰気な城の長い廊下で、手燭の灯りが揺れていた。
 ――なるほど、魔物つきねぇ……。
 吸血鬼城の方が、よっぽど似合うかもしれない。
 問題の子どもは、天蓋(てんがい)のついた寝台に寝かされていた。口をすぼめて、いっちょまえにぎちょぎちょと鳴いている。まともな人間の子どもがぎちょぎちょ鳴く訳はないので確かめて見たら、背中に黒い羽のようなものが生えかかっていた。全身がうっすらと黒い羽毛で覆われて、目だけがぎろりと赤い。蝙蝠(こうもり)――いや、人間の手足は残しているのだから、蝙蝠人間か。異様な風貌だ。
 思わず、呟いていた。
「これは……」
 子どもの傍らで、20代半ばの奥方が、衣の袖で目元を覆っていた。主人とお似合いのなかなかの美人だ。子どもの異常にやつれたのか、頬がこけ、目のあたりに隈が広がっていたが、それさえも色っぽい。
「この子は、生まれた時から体が弱く……。1月ほどまえにも大病で、お医者さまにももう助からないと言われたのです。それが一週間ほどまえに回復したと思ったら、今度はこんな姿に……」
 母親は懐から鼻紙を取り出して鼻をかんだ。透明な涙が、みるみるうちに浮かんできて、彼女の頬をつたって、年よりずっと乾いたかさかさになった手の甲に落ちた。彼女はその手で、異形と化した我が子の手を、何のためらいもなく握り締める。黒い羽毛はうっすら湿っていて、随分異形なものを見なれた目をもってでも、できればあまり手を触れたくないと思う。
 母親とはいいもんだな――母を知らぬ青年は、ふと、そんな感慨にふけった。
「主(あるじ)どの」
「は、はい」
「暫く、ここを出ていてください」
「それは……」
「お子のことは、奥方と我々にまかせていただきたい」
 城主はためらいながらも、言われたことにしたがった。途中何度も何度も振りかえって、妻の方を向いている。その目に気遣いがあるのも、悪くはない。妻は無言で頷くのを見て、彼は静かに戸を閉めた。子どもがこんな姿になっても、夫婦の語らいは順調であるらしい。
 カイは傍系ではあるが、皇室に連なる血をひいている。今の皇帝夫妻には子どもがなかったので、早くから宮殿に引き取られて養育された。その間、1度も会いに来なかった両親の顔は知らない。噂では彼を皇家に渡して金を受け取り、随分と豪勢な生活をしていたというが、それを確かめたことはない。
「奥方」
「……はい」
「魔族召還の術は、どうやって知られた?」
「!」
「おい、カイ、何を言って――」
 身を乗り出してきたラウルを片手で制した。その目は真っ直ぐに、美貌の母親に注がれている。目の淵で新たに浮かんだ涙がゆらりと揺れたが、それは零れ落ちずに、彼女の内にとどまっていた。
「私はかつて……、主都の神殿で巫女を務めておりました」
 かつてこの国には、年に1回、嫁入り前の娘を何人かまとめて、神殿にささげるという風習があった。神に仕えご神獣を守り、娘たちは嫁にもいかず、無論子も持たずに、そこで一生を終える。まれに何人か、高等神官や皇族に見初められて妻となるものもいたが、大抵はよれよれの老女となって役にたたなくなるまで神殿に留め置かれる。その風習が壊れたのは、無論、5年前の大災厄だ。
「そうか、あなたも……、大災厄で役目逃げ出した巫女のお一人でしたか」
 国中がひっくり返ったような大地震は、国の制度そのものにまで大きな影響を及ぼした。復興と救済にかかる費用が莫大で、神殿や神域にまでかける費用と人手がない。人々も自身の生活で目一杯で、神殿からは遠のきがちだ。だから国の各地で神殿が荒らされ、巫女や神官が多数そこを逃げ出した。
 ――そういう無理があるから、壊れるときには壊れるんだ。
 カイは若者らしい気概を胸に抱く。国というのはたくさんの無理と無茶を圧力鍋にいれて蓋をしたようなものだから、一端そこに小さな穴が開くと、すごい勢いで、詰め込まれた不満が噴出してくる。5年もそんなものに染まっていれば、いい加減、わかりそうなものだ。
「……はい。夫は今もそのことを知りません。神殿を逃げだした後、私は今の主人に出会って妻となり、幸せなことに、子にも恵まれたのです」
 ところが生まれた子は、極端なほど体が弱かった。冬がきては風邪をひき、扉にぶつかっては骨を折る。しまいにはわずか4歳の幼さで死病を貰いうけ、これも神を見捨てた自分に対する罰なのか――と諦めかけた時、ふと、悪魔が心に囁きかけた。
巫女時代に学んだ、魔族召還の術。魔物と人間の体を融合させる極めて危険な邪法ではあるがこれで、我が子は命長らえることができるかもしれぬ。
 夫がでかけたある夜、彼女はついに、その誘惑に勝てなくなった。果たして、子どもは死病を乗り越えた。がしかし、異形に犯された子ども体は見る影もなく、名を呼んでもあの愛らしい笑顔を返してはくれぬ。しまいには理由を知らぬ夫がうろたえて、賞金稼ぎを城につれてきた――
 そこまで語って、彼女の目からぽろり、と大粒の涙が零れ落ちた。子どもは今も寝台で、ぎちょぎちょけたたましく鳴いている。母の涙と子の鳴き声と、他になにか混じっていると思って後を見たら、ラウルが背後で鼻を鳴らしていた。
「おい、カイ、何か方法はねぇのかよ。この子の中から魔物を追い払うような方法は」
「……方法はないわけではない。だが魔物が出ていったら、この子の命はまず助かるまい」
「……」
 ここにシナをつれてこなくてよかった、と思った。誰にも救えない、というものはあるのだ。救われることのなかった一族の生き残りであるシナは、カイよりももっとよくそれを知っていることだろう。だがそれでも、どこまでの真っ直ぐなあの少女の心は、救われない者と救うことのできない者の双方の傷を、敏感に感じ取ってしまうだろうから。
「奥方。あなたは何を望みますか?ご存知の通り、魔族召還術は、かけた人間にしか解くことができない。あなたがそれをお望みなら、私は手助けはしますが」
「カイ!」
 母親に自ら、その手で子どもの命を断つかと言っているのだ。俺も酷なことをいうな――とわかっていたが、時に一刻の猶予はなかった。
「……このままでは、お子の体も心も遠からず、完全に魔物に乗っ取られます」
 そうなった時、この子どもがどう変わっていくかはわからならかった。他の多くの魔物同様に街に出て、人を殺してまわるのかもしれない。そしてわずか20リラのはした金で、多くの賞金稼ぎに命を狙われるか。
 だが例えどんな姿に身をやつそうと、彼女にとってはそれが我が子だった。彼女が子どもを抱えどこまでも守り逃げるというのであれば、それも悪くはないのかもしれない。
 決めるのは、彼女だ。
 どこか遠くで、柱時計が鳴っていた。ごーんと12回低く響いて、やがてかちかちと針打つ音が聞こえてきた。1日が終わり、また新たな1日がはじまっていく。だが窓の外の闇はいまだ深く、朝が来るのはもう10年も先のように思われた。
「……」
「……お願いいたします」
 やがて母が呟いた時もまだ、子どもは寝台の上で、ぎい、と鳴いていた。



 朝焼けが、町の頭上を覆っていた。水路を流れる水色が、空を映じて血のように赤い。白っぽい朝の空は、昨日もおとついも、そのまた前も頭の上にあったはずなのに、なんだか今日だけはやけに物悲しいものに思われた。
「……結局こんなことになっちまって、悪かった」
「別に、お前が謝ることじゃない」
 魔族召還の術法は、法律で禁じられている邪法だった。夜の間中、術解きにやっきになっていたので、四肢に重苦しい疲労が張りついている。その奥には疲労とは違う、一種異様に黒っぽい闇のようなものがしつこくまとわりついていたが、カイはそれには気がつかないふりをした。
 遠くの空で消え行く星は、衛星を従えた明星だろうか。あの子どもの魂が母に抱かれ、天に昇ってくれたことを、切に願う。
「いや、報奨金はともかく手間賃さえでなかっただろう。昼間シナが、仕事がないって嘆いてたから……」
 そっちの心配か。
「金は、別に構わないさ。暫く飲み屋で用心棒の真似事をして、手間賃を貰ったから」
「そうか」
 しばらく、ラウルは黙って水を見ていた。熊みたいに大きな体の男が欄干にもたれたので、橋の根っこがぎし、と鳴って、水面が怪しく揺らめいた。
 カイも黙って、ラウルの隣で空を見る。
 何が皇族だ。神官だ。結局、誰も救えやしない。ならば、俺は何故、こんな力を持って生まれてきた。
「……家に帰るかな」
「え?」
「なんだか無性に、嫁と子供の顔が見たくなってきちまった」
 唖然としてその顔を見た。
「ラウル、お前、嫁がいるのか?」
「いる。子どもいるぞ。今4歳で女の子だ」
 大男が大いに照れて笑うので、なんだかこちらの方もおかしくなってきた。今日1日ぐらいは笑えないと思っていたのに、思わず笑って、肩を叩いていた。
「へえ、そりゃ知らなかった。はやく帰ってやれ、旦那がこんな仕事で家をあけてばっかりじゃ、嫁さんが不安がるだろう」
「そうかな」
 葉巻を口にくわえて、今度は火をつけた。俺にも1本くれ、と大男が横から手を伸ばしてきた。無言で1本くわえると、もくもくとした白い煙が、乾いた朝の空気の中に一つ、2つ、と浮かび上がった。1つが2つに。その2つが割れて、今度は4つに。まるで繋がり、別れ、そして増えていく人の世の営みのように。
 ――家族か……。
 ただいまと言ったところで、むかえてくれるものは彼にはいない。頭に浮かんだのは昨夜ず―っと不機嫌で、まともに彼の顔を見もしなかった少女の姿だった。
 彼が飲み屋のおかみと親しくしたのを誤解して、随分と苛立たしげにこちらを見ていた。次第を話すのも面倒なので黙っていたが、理由を話して誤解を解いて、あの黒い髪を指に絡めてみたならば、この滅入った気分も少しは晴れるだろうか。
「……俺も帰るかな」
「ああ、そうすれや」
 男たちは笑って、別れを告げた。決して笑いたい気分ではなかったが、そうでもしないと、もう一生、笑い方を忘れてしまいそうだったから。


 2日後、街の広場の立て看板に、城主の妻が短剣で己が胸を刺し貫いて自害したとの記事が載った。だがしかし、その真の理由を知るものは、すでに街にはいなかった。









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